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国立劇場十月歌舞伎公演 『通し狂言 天竺徳兵衛韓話』を、総文字数 約4,800字で詳説予習します。奇想天外、大仕掛け、ケレンの面白さに満ちた、まさに大〈芝居〉です。

 物語を読むと、ケレン【見た目の面白さや奇抜さを狙った芝居の演出】たっぷり、まさに、江戸の芝居を観るよう。
 主役が、火を吹く蟇(がま)に乗ったり、舞台の本水に飛び込んだら濡れずに揚げ幕から上下衣装に早変わりで登場したり、生首を抱えて花四天【捕り手】と争ったり、何度も蛇(蛙の天敵です。)が出たり、花道で蟇の縫いぐるみが割れて早変わりしたりと、面白さ満載です。
 だいたいが、世界初の廻り舞台を考案した、アイデアマン並木正三の台本が面白い上に、鶴屋南北が改稿したのですから、面白くないわけがありません。
 きょうは、国立劇場・十月歌舞伎公演

『通し狂言 天竺徳兵衛韓話』

を詳しく予習してみます。約4,800字になります。

 この原作は、四世鶴屋南北(1755-1829)の、
『通し狂言 天竺徳兵衛韓話(てんじくとくべえ いこくばなし)』
で、1804(文化元年)に初演されたこの作品を、1972年(昭和47)年に国立劇場が、74年ぶりに復活公演たものを、今回さらに補綴しています。
 その補綴の結果、新たな公演史がどう出来るか楽しみな公演です。

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 本作は、もともと、先日ご紹介した、大島真寿美 『渦 妹背山婦女庭訓 魂結び』に登場する、並木正三が書いた、
『天竺徳兵衛聞書往来』(宝暦7年【1757年】、大阪大松座初演)
を、近松半二が、人形浄瑠璃の丸本に書いた、
『天竺徳兵衛郷鏡(てんじくとくべえ さとかがみ)』(宝暦13年【1763年】)を、さらに、明和5年【1768年】、江戸中村座が、
『天竺徳兵衛故郷取楫(てんじくとくべえ こきょうのとりかじ)』として上演しました。

 それを、文化元年【1804年】、江戸河原崎座が盆狂言(夏芝居。夏期は、大名題差絵なし、書出しも2,3枚で、主要な役者一人、後は若手、下廻りだけが演じます。)として、初代尾上松助(後、梅幸)が、座の立作者(当時、奈河七五三助)では無い、二枚目の四世鶴屋南北(当時、勝俵蔵。49歳)を抜擢して書かせた、
『天竺徳兵衛韓話(てんじくとくべえ いこくばなし』
が当たったもの(7~9月)です。
 翌年(1806年)には、市村座で、
『波枕韓聞書(なみまくらいこくのききがき)』、
 その後、1808年市村座『彩人御伽子』、1809年森田座『阿国御前化粧鏡』・・と様々に面白い趣向で進んでいます。

 ところで、主人公の天竺徳兵衛(1612-1695?)ですが、実在し、播磨国加古郡高砂町の塩商人の家に生まれ、1626年、15歳の時に京都角倉家の朱印船貿易に係わって書記役として、ベトナム、シャム(タイ)、さらには、ヤン・ヨーステンと天竺(インド)に渡り、帰国後、大阪上塩町に住み、外国商品店を営み、後、僧侶となり、幕府が鎖国政策をしいた後、見聞録「天竺渡海物語」を書いて、長崎奉行に提出した、知識人です。
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 因みに、高砂は、「百人一首」の「誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに」の松の名所です。 
 あまり珍しい経験をしたことから、いつの間にか、芝居で、妖術遣いの悪党にされてしまったのは、まことに気の毒ではあります。

 天竺徳兵衛は、並木正三作品では、高麗国の臣・正林桂の一子、七草四郞となっていて、三好長慶から妖術を授けらる物語になっています。近松半二作品では、吉岡宗観、実は、朝鮮の木曽官の子で、宗観から妖術を授る筋書きになります。

 物語梗概をご紹介しますと・・・、

(以下、下記の「続きを読む」をワン・クリックしてお読みください。)

吉岡宗観邸の場

(ホイのかけ声の後、早めに鳴る鼓の中を静かに幕が開きます。)
 足利義政の世。
 憂鬱に庭を歩く、佐々木の若殿・桂之助。将軍家から預かった、波をも切ると言われた名刀〈浪切丸〉を紛失させ、さらに、梅津掃部(かもん)の妹(銀杏の前)と不義の嫌疑を受けて、家来の吉岡宗観(そうかん)の館にお預けの身です。
 浪切丸を詮議する日取りも今日限りと言うので途方に暮れています。

 この日は、庄屋が連れて来た、船乗り天竺徳兵衛の経験談を聞いて少し気が晴れたようです。
【天竺徳兵衛の経験談は、役者が、長台詞を自慢して演じるか、短縮するか、ちょっと気をつけて観賞しましょう。】

 話が終わると、徳兵衛は、宗観から部屋に誘われますが、宗観の顔に剣難で、命を落とす相(死相)があるのに徳兵衛は気づきます。

 庭で、お姫様姿の銀杏の前を蛇遣いの段八が、蛇を持って追いかけて来ます。山名氏に引き渡そうとしています。徳兵衛は、これを止め、段八を殺します。
 段八の籠から出て、筧【かけい。地上に掛け渡して水を導く樋(とい)】に登った蛇が、不思議なことに2つに裂けて落ちてしまいます【後述しますが、ここに浪切丸が隠されています。】

 奥では、浪切丸探索の日延べ期限が来たことから、桂之助が腹を切ろうとするのを、宗観は、ここは自分が引き受けるから逃げ延びろ、と言い、奴。磯平、姫袖垣などによって、桂之助と銀杏の前を上手・下手の別方向に連れ出し(逃亡させ)ます。

 その時、屋敷に上使として、狩野雅楽之助、山名時五郎(山名は、桂之助が恋敵で、それに連なる吉岡を憎く感じています。)が宗観を訪ねてきて、今日が期限の浪切丸の詮索、見つからなかったならば、桂之助の首を差し出すよう言います。

 吉岡宗観は、意外にも「浪切丸は、手に入ったので、今お目にかける」と言い、そこに、奥方・夕浪が、白木の三宝に九寸五分【短刀】を載せてやってきます。
 吉岡宗観は、九寸五分をとって、切腹し「桂之助を逃した責めを負って切腹」すると腹を切りました。

 同情している狩野雅楽之助は、以後、浪切丸は詮議なし、佐々木家も助けることを、「冥途の土産」と伝え、夫婦二人にするために奥に行ってしまいます。
 奥方は、吉岡宗観の腹を白布で巻き、夫の耳元で「かねての一儀を・・」と伝えます。

 瀕死の吉岡宗観は、徳兵衛をよび、自分が徳兵衛の父であると伝えます。宗観妻夕浪も言うに、昔、播州の漁師・飾間(しかま)五作に遣った子で、幼名・大日丸と言うのです。
 しかし、徳兵衛は、浪切丸を盗んだのが、ほかならぬ宗観自身であると見抜き、庭の筧の藪に隠された浪切丸を見つけます。

 宗観は、元大明国の臣・木曽官(もくそかん)で、祖国の怨みを晴らし、将軍家を討たんがため日本へ渡って来たが本意を達せず、妖術を会得したが、その妖術は、刀と鏡が必要なので、浪切丸を盗んだと言う。
 徳兵衛は、妖術を授けられ、宗観の本意を遂げることを約します。
 様子を見ていた奥方は、自分が足手まといにならぬためにと、自死します。

 そこに、狩野雅楽之助と山名の追っ手が迫ります。徳兵衛は、宗観の遺骸を奥に片付け、その首級を携えて、妖術を遣います。
 壮麗であった館の柱は崩れ、館が壊れました【屋台崩し】。その屋根の上に大きな蟇が現れ、その上に徳兵衛がいました。驚く上使たち、冷笑する徳兵衛。

 ※参考 やや異なった筋もあります。
1 上使が、狩野雅楽之助、山名時五郎では無くて、梅津掃部、山名時五郎というもの。
また、
2 時代が、真柴久吉(豊臣秀吉)の時代で、菊池家が滅亡し、若殿・月若丸を奴・磯平が連れて立ち退き、姫・折枝は、乳母・袖垣に連れられて逃げるところ、吉岡宗観に救われる・・という序です。
 これには・・、月若丸の乳母・五百機が天竺徳兵衛に殺され、五百機の亡霊が、夫である高砂徳兵衛、実は、尾形十郎に月若丸を託す、といった筋があります。
 十郎は、妻おつなとの子・お汐を役人・桂源吾に渡します。天竺徳兵衛は、これを知って訴人せんと争いになりかけますが、二人の徳兵衛は肉親であることが分かる・・と言った筋もあり、幽霊物の先進的な舞台が入るのが特長です。
・・というものです。

裏手水門口

 平舞台、一面に紺碧をたたえた濠。石垣が続く正面上手寄りに水門です。
 凄い水の音で幕が開く。大薩摩の三弦の演奏。
 桶の口(水門)に蟇が、白髪頭の宗観の首級を囓って登場します。花四天【はなよてん=捕り手】との争いの後、定式幕が閉まり、下座の〆太鼓が威勢良く鳴り、花道で徳兵衛の片手六法【片手と両足が代わる代わる振られる】で揚げ幕に入ります。

・・次からは、再三、蛇が出て来ます。蛙の天敵ですね。

梅津掃部邸

 梅津掃部邸の庭では、大きな花籠があり、持ち込みを巡って鹿蔵と奴達が争っているところに、野遊びから腰元たちと帰宅した奥方・葛城が部屋に入ると、花籠から沢山の蛇が出ますが、巳年(へびどし)の奥方は考えこみます。

 天竺徳兵衛は、越後の座頭・徳一に変装して梅津掃部邸(明治16年までは、名古屋山三の館でしたが、当時の二番目の兼ね合いで菊五郎が変えました。)に現れ、南蛮渡来の木琴を弾いて歌を披露しますが、来訪していた将軍義政からの上使・細川修理亮政元に正体を見破られ、大勢の捕り手に囲まれ鉄砲の火花が散ります。
 徳兵衛は、庭前の泉水【本水を使います。】に飛び込んで姿をくらまします。
 【この後早変わりで】上使・斯波左衛門重勝が長袴姿で登場です。皆は、既に上使が来ているのにまたなぜ、と不振がりますが、浪切丸の詮索だと言います。蛇が座敷の斯波左衛門重勝のところに上がってきますが、切り裂いて捨てます。

同、奥御殿庭先

 梅津邸の奥方・葛城は、巳の年、巳の月、巳の日、巳の刻生まれで、上使・斯波左衛門重勝を説得するつもりで、自分の指を切って見せますが、斯波左衛門重勝に、その血がついてしまいます。さらに、斯波左衛門重勝は、その態度から自分を疑う葛城を切り付けて、その生き血を浴びます。
 生き血を浴びた(斯波左衛門と偽っていた)徳兵衛は、蟇の妖術が遣えなくなります。徳兵衛の野望は果てます。

 政元は、徳兵衛の懐から宝鏡を取り、浪切丸を取り戻し、その勝負は後日として「まずそれまでは大日丸さらば、さらば」と大見得を切ります。

 (「東西・・」と一同舞台に座り、口上の後、一同再び立ち上がって、徳兵衛が、大入りの花立回り、政元は上手で鏡を持ち、掃部は下手で浪切丸を構え、さらに、上手に鹿蔵、下手に才蔵が相向かって、引っ張りの見得で・・『』。

 では、演じる役者は・・・、

○天竺徳兵衛(木曽官の息子大日丸・座頭徳市・斯波左衛門=
中村芝翫(昭和40-・成駒屋・8代目。元橋之助)

○梅津掃部(かもん)=
中村又五郎(昭和31-・播磨屋・3代目)

○梅津奥方葛城=
市川高麗蔵【昭和32年ー・高麗屋・11代目】

○佐々木桂之助=
中村橋之助(平成7-・成駒屋・4代目。芝翫の長男)

○吉岡宗観(木曽官ーもくそうかんー)・細川政元=
板東彌十郎【昭和31-、大和屋、初代】

○宗観妻夕浪=
中村東蔵(昭和13-・加賀屋・6代目)

○銀杏の前=
中村米吉【平成5-、播磨屋・5代目・中村歌六の長男】

○山名時五郎・奴鹿蔵=
中村歌昇【平成元年-・播磨屋・又五郎長男】

○石割源吾・笹野才蔵=
中村松江【昭和41年-・加賀屋・6代目中村東蔵⑥の長男】

 ・・という布陣です。大仕掛け、ケレン芸、見所満載の通しで、10月が楽しみです。前売りは、9月7日(あぜくら会員は4日)からです。

 なお、11月は、西沢一風・田中千柳作「大仏殿万代石楚」と、
若竹笛弓・黒蔵主など作「孃景清八嶋日記」からなる、
通し狂言『孤高勇士景清ー日向嶋ー』(4幕5場)
です。★

参考:国立劇場上演資料集〈78〉(1975/5)、〈135〉(1986/1)、「鶴屋南北全集(1)」(三一書房)。服部幸雄「歌舞伎をつくる」(青土社)。
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Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

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