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笠原英彦 『皇室がなくなる日』~皇位継承の歴史と現代天皇継承の問題点を整理した、センシティブな課題への労作です。明確な「答え」には窮している感じの叙述ですが。

 余談ですが、かかりつけ医に血液検査、血圧測定をしてもらいました。全く、問題なし、でした。別段、運動もしていないのですが、ストレスを溜めないのが良いのかも。

 さて、江戸の世に、新井白石が、3宮家(伏見宮、桂宮、有栖川宮)では皇統の存続に不安があると、閑院宮家を新設したことがありました。
 その不安が、70年後に的中し、1779(安永8)年に、118代 後桃園天皇が早世し、閑院宮家の祐宮(さちのみや)が、天皇の養子(猶子)となって、即位し(光格天皇)事なきを得たことがありました。

 今日の本は、いささか衝撃的な書名です。

笠原英彦 『皇室がなくなる日』(新潮選書)

です。

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(なお、先ほどの、宮家の話ですが、明治、大正の頃には、出家が禁じられたこともあって、還俗した者が宮宅を創設することが多く、14家に増え、財政を圧迫しました。その後、終戦後には、GHQの命もあり、3宮家を残して、11宮家51方が皇籍離脱しました。今日の話に、若干関係してきます。)

 歴史の本を読んでいても、例えば、大化の改新、乙巳の変などとあっても、そこで生じた結果だけを知って、そこでの当事者たちの「血のつながり」は、あまり記憶していません。
 いわんや、天皇空位が10年あったとか、称制(天皇空位時の執政代行)が行われたとか、終身性から譲位制に移ったとか、世代内承継から直系承継になったとか、天皇の多くが側室などの非嫡出子であったとか、あまり細かいことは、覚えていません。
 せいぜい、藤原氏が天皇の外戚になって権力を振るったこと(例えば、不比等の娘二人は天皇に嫁ぐ)や道鏡の暗躍が強く印象に残っているくらいでした。

 今日のこの書物は、むしろ、そこに、皇位継承関係に焦点をあてた内容です。
 前半は、皇位継承のさまざまな例と問題が如実に現れている7世紀を梗概し、中盤は、現在の皇室典範との関係で、その淵源となっている明治期皇室を述べ、終盤は、現代の皇位継承問題を扱っています。

 特に、悠仁(ひさひと)親王まで40年間男子が誕生せず、男女比率も1:7で、戦後、華族制度も無くなり、勿論、側室制度や庶子(正室ではない女性から生まれた子ども)は認めない世の中で、今後の天皇継承者を考えるのは、超難問と言えそうです。
 本書の著者も、やや考えあぐねている感じがしないではありません。

 著者は、「悠仁(ひさひと)親王までは、皇位継承順位を変えずに「男系男子」を優先し、セーフティネットとして(一代限りの)女性宮家を創設する。」
という結論ですが、それにしても、次に男子誕生を期待される、悠仁親王の結婚相手探しにも、深甚な心配をします。

(以下、下記の「続きを読む」をワン・クリックしてお読みください。)


 あわせて、旧皇族男系男子「復帰」の話もありますが、もう、皇室経験者がいないので、「復帰」と言うのは正確ではないとも指摘しています。
(それは兎も角、事実未確認ながら、旧皇族男系男子宅に宮内省が、この話を聞きに行ったら、追い返されたという逸話も述べられています。)

 いずれにしても、この問題を考える「物差し」を、著者は、国民の象徴天皇性に置いて、そのうえで、男系男子承継を導いています。
 論議の出発点に、「物差し」の大切さがあります。
 しかし、この「物差し」には、イデオロギー、世界観、歴史観の違いが明確に出ますので、まとまるのは、なかなか難問です。一体、どうまとめていくのでしょうか。

 なお、本書のサブタイトルには、『「生前退位」が突きつける皇位継承の危機』とありますが、これについては、2016年8月8日の、天皇の「お気持ち」のNHKビデオメッセージ放送について、〈第2の玉音放送〉として、憲法に抵触する可能性などについて述べています。
 この「生前退位」自体、歴史的に様々な問題が生じているのは、本書に記されているとおりです。

 先にふれましたが、皇位継承を考えるにあたって、7世紀が、一番事例が豊富なようです。 大化の改新を契機に、地方豪族を抑えるためもあって、アマテラスを司令神(皇祖神)とした、天皇が、現人神としての性格を持ち、
 また、645年・乙巳の変(蘇我氏滅亡)を契機に、皇位継承の終身制から譲位制が出現しました。これは、明治皇室典範制定によって終身制が復活するまで12世紀間続きました。

 まさに7世紀は、皇位継承を巡っての争いの時代でした。ここのところを、ちょっと整理して掲げますと・・・、

 34代 舒明天皇(以下「天皇」は略します。)大后(皇后)は、35代 皇極(女帝)→【生前譲位(史上初)】→
弟・36代 孝徳・・・
中大兄は、中臣鎌足に相談して世代内承継を重視して、叔父に譲った。
皇極は、〈皇祖母尊(王母)〉になる。

【やがて、皇極、実権を握る中大兄は、反抗し、孝徳は孤立。】→
皇極が重祚(じゅうそ。ちょうそ。再び即位すること。史上初。)して、37代 斉明→
死後空位称制(天皇空位時の執政代行)7年間(皇太子中大兄)【白村江の戦い敗戦政権基盤弱まり、責任を斉明に転化した期間】その後、38代 天智→

39代 弘文→
(壬申の乱) 40代 天武→
死後空位、4年称制(天皇空位時の執政代行)
・41代 持統(女帝・天武皇后、天智の皇女)
(大津皇子「謀反」鎮圧)(鎌足の次男・藤原不比等策を練る)→【生前譲位】

持統の愛孫・42代文武→
43代 元明(女帝。文武の母。文武崩御後、子、聖武が若いので。中大兄の娘)→【生前譲位】
44代 元正(女帝。元明の娘。父は、天武と持統の子・草壁皇子、母は、元明天皇。文武の姉。結婚経験の無い、初の独身女性天皇)→【生前譲位】

45代 聖武(文武と不比等の子)→【生前譲位】
46代 孝謙・(重祚)48代称徳(史上6人目の女帝。父・聖武、母・藤原氏の光明子。これ以降、109代 明正天皇まで、850年余女帝は無し。)
なお、47代 淳和【病の光明子看病を理由に孝謙から生前譲位。その後、道鏡が暗躍して称徳重祚に至る。】

・・・と言う具合です。

 天皇死後に皇后が天皇となったり、その娘がまた継いだり、皇位継承争いがあり、その背景には、貴族の利害が絡んでいたり、生前譲位したときは、相手が幼少だったり、そのうち、それを補佐する官僚組織が強固になったり、たしかに、7世紀は、ありとあらゆるパターンが出ています。
 大津皇子のように、謀反で殺された、と言ってもそれは勝者が書いた歴史でそうなっているので、実際は、皇位継承者なので抹殺されたという説が多数説です。

 改めて、皇位承継の難しさと皇室の行く末に、書名のような不安を強く感じた著書でした。

 今週は、映画に参ります。多分、2本となるでしょうか。
 それと、今、
マイケル・バード『ゴッホは なぜ星月夜の うねる糸杉をえがいたのか』
を読み始めましたが、素晴らしい本ですね。★
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Re: タイトルなし

 コメントありがとうございました。解決まで、なかなか道のりが厳しい問題ですね。問題意識を持って見ていきたいとおもいます。
 やはり、この記事には、すぐにコメントをいただくのでは、と思って気にして書いていました。前向きなコメントで感謝しております。ありがとうございました。

感動人様 初めてコメントさせて頂きます。

私はご皇室の弥栄を念じてやまないものです。悠仁親王殿下には将来、帝位につかれることを祈っているものです。

今の上皇様の姉君の東久邇成子様には幾人もの男系のお孫様がいます。現皇室に一番近い旧宮家です。早期の皇籍復帰を願ってやみません。
プロフィール

感動人

Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

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