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国立劇場《あぜくらの集い》で、古井戸秀夫さんの、楽しく、歌舞伎知識満載の、講演「天竺徳兵衛と鶴屋南北」を聴きました。

 きょうは、写真を多くしました。気軽にお読みください。

 午前中、妻と、新橋に出て、NHKテレビ「サラメシ」で知って以来、2度目となる「長崎街道」で、《皿うどん》を食べました。

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 食後、そこから2分ほどの、「鳥越神社」に行って、可愛い巫女さんから、カラフルな、御朱印をいただきました。

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 その後、新橋駅前広場で開かれている大がかりな《古本市》をぶらついて、百貨店に行くという妻と別れて、さらに、まだ、予定時刻まで1時間半あるので、30分歩いた話は、最後にします。それから、予定している国立劇場に行きました。

 さて、本題です。

 9月26日(木)午後2時から、国立劇場伝統芸能情報館(レクチャー室)で、
 国立劇場・十月歌舞伎公演『通し狂言 天竺徳兵衛韓話』に因んだ、

あぜくらの集い「天竺徳兵衛と鶴屋南北」

を聴講しました。
 この日は、『通し狂言 天竺徳兵衛韓話』の稽古初日だそうです。
 《あぜくら》とは、国立劇場会員《あぜくら会》のことです。

 講師は、東京大学名誉教授・古井戸秀夫さんです。
お歳なのに、すこぶるスマートな体型。
 早稲田大学文学部演劇科卒業。『評伝 鶴屋南北』(白水社・2018刊)で、2019年(1951-)芸術選奨文部科学大臣賞、読売文学賞、日本演劇学会河竹賞を受賞されています。
 凄い本。2巻で27,000円。2段組、2巻で1,629頁あります。その第1巻の最終章、第6章に「天竺徳兵衛と夏芝居」が書かれています。さすがに買うのは諦めて、図書館に申し込みましたら、すぐ、借りられました。

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 お話のスタートは、大学院生の頃、今は無くなっている、当時、落成直後のABCホールの新劇公演で、この天竺徳兵衛の補綴台本を1幕分書いて、演出した〈武勇伝〉から、ユーモアたっぷりに始まりました。
 その公演の天竺徳兵衛は橋爪功、吉岡宗観は仲谷昇

 新しい舞台に本水を遣い、おまけに、舞台装置係が緊張して、客席7列目あたりの批評家のいる席に水を飛ばしてしまったとか、せり上がりが無いので、真似た工夫をしたとか、花道が無いので造ってしまったとか、
 新劇役者は、切腹の動きが小さく短いので、長く、両手を離す動きにしたら、予想したとおり、批評家がすっ飛んで来たとか、ユーモアたっぷりです。
「私は、人が怒ると冷静になれるたちなんです」とか。
 で、劇場に「出禁」、つまり、出入り禁止になった、ペンネームを遣っていて良かった、というのは、面白く話を盛られたのでしょうが。

(以下、下記の「続きを読む」をワン・クリックしてお読みください。)

 鶴屋南北(1755-1829)は、長生きしたから良いようなもの、58歳までは、勝俵蔵と名乗っていたので、もし早世していたら勝俵蔵の名が残っていたかも知れません。
 しかし、長生きしたので、鶴屋南北の名で歴史に残り、逆に、勝俵蔵時代の業績が薄くなったように思えることを古井戸秀夫さんが少し惜しまれます。
 なお、染物屋の息子で、着物の着こなし、着物の柄は追随を許しませんでした。

 古井戸秀夫さんは、隠居は、良い制度だった、とも言われます。
 自身も、現役を退いて、ホントに楽だそうです。同感です。
 江戸の時代は、家督を譲った隠居の高齢者達が、実人生で蓄えたものを遣って活躍した時代と言われます。近松も西鶴も50歳頃から活躍したし、南北と尾上松助(松緑)という、50歳、61歳の二人が、この芝居を大当たりにしました。

 それに、この頃は、大概、幕府からの濡れ衣を着せられるのを防ぐために、皆、〈メモ魔〉で、細かい随筆を書いていました。その随筆も、隠居になってからも習慣で書き続き、しかも、細かいホンネが多く書かれたので面白いと指摘されます。だいたい、日本ほど随筆の多い国は無いそうです。

 いろいろ面白い話が続きます・・・、

仇役」は、綺麗で愛嬌がなければダメ。
 それ故、女形から立役に移った役者が多いとか、
江戸歌舞伎の女形」は、カツラではなく、地髪だったので(地髪かつら・半かつら)月代を剃っていなかったとか、

 芝居の名題は地方巡業の時は別として、公演毎に変えるのが常だったとか、

 天竺徳兵衛が、2番目に乗った「さよ丸」のオランダ人ヤヨウスは、(現在東京駅の)八重洲に住んだとか、

 天竺徳兵衛が、海外事情を報告した長崎奉行・竹田采女は、キリシタンの〈踏み絵〉を考案した人物だとか、

 近代は健常者が、あんま、三味線などの盲人の仕事を奪ってしまったとか、

 写真は、初代歌川豊国の描いた、初代尾上松助の、女の幽霊・座頭・妖術遣い「早変わり」の芝居絵です。
 5人なのは、陰陽道の影響で、偶数は割れるので、奇数にしているからです。
 眼目は、前の水中早変わりの二役。後左の荷物には若殿が入っています。真ん中、長い刀は、蟇から出てくる早変わりのためにシナって畳める鯨の髭で出来ています。南北は、竹田カラクリからヒントを得ました。

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 大体が、南北は、若い頃、平賀源内らと共に、〈出開帳〉(全国の寺社の宝物の開帳を江戸に出て来てすること)で有名な、両国・回向院で模様をつけた黒牛の見世物(牛の華鬘)をしたことがあるとか。

 ここで、古井戸秀夫さんは、歌舞伎の、人手による、工夫による細かな技術の積み重ね、発展が重要で、今のように舞台で、マッピングで容易く済ますのには苦言を呈せられます。
 そう言えば、オペラなどマッピングによる映像が随分多用されるようになっています。

 なお、『通し狂言 天竺徳兵衛韓話』のこのブログでの《予習》は、7つ前の8月22日にアップしていますので、合わせてご覧ください。

 さて、最初にお話ししました、「散歩」の話です・・、

 この日は、中央線で四谷駅に出て、
四谷~(10分)~ホテル・ニューオータニ~(15分)~国立劇場」を、
歩きました。

 時間を潰したつもりですが、それでも1時間前に国立劇場に着いてしまいました。10番目。
 余談ですが、椅子に付いたテーブルを巧く出せなくて、ああ、現役が遠くなるとだめですねえ。研修や会議でこんな椅子遣ったのは、久方ぶりですから。

 閑話休題。
 この日歩いたワケです。次の歌舞伎鑑賞の後、今まで食事していた「新橋第一ホテル」に変えて、「ホテルニューオータニ《ザ・スカイ》」にすることにして、終演後、ちょっと散歩がてら歩いて行ける距離か否か確かめるためです。

 先日、22日(日)に、すでに、孫一家と《ザ・スカイ》に行っているのですが、国立劇場からの道のりは始めてです。【写真は、食後ホテルの庭園で遊ぶ孫達。二人とも、学習院初等科に通っています。】

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 なぜ、食事場所をこちらにしたかと言えば、歌舞伎昼の部が終わるのが4時過ぎ。ディナー・ブッフェが始まるのが5時半。
 食事までの約1時間半待つのに、散歩して、ホテルニューオータニに行って会員専用のフロアで、無料の飲み物とお菓子(これが絶品)で、ゆっくり時間が過ごすのが、ベスト・プランに思えるからです。

 この日歩いたのは、約1万歩でした。もっと、かと思ったのですが。★ 
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Re: コメントありがとうございます。

 そーなんです。書ききれないほどの講演内容でした。書物のほうは、興味のある章を読むことになりそうです。意外に読みやすそうですが、2段組、ぎっしりでは気後れしてしまいます。
 ところで、随分、展覧会に行かれていて、ブログを楽しみに拝見しています。 末筆になりますが、残暑厳しきおり御自愛ください。

こんばんは。
盛り沢山の内容で、こちらも楽しませていただきました。
古井戸先生のお話は面白かったようですので、本の方も面白いのかもしれませんが、1,629頁というのは読むのに少し覚悟がいりそうですね。
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Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

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