FC2ブログ

映画『荒野の誓い』 ~正視できない、殺された子を埋めるロザリーの慟哭。一方、近頃、希有な、甘い抒情的なラストです。白人・先住民間の対立の中で、生き方に悩む人々を描く、生真面目で、正統的〈西部劇〉です。

 このところ、我が家の庭で、秋の虫が、互いに会話しているような、呼び合っているような、重奏が聞こえます。☆

 さて、前回にご紹介した、国立西洋美術館「松方コレクション」で絵を見て以来、このところ、画家のハイム・スーチンに興味を持って、
・深水黎一郎『エコールド・パリ殺人事件 レザルティスト・モウディ』、
・ゲルダ・ミハエルス 『スーチン その愛と死』(美術公論社)、
・『カイム・スーチン(世界の巨匠シリーズ)』(美術出版社)
など3冊に耽溺しています。☆

 きょうは、映画に行って来ました。
 当初、ずっと観て来ているタランティーノ監督の、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」(2019)に行く予定でしたが、新聞評で知った映画のほうに行ってきました。 それは、

荒野の誓い』(2017・米国・135分)

です。
 原題は《Hostiles》(敵、仇)です。邦題は、ちょっと・・。

201909101139393d3.jpg 

 それにしても、この映画、上映館が少ない。
東京都内では、たった、2館だけ。どうして ?
 ウエスタンが流行らないから ? それとも、今時、白人と先住民との人種的憎悪と偏見の骨肉の争いは、時代遅れ ? でも、これは多分、「配給」が松竹、東宝といったところでは無いからでは・・。
 と言うわけで、始めての館、「新宿バルト9」に行きました。
 新しい館で、床の勾配がきつくて、前の席が気にならず、観やすいのですが、欠点があります。ロビーが広いのに小さな椅子が3脚しかありません。
 「どうして ?」と、通りかかった社員に聞きました。わからず。

 ところで、余談ですが、この日、暑かったので、チケットを買ってから、お隣の「追分だんご本舗」に行って、「抹茶氷あずき」(1,177円ほど)を食べて、体の熱をさまして、休憩していました。量が多く、若い女性は残していました。

 さて、映画・・。ほぼ満席です。
 私は、もともと、ウエスタンは、好きな分野ではあります。しかし、この映画は、〈ウエスタン〉と言うより、マカロニ・ウエスタンなどが出る前の生真面目な、正統的な〈西部劇〉という趣でした。

 印象に残ったところの結論から言いますと・・、
 開巻冒頭で、夫と幼い子ども3人(一人は赤ちゃん)をコマンチ族の残党に惨殺された、ロザリー・クウエイド役のロザムンド・バイク(1979-)が、めっぽう巧い。こちらの方が主役っぽいところです。
 特に、開巻冒頭から約1/4位まである、ロザムンドのPTSD(心的外傷後ストレス障害)の演技は、真に迫っています。

 一方、退役間近になって、先住民族を殺しまくった過去の栄光が、果たして栄光であったのか迷いが出てくる、ジョー・ブロッカー大尉役のクリスチャン・ベールも、内の苦悩が常に滲み出ていて、こちらも巧い。
 苦悩を抱えた二人が、最後、共の道を選んだのでしょう(あっ、言っちゃった。)
 二人の演技を引き出した、監督/脚本の、スコット・クーパーの功も見逃せないところです。

20190911205250745.jpg 

 本作品は、全般的に、結構、殺戮場面などがある割には、むしろ、地味で重い映画です。
 物語は後述しますが、時間を追って、仲間が一人ひとり死んでいきます。
 まさに、映画の台詞にあるように、「戦争で人を殺すのはすぐ慣れたが、仲間が死ぬのは慣れない」、そういう感じです。

 物語は・・、
(最後の場面の「ネタバラシ」をしています。むしろ、その感動を伝えなければ、意味がありません。)

(映画冒頭、コマンチ族の残党がロザリー一家を襲う描写があります。平行して、騎兵隊がシャイアン族の酋長イエロー・ホークを手荒く捕らえ、連行する描写もあります。何度か出ますが、殺して頭の皮を剥ぐのは、インディアンばかりではありません。むしろ、白人が始めたとか。)

(以下、下記の「続きを読む」をワン・クリックしてお読みください。)

 西部開拓時代も終わりに近い1892年、インディアン戦争(1622-1890)の英雄(文字通り敵を殺しまくった)で、今は先住民戦犯収容所の看守を勤める主人公・ジョー・ブロッカー大尉は、退役を望みます。
 しかし、ワシントンの「先住民を人間的に扱っている」という政治的なPRの意図で、ジョー・ブロッカー大尉は、軍法会議と退役後の年金をたてに強要されて、宿敵であった、末期ガンで余命僅かなシャイアン族の酋長イエロー・ホークとその家族を、ニューメキシコからコロラドを経て、部族の居留地モンタナに護送する任務に就きます。

 途中、コマンチ族の残党に夫と子どもを惨殺されて、心を病んでいる未亡人ロザリーを保護して旅を続けます。
 コロラドでは、インディアンを虐殺して裁判にかけられて逃亡し、捕らえられた囚人を護送する仕事も加わります。その囚人は、さんざんインディアンを殺してきたジョー・ブロッカー大尉が自分を護送することを軽蔑します。

 途中、コマンチ族の残党が襲撃したり、皮ブローカーの男達がインディアン女性目当てに夜襲したり、囚人が逃亡しようとしたりで、仲間が次々死んでゆきます。
 最後、目的地を前に、酋長も、ガンで息をひきとります。

 モンタナに着いて、そこの白人地主は、インディアンの死体の埋葬すら、大統領命令があっても受け入れず、最後の撃ち合いになります。その時、銃の口火を切ったのは、ロザリーでした。

 ラスト。ロザリーは、一人生き残ったインディアンの子どもつれて、民間人となったジョー・ブロッカー元大尉に別れの挨拶をして、名残惜しく汽車に乗ります。
 背中を向けてホームを去るジョー・ブロッカー。
 やがて、汽車が動き始めます。
 ジョー・ブロッカーは、その動き出した汽車の最後尾に、戻って来て乗り、車内に消えます。
 カメラは、動き行く汽車の後部を追います。END。

 この映画は・・、

 米国史の負の部分である白人と、先住民族との人種的憎悪と偏見の骨肉の争いに向かい合い、人種の別を越えて許し合えるのか、と言った基本構図があります。
 主人公も周囲も、〈敵〉を殺すことで生き延びて来たのです。その敵には、仲間を殺された怨み骨髄の感覚があります。
 夫と娘たちを殺されたロザリーも、〈敵〉の死骸に、狂ったように、何発も弾丸を撃ち込みます。

 しかし、一方、インディアンの女は、保護された傷心のロザリーに、夜、着る物を与えます。ラストでは、ロザリーが逆にインディアンの孤児を引き取ります。

 しかし、これは、様々なヘイトにあふれる現代社会に、問題を投じようとした新しい形のウエスタン、といった大上段に振りかぶる映画ではありません。
 大きな時代の流れ、人との触れ合いの中で懊悩する主人公二人を描いているのが本論でしょう。
 現実の世界、人々は、映画のように生やさしくはなくとも・・最後、ロザリーに引き取られ都会に行く先住民の子どもの苦労が目にみえます・・、人間は、対立だけで生きているのでは無いことを、その呻吟を描いていきます。
 そういうところが、ジョン・フォード後期後~マカロニウエスタン前、のような、ある種、古典的な、生真面目な、西部劇に思えます。

 画面は、荒々しい西部の辺境、それを詩的なまでの美しいカメラワークで描いて行くのも特長です。撮影は、日本人のマサノブ・タカヤナギ(高柳雅暢)

スタッフは、
監督/脚本・スコット・クーパー(1970-)
原作・ドナルド・E・ステュアート
音楽・マック・リヒター
撮影・マサノブ・タカヤナギ(高柳雅暢)

出演は、
ジョー・ブロッカー大尉/クリスチャン・ベール(1974-)
ロザリー・クウエイド/ロザムンド・バイク(1979-)
 もう、この二人で十分な感じですが、外に、

イエロー・ホーク酋長/ウエス・スチュデイ(1947-)
ルディ・ギター中尉/ジェシー・プレモンス
ブラック・ホーク/アダム・ビーチ
 です。

 繰り返しますが、近頃、珍しい甘い終幕ではありました。
〈西部劇〉を十分堪能できました。結構、名作、と言って良いのでは無いでしょうか。

 観ての帰りは、テレビの「徳光バス旅」で行った、学生時代懐かしいような、歌舞伎町地下サブナード街の洋食店「バンビ」に寄って食事して帰りました。この日の歩数は、約1万1千歩。映画を観ていたのに、前後に、暑いのに、そんなに歩いたかなあ・・。★
スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

感動人

Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

最新記事
最新コメント
FC2カウンター
検索フォーム
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

記事のカテゴリ
読みたいテーマを選択してください。
リンク
RSSリンクの表示