FC2ブログ

気迫の嶋大夫、咲大夫、呂勢大夫の熱演に感動~9月国立劇場・文楽公演(夜の部)『傾城阿波の鳴門』、『冥土の飛脚』を鑑賞しました。

 昨日に続いて、9月・国立劇場・文楽公演(夜の部・16時から20時過ぎまで)を鑑賞しました(20日、木曜日です。)。

 今日もまず、余談です。

 太夫と三味線の出語りの床(ゆか)、「ぶんまわし」「わまし」の脇で、舞台に背を向け、師匠のほうを向き、膝に手を置いて、背筋正しく、太夫の浄瑠璃を学んでいるような弟子。この日も、咲大夫、嶋大夫で見かけました。
 これは、位の高い太夫に舞台そでで控えている、「白湯汲み(さゆくみ)」です。
 大昔、太夫の白湯に水銀などが入れられたところから、信頼する弟子が、白湯を注いだり、それを守るようになったとのことです。
 しかし、太夫に万一のことがあったときには、即、肩衣(かたぎぬ)をつけて代役をするのだとか。閑話休題。


 さて、この日の演目は・・、

傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)』〈十郎兵衛住家の段【71分】〉、
 ・・10分の休憩で、

冥土の飛脚』〈淡路町の段【50分】〉、30分の休憩で、〈封印切の段【65分】〉〈道行相合かご【25分】〉

 ・・です。
 なお、〈十郎兵衛住家の段〉の三味線・鶴澤清治は、休演で、鶴澤藤蔵に代わりました。

 夜の部は、後述のように、呂勢大夫、咲大夫、嶋大夫の気迫で、充実したものでした。

 「傾城阿波の鳴門」8段目。
 最初に、近松半二の凝った戯曲の〈十郎兵衛住家の段〉だけを上演するのは、いかに、名手・吉田文雀(お弓)が登場するとはいえ、ちょっともったいないし、鑑賞する側の気分が十分に整いません。

 おまけに、どうでも良いことですが、津駒大夫登場のとき、最初、出語りの床が真っ暗で、機械操作トラブルのようでした。

 「順礼の歌」は、遠く、近く聞こえる竹本津駒大夫の音づかいの聞かせどころですし、子の声も大変です。お鶴の人形・吉田玉翔は、可憐にする、子役人形の大役です。

 しかし、私は、むしろ「後」の豊竹呂勢大夫(三味線・鶴澤藤蔵)の勢いが良かった。しかも、三業のアンサンブルが絶妙で、見ていてホントに「楽し」めました。
 欲をいえば、お弓が娘の死に気づき嘆くところで、殺した本人の十郎兵衛の心の動き、動揺が、もう少し微妙に動いて表現出来ていればと思いましたが・・。

 そうそう、新人、小住大夫も、御簾内から「口」の少しですが頑張りました。
 
 
 次は、「冥土の飛脚」。

 ベテランの病気休演が多い中で、豊竹咲大夫(淡路町の段)、豊竹嶋大夫(封印切の段)、それぞれ、持ち味を生かした1時間近くの大熱演。見事。
 やはり、芸は体。こうでなくちゃあー。あえて言います「にっぽんいち!!」。
 
 近松屈指の名作を忠実に(道行きは別)伝えている文楽の名作です。
 「まことに水の流れのように、人の運命もどこに行くのかわからない。恋のために命まで落とした忠兵衛と、その流れの身の梅川の浮名は、永く難波の地で人々の語り草となった・・・。」
 哀れな、はかない物語が、よく演じられています。

 ところで、劇場パンフレットの折り込み大判地図は、よく出来ていて、これはゼッタイに求めるべきです。
 大阪文楽劇場でもそうでしたが、近松物のときは、たまに、こういう凝った付録が付きます。

 梅川は、桐竹勘十郎
 昼の部で、ヤクザな悪役舅、夜は、ただただ忠兵衛一途の遊女、と見事な切り替え。凄いですねえ。
 一つ、生意気なようですが、八右衛門の話を盗み聞きするくだりで、もう少し、八右衛門を邪魔しない程度に、心の動き、情を表現できないでしょうか・・。

 忠兵衛は、吉田和生
 だらしの無い男なんですが、やはり何か魅力があるから梅川は惚れるんでしょう。その「何か」が、何となくわかるような人形遣い。梅川との「絡み」は絶妙。

 「一度は思案、二度は不思案、三度飛脚。戻れば合わせて六道の冥途の飛脚」。
 三度目の思案で、あの世に行くことをほのめかされ、六道とは、地獄、飢餓、畜生、修羅、人間、天上です。
 悩んで、歩き、忠兵衛の羽織がはらりと落ちる、「羽織落とし」の演出は、歌舞伎(1797年に、中山文七考案)から文楽に取り入れられました。
 犬は、面白いですね。

 ずっと前、頼母がいないので、禿が浄瑠璃「(夕霧)三世相」【近松、1686年の作】を唄う難曲。
 動きがないところを、禿(桐竹勘次郎)の人形が三味線をひく演出でうまく繋ぎます。
 でも、事前勉強無しの鑑賞だと、なぜ、これをあんなに長くするのか分からなくて、つい、ウトウトするかたも・・・。

 忠兵衛が逆上して、八右衛門に武家屋敷届けるはずであった、300両【今の、4、5千万円くらいとか。】の封を切って、50両を投げつけて対決する、「封印切」。
 迫力満点です。
 嶋大夫さん(三味線・豊澤富助)、ホントに大熱演。感動しました。

 最後の、道行きは、《改悪》で不要との意見もありますが、なかなかどうして、文章では想像できないところの哀れさがよく出ていました。
 また、「絵」になっていました。
 豊竹咲甫大夫、熱演。

 総じて、夜の部は、充実していました

 明後日は、寄席、名人会に参ります。
また、今日、3月・神奈川県民ホールでのオペラ『椿姫』の最前列の席をゲットしました。

なお、11月日生劇場、オペラ『メデア』の予習は、次をワンクリックしてください。

 http://kandoujin.blog48.fc2.com/blog-entry-342.html

圧巻。勘十郎、玉女、狂乱の泥場~9月国立劇場・文楽公演(昼の部)『夏祭浪速鑑』。

 まずは、余談。「東西~」。この口上の第一声は、「東西と春のしずむる朝(あした)かな」で、「芸」を始めるにあたり、客席に「お静まりいただくお願い」の言葉とか。

 さて、今日は、9月・東京国立劇場・文楽公演(昼の部・11時から3時過ぎまで)を鑑賞しました。
 
 演目は・・、

粂仙人吉野花王(くめのせんにんよしのざくら)』。〈吉野山の段【55分】〉、
 ・・10分の休憩で、

夏祭浪速鑑』。
〈住吉鳥居前の段【28分】〉、〈内本町道具屋の段【35分】〉、・・30分の休憩で、〈釣船三婦の段【50分】〉〈長町裏の段【35分】〉、

 ・・です。

 なお、当初予定の、〈釣船三婦の段〉切り、竹本住大夫は休演で、竹本文字久大夫に代わりました。また、竹本源大夫も休演です。
 ちなみに、竹本文字久大夫さん、床に出たときから頭に汗びっしょ。
 また、今日は、席が2列目床の真下だったせいか、芳穂大夫さんらの熱演のツバキが5度ほど飛んで来ました。光栄。

 今日、気づいたのですが、人形が、若い人も、ほとんど「出遣い」ですね。みな、こんなでしたっけ。出遣いも、ちょっと気になるところや人もいます。

 もう一つ、気づいたのですが、人形が刀を鞘に納めるところ、勘十郎さんなどは、見事に決めてリアリティがあるのですが、その前の段の x さん、主遣いの x さんが、刀をやや投げるように左遣いに渡して、鞘に納めていました。

 さて、感想です。

 面白く、儲けものだったのは、華やかでユーモア満点の「粂仙人吉野花王」。

 この作品は、日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)のインスパオイア浄瑠璃という人もいますが、1743年8月、大阪・豊竹座初演の、「今昔物語」の久米寺縁起にある粂仙人を元にした時代物で、歌舞伎の「鳴神」と同じ話。東京での上演は21年ぶりとか。
 
 「花ます」の誘惑は、かなりエロチック。裾を捲って襦袢下の足を見せ、口移しで水を含ませ、さらには、胸を合わせますが(ここは、色気満点)、ものすごくエロチック。
 仙人も、癪の痛みを和らげてあげようと、ナント、胸に手を差し入れる・・。クライマックスは、太夫陣全員、汗びっしょりの大音響の熱演。


 続いて、人気演目の「夏祭浪速鑑」。

 意地と義理がからみあう、破壊の狂気に満ちた物語。舞台の大阪が息づく人生劇の名作です。

 一寸徳兵衛女房・お辰の、吉田簑助は、いつみても、ほんとに凄い。情があるというか、静かにしていても色気があります。

 また、クライマックスの「泥場」での、三河屋義平次の桐竹勘十郎(「舅のガブ」の首(かしら))、団七九郎兵衛の吉田玉女の、丁々発止のやりとり、立ち回り、この熱演は見事。
 特に耐えに耐えた団七の、我を忘れたような狂乱の、しかも、様式美。歌舞伎を凌駕しているといわれる所以でしょう。
 でも、最後「悪い人でも、舅は親・・」、泣けるではありませんか。

 しかし、その前の「住吉」、「道具屋」は割合淡々と物語が進みます。しかも、立てる(通し)のではありませんから、話(戯曲)がちょんぎれています。
 いつも申しますが、人気狂言ならばなおさら、文楽は、歌舞伎のように役者を見に来ているよりは戯曲を見に来ているのですから、一日を一つの狂言で通して(「立てる」。文楽では、「通し狂言」とは言いません。)もいいとは思うのですが。
 ま、単純な「(よりどり)みどり」ではないのがまだ救われますが。

 明日は、夜の部に参ります。では。

11月大阪文楽劇場、『仮名手本忠臣蔵』、を改めて「予習」してみます。

 「冬は義士、夏はお化けで飯を食い。」という戯れ句がありますが、暑い盛り、11月の大阪文楽劇場、『仮名手本忠臣蔵』「通し」公演に備えて、ゆっくり、原本を読み直してみます。
 
 もともと、『仮名手本忠臣蔵』の初演は、夏、1748年の夏、8月14日なんですから。
なお、事件が起こったのは、元禄15年12月15日(西暦換算では、1703年1月31日です。お間違えないように。)

 そういえば、「献立に困ったら豆腐。芝居の出し物につまったら忠臣蔵」、と言うのもあり、『仮名手本忠臣蔵』は、必ず当たるとされた「独参湯(どくじんとう=気付の漢方薬)」と言われます。

  チケットは、10月発売になると思いますが、出し物も有名ですし、おまけに「通し」公演で、さらに、文楽を巡っての大阪市との補助金問題も生じているおりから、結構、チケット争奪は激しくなりそうです。

 
 初演は、先ほど申し上げましたが、1748年8月から11月まで、大坂・竹本座です。歌舞伎(大坂)では、同年12月に初演されました。
(余談ですが、この興業の最中に、竹本座内で、9段目を発端に、人形遣いと太夫間の内紛が起こり、4人の太夫が出てゆき、代わりに4人が豊竹座から移籍して入ってきています。それでも、興業に影響は出ませんでした。)

 文楽から歌舞伎、その歌舞伎の影響による文楽、といった、せめぎあいがありますが、人形浄瑠璃は、出来るだけ原典による上演が好ましいところです。

 作者は、二代目竹田出雲(もとの、小出雲)、三好松洛、並木千柳(宗輔)の合作です。
 
 ちょうど、竹本座で作品を書いていた近松門左衛門が死んで(1724年)、文耕堂を経て、そのあとの「合作」体制に、かつて東風【明るく華やか。西風は、地味】の豊竹座で書いていた並木千柳(宗輔)という新しい血が入って来て【竹田出雲の、親子恩愛・倫理的な劇に、並木千柳の運命・悲観主義的な劇】、まさに、人形浄瑠璃全盛期となりました。この間、人形も、三人遣いになり、細かい心理描写が可能となってきました。

 赤穂浪士の討ち入りが題材ですが、当時は、そのままの劇化は許されないので、「大平記」時代にし、役も、実名とは変わっています。

「続きを読む」をクリックしてお読みください。12000字の長文ですので、ごゆっくりどうぞ。

続きを読む

9月国立劇場・文楽公演、『夏祭浪花鑑』を、分かりやすく、丁寧に、「予習」します。初心者の方もどうぞ。

 きょうは、私の65歳の誕生日。ボランティアで行っている、幼児のサークルで、思いがけなく、英語の先生が、皆さんとバースデー・ソングを歌ってくださいました。

 先日の、「冥途の飛脚」に続いての、9月文楽公演「予習」、きょうは、第1部の演目です。

 初心者の方に申しあげますが、開演時刻は、11時ですが、その15分位前から、「三番はじまり(三番叟)」がありますので、見逃さずにご覧ください。
 
 始めに「ご連絡」ですが、次回は、また第2部に戻って、「傾城阿波の鳴門」です。

 『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』(9段)は、

並木千柳【豊竹座の浄瑠璃作者から、3年ほど歌舞伎の(岩井半四郎座・中村十蔵座)の作者になり、竹本座の浄瑠璃作者に戻って、「並木宗輔」と名乗りました。本作の実質立作者。】、
三好松洛、竹田小出雲の合作になる最初の作品で、
延享2年(1745年)7月16日に、大坂竹本座で初演ました。
(この合作者は、のちに、名作「仮名手本忠臣蔵」を作りました。)

 世話物9段続きの狂言として画期的な、また、「侠客狂言」で、「操の流行、その極に達した」、「団七、人形第一の大当たり」、と言われる作品です。

 主な、登場人物を概観してみます。

まずは、侠客3人。

 ・釣船三婦(さぶ)。今で言う運送業です。
 ・一寸(いっすん)徳兵衛。元は、浮浪者。玉島出身です。
 ・団七九六兵衛。魚(肴)屋です。
  団七が元の名前で、追放されてからは「九六兵衛」と名乗りますが、「釣船」、「一寸」とあわせて、「団七」も付けられています。

 そして、3人の、それぞれの女房。

 ・三婦の、おつぎ
 ・徳兵衛の、お辰。玉島に住んでいます。
 ・団七の、お梶。もとは、玉島家に奉公していました。

それらの人物が、

 ・玉島兵太夫(道具屋では、清七と改名。)と、
 ・身請けした遊女・琴浦、
 ・好いた道具屋の娘・お中、

を守ります。
 対するは、

 ・大鳥佐賀右衛門。玉島兵太夫の同輩で、琴浦に横恋 慕しています。
 ・その使い走りの、こっぱの権、なまこの八、
 それに、
 ・お梶の父、三河屋義平次

・・・といったところです。
 
 
 では、物語です。(1、2段目の内容は、以下の説明中に併せて説明しています。)
 ユカブレ(床触)、「このところ・・の段、相勤めまする太夫・・・大夫、三味線・・、東ォー西、東西、東西」

「続きを読む」をワン・クリックしてお読みください

続きを読む

9月文楽公演・『冥途の飛脚』を、改めて原典で味わって「予習」してみます。初心者の皆さんもどうぞ。

 しばらく、文楽、人形浄瑠璃の「予習」をいくつかしてみたいと思います。

 9月文楽公演・第2部は、近松門左衛門『冥途の飛脚』、「西風」の、人物と情をじっくり聞かせる物語です。
 ちなみに、第2部のもう一つは、『傾城阿波の鳴門〈第8段・十郎兵衛住家の段〉』で、太夫至難の、「順礼歌」と、人形遣い至難の、「お鶴」の子役人形があります。後日、ブログにアップしますが、聞きもの、見ものです。

 話を戻して、「冥土の飛脚」は、宝永8年(1711年)3月初演、近松59歳の作品で、親子の情を深く語れるようになった年です。
 余談ですが、近松の子供は、3人で、多門(画家・杉森梅信)、景鯉、太右衛門です。

 ちなみに、この物語に関係深い、町飛脚が公認されたのは、寛文3年(1633年)です。

 実際の事件は不明ですが、同じ題材を扱った、近松にヒントを与えたであろう先発作品も多くあります。例えば・・・、

『御入部伽羅女(ごにゅうぶきゃらおんな)』(1710年)は、豪商の没落を背景に、公金を横領して遊女を身請けした話(この遊女は不知でお咎めなし)。

『好色入子(いれこ)枕』(1712年)は、養子である豪農の息子の公金横領による身請け話しですが、養子となったわけが詳説されている以外は、近松の本物語とほぼ同じ筋なので、近松の影響を受けた話ともいえます。 

『けいせい九品(くほんの)浄土』(1710年)は、梅川が、好きな男と添うため、忠兵衛を騙して、郭を抜け出る話で、忠兵衛は、途中置き去られ、馬子に殺されます。
 また、『御伽(おとぎ)十二段』、『けいせい本願記』などもお家騒動を組あわせた、これに、似たような筋です。
 ここでの梅川は、どちらかというと、男を騙して郭を抜ける、強かな女に描かれています。

 後発作品は、

 近松作品を改作した紀海音『傾城三度笠』(1713年)、これを、原作を参考にさらに改作した、
菅専助らの『けいせい恋飛脚』(1773年)、
などありますが、

『けいせい恋飛脚(こいのたより)』(1773年)、
さらに、これを改題し、歌舞伎にした、
『恋飛脚大和往来(こいのたよりやまとおおらい)』(1796年)、
などがあります。
 話の運びは、近松作品の、一本気な男と、純な女の解釈に、ほぼ集約されています。
 技巧的になっていきますが、近松の情趣が失われいったとの評があります。

 改めて、近松の全文を読んでみます。これは、「予習」を兼ねたその要約です。
下の「続きを読む」を、ワンクリックしてください。

続きを読む

首都大学東京・文楽講座最終回は、「千両幟」ビデオなどで楽しみました。

 ちょうど、外では雷雨のときに、首都大学東京の室内で、「文楽にようこそ」、最終回の講義を受けていました。
 バラエティーあるビデオが見られて、楽しいひと時でした。

 講師は、ずっと、清水可子(よしこ)・元国立劇場芸能調査室長です。

 この日、面白かったのは、初見の、
関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり)』のビデオでした。
  作者は、私の好きな近松半二。
 その、猪名川内から相撲場の段の場面転換で行われる、三味線の曲弾き、ま、曲芸のようなものです。

 5~10分もあったでしょうか。4~50年前のフィルムとかでしたが。
野沢喜左衛門、野沢錦弥(現・錦糸)の、
三味線の撥(ばち)の握っているほうで弾いたり、弦と三味線の胴(どう)の間に撥を通したり、弦を左手で弾いたり、三味線を頭上に上げたり、逆さにしたり、撥を胴に乗せて、空中キャッチしたり・・、
 とまあ面白い。最近では、2006年に国立劇場で公演があったようですが。
 
 でも、ま、面白いのですが、邪道とも言われる舞台をあえて、初心者講義で、じっくり公開した意図は・・・。たしかに、皆さん、居眠りは、無くなりました。
それにしても、吉田簔助さんの若かりし頃の、女形(おやま)人形遣いも見られましたが、やはり凄い。

 その後のビデオは、人形が三人遣いになった、その後、
素人義太夫が繁栄してからの、一人遣いの貴重な、歴史的フィルムを見ました。

 九州、「北原(きたばる)の人形劇」。一人で、自分の足で人形の足も動かし、人形の左手と首(かしら)は棒で繋がっています。なにか、人形遣いが中腰で、腰を痛めそう。
 女流義太夫の流れをくむ、宝塚、平塚の、「乙女文楽」 。
 「八王子車(くるま)人形」 は、説教節で、車に腰掛けた操りです。

 さらに、おまけのビデオ、一人で48体使う「下呂温泉の操り」。
と、みな、タメになりました。
 こんなものは、本を読んでいても、見なければ分かりませんからね。今回の大きな収穫かも。

 ところで、例によって、講師の主張、はあまりない講座でした。
 でも、これは、考えました。同じ受講生が、何度か来ても、同じことは聞かないことになりますから、高度な戦略かも!
 
 でも、資料は、出典や年月日がきちんと書かれておらず、しかし、その反面、「千葉市民文化大学・・7月27日」という余計なことがコピーに残っていたり、また、A3用紙に昔の資料を1/3位スペースを残してのコピー、綴じ違いがあったり、何度も、講座を繰り返している割には、製作が丁寧ではありません。 
 これは、主催者側が、講師にまかせっきりなんでしょう。
 
 ちなみに、講師の数少ない主張の一つ「最近、拍手が多くなって困ります。」は、同感です。
(人気のある人形遣いの、単に、舞台の出入りに拍手をすること。義太夫の邪魔になります。)
あと、参加者がほぼ同年代、どちらかというと、家に引きこもりがちな人なのですから、参加者の意見交換などがあると、面白いとも思うのですが。

 話が変わります。

 この日は、早く出かけて、神田・神保町めぐり、をしました。

 また、「東京堂」書店に行ったのですが、やはり、「東京堂」は、「三省堂」に、随分、差をつけられた感じがするんですが。昔は、ほぼ、通りの向かい合わせで双璧、「東京堂」なりの特色がずいぶんあったように思うのです。どうでもいいか。
 
 この日は、「一誠堂」で、11月、大阪公演に備えて、ちゃんと原文を研究しようと、「仮名手本忠臣蔵」の入った新潮社日本古典集成を買いました(2,200⇒500円)。
 やはりこの伝統ある古書店は、歌舞伎、能、文楽など、古典芸能の本が、もう、あるは、あるは・・。それに、店員さんも、すこぶるカンジ良いですね、買った本を入れるビニール袋も厚手で丈夫です。
 ところで、ご存知ですよね、「かな文字」47文字の手本で、「仮名手本」って。忠臣の手本です。余談です。今度、書きましょうか。

 その後、水道橋、経由で、飯田橋に歩いて、ホテルエドモントで、ランチバイキングを食べました。
 ランチは、2時半までなのに、2時に入ったので、レストランのおニイ様も一緒になって、私がチョイスすると、席に運んでくれました。親切にして貰ったので、「シルバー料金」、と言い出せませんでした。まだ、修行がたりぬ。 見得?
 でも、若く見えるんですなあ。

 ちょっと疲れて、推敲不足の、書き流し、乱文をお許しください。

咲大夫、語り生かした感動~5月国立劇場・文楽公演、第1部『八陣守護城』

 雨のなか、永田町の、国立劇場で、5月文楽公演、第一部(昼の部・11時から15時半)を観劇しました。

 『八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)』と、
景事『契情倭荘子(けいせいやまとぞうし)』です。
 
 (前者は、http://kandoujin.blog48.fc2.com/blog-entry-306.html  で「予習」済みです。きょうは、こちらを中心にお話しします。)

 席は、9列目、中央ブロックの最上手寄り、で、人形も太夫もバランスよく鑑賞できる良席でした。
 (ちょっと、初心者の方に解説です。語り手の太夫ですが、一般名詞は「太夫」、固有名詞は「大夫」です。)

 この日は、若干、空席が目立ち、10列目中央ブロックなど、ほぼ全部空席でした。出し物が、「八陣守護城」という、やや、なじみが薄い物語だからでしょうか。

 でも、この物語は、戯曲的な面白さに溢れていると思います。

 ただ、私は、三宅周太郎の「文楽の研究」にある、「八陣守護城」の「船の場」の、大昔のことではありますが、3代目大隈太夫の、「ウハハハハ・・」の《凄さ》を読んでいて(83頁)、過度に期待し過ぎたせいか、この日の「浪速入江の段」は、何となく、物足りなく、感動が薄かったのは、偽らざる感想です。それに、どうも、この段、各太夫も、思ったよりも、印象が薄かったのですが・・。

 しかし、切、「正清本城の段」、の豊竹咲大夫(三味線・鶴澤燕三)は、さすが、です。
語り生かして、感動させられました。

 その前の、豊竹咲甫大夫(同・竹澤團七)も、渾身の熱演です。
この二人には、ますますファンになりました。

 第1部は、第2部に、人材を持っていかれたかな、などとは思いません。
 端場(はば)の御簾内(みすうち)の語りから、「毒酒の段」、竹本相子大夫、竹本文字久大夫まで、急坂を発進するような盛り上がりでした。
 まさに、これからの文楽に期待をする出来栄えだったと思います。

 人形も、正清の吉田玉女、義成の吉田和生が見せますが、雛絹の豊松清十郎、柵の吉田簔二郎、葉末の吉田文昇は、女形らしい味でした。

 文楽らしい、味の滲みでてくるような、公演でした。
 
 どうでも良いことですが、この日、休憩が30分なのはよかったと思います。いつもは、たいてい25分なのですが、この5分の違いが、弁当を食べて、休憩するのにちょうど合うのです。私は、ですが・・。

 第2部は、首都大学東京のメンバーで、鑑賞予定です。席は、団体で2列占め、中央ブロックですが、やや後ろです。 
また、明後日、お隣の「国立演芸場」に、春風亭一之輔真打昇進披露公演に参ります。




 
 

初めて聴いた文楽がコレでした~『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』《酒屋の段》。5月国立劇場・文楽公演を、改めて「予習」します。

  『艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)』は、1772年(安永元年、または改元された、明和9年)初演の竹本三郎兵衛、豊竹応律、八民平七の合作になる作品です。


 私は、この作品を、前回は、平成21年9月に、国立劇場の第2部で、『伊賀越道中双六』と共に観ています。
 定年退職した翌年で、文楽の舞台を本格的に聴きだした最初、ともいえるときでした。

 この時は、新作文楽、シェクスピア原作の『天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)』が第3部で上演されていて評判をとっていました。
 ちなみに、第1部は、『鬼一法眼三略巻(きいちほうげんさんりゃくのまき)』でした。第2,3部を聴きました。

 先ほども述べましたが、本格的に文楽を観劇し始めた最初の頃で、まだ「予習」が不十分でした。
 と、いうよりも、今になると、「予習」というものは、ある程度聴いてから勘所が掴めるものではないかと実感しています。


 したがって、当時は、資料の探し方もわからず、この出し物の「クドキ」が有名とも、また、戯曲後半の出来に賛否があり、そこをどのような演出で克服しているか、さらには、語りが、太夫によって十人十色だとかいった主要なこともわからないで聴いていたのです。

 第一、まだチケットも上手く買えず(どこで買ったかもう忘れました。)、結果、下手の、前の出入り口に近い、端っこの席だったので、とても、細かく鑑賞するなどというところまでいっていませんでした。

 ですから、今回、初手合わせ、のようなものです。そこで、改めて、「予習」してみました。

 この出し物も、「首都大学東京」の「人形浄瑠璃にようこそ」で、講義を聴いた後の舞台鑑賞などを予定していますので、それを待って書こうと考えていたのですが、どうも、文楽が好きなもので、このところ、たくさん資料を読んでしまい、忘備録的にも、書かずにおれず、先、先、と楽しんでしまいます。ま、これも、「予習の予習」と言ったところです。


はじめに、全段のあらすじです

「こそは入相(いりあい)の、
鐘に散り行く花よりも、
あたら盛りを独寝(ひとりね)の、
お園を伴(つ)れて爺親(てておや)が、
世間構わず十徳に・・・」

【有名な、出だしです。
 寺の鐘が、遠く、ゴーンと響く夕暮れに、桜の花が散る余情です。前を歩く、実家に帰って独り暮らす娘を見て、後ろから歩く、父の心は可哀想に想い、複雑です。
 観客も、観ていて、おもわず暗くなるように語るのが本当でしょう。】

 上塩町(うえしおまち)の酒屋・茜屋(あかねや)の息子・茜屋半七は、お園という貞淑な妻がありながら、生玉神社境内での興行で人気を集めている女舞の芸人・美濃屋三勝(みのやさんかつ)と深い仲になり、子・お通(つう)までもうけて、家に寄りつかない有様です。

【モデルとなった実際の心中事件は、1695年(元禄8年)12月(11月とも。)6日に、大阪・千日前墓地南隣の畑で、女舞・笠屋三勝(24歳。長町四丁目の美濃屋平左衛門の養女で湯女とも。)と、奈良の豆腐屋・赤根屋半七(37歳)が喉を切って死んだ事件です。】


 反七の遊び友達・今市屋善右衛門は、かねてから三勝に横恋慕していて、ある時、三勝を中村屋の番頭庄九郎と茶屋に呼び出して口説きますが、三勝は、うまく、別座敷の、大和桜井家の家臣・宮城十内の席で女舞を舞い難を逃れます。


 茜屋半七は、親に勘当され、お園は、舅と父・宗岸の意見の相違から、実家に連れ戻されています。

 お園は、それでも夫を案じて、金比羅参りをしていますが、あるとき偶然、茜屋半七に会い、お園は、切ない胸のうちをうちあけます。半七は、過ちを詫び、二人は別れます。


 茜屋半七、三勝、お通の3人は、大阪(坂)の貧民街、長町で傘張り内職をしている、三勝の兄・平左衛門の、貧しい家に住んでいます。

 平左衛門は、中村屋から借りている金の返済に苦慮していて、茜屋半七は、三勝の妾奉公を避けるためにも、何とかしようと金の工面に出かけます。
 その留守に、お園が訪ねてきて、三勝に茜屋半七と別れてくれるよう頼み、三勝は、涙ながらに受け入れます。


 正月十日、今宮戎(えびす)の夕方です。茜屋半七は、善右衛門、庄九郎の甘言に騙されて、50両の偽金を借りてしまいます。

 騙されたことが分かった茜屋半七と善右衛門の大喧嘩で、切りつけてきた善右衛門を、逆に、茜屋半七が刺し殺してしまいます。


 ここから、上演される、上塩町の「酒屋の段」です。

 
 上塩町の酒屋、茜屋の店先に三勝が訪ねてきて、丁稚に我が子・お通を騙して預け(捨て子し)ます。

 主人・半衛兵衛は、子・半七の罪を自分が背負って、両手を羽交い締めに縛られたまま(〈縛り縄〉)、代官所から帰ってきます【太夫は、こういう状況をよく心得て身振りに注意します。】。このことは、妻にも内緒にしています。
 
 そこに、お園が父・宗岸とやって来ます。

 宗岸は、腹立ちからお園を実家に帰したのですが、毎日泣いてくらすお園を不憫に重い、お園を半七の妻として、また、ここで親孝行をさせてほしいと願います。
 お園もまた、みな、私の不調法、鈍に生まれた身の科・・」といたらなさを詫びます。


【この時代の、家中心の封建思想、男尊女卑、婦女売買な、義理と人情などを理解してこの戯曲を観ます。】


 しかし、心の中では、気だての良いお園が気に入っていて、いじらしく思っている茜屋の主人・半衛兵衛は、むしろ、不幸になるお園を案じて、心にも無く激しい言葉で「半七とは、親でもない、子でもない」と申し出を拒みます。

 宗岸は、「親でもない、子でもない」のになぜ息子の罪を背負って〈縛り縄〉の刑に服しているのか、と(半兵衛に同情しつつ)詰め寄り【トゲトゲしくなく、と言って弱くもなく問う。】ます。

 半衛兵衛は、心を打ち明けます。嫁として手元に置きたいが、それでは、一生独身で暮らすことになって、それを不憫に思う心情を泣いて打ち明けます。半衛兵衛、妻と宗岸は、「内密の話がある」からと、奥に入ります。


 【ここから、お園のサハリ(クドキ)です。サワリのパターンのオンパレードと言われる名場面です。
 このサワリは、派手にやらず、どこまでも、涙のこぼれるような、哀れな感じです。また、昔、「近頃(の太夫)は、派手で美声を誇り、当て節で客を喜ばせるだけの、鼻歌式義太夫だ」、と批判された先輩もいましたが、今はどうでしょうか。】

「今頃は半七さん
どこに どうして ござろうぞ・・・
半七様の身持ちも直り」・・

【サワリの出の「今頃は半七さん・・」の人形の振りに、女形の名人・吉田辰造風の「格子戸に寄りかかって懐手して思い入れ」では遊女の型だ、いや風俗と心の表現は別だ、と論争があったところです
 もう一つの当時の振りは町女の女房的に、「~くり返したる独りごとで~行灯を持ち出して懐紙で周囲を丁寧に拭って独りごとで思い入れをしてから《今ごろは半七さん・・》と言う」振り(桐竹紋十郎風)です。】

 お園は、夫の身を案じて涙にくれます。
 三勝の子・お通が、お園にすがり寄って来ます。


 驚くお園。半衛兵衛、妻と宗岸も飛び出してきて、子の体を改めると、懐(ふところ)の守袋から、遺書(書置き)の書状が出てきます。

 むそぼるように書状を読む4人。
 
【書状を読むのが長くて、「字数で全体の18パーセント、後半の50パーセントに及び」、「前半の名文句を書いた同じ作者のものであるかーと疑わしめる程の拙文」、「観客の気分を阻害することがはなはだしい」(中西敬次郎。後掲資料集(218))182頁)とか、「前半の名文に引きかえ全くの愚作」(鶴澤友次郎・山口廣い一。同書208頁)などと、いささか手厳しく、戯曲の評価されるところなんですが。】

 家の外では、半七と三勝が手を合わせて名残を惜しみ去って行きます。

(入れ替わりに、宮城十内が、捕らえた庄九郎を同道し、善右衛門の悪事が露見し、半七にはお咎めなしということを伝えます。)

 皆は、手分けして半七、三勝を探しますが、しかし、自分の罪を背負った父の為に、二人は、死の旅路を急ぐのでした

 ・・さて、この段、切りは、豊竹嶋大夫と、竹本源大夫さんが、予定されています。
 源大夫さんは、このところ、ずっと不調で、今回は、如何でしょうか。すこぶる心配しています。
 前回平成21年に観た切りは、嶋大夫さんだったので、今回も、嶋大夫さんかも。
 人形は、お園が、吉田簑助さん。これは、楽しみ。

参考:大部分の見所のポイント(【】部分)は、次の資料を参考にしています。
国立劇場芸能調査室・上演資料集《265》(1987年)、《218》(1983)、(1970年)。2009年上演パンフレット。


「じいよ、頼む。」幼君に頼られて守る、加藤清正の物語~国立劇場・5月文楽公演(第一部)「八陣守護城」を予習します。

 八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)です。
 角書は、「小田の幼君 北畑の名君」。

 1807年(文化4年)9月10日に、道頓堀・大西芝居で初演された、全11段の書き下ろしです。
 
 中村漁岸と佐川藤太の合作です。

 原本や初演では、「陣」が「陳」となっていました。
 真田幸村【正木雪総。佐々木高綱とも。】が、家康【北畠春雄。北条時政とも。江戸時代は、芝居に「徳川」を出せませんでした。】を悩ました、八陣の計にちなんで「陣」に改められました。
 「城」を、「本城」と読ませています。

 第1段から第3段までは、南天竺の南巌道士が日本に渡って来て、退治される物語などです。ここは、省略し、主に、今回公演部分の、第4段(毒酒)、第8段(本城)を中心に詳述していきます。

 例によって、【】で、一歩先んじた、「お節介コメント」を付しますので、先に知りたくない方は、最後にお読みください。
 また、登場人物の氏名は、一部、歌舞伎上演で有名な名前を主に遣いました。

○ 春雄館毒酒の場

 北畠春雄【史実では、家康】の館では、上使・山蔭(やまかげ)中納言を迎える準備【同時に、幼君毒殺の陰謀です。】が進んでいます。

 腰元たちは、花を生けながら、義成の息女・雛衣の器量のよさ、琴三味線、華の腕前を誉め、主計之介清郷の心優しい男っぷりを誉め、逆に、鞠川玄蕃を貶しています。

 ・・ここで、少し、登場人物の説明をします。

 義成は、森三左衛門(もりさんざえもん)義成。北畠春雄【家康】の家臣です。

 その娘が、雛衣(ひなぎぬ。雛絹とも。)。
 主計之介清郷(かずえのすけきよさと)は、雛衣と恋仲。【ひょんなことで、二人は、春雄の恩を受け、付け入られ、悲恋となります。】

 清郷の父が、佐藤肥田守正清(まさきよ。歌舞伎名です。加藻朝清。)、幼君【秀頼】を守りぬきます。・・

 鞠川玄蕃(きくかわげんば)は、春雄の家臣で、出世を願っています。

 あらすじに戻ります。

 先君の死後、幼君の威力は衰え気味で、天下を狙う叔父・北畠春雄の勢力が盛んになっています。

 館で、上使・山蔭(やまかげ)中納言を迎える準備が進むなか、森三左衛門(もりさんざえもん)の娘・雛衣(ひなぎぬ。雛絹とも。)に、春雄の近臣・鞠川玄蕃(きくかわげんば)が言い寄りますが、通りかかった娘の母・棚(しがらみ)は、それをたしなめ、娘を奥に連れ去ります。

 主計之介清郷(かずえのすけきよさと)は、上使接待に手抜かりが無いか屋敷内を見回るうち、互いに想う雛衣に合います。そこを鞠川玄蕃に付け入られ、特に、上使お入りの節の〈不義〉の重さを咎められます。

 困惑する二人。そこに、それぞれの父、佐藤肥田守正清(まさきよ。加藻朝清とも。)、森三左衛門義成(よしなり)が、正装の礼服で通りかかります。

 ・・繰り返しになりますが、
 佐藤肥田守正清は、主計之介清郷の父。
 森三左衛門義成は、雛玄の父。・・

 二人は、仕方なく、二人を処罰【切る】することにしました。二人も、せめて共に処罰されるならと覚悟します。

 そこに、館の主人・北畠春雄が、「両家は代々の家来で、その両家が結ばれることは、かねて考えていたことだから不義ではない」と、二人を許し、いずれ、夫婦の仲立ちもするとも言います。【ここで、幼君の命を狙う春雄に、〈借り〉・〈恩〉が出来き、今後、その命令を拒めなくなります。】

 そうこうするうちに、春雄が、急に体調が悪くなり、上使接待は、代役として、森三左衛門義成が勤めることになります。
【毒杯を、春雄に代わって飲むことになります。つまり、上使が幼君を大将に任じ、春雄が後見となることを伝え、双方意義のない旨の杯交換で、春雄は、毒を仕込んでいるのです。で、春雄は、仮病してその席を忌避したわけです。】

 また、幼君・春若も上洛途中の急病で、安土の本城に止まり、佐藤肥田守正清が名代となっていることが、正清の言葉で明らかになります。
【先に述べたとおり、正清は、毒殺の陰謀を察知して、幼君を行かせず、代わって、あえて、毒杯を飲みます。】

 上使が到着。
 幼君・春若を天下の大将に任じ、幼いうちの後見として叔父・春雄とすることを伝えます。
 そして、御杯(おんさかずき)が用意され、威儀をただして、義成と正清が飲みほします。

【繰り返しますが、春雄は、上使と示し合わせて、杯に毒を盛っていました。これを察知した正清は、幼君の名代として、毒を飲んだ訳です。】

 義成は、このようなことをする主人を諫めつつ、毒が回りますが、せめてお家の恥にならぬようにと、刀を腹に突き刺して、毒が回る前に、憤死します。
 
 春雄は、もう一方の、毒を飲んだ、正清の様子を探りに、忍びを出します。

○御座船の場

 近江、琵琶湖の正清の乗る御座船。雛衣が、琴を弾いて正清を慰めています。

 正清の様子を探りに、北畠の使者・轟軍次(とどろきぐんじ)が来ますが、毒を飲んでいる筈の、正清が元気なので驚いて去ります。

 次に、春雄の近臣・鞠川玄蕃が早船で来て、餞別の鎧櫃(よろいびつ)を届けて置いていきます。
 鞠川玄蕃も、どうして正清が生きているのか不思議に思いつつ去りますが、その言動から、正清は、義成が死んだことを悟ります。

 正清は、やや毒が回って来ます。餞別の鎧櫃から、鉄砲を持った忍びが現れますが、正清は彼らを切って捨てます。雛衣は、着物の袖で、刀の血潮を拭います。
 正清は、船子たちに「清めの船歌」を歌わせます。

○本城の場

 正清の城。【熊本城】
 腰元たちは、大内千嶋守義弘【忠臣です。島津です。】が、帰途、殿のお見舞いに立ち寄るというので、来客の準備に忙しい。

 しかし、正清は、物忌みといって、雛衣以外は、奥方も寄せ付けず、毎晩亥(い)の刻(23時頃)になると高殿で、今日まで100日間も祈りを捧げています。

 このことを、口さが無い腰元たちは、2人きりでずっといるのだから、「若殿より先に大殿が先へ試み・・」などと無駄口をたたいて、奥方・葉末(はずえ)にたしなめられています。

 そこに、家来を押し退けて、船頭灘右衛門【実は、忠臣の後藤基兵衛政次。後藤又兵衛。】が、見舞いといって押し入って来ます。
 この船頭は、正清が唐を攻めたときの船頭を勤めた忠臣です。
 
 葉末は、殿が、物忌みといって人に会わぬを、なぜ、皆は、病と言うのだ、と言いますが、船頭は、船乗り故にできる天文で占ったりします。客間で会えるのを待つことにします。

 主計之介清郷が、春雄の上使として、都から早駕籠で帰国します。これも、正清の様子を伺いに来たのです。
 母に、正清の病状、生死を尋ねます。母は、息子までがそのようなことを言い出すので興ざめです。
 主計之介清郷は、父に唯一宮仕えしている雛衣に状態を聞こうとします。

 一方、正清に毒がまわる気配が無いので、北畠の使者(忍者)・轟軍次は、正清の本城までやって来て、忍術で、〈ねずみ〉に姿を変え、寝所を襲うこととします。 
 
 主計之介清郷が、雛衣の手引きで城の深部に入ります。

 主計之介清郷は、会った雛衣に、正清の様子を尋ねますが、雛衣は、「久しぶりで会った私が、無事であったか変わらぬかと、たった一言おっしゃっても」よいではないか、と拗ねたりします。

 轟軍次は、正清を寝所で襲いますが、仕損じ、「首引き抜くは易いが、命を助け遣わすので、正清が身に恙(つつが)無く、堅固に生きていると、春雄に伝えよ・・ウジ虫めが」と、殺されずに放免されます。

 さて、主計之介清郷【17歳】。父は、味方につけようとする春雄の甘言に乗って、たとい、かつて、助命された恩があろうとも、春雄の書状を持参した主計之介清郷を責めます。

 母・葉末は、義成が、都でとりなしてくれるのではないか、と間に入りますが、正清は、義成が、すでに、毒で死んだことを感づいていて、そのことを述べます。
 「その敵の娘に繋がる縁で身を立てるのか」、と息子を責め、自分が死んだとしても「この城の守護より、幼君を守れ」と命じられます。

 主計之介清郷は、敵方の娘、雛衣、しかも、春雄の恩で結ばれることになったことから、雛衣との別離の書状を雛衣に渡し幼君の守護に向かいます。

 雛衣は、「あの世で待ち合わせ、主計之介清郷とひとつところに参ります」と、懐刀を喉にガバっと突きたて、自害します。
 正清は、旗に二人の俗名を書いて、あの世で結ばれるように祈ります。にっこり笑って息を引き取る雛衣。主計之介清郷の母・葉末(はずえ)は、雛衣の母の心も想い、涙があふれます。

 船頭灘右衛門が、後藤基兵衛政次とわかり、正清は、長押(なげし)に掛けた蜻蛉切り(とんぼきり)の槍を与え、また、家臣を伴って駆けつけた大内千嶋守義弘には、錦の袋に入った名剣七星丸を与え、正清は、幼君守護を託します。

 正清は、先般、城への帰途、今生の別れにと、宇治の幼君を訪ねたおり、お通【史実では、淀君】が幼君を正清に抱かせ、幼君は「じいよ、たのむ」と言ったことがいたわしく、胸にやきついていました話や春雄の企みを知って幼君を守ったことを述べました。

 星が一つ、光を失って、地に墜ちました。

 今日まで、100日間、北辰尊星妙見を祈って命を繋いできましたが、安ずる味方を得ました。
 
 様子を伺っていた軍次は、大内千嶋守義弘に矢を居ぬかれ死にます。

 後藤と千嶋の二人は、「高殿から見物せと」と、幼君の守護を約して旅立ちます。
 高殿から、「南無妙法蓮華経」の旗を立てて見送る正清に、毒が回って死期が迫ります。

~よろしく幕

 この後、第9段から第11段は、大阪の陣を彷彿させる戦いの物語となります。

参考:渥美清太郎・編「日本戯曲全集(28)」(春陽堂。昭和3年7月)。上演資料集〈168〉(国立劇場芸能調査室。1979年9月)’。守随憲治編「古典文学全集(21)」(ポプラ社。昭和41年6月刊)。

秀逸。咲大夫、和生、玉女~文楽・『彦山権現誓助剣』を楽しみました。

 雨の、2月14日(火)11時から、東京・国立劇場で、文楽・『彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)』を鑑賞しました。

 ネットで追っていると(余計なお世話ですが)、チケットは、やはり、《みどり》、「義経千本桜」や「菅原伝授手習鑑」から売切れになっていき、最終的には、この「彦山・・」も、すべて「×」の売り切れになっていました。
 が、客席は、空席だらけ。どうしたことなんでしょう。
 私の前の列は、両端のほう数人だけで全部空席。ま、ゆっくり見られましたが、ライブは、客席のムードもプラスαということを考えるとやはり、盛り上がりという面では、残念ではあります。

 さて本題です。

 この演目は、すでに、年初、元日に、詳細な予習をしています。
http://kandoujin.blog48.fc2.com/blog-entry-279.html
 ワンクリックしてご覧ください。

 今回は、梅野下風、近松保蔵の作になる、全11段からなるこの作品の、8段目以降の、

【杉坂墓所の段】、
【毛谷村(けやむら)の段】、
【立浪館仇討ちの段】、の上演です。

 従来、【毛谷村(けやむら)の段】の公演だったそうですが、それじゃ、なんだか分からないでしょう。この話しは、また、後でします。

 感想です。

 やはり、【毛谷村(けやむら)の段】、豊竹咲大夫(三味線・鶴澤燕三)が、秀逸、一級品です。

 昨年、11月(大阪)の「鬼一法眼三略巻」〈菊畑の段〉、9月の「ひらかな盛衰記」〈逆櫨〉につづいて、見事です。
 でも、余談ですが、やはり、大夫は年季なんですね。直前の、弟子、優秀で、私もファンの、豊竹咲甫大夫も、すこぶる上手なんですが、さすが、ちょっと格が違って聞こえてしまうんです。凄い。
 
 余談は、別として、

 杉坂墓所の段、豊竹英大夫→毛谷村の段、豊竹咲甫大夫→豊竹咲大夫、の運びは、繰り返しますが、秀逸につきます。

 人形は、

 六助が許嫁と分かってからの、男勝りの、お園・吉田和生。それは、それは、ホントに、ホントに、色っぽい(人形)。これも秀逸。

 六助・吉田玉女も、チャンドラーのマーロウではありませんが、「男は、タフでなければ生きていけない、優しくなければ生きてゆく資格がない・・」のような生き方の人形です。これも秀逸。

 胸もはりさけ、生真面目な六助の初めての怒り、「庭の捨て石三尺許り、思わずふんごむ金剛力」。人形、咲大夫、三味線と合わさり、思わず手を拳に握ってしまいます。感動。

 それぞれ個性の強い人物の描写、その人物の変化、相互のぶつかり合いが、人形、大夫で、見事に表現させられている、舞台です。

 さて、最初に少し触れた問題です。私の今回の文楽鑑賞は、

 1部が「彦山権現誓助剣」、2部が「義経千本桜」、3部「菅原伝授手習鑑」など、露骨な、3部の、〈(よりどり)みどり〉公演なので、2、3部の〈ポピュラー〉な部分公演舞台は、パスしました。

 再三、お話ししていますが、個人的趣味として、浄瑠璃は、やはり「通し」で初めてわかる、戯曲や作者の意図、物語〈宇宙〉への没入による味わいが好きなので、歌舞伎などの〈局面本意主義〉的な「よりどりみどり」、人気のある、良いところだけ見せる、「みどり公演」は、やはり基本的には賛意できないから、あまり、真に楽しめないからです。

 もっとも、この「彦山権現誓助剣」は、戯曲としては、特に優れているわけではないので、通しで行うと、それはそれで、今度は、〈演出〉の難しさが歴然とするようですが、それを重ねていって進歩があるんではないですか。

 また、今回、「義経千本桜」の竹本源大夫は、途中退場し、その後、休演ですが、襲名以来、ずっとこういう感じで、ちょっと残念です。

 さて、三谷幸喜作・演出で、文楽『其礼成心中(それなりしんじゅう)』が、東京・パルコ劇場で、8月11日から22日に公演されるようです。
 竹本千歳大夫、豊竹呂勢大夫、鶴澤清介、吉田一輔などが出演。チケット発売は、4月中旬からとか。
 でも、新作は、必要とは思いますが、難しいですよー。どーかなー。期待と不安半分です。

六助の憤怒「庭の捨て石三尺許り、思わずふんごむ金剛力」と、女武士お園の優しい色気。爽快な物語。~2月東京・国立劇場・文楽公演、『彦山権現誓助剣』を予習します。

 「冬ながら空より花の散りくるは雲のあなたは春にやあるらむ」(古今和歌集・330、清原深養父(きよはらのふかやぶ)。

 本年もよろしくお願い申しあげます。

 新年は、『彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)』の予習で始めます。

 この曲は、歌舞伎としてですが、約1年前、67年ぶりに大阪・松竹座《二月大歌舞伎》で、若干アレンジされたのですが、通し公演されましたので、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。

 今回の、文楽公演は、全11段からなるこの作品の、8段目以降の【杉坂墓所の段】、【毛谷村(けやむら)】、【立浪館仇討ちの段】が上演されます。

 有名なのは、「毛谷村(けやむら)の段」で、後述しますが、律儀で優しい六助の憤怒の変化、〈お園〉の、娘→女武道→若妻のドラマチックな変化、などが見物です。
 今回の上演は、前段の「杉坂墓所の段」がありますので、それまでの大きな流れが理解しやすくなります。

 それでも、・・新年から愚痴になりますが・・、浄瑠璃は、やはり「通し」での、物語や作者の意図の理解、物語宇宙への没入による味わいが欠かせなません。
 歌舞伎などの〈局面本意主義〉(各幕が盛り上がるように、役者中心に原作の解釈を改編する)と異なり、原作に忠実な人形浄瑠璃であるほど、「よりどりみどり」、つまり、人気のある、良いところだけ見せる、「みどり公演」は、やはり基本的には賛意できません。
 例えば、近松半二「本朝二四孝」など、いまだに謎だらけではありませんか。

 特に、単位時間を短くしての、一日3回公演など、ホントニ、如何か、と思いますが。

 さて、このブログでは、例によって、全段をご紹介します。
 また、【 】で、若干、「お節介」なコメントを付します。

 では・・・、

 『彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)』。

 「角書(つのがき)」は、「御陣は九州 地理は八道」と付きます。
 「地理は八道」とは、第1段に出てくる、「三韓」のことです。「三韓」とは、朝鮮南部の3地区のことです。

 大きな飢饉(天明3~7年)の最中である、1786年、天明6年初演された、
時代もの(正確には、「大閣記もの」)で、
起承転結ある、仇討ち狂言です。「敵討巌流島」の影響もあると言われます。
 物語の、「真柴」久吉、明智光秀に留意してください。

 ところで、この時代の文楽は、「源平もの」から、現状批判も含めた「大閣記もの」が多くなりました。
一方、江戸と異なり、関西では、政治物に対する管理、取り締まりは手ぬるかったようです。 

梅野下風、近松保蔵の作です。
 
 余談ですが、この時期は、大飢饉ばかりではなく、大阪(坂)浄瑠璃界では、竹本・豊竹座ともに、劇場は歌舞伎上演が主になり、人形浄瑠璃は、ドン底状態の時期でした。
 先もふれましたが、この時期、太閤物が人気を博し、特に、大陸侵攻物も書かれましたが、それは、国威発揚よりも批判的なものでした。
 ちなみに、「彦山・・」の後日談物語である「大功艶書合」も書かれています。

 題にある「彦山」は、今では、1729年、享保14年には、霊元法皇の院宣で、「英」の字を付けて「英彦山(ひこさん)」と書きます。JRの日田彦山線の駅名は、「彦山駅」です。
 標高1200mの、福岡県と大分県に渡る、日本三大修験(しゅげん)場の山です。日本百景でもあります。

 「毛谷村」は、英彦山の麓(ふもと)にある、ひなびた村です。現在は、山国町です。

 始めます。

初段【住吉社前】

 真柴久吉の奥方が、住吉神社参詣の折り、三韓(朝鮮)の臣・木曽官(もくそかん)が日本を罵倒するので、勝負することになります。
 久吉の重臣・群音成(こおりおとなり。「毛利元就」の語呂合わせです。)の側室である真弓(まゆみ)の方やお抱え剣術師範・吉岡一味斎(いちみさい)の娘・お菊ら、女性の活躍で、幻術を遣う木曽官との術比べ、力比べで、事なきを得ます。

 これは、羽柴秀吉の朝鮮出兵祈願を、昔の、九州で亡くなった仲哀天皇に代わって男装して新羅(しらぎ)に攻め入った神功皇后の嘉例に倣って、住吉四社に祈願したものです。
 
2段【彦山】

 九州彦山の麓(ふもと)、毛谷村(けやむら)に住む六助は、親孝行で、百姓ですが武芸に優れています。
 八重垣流師範・吉岡一味斎は、久留米の高良(こうら)の神に変装して、六助に八重垣流極意を授けます。

【余計なことですが、この時、吉岡一味斎が授けた兵法印可の巻の末尾に、お園の名が書かれていて、夫婦となって吉岡の家を相続してほしい旨が書かれています。】
 
 高良(こうら)の神は、神功皇后で、六助は神功皇后に従って三韓で戦った、紀氏の武内宿禰(たけのうちすくね)の後裔と言われます。後に、六助が、〈紀〉にちなんで「〈貴〉田(きだ)」と改名する所以です。

 毛谷村は、現在の大分県中津市山国町(槻木毛谷村)です。

3段【音成館】

 群音成(こおりおとなり)のお庭拝見の日。
 お抱え剣術師範・吉岡一味斎の娘・お菊は、祝いに舞います。お菊は、衣川弥三郎(きぬがわやさぶろう)と結ばれ、弥三松(やさまつ)という隠し子がいます。
 なお、お菊の姉は、男まさりのお園です。身の丈も180cm位あり、20歳位です【下世話に言う、大柄な〈グラマー〉です。】。先走りますが、六助の妻となります。 

 木曽官(もくそかん)は、偽地図を持って来て日本軍を騙そうとしましたが、飛脚として入りこんでいた久吉に見破られます。

 郡家に微塵流を以て仕える京極内匠(たくみ)は、お菊に横恋慕しますが【お菊の裾に、傘を入れて口説いたりします。】、かなえられず、御前試合にも吉岡一味斎に敗れ、吉岡一味斎の殺害を決心します。

 木曽官(もくそかん)は、明智の残党と見破られ切腹しますが、末期に京極内匠(たくみ)に、汝は、光秀の遺児であると教え、死後も魂は、光秀の守刀蛙丸(かわずまる)を奪って逃げる内匠(たくみ)に寄添って守護します。

4段【石清水八幡】

 吉岡一味斎は、周防の国の社の普請奉行を勤めています。京極内匠(たくみ)は、海岸で、帰途を、種子島(銃)で、うかがいます。

5段【吉岡一味斎屋敷】

 一子・三之丞は、眼病です。
 男勝りのお園は、泣きながら父の遺骸に寄り添って帰って来ます。
 重傷の若党の言葉で、京極内匠が下手人ということが分かります。
 吉岡邸に上使が来て、屋敷没収、家族追放との命が下されます。あまりに無礼なので、お園は、大勢を相手に切りあいますが、実は、それは主君・音成公がお園の手並みを見るためでした。
 公は、母(お幸)娘(お園、お菊)の3人に、仇討ちを許します。盲目の三之丞は、盲目の悲しさに自害して門出を祝います。

6段【須磨浦】

 お菊は、弥三松を抱いて、敵を探しながら夜、須磨浦に差し掛かりますが、供の奴の友平が駕籠を探しに行った隙に、偶然、内匠(たくみ)に遭遇して、返り討ちにあって死にます。【殺したお菊の裾をまくるような型もあるようです。】

7段【粟栖野(くるすの)】

 内匠(たくみ)は、独楽(こま)廻しとして世を忍んでいます。
 お園は、それを知らず、同じ所で、辻君(つじぎみ)となって、通る人に目を付けて、敵を探しています。

 夜。奴の友平は、お園を訪ね、お菊の遺髪を渡し、死を伝え、自らは責めを負って自害します。すると、友平の忠死により、池中から亡霊が現れて、再び内匠に光秀の遺児であることを伝え、名刀・蛙丸(かわずまる)を譲ると言います。

 お園は、この怪しい様子を見て、刀を奪おうと争います。【登場人物を整理しますと、真柴久吉ゆかりのお園と光秀の遺児内匠。お園の素性の象徴は千鳥の香炉、内匠の素性の象徴は名刀蛙丸。それが、光秀が没した池での反応しあい。広い解釈で、現在の敵だけでなく、それぞれの素性の対立という見事なストーリー性です。】
  
これ以降が、今回、上演となります。

8段【杉坂墓所】

 孝行な六助は、亡き母の墓前に在すがように仕えています。
 城下に、六助に勝った者は500石で召し抱えるという藩主の高札(こうさつ)が立ちます。
 京極内匠(たくみ)は、微塵弾正(みじんだんじょう)と称して、孝行な六助に付け込んで、偽母を背負って来て窮状を訴え、親孝行の為に試合の勝ちを譲ってほしいと頼みます。六助は承諾します。

 六助は、お菊の遺児・弥三松を伴う佐五平が京極一味の返り討ちにあうところに差し掛かり、誰の子とも知らずに弥三松を連れ帰ります。

 最も有名な、9段【毛谷村六助住家】

 六助と微塵弾正(みじんだんじょう)が、木太刀で試合し、約束どおりに、微塵弾正(みじんだんじょう)が勝ちます。
 微塵弾正は、負けてもらったのに、六助の眉間(みけん)を割り、大言をはいて帰ります。しかし、六助は、孝行話を信じています。

 秀逸な舞台面です。

 長閑(のどか)な春、鄙(ひなび)た茅葺屋根(くさやね)。上手には白椿。下手には紅梅が咲いて、梅の木から下手に竿が渡されて、お納戸色紋付の子どもの着物が干してあります。
 拾い子の身よりを知るために六助が竿にかけたのです。

 「鶯(うぐいす)でさえ、法華経とさえずるのに、我が身の忙しさに取り紛れ、お念仏さえ碌に言わなんだ・・」と六助は、仏壇に向かって、律儀に、亡母を供養します。

 拾われて六助に育てられている弥三松は、小石を積んでは崩れて泪(なみだ)、母に会いたいと泣いては六助を困惑させ、貰い泣きさせます。 

 干してある子どもの着物を見たお幸は、家に入って母になろうと言います。【やや唐突な物語として入っています。】
 
 虚無僧(こむそう)姿のお園も弥三松の着物を見て、六助を、お杉坂の墓所で、佐五平を殺して、お菊の遺児をさらった山賊と早合点して、切り合いになります。
 しかし、互いに本名が分かり、お園は、父が、「夫婦となって吉岡の家名を継げ」と言った許婚の六助と分かります。【既述のように、吉岡一味斎が授けた兵法印可の巻の末尾に、お園の名が書かれていて、六助に、夫婦となって吉岡の家を相続してほしい旨が書かれていました。】

 六助は、音信が途絶えていた、師が殺されたことも知ります。

 お園は、臼を持ち上げたりの男まさりの力自慢。でも、色っぽくなり、女らしい仕草になります。
 父の決めた許嫁に、「二十(歳)の上を越しながら、眉もそのまま・・」待っていたお園です。
 爽快な、娘→女武道→若妻のドラマティックな変化です。

 母の介添えで、仏前で、祝言をあげようとしたときに、斧右衛門(おのえもん)が、微塵弾正が母と偽り、杉坂の土橋の下で惨たらしく殺されていた死骸を運び込み、仇討ちを頼みます。
 六助は、騙されていたことを知って怒ります。
「むウ・・」、「はめおったな・・」、「このままおくべきや」・・、
 胸もはりさけく憤怒【ここで、生真面目な六助の初めての怒りです。】、「庭の捨て石三尺許り、思わずふんごむ金剛力」。

 六助がいう微塵弾正の人相と、かつて、お園がお菊に書かせておいた人相絵と粟栖野で友平が後の証拠と渡した書き付けの年齢(34、5歳)などが合致し、内匠であることが知れ、一家は勇みます。
 

【六助、お園、母のノリの台詞で活気づく舞台。お園が右肌脱いで緋縮緬(ひじりめん)。お園は、母の前で恥ずかしそうに、六助に紅梅を渡します。それを、六助は、担いだ弥三松に持たせて、母からも白椿をも受けます。【折枝の扱いは、種々あるようですが。】
 お園は、恥ずかしそうに「油断なさるな、こち・・、こちの人」と、六助に言います。】
 
 六助は、だまして勝ったとはいえ、微塵弾正は、殿のご家人であるので、まず、真剣で仇打ちするまえに、木太刀で試合の恨みを果たし、勝ったうえで、即、敵討ち御免を得たうえで、討ち果たす、と言って出立します。

10段【立浪館】

 小倉の城主・立浪家で、六助は、京極内匠を打ちすえ、切り合いになります。六助は、勝ちますが、京極内匠の蛙丸(かわずまる)のため、六助の剣が折れたことで、京極内匠が明智の残党と分かり、乱闘になります。

 久吉の前での御前角力となり、主人定めのつもりで出た六助は、非凡の力を発揮しますが、38番目に加藤正清の家来・木村又兵衛に敗れ、正清の家来となり、貴(木)田孫兵衛(きだまごべえ)と改名します。【余談ですが、言い伝えでは、その後、朝鮮の役で活躍し、戻ってから62歳で病死たとか。】
 いよいよ仇討ちです。

11段【敵討ち】

 検使として加藤正清が臨席し、音成公から衣川弥三郎が名代となり、群衆環視のなか、お幸、お園、弥三郎は、六助に助けられて、敵討ちします。

~幕
では、劇場でお会いしましょう。

参考:国立劇場上演資料集〈428〉、〈449〉、〈339〉、〈120〉。
内山美紀子『浄瑠璃史の18世紀』(勉誠社)。

大当たり、呂勢大夫。絶品、勘十郎~国立劇場・文楽公演『奥州安達原』を鑑賞しました。

 気づけば、1週間ほど、ブログを書いていませんでした。
 それは、このところ、長男と二男と会い、さらに、孫と遊ぶと、時間が経つのを忘れてしまったのです。
 特に、3歳の女の児と1歳の男の児と遊んでいると、それは、楽しい限りなんです。

 ところで、明日は、地域の公民館のボランティアで、サンタクロースをやります。さっき、衣装を試着したら、なかなかのものでした。

 本論です。

 昨夜、国立劇場で、今年最後になる文楽鑑賞で、国立劇場開場45周年記念の、

『奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)』
(外が浜の段、善知鳥文治住家の段、環の宮明御殿の段)

半通し、を鑑賞しました。

 近松半二の面目躍如、複雑に入り組んだ、また、それだけに全体を理解していると一層面白く、味わい深い筋立てです。
 反面、予習せず、初見だと、難解で、よくわからないかもしれません。
(このブログで、約8000字の、詳細な予習がありますので、下記をワン・クリックして、ご参照いただければ幸いです。
http://kandoujin.blog48.fc2.com/blog-entry-250.html

 毎年のことですが、12月公演は、《大御所》が出ない、中堅クラスが活躍できる公演です。
 その意味で、こちらは、やや高揚感に欠けるのですが、この日は、「切り(後)」の、豊竹呂勢大夫(三味線・鶴澤燕三)は、「大当たり」の大熱演でした。

 「前」の竹本千歳大夫(三味線・豊澤富助)も聴かせましたが、そこは、各人、声の好き好きがあります。
でも、好きですよ、千歳大夫の、顔中が口のようになる?大熱演は。
 しかし、むしろ、ここでは、袖萩・桐竹勘十郎の「歌祭文」(袖萩祭文(そでさきさいもん))の人形遣いが絶品でした。
 やはり、勘十郎は、存在感十分で、華もありますね。

 特に、ずっと下手寄り、枝折り戸の外の僅かなスペースで演じられる、母と子どものけなげな姿の哀愁、孫や娘に会いたくても会えない親の悲劇、といった見せ場、
 「エエ、親なればこそ子なればこそ、わしがやうな不幸な者がなんとして、そなたのやうな孝行な子を持った、これも因果のうちか・・」は、こみ上げるものがあります。
 
 冒頭、「外が浜の段」では、豊竹咲甫大夫(三味線・鶴澤清友)が、強く印象に残りました。
もともと好きな声のタイプです。

 反面、これもあくまで、好みなんですが、「善知鳥文治住家の段」の、竹本文字久大夫(三味線・野澤錦糸)、竹本津國大夫(三味線・豊澤龍爾)は、いつもどおり、熱演ではあるのですが、今ひとつ悲劇に没入できませんでした。
 あくまで、好み、です。

 さて、余談ですが、また、席のお話し。
 今回、私の前はバスケットの選手のような背の高い男性で(別に、その方に苦情はありません。)、まるで、能の「目付柱」の前で観劇しているようで、「苦労」したのですが、よくしたもので、「歌祭文」の舞台は、よりによってと言うか、ごく下手寄り、言ってみれば「橋掛かり(一の松)」でのような場所。これは、まあ、よかったです。
  
 もう一つ。
 で、今回もありましたよ。「どうしてこうなるのかなあ」のお話し。

 私の、左隣の若い女性。まるで、自分の「勉強部屋」にいる感じで、床本やパンフレット、ノートをとっかえ、ひっかえパラパラ。ボールペンを、パチン。
 と思えば、急に地震かと思うほど、「ドスン!」、と凄い振動の姿勢転換。さらには、2種類の飲み物をとっかえひっかえ飲む。 《まあ、よーく見てますなあ》

 ま、それよりも、さらに、なぜ、国立劇場は上演中に入場させるんでしょうか。
 いくら、導入部だって、まさに三味線・野澤錦糸に注目しているときに、お二人さんがサービス係に案内されて来て、「失礼します」と座席に割って入ってくるんですからね。
 さすが、これは、休憩中に、「ご意見箱」に投書しました。

 改めて、席についての教訓です。
「座席に予め過剰な期待を抱かぬこと。」、
 これを心得ておけば、腹が立ったり、がっくりして、それが全体の鑑賞の心持ちに影響してしまうことはありません。いかがでしょうか。

 さて、次回からの、年明けの文楽は、有名な出し物の「(よりどり)みどり」公演。
 大阪は、パスさせていただきます。
 その次の、東京は、3部制ですが、第1部『彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)』にしょうかな、と考え中です。

 


1月国立劇場・淡路人形芝居、『玉藻前曦(旭)袂(たものまえあさひのたもと)』を予習します。

 昨日、馴染みの古書店に行くと、吉田簑助『頭巾かぶって五十年』(淡交社。1993年・2000円)の毛筆《サイン入り》本がありました。
 勿論、即、買いました。お値段は、人間国宝ですからここで書くのは遠慮します。

 さて、1月27日(金)、一日きりの、東京・国立劇場公演、淡路人形芝居『玉藻前曦袂(たものまえあさひのたもと) 』の予習をします。

 そう言えば、今夏に、四国旅行をしたときに、たまたま、淡路島から来られた老夫婦とお昼ご飯をご一緒したことがありましたっけ。

 まずは、淡路の人形芝居の伝説です。

 漁村の庄屋・邑君(むらきみ)、百太夫(ひゃくだゆう)正晴が、神戸・和田崎沖の海で、12歳位の光の神と出会い、宮殿がないこの神のために西宮大明神(夷(えびす)三郎殿)を建てました。

 この神に仕えた道勲坊(どうくんぼう)は、よく仕えたので、彼が死んでから、神を慰める者がいず、暴風雨も起こり、魚も採れなくなりました。
 そこで、帝都に相談し、帝の勅命で、道勲坊に似た操り人形を作って、道勲坊の真似をして、神を慰めることにしました。

 百太夫は、一人で、人形の箱芝居をしつつ、全国を回りましたが、やがて、淡路、三原の三条の、木偶(でく)菊太夫の家に宿をとり、そこの娘と結ばれました。
 なお、道勲坊、ドウクンボウがなまって、デクノボウになり、淡路の方言では、木偶(でく)をデコと言います。
人形遣いを、淡路では、デコ廻しと言ったりします。

 娘と結ばれて、そこで生まれたのが、重太夫。百太夫没後は、源之丞と名乗りました。淡路人形操りの元祖・引田源之丞で、後に、上村源之丞座を率いました。

 三原の三条には、多いときには、人形遣いの家が、100軒中、97軒もあったと言われます。上村源之丞座の外、市村六之丞座、吉田伝次郎座などが有名です。江戸時代の少し前の話です。
 
 さて、淡路の人形芝居の人形は、文楽人形に比較して、頭(かしら)が大きいのが特長です。
 そのため、動作は大きく、ややスピードも遅くなります。また、文楽のような、決まった《型》というのもありませんが、いうにいわれぬ表現上の制約があります。

 また、演出では、《早替わり》の芸があり、今回の出し物でも、《七変化》が見物で、なかなか期待できます。

 さて、『玉藻前曦(旭)袂(たものまえあさひのたもと)』です。

 金毛九尾の妖狐が、正体がばれ、天竺(インド)→唐(中国)から、さらに日本に渡って来て、玉藻前に乗り移る流れがあります。

 今回の公演は、前段の中国部分((「化粧(けはい)殿の段」は、カットで、日本の、三大妖怪話の部分が中心です(「道春館の段」、「神泉苑の段」・「七変化」)。

 余談ですが、ここで、阿倍清明によって、また正体がバレて、那須野に逃げ、巨大な石とんりますが、これが〈殺生石〉です。

 カット部分「「化粧(けはい)殿」は、

 殷の紂王 の化粧殿の庭に、讒言で捕らわれている文王に会いたい一心の妻・錦糸蓮と子・錦舎が密かに来ます。
 その時、文王が、飛仲官に引き立てられて来ます。

 王妃・妲己(だっき)の命令で、夫婦親子が対面できます。
 しかし、突如、妻を殺し、息子も殺し、息子の腸を文王に食べさせます。
 文王は、平気で食べ、王は、文王を馬鹿者だと罵り、御殿に入ります。

 そこに、文王の忠臣・雷震が、太公望の指図で、数万の兵で攻め込み、ついに、王を討ちます。
 妲己(だっき) は、白狐の姿を現し、ついに殺されますが、不思議なことに妲己(だっき)の死骸から一条の隠風が空に昇り、金毛九尾の姿を現し、東方、日本に飛び去ります。

 「道春館の段」です。

 鳥羽天皇の皇子・薄雲は、謀反を企んでいます。
 鷲塚金藤治が従っています。

 右大臣・藤原道春は、剛直の士で、皇子に組みしませんが、病で死んでしまいます。
 残されたのは、後室・萩の方と二人の娘、姉・桂姫と、妹・初花姫です。

 皇子は、桂姫を所望しています。
 鷲塚金藤治が、上使でやって来て、「獅子王の剣か、桂姫か」と迫ります。
 桂姫には、相愛の釆女之助(うねめのすけ)がいて、萩の方は、妹・初花姫を出すよう懇願しますがダメです。

 萩の方は、姉妹に双六をさせて、負けたほうの首を討つと言います。陰で聞いていた姉妹は、互いに自分が負ける気持ちで勝負します。

 結局、桂姫が勝ちましたが、金藤治は桂姫の首を討ちます。約束が違うと、萩の方が言いますが、金藤治に押さえられます。

 そこに、桂姫と相愛の釆女之助が現れ、金藤治を刺します。深手を負った金藤治は、桂姫こそは、自分が捨てた実子であると語り、皇子への忠義のために名乗らなかったと言います。獅子王の剣を盗んだのも、金藤治でした。
 ちなみに、金藤治の頭(かしら)は、「カドメ」で、文楽の文七頭のことです。

 初花姫が入内することになって、名を玉藻前と改めます。
 余談ですが、鳥羽上皇のとき、18歳で宮中に入った「藻女(みずくめ)」は、子のない夫婦に大切に育てられた女で、「玉藻前」と名乗って契ったとあります。

 「神泉苑の段」です。

 帝の玉藻前の寵愛は深いものがありました。
 しかし、玉藻前は、姉・桂姫の不幸を想い、神泉苑で、物思いに沈んでいました。

 その時、妖狐が飛んで来て、玉藻前を殺して変身します。
 そこに、皇子が現れ、謀反のことを話すに至ります。
 変身した、偽の玉藻前も、世界を魔道にする野心を語り、互いに協力を約します。

 そこに、陰陽道の頭、阿倍泰成が現れます。阿倍泰成は、釆女之助の兄です。

 阿倍泰成が、神鏡で偽の玉藻前を照らすと、神通力が失われて正体が現れます。
 そして、「七変化」の早替わりです。

 「七変化」は、玉藻前→座頭(盲人)→花傘踊り→雷→狐→奴と女郎→奴。雷は、場合によってはありません。

参考:新見貫次『淡路人形芝居』(神戸新聞出版センター) 
 

咲大夫、住大夫、感動的な“腹切り”場面の競演。~文楽『鬼一法眼三略巻』咲大夫、一段全部の名演。『伊賀越道中双六』住大夫、貫禄の名演。~泊まりがけで、大阪・文楽劇場秋公演に行って来た甲斐がありました。

 劇場入り口の芝居絵です。ワン・クリックして、ご覧ください。
 この絵や、義太夫のBGMが気分を盛り上げます。
 
 今回は、大阪国立文楽劇場の記事です。
 始めに、今回出し物の、「予習」は、下記にあります。やはり、ワン・クリックでご覧ください。

鬼一法眼三略巻は、
http://kandoujin.blog48.fc2.com/blog-entry-244.html


恋女房染分手綱は、
http://kandoujin.blog48.fc2.com/blog-entry-246.html

紅葉狩りの関連記事は、
http://kandoujin.blog48.fc2.com/blog-entry-236.html

 本文です。

 お久しぶりです。
 四国から帰って、孫が遊びに来て、その後、大阪・国立文楽劇場に、1泊2日で、文楽(人形浄瑠璃)の鑑賞に行って参りました。

 ちょうど、最初の日は、「大阪マラソン」の日で、国立文楽劇場の前もコースにあたっていて、たくさんの人出ででした。劇場に入る前に、雨が激しく降って来ました。

 大阪に着いた第一日目、つまり30日(日)は、第2部(夜の部・4時から)、
『恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)』、『伊賀越道中双六』と、
 景事、『紅葉狩』を鑑賞し、

 1泊して、翌31日(月)の第二日目に、第1部(昼の部・11時から)
『鬼一法眼三略巻』半通しを鑑賞しました。
 
 席は、何れも、5、7列目の20番代中ほどで、人形も大夫もバランスよく観られる最良の席でした。
 大阪では、たいてい希望の席が取れるので好きです。

 まず、今回公演の目玉は、1部・『鬼一法眼三略巻』、とりわけ、「菊畑の段」でしょう。
 豊竹咲大夫(三味線・鶴澤燕三)です。
 まさに、白熱の名演とは、このようなことを言うのでしょう。
 歴史から自らを抹殺して虎の巻を伝授する鬼一を、ウレイ(古風・渋み)ある西風(にしふう)の調子でじっくり聴かせます。前半は、三浦しおんさんではありませんが“プロ至芸の出すオーラ”(『あやつられ文楽鑑賞』)が充ち、やがてのクライマックス。
 それを、人形、吉田玉女が、見事に、鬼一の行間を醸します。

 一方、桐竹勘十郎も、武蔵坊弁慶(鬼若丸)で、全段、芸達者なところを何度も魅せます。書写山での「自剃り」の場面も、舞台を観て心中を納得できます。

 人の好みは種々ですが、やはり、私は、文楽の時代物は「通し」(なお、「通し」とは、時代物だけに使い、世話物には使いませんので念のため。)、または、少なくとも半通しで、今回のように、じっくり「戯曲」を味わいたいものです。
 加えて、大夫も一段通しで聴ければなお可。一層感動が深まります。
 今回は、この2つをクリアーし、かつ、席も良く、その上、お隣が着物の似合う女性で(さらには、この方、きちんとした「通」らしく、単に人形登場などでは、無闇に拍手されません。「五条橋の段」では、大半の視線を、出語り床をご覧になっていたところから、関係者ご家族かもしれません。ちなみに、上手側のこの列の客は、3人のみ。)、感動しないわけがありません。
 
 「播州書写山の段」の竹本千歳大夫(三味線・豊澤富助)も、迫力満点で、なかなかでした。
 
 第2部(夜の部)、
 『恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)』、『伊賀越道中双六』と景事『紅葉狩』です。

 『伊賀越道中双六』は、「切」が竹本住大夫(三味線・野澤錦糸)で、平作が桐竹勘十郎、お米が吉田文雀。
 今回も、勘十郎さん、1、2部と大活躍です。

 住大夫さんは、この演目は、自身、大好きなものの一つとかで(『朝日新聞』2009年10月8日夕刊インタビュー)、さすが、腹の底から情感が伝わって来ます。
 「理を非に曲げても言わせてみましょう」という、板挟みの死が切々と語られます。
 クライマックスの平作の死の前の絞り出すような、抑制された一語一語は、この時代、この住大夫を聴ける幸せ、をつくづく感じます。ちょっと右に出る人がいないのでは。

 この日の2部(夜の部)は、この切り場と、『恋女房染分手綱』の、重の井・吉田簑助さんの人形に感動しました。
 
 人、それぞれ好きずきなんですが、この子ども、三吉に今一つ心に沸いて来るものが無いんですが。
 それにしても、病気休演の嶋大夫に代わった、豊竹呂勢大夫、なかなかの好演でした。

 特に、出し物は違っても、お米・吉田文雀、重の井・吉田簑助の女形遣いを一夜、相次いで観られたのは素晴らしいことでした。

 余談なんですが、『伊賀越道中双六』の平作の息の絶える、最高のクライマックス、絶妙のタイミングで、「すいません、すいません・・」と言って、座席真ん中をかき分けて、後ろの男性がトイレに立たれました・・・。事情はあるにしろ信じられません・・・。

 ここで、私の「文楽歴」を少しお話しします。

 生意気なブログを書いていますが、実は、私が、初めて文楽に行ったのが、一昨年、平成21年。まだ、2年しかたっていないのです。
 もともと、老いの、予習用のブログ、なのはお分かりいただいているとは思いますが。

 その21年の9月に、東京・国立劇場で初めて、文楽を鑑賞したのが、今回鑑賞した、『伊賀越道中双六(沼津の段)』でした。

 鑑賞のきっかけは、ちょうど、その数か月前に、歌舞伎の『伊賀越道中双六・沼津の段』を観たところだったので、新聞で評判の新作文楽『天変斯止嵐后晴』(てんぺすとあらしのちはれ)が上演されることだし、思いきって足を運んだのです。

 この時は、3部上演され、2部(3時開演)が『伊賀越道中双六』、3部(6時半開演)が『天変斯止嵐后晴』で、この両方を観たのです。

 新作文楽『天変斯止嵐后晴』は、あまり感動ませんでしたので、文楽にハマったのは、多分、『伊賀越道中双六』を鑑賞したからです。

 予習をしていなくとも、歌舞伎でスジがわかっていますし、その上、多分、今回と同じようなベストメンバー、調べてみますと、当時は、「切」が竹本住大夫(三味線・鶴澤錦糸)で、十兵衛が吉田簑助、平作が桐竹勘十郎、お米が桐竹紋寿、といったところだったのです。
 おまけに、前半は、体調の良かった、竹本綱大夫です。

 これじゃ、好きにならないわけがありません。
 すっかり文楽にハマって、今じゃ、文楽が、三宅周太郎さんのいう〈夜歩きの友〉(「文楽研究」110頁)になっています。

 さらに余談を重ねますと、実は、この時、1部(11時開演)で『鬼一法眼三略巻』を上演していたんですね。観ていません。
 でも、多分、この時観ても、勉強不足で、理解できず、返って、それほど文楽好きにならなかったかもしれません。
 人生の、タイミング、というのは難しいものです。

 今では、東京公演だけでは飽きたらず、大阪にも足を運び、さらには、一丁前に、たった2年なのに、だいぶん生意気になり、大夫の〈じゃま〉になる、単なる人形の出入りでは、絶対に拍手しません・・といった自己主張もあります。

 私事を長々とお話ししました。

 ところで、この日の2部は、典型的な「(よりどり)みどり立て」です。
 しかも、『恋女房染分手綱』の「重の井子別れの段」の「切」・豊竹嶋大夫が病気で休演(代役は、豊竹呂勢大夫)。
 それに、『伊賀越道中双六』の竹本源大夫が、まだ体調不十分(ところどころ三味線に負けてしまうように感じました。あるんです、オペラのようなことが。)なようでした。
 しかも、日曜日の夜というのに、〈入り〉が、今まで、私が、大阪で経験して以来の「最低」だった、50パーセントほど。なんせ、後ろ半分の席は、ほとんど無人状態なんです。

 ただでさえ、『恋女房染分手綱』の出し物は、ある書物で(三浦さん前掲書270頁)、豊竹咲大夫さんなどは、「貧乏臭くて、大嫌い」な出し物と(心底イヤそうに)言われ、また、三宅周太郎も「親子の忠義立てや、こまっちゃくれた三吉が大嫌い」というほど、好き嫌いが分かれる出し物です。

 入りを考えて、泣かせの2本で「みどり立て」にしたら、肝心の大夫が転けた、で、こんな入り。お節介ですが、もう、本当に、真剣に出し物のあり方を考える時期でしょう。

 こう話している最中に、手に入れたちらしでは、1月大阪公演は、見事な、正月風の「みどり立て」で、ちょっと・・・。
 



《親と子の宿命》。国立劇場・文楽12月公演、『奥州安達原』。しっかり楽しむための「予習」です。

 明日から、「大阪」文楽公演のチケットが発売になりますが、その「予習」は、既に済んでいますので、12月「東京」文楽公演の予習をします。

 いきなり余談ですが、松本清張原作の映画『砂の器』(野村芳太郎監督)の最後に出るクレジットに、《・・・しかし、旅の形はどのようなものであれ、親と子の“宿命”は永遠のものである》というのがありました。
 
 この文楽・『奥州安達原』は、まさに、この文章がピッタリではありませんか。

 日本の古典劇のテーマには、男女の情愛もありますが、親子の情愛が多いのに気づきます。このあたりが、西欧オペラなどとの大きな違いではないでしょうか。
 我々が、大切にすべき文化でしょう。

 国立劇場・文楽、12月公演は、『奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)』です。
 12月公演は、若手大夫が実力を発揮できる出番がたくさんある月です。

 今回の劇の作者は、私の大好きな、近松半二が立作者(主作者)です。『本朝二十四孝』、『妹背山婦女庭訓』、『伊賀越道中双六』(最期の作品)などを書いています。

 合作者は、竹田和泉、竹本三郎兵衛、北窓俊一です。
 宝歴12年(1762年)9月に大阪・竹本座で初演され、翌年には、歌舞伎として、江戸・森田座で舞台公演されています。

 例によって、登場人物が「実はこれは・・の人物」と、虚実、入り組んでいます。
 入り組んでいるだけでなく、行動の背景などについて予め知っておかないと、特に、今回の公演は、2段目「外が浜の段」、「善知鳥文治住家の段」と、3段目「環の宮(たまきのみや)明御殿(あきごてん)の段」だけですので、その場の味わいが底の浅いものになってしまいます。

 ところが、さて、書物で「予習」しようとすると、意外にどれも、簡略に書かれていて、初見の方だと、何だかワケがよくわからない、となってしまいがちです。

 そこで、今回のブログは、「行間」・「ウラ」、「実は・・」のところを理解する、ということを主眼に「予習」していきたいと思います。

 従って、予め、登場人物を細かく説明(種あかし)したうえで、あらすじを追います。
 特に、今回の公演の中心であって、上演時間も一番長い、3段目「環の宮明御殿の段」は、詳細に説明します。
 これで、多少なりとも、鑑賞当日に、余裕を持って舞台を見られ、全体の登場人物の心理やそれに伴う人形の動きが楽しめれば幸いに思います。

 ちょっと、くどいほど、繰り返し書いたところもありますので、8千字近くなってしまいましたが、ゆっくりとお読みください。

1) まずは、予備知識です。

 この物語は、ご存知かと思いますが、奥州の、いわゆる《前九年の役》(正しくは、1051ー1062年の《奥州12年戦役》)後が物語の基本になっています。
 
 安倍頼時(よりとき)らの一族と陸奥守・源頼義が戦い、頼時は敗死、その子貞任はその後も反抗しましたが、ついに滅びました。

 で、この物語では、討たれた、安倍頼時の遺児、

兄・「貞任(さだとう)」、
弟・「宗任(むねとう)」、

を中心とした、一族の復讐、再挙の物語です。
 
 ほかにも、
兄弟の母(つまり、安倍頼時の妻)・岩手(いわて)、

娘・恋絹、
もいますが、今回の公演では、あまり直接登場しません。

 実際の歴史で、滅んだ安倍一族を、この劇では、「滅んだ」という史実を前提として、頼時の子らの「再興」談を、巧みに、複雑に、フィクションとして創作し、物語にしています。

 その創作の中で、人生悲劇、女性悲哀、親子哀愁を駆使して感動させるわけです。
 まさに、近松半二の面目躍如というところです。

 安倍一族「復讐・再興」物語ですから、基本的に、二代目が登場します。
 勝者である源頼義の子である「義家」対安倍頼時の子たちの「貞任」「宗任」ら一族、が柱なのです。
 しかし、物語では、それらを包含する大悪党として、大江維時(これとき)という、義家も追い落そうとして天下を狙う人物が登場します。
 結果としては、むしろ、安倍兄弟の陰謀よりも、こちらの方が余程タチが悪い人物ですが、この登場人物によって、余計に物語が複雑になりますが、ここのところを見落としてはなりません。

 くりかえしますが、これも近松半二の面目躍如です。

2) 次に、主な登場人物を、予め、整理します。

 ①源頼義の子、八幡太郎「義家」。
 聡明で、相手の陰謀も先読みしている、なかなかの大人物です。

 後に詳説しますが、例えば、中納言教氏(のりうじ)が偽者で、貞任であることは、公家であるのに、歌も詠まないし、姿形も頼時に似ているなどから、とっくに見破ってもいました。
【なお、公家に化けた逆賊の人形の動きを、そうなっているか、よーく見ましょうネ】

 また、これも後に話しますが、恋絹が、頼時の娘であることも知って、家来・生駒之助を不義の科で勘当、二人を追放するときにも、「貞任・宗任兄弟の行方を探して手柄をたてるように」、それとなく「耳うち」します。

 ②「直方(なおかた)」は、「環(たまき)の宮」のお守り役で、宮が誘拐されてしまって、直接に責任を負う立場ですが、もっと大事なのは、彼には娘が二人いて、その娘のひとり、

 姉は、「袖萩(そではぎ)」で、安部「貞任」に嫁がせています。
 もうひとり、
 妹は、「敷妙(しきたえ)」で、「義家」に嫁がせています。
 つまり、敵味方の両方に、娘を嫁がせている訳です。
 もっとも、後述するように、姉・袖萩は、駆け落ちですが。

 ③安倍再興を計る、安部頼時の遺児たち。

 ア)まず、兄・「貞任(さだとう)」は、はじめ、浪人・黒沢左中と偽り、その時代に「袖萩」と結ばれ、その後、宮中に入り込むために「桂中納言教氏」に変装して、謀反に挺身します。それで、袖萩は、「捨て」てしまうわけですネ。
 袖萩は、諸国を放浪し、余りに泣いたことから盲目になります。
 
 貞任には、袖萩との間に、「お君」と「清童」(千代童子)の子がいますが、「お君」のほうは、袖萩と乞食同然の生活をします。

 「清童」のほうは、能楽の《善知鳥(うとう)》を彷彿させる猟師・「善知鳥(うとう)文治」という、死んだ安倍頼時の家来に預けられて、育てられます。 

 話が先走りますが、「文治」は、病になった「清童」の薬(人参)代のために、義家の放った金札をつけた鶴を殺しまうのです。
 それで、文治が鶴を殺したことで捕まる騒動ときに、ショックで死んでしまいます。

 イ)弟・「宗任(むねとう)」は、金貸し「南兵衛」に変装しています。
 「善知鳥(うとう)文治」の罪をわざと被って、義家に接近し、対決することを企みました。

 ウ)もうひとり、娘・「恋絹」がいます。
 頼時が死んで、一族が四散したときに、乳母と逃げ、やがて、京の九条に売られてしまったので、安倍一族としての記憶が薄いのです。「義家」の家来・「志賀生駒之助」を好いています。
 不義が見つかって志賀生駒之助と追放されますが、これは、瓜割四郎にはめられたところもあります。

 エ)安倍頼時の妻、兄弟の母・「岩手」は、能楽《安達原》を彷彿させる〈殺人老婆〉ですが、今回の公演にはありません。先の、「恋絹」は、この老婆(母)に、自分の子とは分からずに殺されるわけです。

3) どうですか。複雑でしょう。
 後の「あらすじ」を読んだあとに、この部分を、再読していただければ、双方、理解しやすくなると思います。
 ここまでを、一度復習しておきます。

1、 朝軍「義家」 vs 賊徒「貞任」・「宗任」兄弟

2、 「直方」 - 娘・「袖萩」 - 賊徒「貞任」
   「直方」 - 娘・「敷妙」 - 朝軍「義家」

3、 「維時」は、「義家」と「直方」をおとしめ、天下制覇を狙う。

 
4) 前置きが長くなりました。では、「全段」のお話しをはじめます。

 大序、「鶴が岡の段」

 鎌倉・鶴が岡御所、八幡太郎義家のところに勅使・大江維時【悪人です】が来て、中宮御産の祈りの為、奥州の流人・中納言則国【教氏の親です】を召返すと伝えます。
 維時は、義家に、狩りに明け暮れることの不忠を言い、紛失の十握(とつか)の剣(宝剣)詮議の為、上洛を命じます。

 義家は、武運を祈り、郷民から献上された鶴を、仙家の霊鳥と喜んで、金の札を付けて放します。

 「吉田神社前の段」

 吉田神社で、皇弟・環(たまき)の宮と、つき人の内侍が悪人共に誘拐されます。
 よそながらの警護役の生駒助は、九条の遊女・恋絹と戯れていました。
 駆けつけた、お守り役・直方は、手引きをした鳥差しを捕らえますが、自害されてしまいます。
 しかし、鳥差しの懐から、「宮を盗出すように」との頼み状を手に入れて、詮議の手がかりにと持ち帰ります。【この手紙の筆跡が後の、『環の宮明御殿の段』で、袖萩の守り袋の文の筆跡と同じ、貞任のものなのです】

 京の義家の館です。
 大江維時は、義家、直方らの失脚を企んで、偽の手紙で遊女・恋絹を、義家の館にいる生駒助のところにおびき寄せたり、子細ありげに直方の娘・敷妙に刀を渡して、直方を討つことを迫ります。

 恋絹の郭の抱え主が、恋絹を追いかけて来て、ひと悶着起こりますが、これは生駒助に心を寄せる義家の娘・八重幡姫が身請け金を出し、決着します。
 恋絹は、八重幡姫に恩義を感じて身を引く覚悟をします。
 しかし、生駒助がその不実をなじり、争ううちに、恋絹の守り袋から出た書き物で、恋絹が、朝敵である安倍貞任・宗任兄弟の妹であることがわかります。

 義家は、不義の科で二人を追放しますが、安倍貞任・宗任兄弟の行方を探るように言い含めます。

 義家は、流人であった中納言則国の息子、教氏を中納言
に任官する勅状を伝えますが、教氏は、任官すると態度を一変して、義家を、十握の剣や環(たまき)の宮の行方不明なこと、責任者である直方の処置がされていないことを責めます。

 「外が浜の段」
 ・・・公演されます。

 善知鳥(うとう)文治【定家の歌を引用した謡曲「善知鳥」を人名にしています】と女房・お谷は、子・千代童(清童)の重病に利く人参を手に入れる金策に苦労しています。
 代官が、金札を付けた鶴を粗略にするなと言い渡します。
 お谷が、医者に行く途中、金貸しの南兵衛に質代わりに連れていかれそうになったところを、これも下心のある漁師・長太に助けられます。

 金策に窮した文治は、死罪覚悟で、義家が放った鶴を見つけて殺し、金の札を奪って、船で逃げます。

 余談です。
 「うとう」も「金札の鶴」も、いわゆる伝説の「神鳥」です。
 「うとう」【定家の歌から、ウトウヤスタカを擬した名です】は、ひな鳥が捕まると、親鳥が悲しみで、血の涙を流し、それがかかると死ぬという祟りが伝えられています。
 後に、清童が死んだのは、神鳥を殺した祟りでしょうか。
 なお、伝説では、「うとう」を捕まえるときは、〈血の涙〉がかからないように、〈蓑傘〉を被ります。
 言い伝えで、蓑傘を被れば神で、だから大丈夫、ということです。

 二段目には、能、謡曲の「善知鳥」からの引用があります。

 「善知鳥文治住家の段」
 ・・・公演されます。

 鶴殺しの詮議で、村中大騒ぎです。

 文治の家にも庄屋が来て、金の札をつけた鶴殺しの罪人を訴え出た者には、黄金十枚をくださるというおふれを伝えます。

 千代童の容体が悪く、お谷が心を痛めているところに、再び南兵衛が現れて、金の返済を迫ります。
 戻った文治は、南兵衛に金札を渡して、残金は、日暮れまで待ってくれと頼みます。南兵衛は、居催促、と言って奥に行って寝ます。

 文治は、今渡した金札を証拠に、南兵衛を下手人に仕立てることをお谷に話し、訴状を文盲のお谷に代官所に届けさせます。
 しかし、訴状は、自分が犯人と名乗ったもので、褒美を千代童の薬(人参)代にあてるつもりでした。

 文治は、頼時の家来・鳥海文治安方で、千代童は貞任の実子であることを知った南兵衛は、自らは宗任であることを明かします。
 捕り方が来て、文治を捕らえます。驚いた千代童は死にます。

 そこに南兵衛が出てきて、父の仇・義家の身辺に迫るため、金札を証拠に、自分こそが犯人であると名乗り、文治に代わって縛られます。
 千代童の死に責めを感じて切腹しようとする文治を止めて、南兵衛【宗任】は都に引き立てられます。

余談。作者は、『妹背山婦女庭訓』で、このネタを発展使用しました。

 「朱雀堤の段」

 都の七条朱雀堤。幼い子を連れた盲目の女乞食がいます。
 女は、直方の娘・袖萩で、ある浪人と密通して父から勘当されたのです。

 たまたま、堤の乞食小屋の前で、八重幡姫と直方が出会いました。
 そこに、追っ手を逃れた、生駒之助と恋絹がやってきて出会います。

 恋絹は、かつての約束どおり、生駒之助と八重幡姫を盃させようとし、そのとき、小屋にいた女乞食がお酌をかって出ます。

 変わり果てた娘の姿に驚く直方。
 そこに、直方の家来が、環(たまき)の宮の詮議は明日限り、探せねば切腹せよとの維時の厳命を告げに来ました。
 
 直方が立ち去った後、袖萩は、今のが父であったと気づき、父の危難を案じて、娘に手を引かれながら後を追います。

 「環宮明御殿の段」
 ・・・公演の中心です。

 では、3段目「環の宮明御殿の段」は、詳しくお話しします。

 3段目は、「朱雀堤の段」が40分弱、そして上演される「環の宮明御殿の段」が70分ほどあります。
 なお、先立つ、2段目「外が浜の段」は、30分弱でしょうか。
 3段目切りは、《袖萩祭文(そでさきさいもん)》という有名な段です。

 くどいですが、この段の眼目、ポイントは、先ほどの、

「2、 「直方」-「袖萩」-賊徒「貞任」
    「直方」-「敷妙」-朝軍「義家」  」とあった
ところの、

「直方」←-「敷妙」←-「義家」ラインの関係で、「環の宮」誘拐を責められて死を選ぶ直方の封建社会での人間の悲劇、

かつ、

「袖萩」←-賊徒「貞任」ラインの関係で苦しみ、「袖萩」が死を選ぶ、女性と子供の悲劇と、

 さらには、「直方」と「袖萩」は、死ぬことによって親娘として《結ばれる》という昇華した美の悲劇です。
 このような解釈は、知っておく必要があります。

 その悲劇が、舞台の「部屋の中」とその「外の雪の庭」で演じられ、孫や娘に会いたくても会えない悲劇、子どものけなげな姿の哀愁・・、といった見せ場になるわけです。 
 勿論、最期、貞任の袖萩を見ての苦悩です。
【大夫、三味線、人形を細かいところまで味わいましょう。】

 順次、登場する人物の物語は・・・、

 まずは、「直方」-「敷妙」-朝軍「義家」ラインの、義家に嫁いだ娘・敷妙が、親に口上を持って来ます。

 直方がお守り役である「環の宮」誘拐されたことの責めを「日延べの日数も今日限り」という伝達をします。
【娘が、実の父に、ま、ずいぶんなクールさですが。】
 
 次に、11、2年前に、浪人・黒沢左中と家を出た、 「袖萩」が、「お君」をつれて来ます。

 『朱雀堤の段』で、直方が父ということに気づき、その親の大事を案じて訪ねて来たのです。
 「お目にかかって御難儀の様子がどうぞ聞きたいものじゃなあ。」
 
 夫・黒沢左中は、安倍再興を計る、死んだ安部頼時の子、兄・「貞任(さだとう)」です。
 変装して謀反に挺身しています。袖萩は、諸国を放浪し、余りに泣いたことから盲目になりました。
【先天的な盲人ではありませんから、必ずしも、耳で全て察する訳ではありません。その辺りの細かい人形遣いにもご注意。】

 不義の娘に直方は会おうとしません。辛い、妻(袖萩の母です)・浜夕。
 浜夕は、「イヤ物貰い、おあし(お金)がほしくば、なぜ、唄をうたわぬぞ。」と言い、
 袖萩は、これまでの苦労を語る筋の祭文を即興で唄います。
【さあ、祭文を聞きましょう。三味線にも注意。】

「二世の夫(つま)にも引き別れ、泣きつぶしたる目なし鳥」
「お君(きみ)とて、明けて漸々(ようよう)十一の、子を持って知る親の恩、知らぬ祖父(じじ)様、祖母(ばば)様・・慕うこの子がいじらしさ、・・・」

 雪の中で、娘とその子(11歳)は、父母、祖父母への面会を切望します。
「(直方の)お命にかかる一大事と、聞いて心も心ならず、・・・参りました。」
「御身の難儀のその訳を、どうぞお聞かしてくださりませ。」

 雪の寒さに気分が悪くなった袖萩に、子・お君は自分の上着を脱いで着せます。
「さする手足も釘氷(くぎごおり)、涙片手に我が着物、一重(ひとえ)を脱いで母親へ、着せてしょんぼり介抱に・・」

 浜夕は、「武士に連れ添う浅ましさと、あきらめて去(い)んでくれ・・」

 次に、義家に捕らえられていた弟・「宗任(むねとう)」(金貸し「南兵衛」に変装して、あえて都に護送されて、義家と対決しようとしていました。)は、庭先で中納言の取り調べを受けましたが、義家が、自分の命を狙いにきたのではないかと感づき、さらに調べる為に奥に連れていきましたが、縄を解いて逃亡し、庭で、袖萩に会いました。

 「直方」-「袖萩」-賊徒「貞任」ラインの関係から貞任の妻ならば、「直方を殺せ」と責めます。殺さねば、兄に変わって縁を切る、と脅します。

 とうてい親を殺せない袖萩は、夫と親の義理に挟まれて、自害に至ります。

 義家が現れ、宗任に、日本国中を通れる通行証の金札を首にかけて逃します。
 直方も、自害に至ります。見届けた中納言が去ろうとすると、義家が現れます。

 クライマックスです・・
【段切りでの、立て役の型のオンパレード(立ち見得、カンヌキ、巻き足)、さすが貞任の夫、親としての嘆き、貞任、宗任らの競い合う人形に注目します。弓張り、立ち見得で幕。】

 義家は、貞任の素性を見破り、貞任、宗任兄弟と戦場で会おうと別れます。また、義家は、「お君」を引き取ります。

 余談。「生写朝顔日記」がこのネタをつかいました。

 ・・・次の段に進みます。

 「道行き千里の岩田帯」

 恋絹と生駒之助は、薬売りに身をやつして、陸奥の国に向かって、環の宮を探して恩ある主君の役にたちたいと旅しています。

 「奥州白河の関の段」

 恋絹と生駒之助は、白河の関で、関守の瓜割四郎に見つけられますが、四郎は、追いかけようとすると、体が萎える病を持っているため、逃げることができました。

 「一つ家(ひとつや)の段」

 恋絹と生駒之助は、安達原の荒野の一軒家に着きます。
 
 そこでは、頼時の妻・岩手が、住み、環の宮を幽閉し、旅人を襲って、殺しては、軍資金を作っていました。

 恋絹は、癪の痛みを起こします。
 臨月の痛みとわかり、老婆は生駒之助と薬を買いに行くと家を出て行きます。
 途中で、崖から生駒之助を落として戻ってきた老婆は、宮の止声病(しせいびょう。おし)の薬にするため、といって、恋絹を殺し、嬰児の生血を取り出します。

 戻った生駒之助に、恋絹が実の子と聞かされ、また、環の宮は義家の子・八つ若(やつわか)の替え玉、つき人の内侍(ないし)は、実は、義家の末弟・新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ)であることを聞かされ、落胆の岩手は、短刀をくわえ縁側に落ちて首に突き刺して自害し、谷底に飛び込みます。

 谷底で集結していた貞任は、かつて宗任が命を助けられた礼として、隠していた宝剣を義光に返します。
 これで、心おきなく戦えると後日の戦いを約して分かれます。

 「小松が柵の段」

 義家軍は、貞任の籠もっている小松の柵に押し寄せます。
 貞任の30年来の仇討ちの意志も、義家の恵み深さに打ち解けます。
 貞任は切腹し、弟・宗任を家来として安倍家を再興してほしいと頼み、義家は引き受けます。
 忠義の手始めに、宗任に瓜割を殺させ、大江維時も捕らえられます。

~幕。

参考:矢代和夫『奥州安達原』(国立劇場上演資料集・303〈1990・9〉「研究」所載63ページ)。
国立劇場上演資料集151、209、441、514。
『名作歌舞伎全集 第五巻』(東京創元社)。
『新潮日本古典集成 謡曲・上』(新潮社)。

母と子の運命悲劇。あどけなく、いじらしい三吉と母の悲しみの慟哭。幕切れ「うしろ」に注目~11月、大阪・国立文楽劇場公演、『恋女房染分手綱』を「予習」します。

 前回の『鬼一法眼三略巻』に続いて、大阪公演の「予習」です。大阪に行くつもりですから、しっかりこちらも予習します。

 『恋女房染分手綱』(こいにょうぼうそめわけたづな・時代物・13段)は、三好松洛、吉田冠子合作で、宝歴元年(1751年)2月に、大阪・竹本座で初演されました。

 近松門左衛門『丹波与作待夜(まつよ)の小室節(こむろぶし)』の改作で、例によって、近松の芸術性が失われた「改悪」だとも言われていますが、〈泣かされる〉仕様になっていることは、否めません。

 近松の作品の多くが、後の世に「改悪」されたのは、劇のなかの様々な経緯や関係が省略されているため、解釈の「付け入る隙」が多いからだという説もあります(黒木勘蔵『「与作」考』(「近世日本芸能記」)。

 さて、今回の上演は、第10段「道中双六の段」、「重の井子別れの段」です。順に全段をご紹介します。
 第十段の上演部分は、細かく書きましよう。

第一段

 丹波の国、由留木(ゆるぎ)家の、若殿・右馬之助は、京の東山で、遊興にふけり、恋人である祇園の芸子・いろは、の身請けを、家老の子息、御物頭(おものがしら)・伊達与作(だてよさく)に命じています。
(ところで、芸子・いろは、は、実は、与作に惚れていますが、若殿は、知りません。)

 一方、伊達与作は、腰元・重の井との不義をして、子までなしたことが、鷲塚官大夫に見つかりました。
 不義は、お家の御法度。与作は永のお暇、重の井は斬罪と決まりました。生まれた子・与之助は、与作の忠僕・一平の母・おさんに預けられました。

第二段

 与作は、芸子・いろは、の身請け金300両を、一平に命じて国許から取り寄せますが、家中の鷲塚八平次が、自分の遊興費の穴埋めのために、四条河原の乞食頭・江戸兵衛【後、石部の八蔵】に手伝わせてそれを奪い、罪を与作に着せます。

第三段

 帰国した与作は、鷲塚八平次の兄・官太夫によって、、300両の紛失を糾弾されるのですが、執権・鷲坂左内によって、犯人が鷲塚八平次と見破られ、兄・官太夫は立場上、八平次を追放します。
【この八平次は、第七段で、追い剥ぎで出てきます。】
 しかし、与作も、責めを負って父から勘当を受けます。

第四段 

 重の井は、横恋慕している官太夫から、不義の罪を許すから、自分に「従え」と言われましたが、これをはねつけて、「罪」に服そうとします。

第五段

 一方、重の井の父である能役者・竹本定之進は、娘の罪ゆえに、自らも職を辞することとしますが、最後に、主君から望まれている「道成寺」を舞わせてほしいと願います。
 父は、死罪となる娘・重の井をワキに、殿・由留木左衛門の御前で、「道成寺」を舞い、鐘の中で切腹し、娘の命乞いをします。
 親心に感じ入った主君に許された重の井は、生まれたばかりの息女・調姫(しらべひめ)の乳人を命じられます。

第六段

 一平は、故郷・沓掛村で、馬方となり、極貧のうちに、母・おさんと5歳になった与之助を養っています。
 追い剥ぎに追われたのを一平に助けられ、家に泊められた、座頭・慶政は、この親子の会話を聞いて同情し、こっそり300両を置いていきます。

第七段

 慶政は、与作の異母兄でした。追い剥ぎに襲われ、深手を負ったけい政は、300両を与作に届けるように一平に頼みます。
 追い剥ぎは、八平次でした。一平は討って、主人の恨みを果たしました。

第八段

 与作は、流浪の身です。与作を慕う、祇園のいろはが後を追い、関の小万という宿女になりました。
 二人の、小万の故郷・横田村を目指しての道行き。

第九段

 故郷に着いてみると、小万の父は、年貢を滞納して代官所に捕らえられていました。これを、懇願して助ける二人。
 小万が、京の肝煎り茂平に見つけられ、京に連れ戻されそうになりますが、通りかかった鷲坂左内が情けの金で助けます。

 ・・・さて、ここから、今回上演の第十段です。

(※与作と重の井の子は、自然生(じねんじょ)の三吉となって、馬子となっています。)

 由留木(ゆるぎ)家の12歳になった息女・調姫(しらべひめ)の乳人となっている重の井は、姫が、東国・入間に輿入れする供をすることになります。

 姫は、東国に下るのを嫌がり、重の井らを困らせます(このことから、調姫は、「いやじゃ姫」というとか。)が、表を通った、11歳の、馬子の自然生(じねんじょ)の三吉が教えた「道中双六(すごろく)」の遊びによって、機嫌をなおし、出立することになりました。

 重の井は、三吉に褒美として菓子を与えようとします。
 重の井、「三吉は、見れば見るほどよい子じゃに、馬追いさせる親の身は、よくよくのことじゃろう。」と三吉を慰めます。

 三吉は、「由留木殿の乳人重の井とはこなたか」と尋ね、「それならば、己がかか様(母親)じゃ」と取りすがります。

 三吉は、与之助とは自分のことだ、と名乗り、自分が5歳で、養育してくれた婆が亡くなる時、かか様(母)の細工した守り袋を証拠に出して、これを持って由留木殿の乳人重の井という人を尋ねよと言ったこと、婆の子、一平が、父を尋ね出し、近江の石部の馬借【運送業。余談ですが『一遍上人絵巻』に、馬借、車借、回船人など各種運送業宇が出てきます。】に奉公していることを知ったこと、を話し、どうか一日でもよいから、親子三人で暮らしたい、自分は、昼は馬追い、夜はわらじづくりして、父母を養います、と小さな手を合わせて頼みます(『おがみまする、かかさま。』)。

 重の井は、我が子を抱きしめたいのですが、昔のいきさつを語り、主家の体面を考えて、親子の名乗りをせず、「わしが腹から生んだが、今では、子でも親でもない。」「夫婦の義理を忠義に変えて、あかぬ離別した」と、母と知って添い寄る自然生(じねんじょ)の三吉を拒み、追い立てます。

 望みの絶えた悲しさをおし包むように、頬かぶりし、涙を隠して、とぼとぼと去る三吉。
 その背に、山川で怪我しやんな、患わぬよう、・・声をかけ母は泣き伏します。

 母は、金(1歩金13個)を袱紗に包んで渡そうとしますが、三吉は「母でもない、子でもないなら、患おうと死のうといらぬお構い。・・かか様でもない他人から金を貰う筈はない。・・」と袱紗に包まれた金を地面にたたきつけます。
 母・重の井、「おお、道理じゃ・・」と、身をもがくように泣きます。

 奥から、「姫のお発ち・・」、の声。

 出立の準備をした家来が来て、涙目の重の井をいぶかしく見ます。
 重の井は、姫が出立する気になって、三吉に褒美をとらせたら、有り難いことじゃとうれし泣きするので、つられて泣いてしまった、といい訳します。

 家来は、それでは、三吉に出立の唄を歌わせることにした。
 しくしくする三吉に家来は、「姫のめでたきお発ちになんだ」と、打揄します。三吉は、声を振り絞って歌います。

 「坂はてるてる鈴鹿はくもる・・
  降る雨よりも親子の涙、中にしぐるる・・・」
 
 たまらず、三吉は重の井のところに駆け寄ろうとします。
 懐中から鏡を出して、泣き顔を繕うふりをして、三吉を見ていた重の井は、「慮外者めが」と言って後ろをみせます。【幕切れ、「うしろ」の人形遣いに注目してください。】
 
 ・・・・上演は、このようになります。

第十一段

 小万の父の金と自分の300両の金の工面に困った与作は、石部の八蔵【第二段参照】と博打を打ち、負け、しまいには、自分を慕う三吉を、自分の子とも気づかずに、そそのかして、宿の大名の用金を盗ませようとします。 

第十二段

 その宿の大名一行は、調姫一行でした。
 官太夫は、しつこく重の井をさらおうとしています。
 金を盗もうとした三吉が捕らえられますが、一平に助けられ、与作に渡されます。
 折りから、左内とその父・左五衛門が現れ、与作は一平の届けた300両で金を返し、帰参がかない、かつ、重の井を妻に、小万を妾に、三吉も跡取りとします。

第十三段

 与作は重の井の衣を被って重の井を装い、逃れた官太夫が待つところに、改心した八蔵と行き、一平、与之助とともに、これを討ちます。

~(幕)

 公演の第2部は、「みどり公演」で、このほかに、「伊賀越道中双六」と景事「紅葉狩」です。
 前者は、歌舞伎や文楽で何度も上演されていますので、「予習」は省略します。また、後者は、今月の国立劇場公演で、「予習」しましたのでその記事をご覧ください。

 
参考:国立劇場上演資料集(90、499)

錦秋・国立文楽劇場公演。~聞き逃せない、文耕堂・人形浄瑠璃の名作、『鬼一法眼三略巻』を予習します。

 このところ猛暑が、ぶり返しています。
 その折り、私は、民生委員の会合や行事、自治会の高齢者への敬老祝い配布、そこに「文楽」公演で2度国立劇場に足を運び、明日は、「東劇」でヴァグナーの《指輪》「ラインの黄金」のライブ映像鑑賞と、珍しく、「手帳」の余白が全く無しの毎日です。
 でも、夜中に、この文を書いて、心地よい、気分転換しました。
 珍しく、この数日、睡眠時間が、4時間。やはり、好きなことには、疲れないのですナア。

 11月の大阪・国立文楽劇場公演は、9月の東京・国立劇場文楽公演『ひらかな盛衰記』(1739年初演)に続いて、松田文耕堂、48歳頃の作になる、

『鬼一法眼三略巻〈きいちほうげんさんりゃくのまき〉』

です。ワキの合作者は、長谷川千四〈せんし。1689ー1733〉)です。

 10月29日から11月20日まで。聞き所満載の、半通し、です。
 これは、やはり、大阪まで行かなくてはなりません!

 この三段目、「菊畑」は、歌舞伎でいう「秋芝居」で、人気のある演目ですが、歌舞伎では、随分「くずされて」います(安藤鶴夫)。

 ちなみに、今度の文楽公演での「菊畑」は、豊竹咲大夫(三味線:鶴澤燕三)。大いに期待しています。

 初演は、享保16年(1731年)、大阪・竹本座です。
 つまり、まだ、人形が一人遣いだったころです。
 で、人形、節回しに派手さに欠けるところもあって、長らく上演されなかったようです。
 ちなみに、翌、1732年には、やはり、この二人の合作で、『壇浦兜軍記』が上演されています。

 でも、この頃から、人形浄瑠璃は、「合作」制度で、作者らが競いあい、やがて、人形の三人遣いも始まり(1734年)、もともとが、大夫、三味線弾き、人形の一体化が求められる芸であるところに、さらなる「集団指導体制」(渡辺保・後掲書)で、人形浄瑠璃の全盛時代を迎えることになります。
 なお、文耕堂は、1741年、58歳頃に消息を絶ちます。

 特に、竹本座(「西風」の語り口。人情の機微をしっとりと哀れに語る。)の文耕堂は、豊竹座(「東風」。美音、華やかな芸風。)の並木宗輔などと比して次の特徴があります。

1、人形浄瑠璃に、謎ときや叙事詩の可能性よりも、「人物配合」の妙と美しさがあること、
2、現実的な社会の矛盾・葛藤の犠牲になる絶唱では無く、現実の中で、情愛をロマン的に語ること、
3、論理的な強い意志によって死に向かうのでは無く、情愛あふれる死の先に家族の「再生」の可能性があること(例えば、今回で言えば、鬼一が死して、娘を牛若丸に嫁がせることによって、将来への希望が生まれた。)、
4、舞台景色だけで無く、人間のもつ生気、情のしたたる美しさ、それも極彩色の美しさの特徴があること、

 といったものです。(渡辺保『江戸演劇史・上』334~343頁参照)

 この作品も、例によって、文耕堂らしい、歴史上の人物の複雑、技巧的なからみあい(まさに、牛若丸、弁慶、鬼一の「各グループ」の人物が絡み合います。)、それぞれの情を高める思いやりなど、文耕堂の特色が如実にでています。
 楽しんで舞台に接するためには、「絶対に」予習が欠かせません。
 
 この物語は、室町時代の『義経記〈ぎけいき〉巻第二、三』や、能の『鞍馬天狗』、『橋弁慶』などが参照されています。
 『遊屋物語付(つけた)り牛若兵法之恋慕』という先行の古浄瑠璃もあります。

 先ほど述べましたように、景事「五条橋」以外の上演が途絶えていましたが、昭和41年9月に、大阪・朝日座で、さらに、同年11月にも、新しく開館した東京・国立劇場で、明治37年・御霊文楽座以来、62年振りに、通しで、復活上演されました。
 
 前半は、牛若丸や弁慶の成長話、そして、聞き所の「菊畑の段」。
 さらには、常盤御前と、一条大蔵卿の話、となり、最後、人形でなればこその、牛若・弁慶の「五条大橋」の〈舞〉となります。
 
 復活上演では、文耕堂の作風にやや反しはしますが、カット部分があっても理解を深められる、「鞍馬山の段」の新作(山口廣一・作)が加えられました。
 ま、常盤御前と一条大蔵卿の話しは、異質な話ということ、このような台本のカット(割愛)部分が数多くあり、その点、やや議論があるところです。

 それでは、開幕です。

 なお、原作を元に、カット部分も含めて書き、途中、脱線、解説も入れて、「理解優先」で、記述・説明して行きます。
 また、先回っての【先バラシ】記述もしますが、ミステリーではありませんので、先に知っても、そんなに〈実害〉は無いと思います。(どうしても、心配な方は、【先バラシ】と出たら、飛ばして、後でお読みください。
 5000字近いので、ゆっくりお読みください。
 
 では・・・、

【時は、1156年の保元(ほうげん)の乱、1159年の平治の乱を経て、平清盛が、勢力を高めた頃です。

 鬼一法眼の父は、謀反を鎮圧された源氏方の家臣で、陰陽道の権威でもある兵法家でしたが、源氏方敗退にあたって、3人の兄弟、鬼一、鬼次郎、鬼三太、に生きるべき道を示しました。
 長男・鬼一には、兵法書を与え、平家方に下り、家を絶やすことの無いように命じました。】

 はじめます・・・、

※初段・大序

 平治元年(1159年)冬。「保元の乱」を清盛と共に戦った源義朝の謀反【平治の乱】が、平清盛によって鎮圧され、義朝は敗走し、平治2年正月3日、尾張で殺され、清盛は、熊野詣での御座船で祝杯をあげ、源氏の残党絶滅を厳命します。
【余談です。この乱は、清盛が仕組んだのではないか、との説もあります。参考:夢枕漠『宿神』(朝日新聞出版「一冊の本」連載中)】
 船中で、清盛は、書写山の僧・性慶坊を、熊野の別当・弁真のことで罵ります。
 僧・性慶坊は、熊野神社で、別当・弁真の娘・椰の前の乳母に邂逅します【後述参照。二人がここで会ったことを記憶してください。】。※

○鞍馬山の段(新作部分)

 義朝の子・牛若丸【後の、義経】は、鞍馬寺(くらまでら)で、仏道修行の一方、大天狗の僧正坊〈そうじょうぼう〉から、兵法・武芸の指導を受けましたが、さらに、兵法書を手に入れようとしていました。
(牛若丸は、兵法を深めるため、教えられたこと以上を知るため、兵法書自体の全てを読みたいと思ったのでしょう。)

【先バラシ:「天狗の僧正坊」は、鬼一法眼です。鬼一法眼は、鞍馬寺と今出川を往復して、源氏の義経と平清盛の両方に、兵法を教えていたのですネ。この苦渋は、後のテーマになります。】
【鞍馬山は、京都市北方にある、海抜570mの山です。】

○播州書写山の段

 熊野の別当・弁真は、四年以前の保元の乱【1156年】で、源為義に味方したために切腹させられ、その北の方(正妻)と娘(椰〈なぎ〉の前、その後、お京、と改名)は、平家の武士に監視されながら、椰の前の乳母・飛鳥の父・坂上文藤次の家に逼塞しています。

 北の方は、7年前に熊野権現から薙刀を授かった霊夢で懐胎しましたが、不思議にも、まだ、産気がありません。 平家の監視役の群代は、生まれたのが男子なら、すぐ殺そうと、毎日検分に来て、北の前を苦しめています。

 さて、「平治の乱」【1159年】後、平家の圧迫は一層厳しくなり、ついには、男子誕生を待たずに殺しに来た平広盛に、北の方が刃に倒れますが、その切られた傷から、健やかな男子【後の、鬼若丸、弁慶】が生まれ、歩き出します【腹の中に7年いて、その間、歳をとっているのですからネ。】。

※坂上文藤次は、性慶に生まれた子の養育を、鬼三太(きさんだ)に、娘・椰の前(その後、お京と改名)を鬼三太の兄の鬼次郎〈きじろう〉の元に届けるよう頼みます【許婚者同士です】。
 清盛は、坂上文藤次を切り殺し、暴虐な言葉を吐きます。※

【復習:「椰〈なぎ〉の前」(後結婚して、お京、と改名)は、鬼若丸の姉で、また、許婚者のちの夫は、義朝の家来で坂上文藤次の甥の、鬼次郎。さらに、鬼次郎の弟は、鬼三太。そして、その二人の兄は、鬼一法眼です。】

※逃れて、巡礼の道行き。13年の歳月が流れます。

 鬼三太とお京は、福井の飛鳥の家に泊まりあわせ、そこで、兄であり、夫である、今は盗賊となった、鬼次郎と会います。
 鬼三太【鬼次郎の弟】は、顔を知らぬ兄、鬼一の屋敷に心を窺いに入ることになり出発します。
 鬼次郎と椰〈なぎ〉は、結婚します。※

 さて、《健やかな男子【後の、鬼若丸、弁慶】が生まれ、歩き出します》に、戻って・・・、

 生まれた子は、鬼若丸といい、やがて、書写山【今の、姫路の北西にある高さ371mの山】の僧・性慶坊に育てられ、武蔵坊弁慶と名乗ります。
(椰の前の乳母と僧・性慶坊は、熊野神社で、邂逅して、知り合っていましたネ。)

 ※鬼次郎夫婦は、鬼若丸を訪ね、生い立ちと母の最後を伝えます。鬼若丸が怒るきっかけとなります。※

 鬼若丸は、悪童で、もてあまされ、やがて、平広盛の子・岩千代との諍いが原因となって、乳母の死を招いたのに改心して、親の形見の薙刀の刃で自らの頭を剃り、菩提のために、弁慶と名を改めて都に出ます。
 弁慶は、親の弁真と師・性慶から一字づつとったものです。

○清盛館の段

 鬼一法眼は、今出川【今の、上京区にあります。藤原氏が邸を構えて、菊邸と称したこともあります。】に住み、平清盛の兵法指南役【法眼】となって、もう10年になります。

 清盛は、さかんに、兵法書の引き渡しを迫り、鬼一法眼は、病を理由に一日のばしにしている立場にあります。

 鬼一法眼には、皆鶴姫という、気の強い娘がいて、横恋慕する広盛の臣・笠原堪海を清盛の前の剣術の試合で破って男の野心を砕いたり、また、鬼一に代わって、まだ兵法書を渡せない言い訳に行った際は、兵法書と称して、臆せずに、重盛の諫言を読み上げたりもします。

○菊畑の段

 鬼一法眼の持っている秘伝の兵法書・『六陥(りくとう)・三略(さんりゃく)』を奪おうとする牛若丸【源義経】は虎蔵と名乗り、鬼三太は虎蔵の奴・知恵内〈ちえない〉と名乗って、鬼一の館に奉公しています。

【「六陥」とは、太公望の選になる兵法の書。6巻60編からなります。ちなみに、その中の、「虎陥」は、俗に、「虎の巻」と言われ、様々に引用されます。
「三略」とは、上、中、下に分かれたもので、上略、中略、下略と言います。「六陥」とあわせて「六陥(りくとう)三略(さんりゃく)」と言われます。
「法眼(ほうげん)」とは、本来、法眼和尚位の略称で、法印に次ぐ僧位です。諸方を観察する「心眼」がの持ち主です。中世には、医師、画工などにも授けられた位です。】

 鬼一法眼の娘・皆鶴姫は、虎蔵【実は、牛若丸】を慕っています。姫には、清盛の臣の笠原堪海が横恋慕しています。

 牛若は、源氏再興のため、なんとしても兵法書を手に入れたく、鬼一と直接対決する決意をして、見参を申し出ます。

 以後を、『奥庭』と言います。

 牛若【虎蔵】を、奥の間で待っていた鬼一は、実は、鞍馬寺の天狗の僧正坊でした。

 鬼一は、源氏への忠誠を抱きながら、心ならずも平家の禄を食んできたことを苦しさを打ち明け、実は、牛若に源氏の大将の器量があることを見て、鞍馬山で、ずっと、兵法を指南してきたのだと伝えます。
 そして、娘・皆鶴姫に兵法書を与え、これをみやげに嫁入りせよと言い、切腹して果てます。

※カットされた段
 戦に負けた源義朝の後室、牛若丸の母・常盤御前は、母と3児の命乞いのため平清盛の後室となり、さらには、一条大蔵卿の後室となっていますが【この時、息子、牛若丸を鞍馬山に手放しました。】、揚弓で、毎夜、遊ぶ弓の的の下には清盛の絵を隠して、矢で射る、といった調伏(ちょうぶく。諸悪を制伏する、呪い殺すこと。)する心持ちで暮らしています。
 常盤の真意を、「調べに」行くのが、鬼次郎とお京の夫婦です。
 お京は、女狂言師となり、屋敷に入ります。
 ところで、一条大蔵卿は、「あほう」に見せて、実は、源氏の血をひいて、平家の専横に怒っている公卿です(「作り阿呆」)。
 鬼次郎とお京の素性がバレそうになったときに、相手を障子の向こうから切って捨てます。※

○五条橋の段

 牛若・弁慶の「五条大橋」の〈舞〉となります。
 牛若の1000人切り、1000人目の弁慶は、牛若の家来となります。鬼次郎、鬼三太、皆鶴も登場し、平家討伐へと勇ます。

~(幕)

文中表示以外の参考文献:
内山美樹子『文楽二〇世紀後期の輝き』(早稲田大学出版部)
国立劇場上演資料集(525・2009年9月)
同(1969年10月・歌舞伎上演資料)

芸達者、桐竹勘十郎、溌剌、吉田幸助、吉田一輔~東京・国立劇場9月文楽公演(昼の部)『寿式三番叟』などを鑑賞しました。

 まずは、訃報ですが、11月、日生劇場でのオペラ公演「夕鶴」の演出が鈴木敬介さん急逝のため、飯塚励生さんになりました。
 以前、私が、芸術団体の事務局長をしていた頃、飯塚さんのオペラのお仕事振りを、間近で、数か月拝見したことがあります。
 それ以後、オペラで、私が、「追っかけ」ている一人です。

 さて、6日(火)に続いて、9日(金)に、国立劇場・9月文楽公演、昼の部の、
『寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)』、
『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』(御殿の段)、
『近頃河原の達引(ちかごろかわらのたてひき)』(堀川猿回しの段)、
を観劇しました。

(なお、『近頃河原の達引(ちかごろかわらのたてひき)』は、このブログになって二度目ですので、「予習」は、右の『全記事検索』から、昨年の9月25日の文章をご参照ください。
http://kandoujin.blog48.fc2.com/blog-entry-107.html これをクリックでもヒットします。) 

 開場が、午前10時、上演は、10時30分。ピーク時節電なのか、いつもより、30分繰り上げです。
 そのせいか、遅れて入場する人が、多かったので、休憩時間に、「途中入場は止めては如何?」、と劇場に話しましたが。

 例によって、「(よりどり)みどり」公演ですが、太夫、三味線、人形は、それぞれ、重厚な配置になっています。
特に、『寿式三番叟』は、まさに、「記念公演」柱の趣で、華やかな、大夫、三味線、人形です。

 余談ですが、『寿式三番叟』は、昔、テレビ放送が始まった頃、主要局が(例えば、NTVは1953年8月、フジTVは1959年3月1日)、最初に流した番組でした。
 勿論、この国立劇場開場時も演じられました。

 で、今日の感想です。

 個々の芸は、それなりに良いのですが、

 例えば、重鎮・大家は兎も角、『寿式三番叟』の、溌剌として、能楽とは違ったユーモアに溢れる、若手の吉田幸助、吉田一輔の人形。

 『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』の、閉息された中での悲劇の人物・政岡の造形確かな、桐竹紋壽の人形。それを支える、豊竹嶋大夫(三味線:竹澤團七)と竹本津駒大夫(鶴澤寛治)の音色の違うバトンタッチの妙。

 『近頃河原の達引(ちかごろかわらのたてひき)』での、相変わらず益々冴える、桐竹勘十郎の芸達者ぶりと、支える三味線鶴澤藤蔵。
 
 このように、それぞれは皆、良い、のですが、先日の「夜の部」のように、ズシン!と一発来るところには、あと一歩でした。
「みどり公演」や、大夫を二人にした・・、などで、感動が、〈拡散〉されてしまったのかも。
 少なくとも、もし、『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』を一人の大夫で通したりすると、ちょっと違ったかもしれません。

 それに、今日は、イヤにマメな観客がいて、「芸」にではなく、漫然と、人形の出入りの都度、大きな拍手をし、つられて拍手が起こるのですが、これは、時として、大夫の熱演を邪魔する時があるので、如何なものでしょうか。
 それに、私の近所では、私語や包装紙のパラパラ音が随分して、気が散ったところもあり、難しいところです。
 芸術鑑賞は、ともすれば、気分に左右されるのです。
 もっとも、その方達は、「楽しみ」に来られているのでしょうが。

 最後。話がずれますが、国立劇場のネットでのチケット販売は、席の選択が出来るようになるそうで、ご同慶の至り。
そうですよね、なんだか分からない、あてがいぶちの販売でしたから。
  帰り、「演芸場」の幽霊展を見物して帰りました。

素晴らしい舞台でした。圧巻、咲大夫。熱演、呂勢大夫。~聞き応え満点、東京・国立劇場・9月文楽公演『ひらかな盛衰記』

 久しぶりの晴天です。
 そして、久しぶりの文楽公演です。

 6日(火)、国立劇場・9月文楽公演、夜の部・『ひらかな盛衰記』(三段目)を観劇しました。
 文章、筋の立て方、作曲、舞台面などから、浄瑠璃の三大傑作の一つと言われているものです。
(なお、昼の部のほうは、9日(金)に予定しています。)
 国立劇場開場45周年記念公演の一つです。

 改めて、「文楽」というものに圧倒された名演でした。

 「松右衛門内より逆櫓の段」。豊竹咲甫大夫(三味線:野澤喜一郎)、切は、豊竹咲大夫(三味線:鶴澤燕三)。

 特に、豊竹咲大夫には、心底、圧倒されました。10度くらい白湯を飲み、まさに、全力投球の風。
 権四郎の、喜び、絶望、怒り、諦念・・など、くるくる変わる多様な人物描写をどっしりした「芸」で聴かせます。歌舞伎で、役者の表情で魅せるところ、語りで魅せます。武士らしい松右衛門の語りも貫禄十分です。
 
 三味線が、また、素晴らしい。

 さらに、吉田玉也(権四郎)、吉田玉女(松右衛門)、吉田和生(お筆)の人形遣いも哀愁と迫力に満ちています。

 ちなみに、「逆櫓」とは何かも、よーく理解できます。

 先立つ、「笹引の段」の、豊竹呂勢大夫(三味線;鶴澤清治)も「大」熱演で、感動しました。素晴らしかった。
 おもわず、ホロリ、としてしまいました。

 なお、「大津宿屋の段」では、四月の新人、豊竹亘大夫(英大夫に入門)も、一言、発しました。これから、何十年のご健闘を祈ります。よく、「成長」を見ておきますからね。

 当初、重量級が、やや昼の部に持っていかれたかな、と思っていたのですが、どうして、素晴らしい舞台が、堪能できました。
 こういう舞台に邂逅すると、文楽にますますハマってしまうのですね。

 余談ですが、9月に文庫化された、直木賞作家・三浦しをん『仏果(ぶっか)を得ず』(双葉文庫・600円)は、青年・健(たける)の文楽修行《青春物語》です。

 この、第4章(「ひらかな盛衰記」)では、健が、この出し物の樋口次郎兼光に「共感」できず、内子座公演を前にして、大夫として造形に苦労するところがでてきます。
 もともと、「青春小説」ですから、その記述は、理論的にあまり深くはありませんが、それでも、今日のような舞台を観ると、なんとなく、小説のような記述は、吹っ飛んでしまいます。

 それよりも、毎回言うようですが、今回も、随分な「(よりどり)みどり」公演です。
 45周年記念公演ならば、なおさら、原点に帰った、「立てる」(歌舞伎でいう、「通し」。今は、文楽でも言いますが。)公演をしてほしかったものでした。
 
 なお、『ひらかな盛衰記』は、すでに、「予習」は、6月23日に済んでいますので、右の「全記事表示リンク」(「全ての記事を表示する」)を利用して、ご覧ください。次のアドレスのクリックでもヒットします。
 http://kandoujin.blog48.fc2.com/blog-entry-214.html

 また、『紅葉狩』の予習は、8月19日です。アドレスは以下です。
 http://kandoujin.blog48.fc2.com/blog-entry-236.html

 ところで、今日は、1時間ほど早く行って、「国立劇場伝統芸能情報館」に行って、シアター・スペースで記録映画「文楽」(30分)を観ていたのですが、なかなかよく出来ていますね。全部の映像を観ると、2時間近くになってしまうのですが、一度、ゆっくり観たいものです。

 深夜ですが、書かずにおられない良い文楽でした。金曜日も、楽しみです。

 

主作者・文耕堂。「運命」描写の白眉に絞った9月・文楽公演~「ひらかな盛衰記」。上演の三段目だけでなく、全部を、予習します。

 このところ、午後は、民生・児童委員のボランティア。夕食は、たいてい、枝豆、レタスたっぷりサラダにビールなど。
もともと、豆類が好きで、春から、グリンピースの天ぷら、そら豆、枝豆・・と続きます。
 夕食後は、3~4時間位、これから書くような芸術関係の読書です。さて・・・、

 9月・東京国立劇場・文楽公演、第2部(夜の部)の予習です。なお、チケットの一般発売は、8月7日からです。

 今回の公演は、作者・文耕堂などについて、突っ込んで予習しておいたほうが良いとおもいますので、久しぶりに少し詳しく書いてみます。

 文楽・「ひらかな盛衰記」(五段)は、1739年4月11日に大阪(坂)・竹本座初演です。

 さっそく余談ですが、初演の頃、二世義太夫(播磨少掾)が、大序、二、三、4の各切を「独占」して、どっしりとした「西風」で、活躍しました。なお、播磨少掾が、1744年死後に「分担」制となりました。

 一方、人形は、吉田文三郎が、巴御前、松右衛門、梅ケ枝の三役を遣って、初、三、四段切り場で活躍しました。

 東京・国立劇場での「通し」上演は、1970、1979年に昼夜にかけて通し上演されました。この頃、東京・国立劇場は、「通し」上演を原則としていました。大阪・文楽劇場では、1988年です。
  
 「ひらがな」を「ひらかな」と濁点を付けないのが、当時の習慣で、また、「源平盛衰記」を和らげて脚色したのが題名の由来です。

 文章、筋の立て方、作曲、舞台面などから、浄瑠璃の三大傑作の一つと言われます。
 作者は、主に、文耕堂(松田和吉)、合作者は、三好松洛、竹田小出雲(二世竹田出雲)、浅田可啓、千前軒(せんぜんけん・初世竹田出雲)です(黒木説)。

 今回の国立劇場公演は、三段目口(大津宿屋の段)、中(笹引の段)、切(松右衛門内より逆櫓の段)です。冒頭の「道行」は上演されません。

 今回、上演される段は、降伏し、京の大路でさらされたうえ、惨めに斬首された「源平盛衰記」の記述(「勇士にはあらざるなり」)とは違う、樋口次郎兼光、の隠された「思い」と「勇者ぶり」を、作者・文耕堂が語って聞かせる見事な成功例と言われます。

 今回の公演、なぜ、四段目、「神崎の揚屋」は無いの、という疑問は、好意的に言い訳すれば、この「文耕堂」の歴史観に直裁に焦点を合わせた公演にしたことが一つのキーワードなわけです。(もっとも、通しで上演されれば一番よいのですよ。)

 文耕堂については、詳しい経歴などは不明で、作品数は、25作とされますが、執筆間隔も随分空いている期間などもあり知るところの少ない、謎が多い作家です。
 しかし、「筋立て頓作の名人」と言われるように、史実を奇想天外に改変することなく、大衆の既存知識から遊離することない適度の戯曲性が特色ですが、これがヤマの少ない劇となりがちで弱み、欠点ともなりますが、本作のように「長所」ともなるわけです。
(増田七郎『文耕堂の浄瑠璃』(昭和16年「国語と国文学」)。なお、巻末上演資料集に収録。)

 そもそも、文楽の「時代物」というものは、
「史実の裏側の事情を語って聞かせる」(内山美樹子氏、石黒陽子氏。巻末参考書参照)、
「(歴史に現れない)主人公の気持ちを思いやって代弁する」(阪倉篤義『語り物の歴史と浄瑠璃の成立』(日本の古典芸能第7巻・平凡社)
ところに特色があると言われますが、この「ひらかな盛衰記」の、木曽義仲も、梶原源太景季も、そしてこの樋口次郎兼光も、そうです。

 今回は、そのうち三段目のみの上演となるわけです。でも、一応、簡単に、あらすじを通してご説明しましょう。

初段。源義経は、頼朝から、木曽義仲追討を命じられます。平家を追撃して都に入った義仲は、「田舎者」で、乱暴狼藉が過ぎるのです。
(しかし、文耕堂の解する、裏の理由は・・・平家から三種の神器を取り戻すために、自ら謀反人の名をとり、平家を油断させている、と解します。追いつめられた平家が大陸に逃げ、三種の神器も唐・高麗の手に渡ることを案じたわけです。)

 義仲は、粟津で討ち死にし、義仲の子を宿した、巴御前は、義経の計らいで、和田義盛に預けられます。

二段目。梶原源太景季は、宇治川の先陣争いで、父・景時が恩を受けた佐々木高綱にわざと勝ちを譲り、本心を知らない景時から切腹を命じられます。
(しかし、文耕堂が解する本心は・・・義仲を追って京に向かう途中に、戦の先を弓矢で占っているときに、景季の父・景時が誤って大将・義経の旗に矢を当てて、本来は切腹せざるを得ないところ、高綱に取りなしてもらった恩を返した心持ちがあったのです。)
 
 母・延寿は、源太を勘当して命を助け、愛人の腰元・千鳥と館を去らせます。
(この時、古わんぼうに縄帯の姿にさせられて阿呆払いになるところを、母の「生きて忠義を尽くすべきという」温情で、産衣の鎧兜を貰い、相愛の千鳥を連れて流浪の旅に出ます。(四段で、千鳥は神崎の揚屋に身を沈めて、源太の再起を願うわけです。))

三段目。
「道行」。お筆ら一行は、木曽路に向かう。

上演される、この段は、やや詳しくお話しします・・。

「大津宿屋の段」。時は、正月28日から、場所は、宿屋清水屋。

 義仲の御台山吹御前と遺児・駒若(3歳)は、腰元・お筆(千鳥の姉)とその父・鎌田隼人を供にして、木曽に逃れる途中、大津の宿で、隣あった一家にも、槌松というやはり3歳になる男の子がいました。
 駒若がむずかったときに、槌松の母・およしと祖父・権四郎が大津絵を与えたところから、互いに親しくなります。

 深夜、梶原の郎等・番場の忠太らが宿を襲います。

「笹引の段」。逃げるも、駒若、隼人が殺され、山吹も悲嘆のあまり絶命します。
 けれども、駒若は、実は、同じ宿に投宿していた難波福島の船頭・権四郎の孫・槌松(やはり、3歳)と取り違えられていました。
 お筆は、笹竹を切って、山吹御前の亡骸を乗せて引いて行きます。

 「松右衛門内より逆櫓の段」。時は、前段の翌翌月、3月頃。場所は、摂津国、福島の船頭松右衛門宅。

 お筆は、駒若を取り戻しに難波に行きますが、権四郎は、孫の敵(かたき)と思い詰め、駒若を殺そうとします。
 
 その時、婿・松右衛門が、義仲の四天皇のひとり樋口次郎兼光と名乗り、権四郎から逆櫓の秘伝を学んで、義経に近づき、亡君の仇を報ずるために入り婿したことを打ち明け、義理の子・槌松が若君(駒若)の身代わりに立ったことは武士の誉れと諭します。

 権四郎は、子を思いつつも、やがて、武士の「思い」を理解していきます。「侍を子に持てば、おれも侍」。
(余談。歌舞伎では、この段全体で、権四郎のさまざまな10以上の表情が見所のひとつです。孫を思う悲しみの表情→松右衛門の出世を喜ぶ→槌松が帰ってきたかと思い大歓喜→槌松の死を聞いて自失→涙を押さえた悲しみ→大悲嘆→怒り→意外の表情→断念→純粋な悲しみ・・・というような。)
 そのようにさせる樋口兼光の心持ち、文耕堂の「歴史観」が如実に現れてきます。

 駒若の討手に向かった畠山重忠は、樋口と権四郎の心を察し、樋口に縄をかけて駒若を見逃します。
(権四郎は樋口を畠山に告げ口したわけですが、子は、樋口の子でなく、死んだ前の入り婿の子ですから、兼光を訴える代わりに、その子は助けてほしい、という深慮遠謀に気づきましょう。)

 余談ですが、畠山重忠も、また、文耕堂が「智仁の勇士」といい、『愚管抄』においても、武勇、人柄において第一の理想的人物像ですので、留意してください。
 ここでは、その畠山重忠と樋口兼光が対等に、(縄を)「かくるもかかるも勇者と勇者」と描かれています。その会話をお聞き逃しのないように。

四段目。「神崎の揚屋(郭(くるわ))」に身を沈め、傾城梅ケ枝と名乗る千鳥は、源太の出陣に必要な産衣の鎧を請け戻す金の工面に心をくだき、無間(むけん)の鐘をついても(暁を告げる鐘の中、奥の客を殺しても)300両を得たいと思い詰めますが、来あわせた延寿がそれと言わずに、2階から、チャリンと小判。金を与えます。

 余談。本当は、四段目切りの神崎揚屋の梅ケ枝を観たかったところですね。赤い襦袢で髪振り乱し、「わしや帯解かぬ」・「仏も神も無いか」、神崎揚屋の梅ケ枝の《名演》(四段目切り)場面です。

 梶原父子を親の仇と狙う姉・お筆も、延寿の情けある計らいに心解け、源太は、出陣します。

五段目。平家との争いに源太は高名を顕わし、父の勘当を許されます。樋口は、義仲の一族に対する義経の仁心に感じつつ死します。

 では、お楽しみを・・・。

参考:石黒陽子『「ひらかな盛衰記」論』(「国立文楽劇場上演資料集・20(昭和63年11月刊行)。
「浄瑠璃名作集 下」(有朋堂書店)。

気迫満点、鶴澤藤蔵の三味線~5月文楽、第1部(昼の部)「源平布引滝」。

 はじめに、亡くなった児玉清さん(77)の話しを少しします。

 俳優・タレント、というよりも、私は、読書家で、『波』などにずっと連載されていたり、BSテレビなどで語られる、読書エッセイスト、書評家としての児玉さんのファンでした。
 
 私の手元に扇子があります。

 15年前の8月6日に、上野の鴎外荘での宴会にいらしたときに「サイン」していただいたものです。
 この時、サラサラとサインするのではなく、少し、首をかしげ、何の語句を書こうか考えてから筆をとられる誠実さや、カラオケで、何曲も、確か3~4曲くらい歌われた気さくさが印象に残っています。合掌。

 さて、今日は、夕方から激しい雷雨がある、という予報でしたが、劇場から帰宅するまでうまく「すり抜け」ることができました。

 先週に続いて、きょうは、東京・国立劇場文楽公演の第1部を観ました。

 出しものは、「源平布引滝」、「(傾城恋飛脚)新口村の段」です。

 今回は、「源平布引滝」の〈矢橋の段〉〈竹生島遊覧の段〉の後、竹本綱大夫改め九代目竹本源大夫、鶴澤清二郎改め二代目鶴澤藤蔵の「襲名披露口上」が入ります。

 (「源平布引滝」については、すでに、2月28日のこのブログで、詳細に予習していますので、ご覧ください。今回の公演で、〈矢橋の段〉〈竹生島遊覧の段〉をきちんと入れたのは、全体が理解しやすくなり評価できます。
http://kandoujin.blog48.fc2.com/blog-entry-172.html )

 午前11時から午後3時15分頃までです。席は、11列目、上手寄り。

 先述したとおり、〈矢橋の段〉〈竹生島遊覧の段〉後に、襲名披露口上が入ります。
 〈竹生島遊覧の段〉の、大夫それぞれがハマっており、いかにも文楽的、戯曲的には、名場面だったので、ここでの口上は少し腰を折られた感がしますが、それは、復活襲名の「価値」を感じましょう。

 口上、休憩後の〈糸つむぎの段〉〈瀬尾十郎詮議の段〉に続く、〈実盛物語の段〉が襲名披露狂言となります。

 まずは、今更ですが、〈瀬尾十郎詮議の段〉の竹本住大夫の味は、やはり見事というほかありません。

 襲名披露狂言の竹本源大夫は、病気療養中とかで、半分ほどの語りです。なるほど、顔色が今一つ生彩がありません。
 でも、後半の豊竹英大夫にバトンタッチし、クライマックスを感動させました。

 それについての功は、この日、襲名公演でもある、鶴澤清二郎改め二代目鶴澤藤蔵(三味線)が、これでもか、というほどの迫力ある大熱演を聞かせてくれたこともあるでしょう。
 きょうは、これに巡りあえたことで幸せでした。
 3度ほども、三味線を床においての弦の調整をするほどの文字通りの「力演」でした。

 私は、間近の席で、思わず三味線の方ばかり観ていたので、なぜか、偶然に、モロに3度ほど目が合ってしまい、視線恐怖症気味になりそうでした。
 これからが楽しみではあります。

 それにつけても、人形の小まん(勘壽)・太郎吉(簑紫郎)、瀬尾十郎(勘十郎)・太郎吉の悲劇の人形には目がウルウルしました。
 子や孫が出来てから、このようなのには弱いんです。
 太郎吉が小まんの髪をなぜる仕草など泣かせるではありませんか。

 自分の人生を基準として、それぞれが感動したところを語れるのが、プロの評論家でない者の特権です。ま、各ブログの個性です。

「新口村の段」では、紋壽の梅川いいですね。好きなんです、この紋壽さん。
 なんだか、歌舞伎を観ている口調になってきましたが。

 千歳大夫、津駒大夫とも印象に残る熱演でした。

 ところで、先日、夜の部「絵本太功記」で、少し元気が無いな、と思っていたら、文雀さん休演となりました。この時期、体調管理が難しいですね。お大事に。

 夜は、黒須紀一郎『円小役』の第2部を読み、ほぼ、2冊読了してしまいました。
 第2部は、天智天皇家の争いと唐、新羅などの政治闘争が面白いですね。この時代に改めて興味を持ちました。
 この後、いよいよ大部の前田良一『円行者』を読み始めます。
 夜、本を読んでいますので、世の高齢者と違って、朝が8時起床、起きあがるのは9時、それから入浴、と遅いんですね。ときどき気にしてしまうんですが。
 でも、もうこれくらいの贅沢はよいでしょう。

人形でこその狂乱の哀愁で圧倒される。ただし、チャリ場は無しでした~5月東京・国立劇場文楽公演。夜の部公演「生写朝顔話」など。

 まずは、余談ですが、6月・国立能楽堂定例公演の、能(観世流)「通盛」をゲットしました。
 希望の目付け柱延長線上のやや左側の席です。

 昨日、10日(水)4時から、国立劇場文楽公演、夜の部(2部)の公演を観ました。「二人禿(ににんかむろ)」、「絵本太功記」、「生写朝顔話」です。なお、1部は、来週観ます。

 昼頃から出かけて、丸善(丸の内本店)・「松丸本舗」フロアで、探していた、
前田良一『役行者』(日本経済新聞社・2006年刊)、
を買い、 遅めの昼食をとって、雨が降って来たので、タクシーで劇場に行きました。

 劇場で、元の勤め先の知人にバッタリ会いました。なかなか職場の人の趣味というものは分からないものです。
 
 この日の国立劇場は、めずらしく空席が多く、例えば、5列目上手側など、全部空いていました。このことについては、私見を後述します。
 
 さて、「生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)」は、すでに、3月7日のこのブログで詳細に「予習」していますので、ご参照ください。
http://kandoujin.blog48.fc2.com/blog-entry-177.html

 「宿屋の段」、豊竹嶋大夫と三味線・竹澤団七の「大」熱演。
引き続く「大井川の段」、豊竹呂勢大夫と三味線・鶴澤清志郎も、前段の勢いを崩すことなく、見事に連続させて、心底、聞かせました。

 嶋大夫「知らなんだ、知らなんだ・・・」のくだりは、その圧倒的な迫力で、私の手は、ひざで拳を作っていました。
 
 そして、人形は簑助。
 恋する娘の狂乱する哀嘆の見事なこと。まさに、人形だからこそ出せる美しさ、といって良いでしょう。このようなときに、文楽を観て本当に良かったなあ、とつくずく感じます。

 また、駒沢次郎左衛門(宮城阿曾次郎)、人形・玉女が、つまずいた深雪に動揺するところ、それを不審がる岩代など、それぞれが、細かい心情を描写します。
 まさに、名場面といってよいでしょう。
 
 琴や、能のように笛で心情を表したり、見せ場の趣向がたくさんありました。

 若い大夫では、「明石浦船別れの段」の咲甫大夫も、よい声でした。この人の、年をとっての声が楽しみです。

 前半、「絵本太功記」も、豊竹咲大夫と三味線・燕三が、これも大・熱演でした。
 おまけに、人形は、文雀、和生、勘十郎、・・とオールスター並み。

 この時点で、これだけ盛り上げると、後の、「生写朝顔話」がカスんでしまわないかと、いらぬ、心配をして観ていました(勿論、結果は、杞憂でしたが。)。

 この日、劇場ロビーでは、勘十郎さんなどが、人形を遣って震災の義援金を募集していました。勘十郎さんは、何事も、積極的に前に出られますね。

 とはいえ、この日、少しがっかりしているのは、「生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)」の「宿屋の段」で、浄瑠璃有数のチャリ場である、祐仙が「笑薬」を飲んで、笑いが止まらないところが、「カット」された演出というか無くて、直前にそいういうことがあったという、戎屋の説明からこの舞台が始まったからです。
 また、床下の久蔵の首が飛ぶところもありません。

 逆に、「大井川の段」で、徳右衛門の切腹は、荒唐無稽だ、というので、死なない演出もありますが、今回は、そのままです。工夫があってもよかったのではないか、と思います。

 今回の文楽公演も、(よりどり)「みどり」公演で、「絵本太功記」と「生写朝顔話」の二大話しに、幕開けの景事(けいごと。舞踏)「二人禿」で、盛りだくさんの割には、肝心なところがカットされていたのでは、文楽公演の「歌舞伎化」が著しいと言わないではおれません。
 歌舞伎では、役者さんの芸目当てで、それなりの意味があっても、文楽は、「戯曲の面白さ」目当ての観客が多いはずです。

 ま、観客それぞれ、東京と大阪の観客さえそれぞれ、ですので、一概に私の意見ばかりが良いとは思いませんが、《切り売り》だと、「生写朝顔話」のクライマックスで、結構、観客が(笑うところではない場面だと思うところで)笑っている人が多かったのは、前後関係がよくわからずに、人形の仕草だけを見ているからでしょう。
 《赤顔》の岩代だって、単に、イヤな同行者と理解されかねません。

 関助(人形・幸助=好演)だって、どういう人物かわからない人も多かったでしょう。

 実は今回、私も、「みどり」公演だし、チラシに「祐仙」の表示がなかったので、あまり、熱を上げては、劇場に行かなかったのです。
 (でも、タクシーで行ってしまいましたが・・・。)
 このようなファンの失望が増えないように、国立劇場・文楽公演は、東京上演の特性の原点に返っていただきたいものです。

 さらに、付け加えれば、これもいろんな意見があるでしょうが、観客の拍手も、単に、名人の人形が登場したから、あるいは、琴が引っ込むからなどといって、大夫の熱演を遮るような拍手はすべきでないでしょう。

 これらは、あくまでも私見です。生意気いってゴメンナサイ。
この、土曜日は、能、さらに、来週は、文楽1部を楽しみます。
 

「狂乱」の哀嘆と芸術的な「笑い」のチャリ場~人形浄瑠璃「生写朝顔話」を予習します。~【お節介コメント】付き

 5月の東京、国立劇場夜の部・「生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)」を予習します。
(チケット発売は、4月上旬です。)

 この話は、ほかの人形浄瑠璃と違って、歌舞伎が先行し、細かいところは、いろいろ改作を重ねられています。

「生写朝顔日記」とも言いましたが、6字では念仏と同じであることを忌んで「生写朝顔話」としたとも言われます。
 「朝顔」は、台本作者の芝屋芝叟(しばやしそう)が、聴衆の中から話しの種を募って、それを題材にして、読み切り講釈を作ることが得意で、これを「長話」と言いましたが、その一つの題が「あさがお」だった訳です。

 近松徳叟(宝歴2年ー文化7年。山田案山子。)が、芝屋芝叟と話し合って、さきの長話を狂言にしましたが、死後、遺稿が補筆され、天保3年(1832年)正月に稲荷境内で初演されました。

 近松徳叟(山田案山子)は、大阪(坂)伏見坂町の娼家を営む父に生まれ、近松半二の門に入って歌舞伎作者となりました。
「伊勢音頭恋い寝剣(いせおんどこいのねたば)」が大当たりしました。独創的な作よりも、旧作の変更(添削、補修)による作品を得意としました。
 祖父は、俳諧師の小野紹蓮です。

 この物語は、時代物浄瑠璃特有の、持って回る複雑な筋立てや理詰めさが無い、まとまりのよい、さらりとした、分かりやすい出来映えの作品です。
 はこいり娘の恋と家出、落ちぶれ、男とのすれ違い、再会とまたすれ違い、のメロドラマ風です。

 それを、これまでの浄瑠璃の見せ場の趣向をいろいろ盛り込んだところも人気の秘密のひとつです。

 さらに、「宿屋の段」の、「笑薬」による、浄瑠璃有数のチャリ場があって、悪計を図りながら笑い薬を飲んでしまって笑いが止まらなくなる見所があります。
 これほど「笑い」を「芸術化」したものも例がない、とも言われるものです。

それでは、あらすじです。
・・【※お節介コメント】で、今回の上演外の場面説明などをしますので、煩わしいときは、再読からお読みください。・・・・、

(「続きを読む」をクリックしてください。)

続きを読む

人形浄瑠璃「源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)」を予習します~【お節介コメント付き】

 4月・大阪、国立文楽劇場、5月・東京、国立劇場で襲名公演される時代物「源平布引滝」について、予習します。
 この作品の、3段目切りの「実盛」は、世話物の「野崎村」や「新口村」とともに太夫に人気のある三作品と言われ、まさに襲名公演に向いています。

 この作品は、寛延2年(1749年)11月28日、大阪(坂)竹本座で初演された、並木千柳、三好松洛共作の五段物の時代物作品です。

 この二人は、前年に「仮名手本忠臣蔵」(1748年)を書いています。「菅原伝授手習鑑」(1746年)、「義経千本桜」(1747年)と続いた、浄瑠璃の全盛期です。

 でも、これ以降、やや下り坂に入っていきます。

 というのは、当時の竹本座は、名人ではありますが、人形遣い吉田文三郎のわがままで竹本此太夫ら大勢を豊竹座に追い出してしまったり、内部に問題を抱えていました。

 前にも述べましたが、並木千柳は、もと豊竹座にいて並木宗輔、と言いましたが、1742年から1744年まで、歌舞伎作者をして、また竹本座に復帰したのですが、この内部争いに、やる気が失せたのか、この作品自体は、「平家物語」や「源平盛衰記」を素材にした、面白い作品ではあるのですが、今一つ人情悲劇としての「咀嚼」が足りないともいわれます。

 

 それに、作品自体も、実は、享保18年81733年)に歌舞伎の水狂言として、類似作品が演じられていたようで、ちょっと創作意欲が欠けていたのか、間に合わせ作品的な作られ方をしたようです。(鶴見誠氏の研究参照)

 なお、その後、並木千柳は、もとの並木宗輔に名を復帰して豊竹座作者・添削者になり活躍しました。

 では、今回の公演部分とそれについて知っておく部分のあらすじです。
※印の【お節介コメント】をつけますが、「モドリ」で最初に書くと、ネタバレになって、面白くなくなってしまい、読むデメリットが多いと思える今回の上演部分に限り、あえて、そこではボカして書きました。
(「続きを読む」をクリックしてお読みください。)

続きを読む

「源平布引滝」は、「竹生島遊覧の場」があるようですネ。

 先日、ちょっと心配して書いたのですが、5月7日からの東京、国立劇場・文楽公演の昼の部、「源平布引滝」は、「竹生島遊覧の場」があるようです。それどころか、その前の、「矢橋の段」からですので、感心、感心・・。小万の悲劇についっては、因果関係がぐっと理解しやすい、すこぶる親切な演出といえるでしょう。
 これは、後日、詳説してみます。

 他の出し物は、夜の部に、話が分かりやすく、変化に富んで飽きない、メロドラマの「生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)」。
 「知らなんだ、知なんだ、・・」、姫から盲目の物乞いに落ちた深雪(みゆき)の、重臣に出世した男性との、すれ違い恋愛物語に感動しそうです。

 他は、有名な「絵本太閤記」、夕顔棚の段、尼崎の段です。
 ご存知、光秀の、主君春長(信長)討ち、誤っての母殺し、息子戦死の悲劇です。

 それに、これも有名な、筋の分かりやすい世話物、「新口村」と、あとは、景事「二人禿(ににんかむろ)」と、まあ、例によって典型的な「(よりどり)みどり」ですが、楽しめることは間違いありません。

 さて、この2,3日の夜は、火曜日に東京文化会館で観る予定をしています、「鬼才」コンヴィチュニー演出の「サロメ」の観劇に備えて、「サロメ」のCDを毎日聴いています。どのような演出でも、字幕を見ないで舞台に注目し、解釈に専念出来そうです。
 
 あわせて、ヴァーグナーの楽劇「パルシファル」も、幕ごとに毎日CDを聴いています。
 宗教の異教との相克という意味では、まるっきり「サロメ」とも無関係とは言えず、むしろ、なにか親和性があるように思います。

「・・仇に思うな知盛・・」の壮絶な訣別~2月国立劇場・文楽公演、第3部(義経千本桜)。

 先週に続いて、2月・国立劇場・文楽公演に行きました。少し早かったので、「伝統文化情報館」で時間調整しましたが、今の企画展示「文楽の音(おと)」は、「フシー地合(じあい)ー詞(ことば)」や「メリヤス」の音響説明などが丁寧で、特に、初心者の方には、すこぶる参考になります。

 きょうは、第3部(6時から8時45分)の「義経千本桜」です。8列目中央の席です。
 客席にやや空席が目立ちます。私のお隣も空席で、ゆっくり観劇できました。

 この作品は、1746年「菅原伝授手習鑑」、1747年「義経千本桜」、1748年「仮名手本忠臣蔵」、と3年連続作られた名作のうちの1本で、しかも、「古今の大当たりにて大入り」になった名作です。

 さて、「義経千本桜」。まず、2時間弱は、休憩無しで、二段目、中「大物浦渡海屋」、切「大物浦」。

 娘・お安(実は、安徳天皇。吉田簑次の人形遣いは、気品があり、印象に残りました。)、「朕を供奉し永々の介抱はそちが情け、今日またまろを助けしは義経が情けなれば仇に思うな知盛」。クールですなあ。

 続いて、それを聞いて、典侍局(人形は、吉田和生)の「・・あだし心も付けうかと人々に疑われん・・」という自害。

 これによって、知盛(人形は、吉田玉女)の心が脆くもくずれました。
 そして「(天皇に)六道の苦しみを受け給う」ようにした、父清盛からのことを悔やみ、碇を背負って水に飛び込みます。
 人形、知盛(吉田玉女)が、終始熱演で、魅せます。

 戦争や、政争に担がれる天王制の非情、怜悧さのなかでの人間の悲劇がよく描かれます。

(なお、舞台ではよくわかりませんが、義経が、安徳天皇をタイミング良く救いに来るのは、すでに銀平の陰謀を掴んでいて、迎撃準備万端で、自身は、はしけの船頭を切り殺して、船を陸にとって返して安徳天皇を「捕縛」あるいは「保護」できたのです。また、知盛が、「亡霊」と言っているのは、生きていることが知られれば攻めて来られますので、だまして、渡辺保さん流の表現(『千本桜』)ですと「ゲリラ戦法」しているわけです。) 

 豊竹咲大夫(鶴澤燕三・三味線もよい。)が、感情込めて、腹の底から、切々と聞かせます。

 後半は、四段目、口「道行初音旅」。

 20分の休憩後、約30分です。奥行きを感じる、美しい桜満開の舞台です。

 吉田簑助の静御前が、優雅。もう、見とれるばかりです。これを孫に見せてあげると、美しいし、適度の長さであるし、きっと文楽人形にハマるのでは無いかな、と考えたりしました。
 桐竹勘十郎の源九郎狐、忠信も、華麗で見事です。(ただ、主観的には、ちょっと、冒頭の、狐の犬のような仕草には共感出来ませんでした~もっとも、狐を観察したことはありません~が。)
 
 踊る相方の勘十郎の人形を、「名人」簑助が、常に、真剣に、じっくり見ている目が素敵です。

 また、最近、とみに豊竹咲甫大夫の声は、好きです。

 2月公演は、先週観た「菅原」と、この「義経」の「(よりどり)みどり」公演です。
 一つくらいは、というか、たまには、きちんと「通し」での公演があると、観劇モチベーションも上がりますし、本来の「戯曲」としての面白さも味わえますし、鑑賞眼も付くとおもうのですが・・。

(余談ですが、春に公演される「源平布引滝」は、「仮名手本忠臣蔵」の翌年の作品です。清盛の暴虐~といってもこの時代は当然だと私は思いますが~と木曽義仲の生誕話を背景にした物語です。後日、詳述しますが、あくまで、誤解していなければですが、「チラシ」を見ると、襲名披露の5月東京公演では、4月大阪公演ではある「竹生嶋遊覧」の場が印刷されていません・・・。もし、そこが「カット」されるならば、娘・小万の腕を切り落とす事前の場面が無いわけで、随分と後の筋書き理解上では不親切ではないでしょうか、と思ったのですが・・。早トチリかもしれませんので、皆さん、それぞれチェックしてみてください。)

雪の日に、「義経千本『桜』・道行き」に「雪」を思う。

 東京は、今年2回目の雪です。さんざん乾燥した前回の雪の翌日には、庭に来た小鳥が水分にうれしそうでしたが、今日は、さすがに、寒いせいか鳥を見かけません。

 雪を見て、思いました。
 皆さん。渡辺保さんの本に『千本桜』(東京書籍・平成2年)という本がありますが、お読みになったことがあるでしょうか。

 人形浄瑠璃と歌舞伎の『義経千本桜』について書かれた本(300頁、2000円)ですが、これは面白く、すこぶるタメになります。
 
 例えば、来週に、私も観る、国立劇場・文楽公演の「道行初音の旅」の段です。

 華やかな舞台、「道行初音の旅」は、義経の身代わりともいうべき「初音の鼓」を持った静御前と彼女を守って旅する佐藤忠信、実は、狐の子である狐忠信との、桜が千本も咲くなかの、吉野への夢幻的な道行きです。

 ところが、史実など(『義経記』)では、これは雪の季節で、もともとの人形浄瑠璃の原作も、初演の舞台も、「雪中」で、桜はおろか花は一輪も咲いていません。

 劇中の「百姓」の台詞に、「弥生なかば・・」と、四月を想像させるくだりがありますが、これは、内山美樹子さんにれば、「弥生ならば・・」の誤植がもとになってしまったとか。
 それに、吉野の「千本桜」は、「チモトサクラ」とよぶそうです。
 
 そこで、どうして桜を使うようになったを、渡辺さんは執拗に追跡されます。

 どうも、宝歴5年(1755年)、大阪竹本座の、人形遣いを隠す衝立(ついたて)に桜が描かれているところから、この頃で、しかも、さらに、「狐の段」だけを独立して上演したときに、観客を引きつける華やかさのために用いられはじめたらしいと推理されます。

 さらに、吉野の桜が菅原道真の祟りを抑えるために植えた神話と京都の「千本通り」とからめ、さらには、千本の「卒塔婆(そとうば)」との関係を考えた浄瑠璃作者の意図を考えられます。
(こちらのほうが、ずっとタメになるのですが、要約すると長くなりますので、あきらめます。)

 渡辺さんは、東京で明治5年に交配製作された「染井吉野」の桜は兎も角、古代からある吉野の桜に、真の桜を見たとの感慨を深められます。
 吉野の桜は、花がびっしり付き、後に芽と葉がでる染井吉野ではなく、葉の隙間があって、白の花に、芽の赤(血のような)が浮き出た美しさ、さらにその花が吉野の谷に雪吹雪のように舞う姿に「義経千本桜」の原点を見られたよです。

 省略した本文章で、また、読みの誤解もあるかもしれませんので、みなさん、ぜひ、特に「義経千本桜」を観劇される方は、この際、このような思索を深めてください。


深い情感の絶品、住大夫~2月・国立劇場文楽公演

 2月、東京国立劇場文楽公演を鑑賞しました。

 今週は、第1部(11時)と第2部(2時半)の2部を観て、来週に第3部(6時)を観ます。
 第1、2部の鑑賞が先になったのは、他意はありません。そこそこの席の切符が買えた日です。
 「あぜくら会」のパソコン事前発売でも、思った席がなかなか買えません。第1部は10列目やや左より、第2部が9列目やや右よりの席です。
 ちょっと、「人形」からは遠い席ですが、観てみると舞台の「人形」と「太夫・三味線」とが、あまり首を動かさないで、よく鑑賞でき、時には必要に応じて字幕も見られ、悪くはありませんでした。

 さて、この冬は歌舞伎などでも体調を壊した役者さんが多いのですが、文楽でも同じで、この日は、吉田文雀(アリャー!)ら3人が休演です。

 出し物は、第1部・芦屋道満大内鑑、嫗山姥。
第2部・菅原伝授手習鑑です。

 「芦屋道満大内鑑」は、一昨年(21年)11月に、大阪・国立文楽劇場に行って観て以来です。今回の日は、吉田文雀の女房葛の葉は吉田和生の代役、安部保名が吉田玉女となりました。
 余談ですが、この作品は、「三人遣い」最初の作品です。
 
 今回は、特に、太夫が、皆、熱演で素晴らしかった。
若手も、素人ながら「アレッ」と首を傾げるところがありませんでした。
 「ワ、ハハハ」と笑うところや、嘆き・泣き場面も幾つかあって、目立つのですが、それぞれ見事な熱演でした。
 
 それでも、やはり、「菅原伝授手習鑑」の切り「桜丸切腹の段」、竹本住大夫は、絶品。
 息づまる死への執着、八重と白太夫の嘆き、「なんまいだ」の念仏、深い情感に貫禄の切り込み。
 それに合わせてて舞台では、吉田簑助(桜丸)の諦観、桐竹勘十郎(白太夫)の情感が観るものを圧倒し、我が手が拳を作って見とれてしまいました。

 それに先立つ、「茶筅(ちゃせん)酒の段」の竹本千歳大夫、「喧嘩の段」の竹本文字久大夫、「吉田社頭車曳の段」の竹本津国大夫(時平)も、舞台演出と相まって、引き込まれる熱演で、最後「桜丸切腹の段」に誘導します。

 冒頭、「道行詞甘替(みちゆきことばのあまかい)」では、豊竹咲甫大夫、人形の吉田幸助(斎世親王)のよい出来に注目しました。

 ああ、素晴らしい。

 もうひとつ。「嫗山姥」の切り、竹本綱大夫も、甲乙付けがたい絶品。

 八重桐の身の上話も、人形・桐竹紋壽(もんじゅ)と息のあった、見事な熱演です。
 このあと、三味線の弦が切れましたが、もちろん、影響はありません(雑談)。

 「芦屋道満大内鑑」の豊竹嶋大夫も、「情」が深くこもった絶品。
 この出し物は、私の好きな出し物なんです。

 人形は、動物の親が、人間と違って人目を気にせず子を愛するしぐさが冒頭から感動をよびます。 
 三味線の擦指(すりゆび)など、人形と三味線が一体となって、愛する子を置いて去って行く母の情感を表します。

 「恋しくば 尋ね来て見よ泉和(いづみ)なる信太(しのだ)の森のうらみ葛の葉」。
字の一部が裏がえっています。見せ場です。

 道行き、「欄菊の乱れ」は、文雀休演です。
 文雀は、一人で、舞台の広さを感じさせない名演ですが、今回、新たな和生(かずお)の「きつね」を見られたことは、これで収穫でした。
 
 人形の首(かしら)も、八重桐のガブや、葛の葉のきつねなど、見物もあります。

 繰り返しますが、素晴らしい公演でした。

 東京の観客は、勉強に来ているみたいに真面目。とはよく言われますが、フッ、と見ると、私の列は、私以外全員が膝に、パンフレットの該当部分を開いて置いています。
 (ときどき、遠視のかたが、目の位置まで持って行ってパラパラ見られるのは、ややご近所迷惑ですが。)
 余談ですが、勉強好きの方が多いのなら、大阪・国立文楽劇場のパンフレットにある、かなり専門的ですが、4ページ前後で連載されている「文楽・知識の泉」のような記事があるときっと喜ばれるでしょう。
 

人形浄瑠璃・DVDで予習を楽しむ~「菅原伝授手習鑑」(二、三段目)。

 2月国立劇場・文楽公演が近づいて来ましたので、その「予習」で、DVD「菅原伝授手習鑑」(NHKエンタープライズ)の公演の該当幕を観ました。
 これから、しばらく、暇をみて、繰り返し、観ようと思います。

 参考書には、何度か、引用していますが、
内山美樹子「文楽二十世紀後期の輝き」(早稲田大学出版部・3500円)の劇評集と、古書市で買い求めた、
吉永孝雄・三村幸一「カラー文楽の魅力」(淡交社・1300→630円/昭和49年)を使いました。

 DVDは、二段目「道行詞甘替」が、昭和47年に、昼夜11時間かけて全段完全上演したときのモノクロ録画です。

 三段目「車曳き」が、昭和34年モノクロ録画。

 その他の三段目が、平成元年4、5月の大阪、東京での竹本越路大夫引退興行の4月カラー録画です。
 この引退公演の東京は、上演1週間前には切符が完売だった記録を作っています。

 また、上記2冊の参考書は、このころの劇評や太夫評などが掲載されているので、ベストです。

 この「菅原伝授手習鑑」全体の解説は、すでにこのブログで済んでいますが、二、三段目の該当部分のみ、少し書き加えて、もう一度、ざっと掲載しておきました。

 さて、このDVDの二、三段は、歴史的といってもよい名舞台ばかりです。
 中でも、三段目切りの、死への執着、覚悟を語る竹本越路大夫、三味線・鶴沢清治には、圧倒されました。

 それに、ひたすら死を見据える桜丸・吉田簑助、「念仏」を「介錯」としてとなえる白大夫・吉田玉男、「何で、死なねばならないの」と一人絶叫する若妻、八重・桐竹一暢、陰から見据える兄弟夫婦、クライマックスはそれぞれ絶品です。

 深刻な話と異なる余談ですが、昔は、笑うところで大夫は、ハハハ・・と、一息で15~16回くらいも笑えなければ一人前でないといわれたとか。
 この三段前半の場にも、大いに笑う場がありますので、ご注視を。

 今までも述べましたが、3兄弟、その嫁の「心情」などは、やはり物語全体を俯瞰して理解していないと、この三幕だけを観たのでは、筋だけを追ってしまいがちになります。
 その意味で、初見の方の予習は、この段だけでなく、是非とも全体を理解するようにすることをお勧めします。

 また、大夫も、長唄や清元と違って、良い声でうたうのが主眼ではなく、いかに「心情」、情を語るかが重要になります。

 さらに、その「心情」は、遣われる人形の「首」の特質にも注目する必要があります。

 その意味で、DVDによる繰り返しの鑑賞は、有益です。
 
 物語のあらすじです。  
 
(「続きを読む」をクリックしてお読みください。)

続きを読む

菅原伝授手習鑑、名作、「寺子屋の場」にひたる ~理解しやすい「お節介コメント」付きです。

 前回、2月国立劇場・文楽公演「菅原伝授手習鑑」の解説をしました。
 
 今回の上演では、「寺子屋の場」がありませんが、これは極め付きの、名作中の名作なので、あえて、解説を付け加えておきます。何れ、鑑賞のご参考にしてください。
 初見の方は、「お節介コメント」を、最初は飛ばして、2度目にお読みになるのもよいかと思います。

(下の「続きを読む」をクリックして、引き続きお読みください。)

続きを読む

プロフィール

感動人

Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

最新記事
最新コメント
FC2カウンター
検索フォーム
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

記事のカテゴリ
読みたいテーマを選択してください。
リンク
RSSリンクの表示