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奥山景布子 『葵の残葉』 ~幕末・明治の動乱に翻弄された、高須徳川四兄弟の約20年を、時代の描写も丁寧に物語られます。

 余談ですが、1873年のウイーン万国博覧会(印象派の〈立ち上げ〉は、1874年です)、それは、クリムトの分離派創設にも影響を及ぼしましたが、その博覧会に、名古屋城の〈金鯱〉(きんしゃち。きんこ)が出展されました。
 それは、今日、お話しする、小説の主人公、尾張徳川家の慶勝が政府に献上したものです(273頁)。慶勝は、金鯱が見世物になるのを後悔していましたが。
 さて、その本は、

奥山景布子 『葵の残葉』(文藝春秋)

です。

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 第30回新田次郎文学賞を受賞しています。
 著者の、奥山景布子(おくやま・きょうこ・1966-)作品は、すでに、
「時平の桜、菅公の梅」、「キサキの大仏」、「びいどろの火」、「太閤の能楽師」、「音わざ吹き寄せ」など読んでいます。

 この小説は、幕末から明治の動乱期を生きた、家康の九男・義直【よしなお】以来の、尾張徳川家61万石に、徳川末葉の分家・高須松平家(現在の岐阜県海津市)3万石から養子に入り、14代当主となった、高須義建の二男、
尾張・慶勝 (1824-83)【写真右】、
(なお、尾張徳川家は、まず慶勝(当時の名は、慶恕【よしつぐ】)が継ぎ(1849)、井伊大老と対立し、「不時登城」で謹慎処分(謹慎を解かれたのが、1860年) となったので(1858)、茂栄(当時の名は、茂徳【もちなが】)が継ぎ、その後、茂栄が一橋家当主となったので、慶勝の子・義宣が茂栄の養子となって尾張を継ぎました(1863)。まだ、年少なので、父・慶勝が再び実権を握り、16代義宣が18歳で夭折後、再び当主(17代)となりました(1875)。)

と、兄弟の
義建六男の、会津に養子に入った容保(かたもり)【写真左二番目】。京都守護職です。
義建八男の、桑名に養子に入った定敬(さだもり)【写真左】京都所司代です。
義建五男の、高須家当主、尾張徳川を経て一橋家当主となった茂栄(もちはる)【写真右二番目】。旧名・茂徳、玄同、

の約20年の生涯を描いています。【写真は、徳川美術館HPから引用。銀座の二見朝隈写真館で、1878年9月3日に撮影されたもの。】

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 因みに、高須家を継いだのは、
義建十男の、義勇です。
 まず、義建死後、茂栄が継ぎ、茂栄が一橋家当主になったので、茂栄の子・義端が継いだのですが、夭折した結果です。

(以下、下記の「続きを読む」をワン・クリックしてお読みください。)

 本書は、言ってみれば、敗者の側からの幕末・維新史といえましょう。
 滅び行く「葵の残葉」、「葵の末葉」です。葉が残る限りその影も残ります。それが、負であったなら、次の新たな葉にその償いを託したい、と主人公は考えます。

 慶勝が核となって、兄弟を取りまとめて、激動の時代を生き抜く物語は、ある種、スリルがあります。

 人望のない、何を考えているか分からない、直前まで言っていたことをあっさり覆す、根回しや相談をしない、他人を全く忖度(そんたく)しない、そのくせ危なそうなところは動物的な勘で避けて通る、最後の将軍、
水戸の斉昭の子、慶喜(よしのぶ。幼名・七郞丸。)
は、新政府樹立後、赦免されて、駿河(静岡)に暮らし、元家臣の困窮ぶりを全く顧みず、貴族趣味然とした暮らしぶりです。
 徳川800万石は、新政府の財源となりました。

 そうなる風土を造った、家康以来の制度・・謀反を防ぐために、よく考えたものですが・・、幕府の「押しつけ養子」や「付家老」の制度(尾張では、10~13代が押しつけ養子でした。)、
 逆に、維新の「総裁・議定・参与」制度などが新政府をリードします。
 暗躍する、岩倉具視は、下級公家ですが、大久保利通(薩摩)、後藤象二郎(土佐)とも通じています。

 物語は、一橋派排斥、不時登城処分から、尾張藩の粛正事件「青松葉事件」、続く「勤王証書」750通取りまとめ、
 外では、奥羽31藩の抵抗をへて、新政府で慶勝がそれなりに安定していくまでが、描かれていて、日本史の詳しいお復習いになります。
 北海道の・・私が、ひところ夏の避暑に行っていた、八雲近くの・・開拓も行ったと言うことも、始めて知りました。
 合間に、慶勝の「写真鏡」の趣味の話が、厳しいストーリーに一呼吸を入れます。

 徳川一族から、近代史を知ることは、いろいろ役立ちました。徳川美術館(名古屋)では、先年展覧会があったようですが、改めて、慶勝が残した、多くの写真を・・出来るなら東京で・・ゆっくり見てみたいものです。
 さて、徳川内部の争いばかりでは無く、徳川と朝廷の争いも興味が尽きませんが、今日の本はそこまでは十分には描かれていませんが、それは、やむを得ないでしょう。

 余談ながら、今、
笠原英彦『皇室がなくなる日』(新潮選書)
を読んでいますが、日米通称条約を巡る「戊午の密勅」など、幕府と孝明天皇・水戸藩の対立も面白い。
 それにしても、維新後、このような問題、皇室の無くなる日、などという問題が生じてくるとは、大方の予想もしなかったことでしょう。
 これら皇室の歴史に触れた、同書は、また、後日に・・。★
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Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

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