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『クリムト展』を観賞しました ~ かつては埋もれていて、後世になるほど人気が出たクリムト。さすが、《ベートーベン・フリーズ》の全面を観られたのは、感動しました。でも、どうして、この全面図版のグッズが、1点、直輸入品の小さな説明紙片しか無いのでしょうか、残念です。

 5月24日(金)に、東京都美術館で、

『クリムト展』

を妻と鑑賞しました。

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 まずは例の通り、新橋の第一ホテルで、ランチ・バイキングを済ませてから、上野に向かいました。バイキング、ブッフェは、食物が置かれた〈場所勘〉に慣れているのがポイントです。

 さて、グスタフ・クリムト(1862-1918)については、すでに、このブログ(2019・1・4付け)で、詳細に〈予習〉しています。

 そこには書かなかったのですが、クリムトの生年には、ロンドンとパリで印象派に大きな影響を与えた日本版画(クレポンジャポネ)展が開催されています。
 クリムトにも影響が皆無では無く、今回の展示にもそれが仄めかされています。
「近代絵画のドアを開けるべく鍵を入れたのはマネ、その鍵は日本版画」と言われるほどです。
 日本版画は、技法的な面だけでなく、反官営芸術のデモクラティックな面への共感もあったでしょう。そういうアンチ・アカデミズム時代の、クリムト、と片隅に置いて絵を観て行きましょう。

 また、一方で、クリムトは、かつて、美術史の書籍などでは、あまり取り上げられておらず、近時、人気が出て来ました。そのことについての批判もあります。
 そのあたりの理由を記事にしたものが無いか、ネットでも探しましたが、ありませんでした。私の、持っている図書から、最後に、少し触れることにしましょう。

 なお、余談ながら、28歳で早世し、クリムトを慕っていた画家、エゴン・シーレ(1890-1918)との、交流を描いた、
ドキュメンタリー映画「クリムトとエゴン・シーレ、ウイーン黄金時代」(監督・ミシェル・マリー)
が、6月に、公開されるのは楽しみです。

 この展覧会のポスターは、《ユディットⅠ》(1901)。
 額に〈ユディットとホロフェルネス〉とあるにもかかわらず、〈サロメ〉と呼ばれて来ました。
 自ら手を下して殺し、切り落としたホロフェルネスの首はほとんど画面の右下外で、性の欲望を顕示するファム・メタルつまり〈宿命の女〉として描かれています。
 それも、欲望に引きずられて男を殺した能動的な女では無く、官能に負けた女、得体の知れない「威嚇する存在」です。
 ファム・メタル、威嚇する存在は、後述する《ベートーベン・フリーズ》と同じように、女性の役割の変化による不安、男の自我の危機が下地にあると言われます。これをクリムトは、アレゴリーの世界に押し込めました。

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 今回の目玉作品は、当然、複製画ですが、全面の《ベートーベン・フリーズ》。

 1902年の漆喰塗りの作品を、1970年にオーストラリア政府が買い上げて修復し、同時に複製も創られました。複製は1984年ヴェネツアで公開され、修復されたオリジナル版は1986年初公開されました。
 今回の展覧会でも、一部屋が本作品に当てられています。

(以下、下記の「続きを読む」をワン・クリックしてお読みください。)

 これは、ベートーベン第9交響曲終楽章、シラーの詩「歓喜に寄す」に基づいていて、芸術と愛による「弱い人間」の救済がテーマになっています(1902年分離派展覧会カタログ説明)。

 1902年に、ウイーン分離派会館(ヨーゼフ・マリア・オルブリヒ設計)で開催された、「第14回ウイーン分離派展(ベートーベン展)」では、偉大なベートーベンに敬意を表し、マックス・クリンガーの彫刻《ベートーベン記念像》を中心に、
クリムトの《ベートーベン・フリーズ》、
など21人の芸術家が、「芸術家の祭礼」という統一的な美的理念と室内構成(個を全体に従属させる)の基に総合芸術としての展覧会を行った画期的なものでした(会場構成は、ヨーゼフ・ホフマン)。

 《フリーズ》という語は、もともと、神殿などの柱列上部の横長の装飾部分のことを言いますが、1902年に、ベルリン分離派展で、ムンクが《生命のフリーズ》として22点展示したのに影響されたのかもしれません。
 統一された美的理念に基づく作品は、それらから浮かび上がる関連性の解読によって個々の作品の理解が可能となります。

 作品、最初の壁には・・、
 「幸福へのあこがれ。弱い人間の苦悩。完全武装した強者に対して行う弱者の懇願、強者の心に浮かぶ同情心と功名心、それに突き動かされて強者は幸福を求めて戦う決意をします。
 ・・その前後の本来の漆喰壁上部に描かれた、「死者の流れ」のような一連の絵も観られます。画集では、省略されていることが多い部分です。

 《完全武装した強者》は、分離派のエリート的芸術理念をナルシスティックに具象化したもの。したがって、共通の幸福を求めて戦う者ではなくて、何らかの対決や敵対する勢力との戦いは描かれていません。
 ・・その右側も、画集では省略されていることが多いのですが、観られます。

 反対側の壁には・・、
 戦いの結果が描写されます。「幸福への憧れは詩情に慰めを見いだす芸術は、私たちを理想の王国に導く。その王国でのみ私たちは、純粋な歓び、純粋な幸福、純粋な愛を見つけられる。天使たちのコーラス〈美しき霊感の喜び〉。〈この接吻を全世界に〉」
 終幕では、人間が救済されるのでは無くて英雄自身が救済されます。この英雄にしても活動的では無く、救世主でもありません。むしろ、苦悩する者の姿です。

 両壁を繋ぐ間の狭い壁面には・・、
 「敵対する勢力」が描写されます。「怪物テュホン、この怪物に対する戦いでは神々でさえ無力だった。テュホンの娘、すなわち3人のゴルゴーン。病気、狂気、死。肉欲と不貞、、不摂生、心を責めさいなむ苦悩、人間の希望と憧れはこれらを越えて飛び去って行く」

 したがって、物語のテーマは、戦いや格闘では無くて、「苦悩する個人が抵抗を続けるという現実的な試練」、さらに言えば、「敵対する勢力」が、テュホンの他は威嚇的な女性(抑制されていない野放しの性衝動の具象化)ばかりで、結局、男の恐怖から生じた幻想のたまもの、「実社会における男性としての自我の試練(自らの性の抑制し、救済に向かう)の隠喩」と言った解釈もされます。終章が表すのは、「男の個人的な強迫観念」になると言うわけです。

 部屋の端に、ウイーン分離派会館(ヨーゼフ・マリア・オルブリヒ設計)の模型と、この《ベートーベン・フリーズ》の展示部分、それに、マックス・クリンガーの彫刻《ベートーベン記念像》が紹介されていて丁寧です。

 それにつけても、この《ベートーベン・フリーズ》の〈全面公開〉が、目玉なのに、この繋がった全面図版や、グッズが、1点だけ、しかも、約20×10.5㎝の、4つ折り、直輸入品の紙片しか無いのは、極めて残念です。印刷も、平凡。この倍くらいの大判で、日本語版が欲しかった。

 本展では、他に、たくさんの作品がありますが、
ヌーダ・ヴェリタス」(1899)
の足に絡む蛇の頭が、美術書では感じられない迫力があります。

ヴェル・サクルム」第1年次第1号が展示されていますが、感動です。「豊田市美術館」が所蔵しているのですね。
分離派展ポスター」も展示されていますが、惜しむらくは〈検閲後〉のものです。

エミーリエ・フレーゲに宛てた書簡」7通も貴重。1通には、ハートが描かれています。

女の3世代」(私の画集は、「人生の3世代」となっています。)、「オイゲニア・プリマフェージの肖像」も、やはり、実物を観るものですね、書物では感動は限られます。

 問題作、「学部の絵」は、断片の習作のみの展示ですから、あまり意味が得られません。

 最後に・・、

 今回、早い段階から予習のテキストにしたのが、ベネディクト・タッシェン出版の美術書「グスタフ・クリムト 女性の世界をした世界」です。
 大判の大部な美術書ですが、昨年、〈古書市〉で千円で、買っておいたものです。

 同書、冒頭の序章(7~15頁)で、監修者・ゴットフリート・フリードゥル(美術史)が、異常なほどの「クリムト人気」に「疑問」を呈しています。
 特に、「昔は埋もれていたが、後世になって人気を得てきた」、というクリムトのイメージも正そうとしています。

 この美術書の監修者でありながら、全編を通じて、そこかしこに、そのニュアンスが出てくるのが、面白い。

要旨は・・、

1 クリムトは、新たな芸術的可能性の指針となり、現実に対して批判を投げかけ得るか、疑問

2 オーストリア・ハンガリー帝国(ドーナウ王国)の崩壊で、その文化自体が音をたてて崩れて行く時に、現実に深くかかわっての、その崩壊の現実を透視する批判的精神が無く、世紀末社会の美しすぎる投影しか無い

3 クリムトが、アヴァンギャルド(旧弊な芸術状況に抗う)的な面を有するとしても、国家と分離派との同盟関係(国家の危機を文化で救うという思想で)、馴れ合い(上流階級とは交際し、国王フランツ・ヨーゼフ1世に謁見している、国が絵を買い上げているなど。特に、クリムトの弟が、ヴィーン名家の娘・ヘレーネ・フレーゲと結婚してからは、社交界にも食い込んだ。)から、進歩的、とは言っても括弧付きである

4 エロスの画家、女性の心理を描く画家、人間の本能を追求した絵ではあっても、当局の検閲は、相当、緩やかであった。

・・という論議です。

 たしかに、クリムトの生まれた1862年からは、フランスでは、印象派の登場、新印象派(特に、スーラやシニャックの数理的な分割主義)の登場、統合主義、リアリズムと風景画の移行、画家では、マネ→ピサロ→ドガ、ドラクロア→ルノワール、セザンヌ。ゴギャーンとベルナール。ゴッホ、ロートレック、ルドン・・と波瀾万丈、人物多彩ですものね。
 このような論議も頭の片隅に置いて、クリムトの位置づけを思索するのも良いかも知れません。★

参考;ゴッドフリート・フリードル『グスタフ・クリムトー女性の姿をした世界』(ベネディクト・タッシェン出版)、平松洋 『クリムト 官能の世界へ』(角川新書)※2018年1月刊行。以上。
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Re: タイトルなし

その頃、ウィーンで分離派会館に行かれたとは、相当、美術に精通しておられたようですね。以降、沢山の名作をご覧になって、印象が埋まってしまわれたのでしょうか。

クリムト展、夜間展示に行ってきました。
私、昔ウィーンで分離派会館に行っているのですが、ベートーベン・フリーズ、まったく記憶に無。内部に入らなかったのかしらん???と遠い記憶をたどっています。30年近く前の話。

Re: タイトルなし

 やや混んでいましたが、大したことはありません。今日は、岩波ホールで、映画「ニューヨーク公共図書館」を、見てきました。こちらは満員でした。詳しくはブログで。ありがとうございました。

ああ、行ってみようかしらん。混んでいるでしょうねえ。
数年前見た映画「黄金のアデーレ」思い出しました。
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感動人

Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

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