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承前。激情で描いたスーチンを中心にした、「エコール・ド・パリ」の、四人の「呪われた芸術家たち(レザルティスト・モウディ)」の話です。

 スーチンの絵を観ていて、直接、関係は無いのですが、大江健三郎の、「文学の文章は、美しく書かないで、あえて歪めて書く」、という指摘を思い出しました。

 一人の画家を知るには、1、2冊だけ参考書を読んだのでは、余計疑問が深まります。
 スーチンの場合も、例えば、貧困と言われていますが、バーンズやカスタン夫妻に絵が売れた後もなぜそうだったのかとか、どうして名医にたやすくかかれたのかとか、ゲルダの収容されたのはドイツの強制収容所では無くてフランスのそれだったとか(これは思慮深く読めばすぐ気づきますが)、あるいは、そもそも、マリー・ベルト・オーランドは自殺したとか・・、なかなかそれぞれの本だけでは、行間が埋まりませんでした。やっと、ほぼ理解出来たので、アップしてみます。

 さて、今回も、まずは、ハイム・スーチンの絵画、
マキシムのボーイ」(1927)です。

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 ボーイの屈託、屈辱(チップを貰う差し出した手をご覧ください。)と雇用不安を想像させる中に、あざけるような笑い、も表現されています。
 似ている絵は、先日の、前回のブログの
ページ・ボーイ」(1925~7頃)。

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 寂しげな目、しかし、口は官能的です。支離滅裂なようで、作者の激情が表されています。これにもミステリー小説に出て来た、カドミウム・レッドが使われています。
(スーチンは、指を遣っても描いたそうですから、カドミウム中毒ということも捨てきれません。)
 この外に、真っ赤な服の絵は、後援者・マドレーヌ・カスタン(室内装飾家)が当時破格の3万フランで買い上げた「座る少年聖歌隊員」(1930)、それに、「赤い服を着た女」(1922)、やはり前回のブログに載せた「心を病む女」(1920)などがあります。

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 多くのスーチンの絵は、全て身をくねらせ、流麗からほど遠く、ある女性の絵は、スーチン自身が胃潰瘍であったことから、極端な痩せたウエストで描かれています。
 いずれも、不気味な戦慄を与え、苦しむ者の存在の根源から発しているようなデフォルマッション(対象の変形・歪曲)です。

 前回、スーチンと晩年の約3年を過ごした女性、ゲルダ・ミハエルスの本(『スーチン その愛と死』)を紹介しましたが、実は、その外に、ゲルダの前に、スーチンには、ボーレット・ジュルダンという女性がいました。
 1925年頃に、画商・ズブロフスキーが、モデル兼家政婦として紹介した女性です。
 さらに、ポーランド女性のデボラ・メルニク

 そして先ほどのゲルダの次に(大戦中、ゲルダが、フランスの敵国であるドイツ人であるため、1940年5月15日からフランス国内で強制収容されて、スーチンと離れざるを得なくなった後)、四番目、死を看取ったマリー・ベルト・オーランドと、4人の女性が係わりました。
 マリーは、当時、35歳位で、マックス・エルンストの前妻でした。美人でしたが、気が荒く、昔、アル中かで精神病院入院歴もあったとか。
 スーチンの墓(後に、墓碑銘が彫られた時に、スーチンの綴りと生年が間違っていました。)に自分の場所を確保しておき、1960年に自殺し、亡くなったときに、そこに埋葬されました。
 マリーとゲルダの複雑な感情は、ゲルダの前掲書に書かれています。
 メルニクは、1925年に女の子を産みましたが、ゲルダの書に出てきますが、後に手紙で知ったスーチンは認知しませんでした。
 何れの女性もスーチンに尽くしましたが、ゲルダが最も献身的で、スーチンが心の安らぎを得たのは間違いないようです。

(以下、下記の「続きを読む」をワン・クリックしてお読みください。)

 この時代、パリのボヘミアン地区・・モンマルトル、モンパルナス・・同様、大半は、セックス、酒(大半がアルコール中毒)、時には麻薬に逃げ場を求めました。

 第一次世界大戦の頃は、フランス人の男は戦争に行き、街に残ったのは、外国からの移民、さらには、追害されて逃げて来たユダヤ人がパリに多く見られました。ユダヤ人のスーチンや敵国独人のゲルダなどは、パリから離れた地方に行くと、今度は、自由な行動が許されず、パリに帰るのも容易でなかったことがゲルダの書物にも出て来るところです。

 では、前回に続いて、「エコール・ド・パリ」の画家ついて考えてみます。

 下記に述べますが、「エコール・ド・パリ」、つまり「パリ派」は、「エコル」《派》というほどの共通の思想も集団もありませんでした。多様な人物が、それぞれ独自の絵を描き、その意味で、一種、彼らの集まった風土のようなものと言えるかもしれません。

 なお、今回は、前回の書物に加えて読んだのは、

『モディリアーニ 孤高の異邦人(ART BOOK)』(昭文社)
『旅する画家藤田嗣治』(新潮社とんぼの本)

を、参考にしました。

 まずは、《エコールド・パリ》の画家を定義しますと・・、

・1915年から1943年の間の、ちょうど、モディリアーニが絵画に転向した時代からスーチンの死までの間で、
・何らかの主義主張で集まった一団では無くて、多様な、〈一人一派的〉な画風で、
・ほとんどが外国人、特に多いのがユダヤ人で、
・モンパルナスの〈蜂の巣〉(ラ・ルッシェ)という長屋兼アトリエに居住していて、
・貧困、痼疾(こしつ)の病と戦いつつ、芸術をひたすら追った、その意味で《呪われた(ある意味、選ばれた)芸術家たち》(レザルティスト・モウディ)

と、ミステリー『エコール・ド・パリ』の著者は、書中書の中で定義しています。

 主な画家は・・、
呪われた画家たち」とは、スーチンモディリアニユトリロパスキンですが、
まずは、

ハイム・スーチン(1893-1943)
 白ロシア共和国の首都ミンスのユダヤ人居住区(ゲットー)生まれのユダヤ人です。
「ハイム」とは、ヘブライ語で《命》を意味します。第二次大戦時は、ナチスから追われつつも、改名しませんでした。渾名は、《笑わない野獣》。
 貧困でありながら、長期耐性ある、着色力ある、高価なカドミウム絵の具を使いました。

 スーチンが、パリに来たのは、1912年。この時期、パリは、フォーブ(野獣たちの画家)、キュビスト、フチュリストの反伝統的な画家たちであふれていました。
 スーチンは、古めかしいレアリストであり、自分の前の見るものしか描かず、前衛的なグループとは接触せず、大家レンブラントを熱愛していました。
 来たばかりの頃、スーチンは、ゴッホやロートレックを教えたということで、アカデミシャンのフェルナン・コモンのアトリエに入りましたが、後、去りました。

 それから、約11年後、1922年にフィラデルフィアの蒐集家・アルバート・C・バーンズに見いだされるまで極貧生活が続き、夕方になると、カフェで奢ってくれる人を探して、待っているスーチンの姿が見られました。

 極貧生活の頃、スーチンは、駅の赤帽、溝掘り人夫などをして暮らしの糧を得ていました。

 パリ南部のプロレタリアの住む、近くに屠殺場があったヴォージラール地区に住み、パリ15区ダンチヒ街にある、八角形をした高い奇妙な建物《蜂の巣》という、各部屋V字型の不潔な、南京虫のいるアトリエで絵を描きました。
 その後、バーンズに認められ、カスタン夫妻が絵を買うようになって、(ちょうど、ゲルダと暮らした)多少生活にゆとりが出来ても、スーチンは、金を巧く使わず、相変わらず、貧困生活時代のような家でした。

 蜂の巣にいたのは、アレクサンダー・アーキペンコ、シャガール、アンリ・ローランス、フェルナン・レジェ、オシップ・ザッキンら理想主義的で頑固な芸術家の卵たちでした。
 スーチンの階上には、作家・ヘンリー・ミラーもいました。人見知りで、製作中の絵を見せたがらないスーチンは、あまり部屋に人をいれませんでした。

 スーチンは、親友モディリアーニが結核とアルコール中毒で35歳で死んだのを知って酒をと自堕落な生活を止めましたが、長年の貧困と神経的緊張もあって、胃潰瘍の病に苦しめられました。

 やがて、ナチス占領下のパリからシャンピニー=シュール=ヴェードに逃げましたが、ここでも6回引っ越し、神経からますます胃が悪化しました。胃潰瘍の手術のために、霊柩車に隠れてパリに戻ってましたが、もう手遅れで、死にました。
 晩年を共に過ごしたのは、ゲルダ・ミハエルス(ガルド嬢)、そして、死の直前は、マリー・ベルト・オーランドです。

 スーチンは、伝記も残しておらず、10人の兄弟姉妹がいるにかかわらず研究者によって見いだされず、残した書簡類は無く、言行録を書いてくれる知的な友人もいませんでした。
 まさに、スーチンを知るのは彼の絵画・・600点(あるいは、1,000点)そのものしかありません。
(スーチンは、自分の作品を破って・・例えば、画廊に預けている絵を交換すると、古い方を破るなど・・廃棄していましたので、正確にカウントできません。)

 実は、スーチンは、ゴッホを嫌っていましたが、その生活や絵画(伝統的な色の使い方からの自由)は、ある意味で似ています。ただし、ゴッホには、〈福音主義的〉傾向がありましたが、スーチンにはありません。

 スーチンを何かと面倒を見たのが、

アメディオ・モディリアーニ(1884-1920)
 イタリア生まれのユダヤ人。
 有名なのは、晩年3年間の愛人、ジャンヌ・エビュテルヌ(1898-1920)は、モディリアーニの死後2日目に、アパートから投身自殺して、お腹の8か月の子も死亡しています。
 モディリアーニは、スーチンの肖像画を描いています。

 次は、

ジュール・パスキン(1885-1930)
 ブルガリア生まれのユダヤ人です。本名は、ユリウス・モルデカイ・ピカンスで、「ピカンス」名を、アナグラム(言葉遊び)して「パスキン」としました。ユダヤ人の響きのある名を避けもしました。
 こちらも、リュシー(ベル・クローグの妻)と愛人関係にあり、45歳の時に、手首を切って、かつ、ドアノブに紐をかけて、「さようなら(アデュー) リュシ-」の文字を残して自殺しました。
 《ナクレ技法》という、水彩、パステルの様なタッチの絵を描きました。

 そして、

モイズ・キスリング(1891-1953)
 ポーランド系ユダヤ人。ピカソと同じ、《洗濯船》をアトリエとしていました。
「モンパルナスの王」と言われ、「働いて、食って、飲んで、働いて、裕福に暮らして、結婚する。ただそれだけだ」というエコールド・パリ仲間では異色に、明るく生きました。
 モデルのアリス・ブラン(キキ)を有名にしました。

モーリス・ユトリロ(1883-1955)
 スーチンの飲み仲間の一人です。
 有名で、今更説明は無用ですが、余談ながら、未亡人だったリュシー・ボーヴェルと結婚した後の、晩年の作品は、気の入っていない再製作品のようで、評判が低く、価格も低い、と言うのは知っておく必要がありそうです。

さらに、

マルク・シャガール(1887-1985)。ロシア出身のユダヤ系。

マリー・ローランサン(1883-1956)。
 パリに私生児として生まれました。ブラックを介して「洗濯船」に出入りしました。

キース・ヴァン・ドンゲン(1877-1968)。
 オランダ生まれ。作風はフォービズム。風刺画が有名。

それに、忘れてならないのは、

佐伯裕三(1898-1928)
 ブラマンクに否定された後「顔のない自画像」(「立てる自画像」)を書きました。発狂し、30歳、精神病院で死去。6歳の彌智子が、結核で後を追うように死去。

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藤田嗣治(レオナルド藤田 1886-1968)
 陶磁器のような、乳白色の色を出しました。下地が塩酸バリウム、その上に鉛3・炭酸カルシュウムを混ぜ、その上に、面相筆を使って、絵の具で描いた方法は人に明かしませんでした。

 彫刻では・・、

オシップ・ザッキン(1890-1967)
 ロシア(現バラルーシ)出身のユダヤ人。キュビズムに影響を受けた彫刻家、画家。

ジャック・リプシッツ(1891-1973)
 ソ連リトアニア出身(ユダヤ系)のフランスの彫刻家。モディリアーニのディスマスクを製作しました。教養があり、しばしば文学や伝説に題材を求めました。

アレクサンダー・アーキベンコ
などで、
 他に、
ミシェル・キコイーヌ。ベラルーシ生まれ。
です。

 これらの画家の名を頭に入れて、展覧会で、絵を予断無く観賞してして行きたいと思います。
 エコール・ド・パリだけの絵画展ではありませんが、秋に、東京都美術館横浜美術館上野の森美術館の秋の展覧会に足を運ぶつもりです。

 思えば、原田マハさんの小説で絵画に触れて、出発して以降、数年で、随分と絵画が分かって来ました。家にいる〈高齢者〉にとって、画集を観る楽しみがあることは貴重です。
 折角、書棚を整理したのに、近頃、以前とは違う分野の書物がぎっしり増えて来たのは、やや悩みですが、《終活》で、所有物を捨てるだけのような行動はやりたくありません。自分の今に大切なものは周囲に置いて、精一杯楽しむ方途で生きなければ・・。★
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Re: タイトルなし

 ありがとうございます。
お一人でも、そのような方がいらっしゃると書いた甲斐があります。
 実は、わたしもそうでした。人を知ることによって、絵に深くはいっていけました。
 これからもよろしくお願いいたします。

感動人さん、こんにちは。
スーチンの絵は、エコール・ド・パリの画家の見やすい作品の中にあって濃すぎてあまり好みではなかったのですが、感動人さんの記事を読んで興味が湧きました。
また観る機会があれば、もう少し丁寧に観たいと思います。
プロフィール

感動人

Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

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