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鴻巣友季子『謎解き「風と共に去りぬ」』 ~大当たり ! めっぽう面白く、有益な〈テキスト分析〉です。

 参考に・・、と読み出したら、これが、めっぽう面白く途中で止められません。それは、

鴻巣友季子『謎解き「風と共に去りぬ」矛盾と葛藤にみちた世界文学』(新潮選書)

です。

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 私は、「風と共に去りぬ」(Gone with the Wind / 以下、GWTWと略します。)を、2015年4月から、数か月間隔で、順次、全6巻が出版されて行った、荒このみ・新訳の岩波文庫で読んでいきました。
 ところが、あまりにも面白くて、最終の第6巻が待ちきれず、50章から63章は、これも新訳で、一足早く出版されていた、新潮文庫の鴻巣友季子訳で読んでしまいました。この訳者は、本書の著者です。

 なぜ、そんなに面白かったのか・・。
 本書でも書かれているように、「共感できないヒロイン」に、いつの間にか共感していたこともありますし、何よりも、ストリー展開の面白さ、物語のトーンの卓抜な切り替え、善悪の一方には流れない筋、それに、随所にある、例えばシリアスなシーンで急にずっこけさせる筆致・・全くもって見事なものです。
 どうして、もっと早く読まなかったのかと、この時、後悔しました。

 それは、多分、映画のGWTW(1940年封切)から、大河恋愛小説、通俗的大衆小説と思っていたからでしょう。

 小説GWTWを読み終えた後、このブログに書いた感想(2016年1月24日付)を読み返してみますと、これは大河恋愛小説なんかでは無い、それに、「主役」スカーレット・オハラを、メラニー・ハミルトンが食った感じ、小説はアメリカの影が描かれている、などと書いています。
 本書を読むと、その感想は、まずはアタリで、一安心しました。

 さて、本書では、私も感じた上記の様なことを、もっと広く、深く、根拠を述べて書いています。面白く読める訳です。

(以下、下記の「続きを読む」をワン・クリックしてお読みください。)

 例えば・・
1 著者・マーガレット・マナリン・ミッチェル(1900-1945・交通事故死)の家系とその家柄・特色やミッチェルの青春時代をたどります。
 著者ミッチェルの家系の、祖母方フィッツジェラルド家、祖父方スティーブンス家、父方ミッチェル家の思想やミッチェルの母・メアリ・イザベル(1872-1919)の家系をたどり、その思想から、著者ミッチェルの心には思想の二面性、対立する2つの心の葛藤があることを指摘します。
 それは簡単に言えば、保守性と進取・プラグマティストの気性、沈着だが腹が据わった気性と情熱・はねっかえり・・など、でしょうか。

 この二つの葛藤し、相反する心を、メラニー・ハミルトンとスカーレット・オハラの両方に落とし込んだという訳です。したがって、「主役」は、メラニーとスカーレットの二人。重要度から言えば、ヒロインは、メラニーです(ミッチェル自身も、1935年10月16日付書簡で断言しています)。スカーレットは、肝心な時には、蚊帳の外になっています。

 ところで、スカーレットの名前が草稿では、〈パンジー〉となっていたそうです。しかも〈ハミルトン〉姓でした。
 また、最初の夫の名は、ベリアン・レット・キナード・アップショーと〈レット〉が含まれています。

 何よりも、著者・ミッチェルが、17歳の時に、想いを寄せた男性クリフォード・ヘンリー(第1次大戦に出征してフランスで戦死した中尉)は、〈アシュリ・ウィルクス〉にダブっているようです。このような、興味深い話題が続きます。
 ミッチェルは、キャラクターは、あくまで、〈合成物(コンポジット)〉とは言うもののやはり、そこは、人生が反映されているようです。

2 厳密な文体や技法の〈テキスト分析〉や、編集者との書簡で、詳細な謎解きをして行き、小説としては、まるで、ヴァージニア・ウルフやフローベールのようだと評価します。
 その面白さ、有益さは見事なもので、〈小説の書き方〉作法、としても面白いものです。

3 「風と共に去りぬ」執筆着手が、1926年で、最終章から書かれたそうで、完成が1936年6月です。
 この10年間にアメリカで起こった事象は・・、
 1920年代の南部女性に求められた規範、1915年頃からの、WASP至上主義の嵐。これら、全体主義的な思想に抗うように、この作品は、執筆されました。
 したがって、決して単なる娯楽恋愛小説ではありません。

 約10年かけて、極めて精密に推敲された、重層的、多義的な筆致となっている、どちらかというと、アンチ・ロマンス、アンチ・クライマックスのディストピア的な、心理小説と言えましょうか。
 アメリカのよそ者、異分子、少数者、はみ出し者、日陰者といった人種と階層の混淆実態を描きます。

4 文体が、しばしば、自由間接話法(描出話法)で書かれていることから、上記3と関連して、ミッチェルが、白人至上主義とか、KKK擁護者であるなどと誤解されました。
 しかし、それが書かれているから著者の考えであるなどと早とちりせずに「どう書かれているか」が重要であると、本書は、文体や技法のテキスト分析を厳密に行っています。
 差別観は、登場人物のものであって、作者ではありません

5 最後、スカーレットの口癖である、「いま考えるのはよそう。明日になったら考えよう」は、最後の、「明日は今日とは別の日だから」に繋がります。
 因みに、この訳は、日本での初訳である、
1938年の大久保康雄訳(三笠書房)では「明日はまた明日の陽が照るのだ」となっていて、
1938年阿倍知二訳(河出書房)では「明日はまた明日の日が明ける」、
1939年藤原邦夫訳も同じです。
 ところで、この頃、「日米著作権条約」というのがあって、著作権に係わらず、当時は、互いに無許可発行出来た時代だった、とうことを知りました(どちらかというと、文化後進国支援の制度であったようですが)。

 終わり方の〈一撃〉が強いことから、多くの《続編》や《外伝》が試みられました。例えば・・
アレクサンドラ・リブリー『スカーレット』、
ドナルド・マッケイグ『レット・バトラー』
パロディーの、
アリス・ランドール『タタ』、
『風なんか行っちまっただ』なんていうのもあります。

6 本書の導入部分は、取っ付きやすく、映画(監督・ヴィクター・フレミング)との比較をしています。
 映画は、映画で、〈工夫〉があって、当時、《南部物》は客が入らないという予想を裏切って大成功しています。その工夫は、認めつつも、やはり、
・ タラの屋敷のギリシャ復興様式の邸宅は、原作と異なる。
・ アトランタ大火災を逃げる馬車の馬が、ゼンゼン違う。
・ 総じて、南部白人層のロマンス風になっている。
それに、
・ 原作では、スカーレットが美人では無い。
・ ウィル・ベンティーンは、目玉キャラクターとして重要だが、映画では無視されている。

 ・・とまあ、本書は、面白い。原文を稠密に引用して、冒頭には原作の梗概もありますので、GWTW未読の方も、多分楽しめるでしょう。
 大当たりの良書でした。本当に、「風と共に去り無ぬ」がますます好きになりました。

 明日は、ギュスターヴ・モローの展覧会に行って参ります。で、今日は一日、ギリシャ神話のおさらいをしていました。★
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Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

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