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橋本治『ひらがな日本美術史 (5)』 ~どうして、もっと早く読まなかったのか、残念。絵画から歌舞伎の話まで、知識満載。面白くて巻を置くことができません。

 前々回、橋本治(はしもと おさむ。1948-2019) さんの本を紹介しました。その書物に、この本の広告が載っていたので、早速、今、開催中の『奇想の系譜』展に関連する第5巻から読みました、

橋本治『ひらがな日本美術史 5』(新潮社)

です。

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 実は、『7』、『6』、『4』巻も、もう、繰り始めているんですが・・。
 素晴らしい ! 本編は、全7巻です。
 表紙は、歌麿の大判錦絵「婦人相學十躰 ポッピンを吹く娘」(1791頃)。まだ、肉感美ではありません。

 「芸術新潮」に連載されたもののうち、第5巻は、第75話から第89話までの単行本化で、A4判オールカラー、200頁です。

 本巻は、主に、18世紀後半、特に、1765年(明和2年)を中心にした記述です。
 前の年、1764年は、35歳の蕭白が「群仙図屏風」、「唐獅子図」を描き、伊藤若冲が、23歳から当主となった青物問屋「枡源」を弟に譲る40歳直前です。

 もう少しライトを当てて見ますと、江戸で、鈴木春信が「絵暦(えごよみ。大小歴とも。)交換会(大小会とも。)」で、錦絵を創造したのが翌年、
 24歳の浦上玉堂が主君を失ったのが、'68年。平賀源内が脱藩して独りで生きてゆくのが'61年から。
円山応挙が〈応挙〉と名乗ったのが、'66年。
 そして、20年近い田沼時代が始まったのが、'67年、続く6年間の松平定信の〈寛政の改革〉の後には、歌舞伎、役者絵が変革されてゆく・・・・という時代です。

 ですから、この巻は、今、上野の美術館で開催中の『奇想の系譜』展にも関連しています。それに関して、本書では、「へん」とは何か、から入って行きます。

(以下、下記の「続きを読む」をワン・クリックしてお読みください。)

 例えば、先ほどの、蘇我蕭白の「群仙図屏風」(1764)から、蕭白の〈思想〉を知ることが出来ます。
 また、「唐獅子図」(1764)、「石橋図」(1779)からは、〈人間世界〉を描く蕭白の思想を知ることが出来ます。
 それは、1765年の円山応挙(1733-1795)〈登場〉(つまり、応挙と名乗った。)による、水墨画の精神性から装飾性への移行を見た蘇我蕭白、さらには、応挙の弟子の長沢蘆雪の〈対応〉を見ることにも繋がります。
 因みに、作者が好きな、蕭白作品は、「商山四皓図屏風(しょうざんしこうずびょうぶ)」(1760後半)とか。

 さらには、京でのこのような競いあうなかで、江戸では、浮世絵版画が流行します。
それを、蕭白の伝統的純文学、応挙の新しいタイプの純文学、与謝蕪村の中間小説・大衆小説、そこに活字離れを狙ったマンガのような浮世絵、という比喩が面白い。
(著者の、浮世絵元祖は、菱川師宣懐月堂安度という解釈です。鈴木春信登場の約90年前です。)

 余談ながら、『奇想の画家』には、浦上玉堂(「奇峯連聳図」(1793頃)や「寒林間処図」ほか)を入れたいものです。
 因みに、玉堂は〈玉堂琴士〉と名乗って、琴(こと)を趣味としましたが(長男には、春琴、二男には秋琴とも名付けています。)、これは、7弦の琴のことで、琴柱(ことばしら)と使って高音にする、13弦の箏(そう)とは違います。 琴とは、弦楽器の総称で、正確には、〈箏の琴〉、〈琴の琴〉と言うとか。

 さらに本書で面白いのは、平板だった勝川春章(1792没)、一筆斎文調を経て後の、
初世歌川豊国
東洲斎写楽(1794年5月から翌年1月まで)→
勝川春英の役者絵の流れと分析です。
 豊国の〈奇想〉性を見た写楽の〈奇想〉性への決断、とも言えます。

 これを、各々の版元で言うと、
60年前から版元だった、豊国の和泉屋市兵衛(「泉市」)→
元吉原の遊女屋で、「吉原細見」で当てた、新進の版元、写楽の蔦屋重三郞(「耕書堂」・45歳。48歳で死去。)→
30年前から版元営業していた、春英の岩戸屋喜三郎
の才覚の競い合いとも言えます。
 ところで、写楽が消えた謎の一つに、蔦屋の、写楽働かし過ぎ、をあげています。

 作品で言うと、
26歳・豊国の「役者舞台之姿絵」
写楽・第一期の「三世市川高麗蔵の志賀大七」~趣向が変わった第2期作品(通説では、第2,3,4期作品)→
33歳・春英の「七世片岡仁左衛門の高師直」
という流れでしょうか。
 なお、写楽、2期の始まりの「都座楽屋頭取口上図」(1794)が、印象的です。
また、2期以降の、《間判(あいばん)》作品、やや小ぶりの紙に描かれた大首絵11枚については、真贋不明、真作に疑問を呈しておられます。

 そういう流れの中に、行き着くところまで行った上方歌舞伎と新進の江戸歌舞伎(写楽時代の三座は、控櫓都(伝内)座、桐(長桐)座、河原崎(権之助)座です)の流れと当時の実情、並木五瓶も上方から江戸に入り新たな試みをしました。
それに、
 版元蔦屋での喜多川歌麿の確執と離反といった事態も起こりました。
因みに、この時、歌麿は、「當時全盛似顔絵揃」の題名を、写楽の似顔絵を意識して、〈似顔〉をやめて〈美人〉にして、「當時全盛美人絵揃」と差し替えました。

 ここで、当然、喜多川歌麿の絵の分析・解説、さらには、美人画ベストワン選びなども詳しく入ります。
 心理表現ベスト・ワンは、「歌撰戀之部 物思恋」(1793頃)、
 肉感表現ベスト・ワンは、「北國五色墨 河岸」(1795頃)、
 総合ベスト・ワンは、「當時全盛美人絵揃 瀧川」(1794)、としています。

 因みに、歌麿は、〈枕絵〉、所謂、ポルノっぽい作品を、1788年(天明8年)「歌まくら」12点を出しています。『ひらかな日本美術史 6』を少し繰っていると出ていました。

 どれも、文章が軽妙で、理解しやすい。

 私は、この本を読んでから、書棚にある、
『日本美術全集』(集英社)
の、蕪村、玉堂、応挙・呉春などを引っ張り出して来ました。
 本書が、良いガイダンスとなり、精読の機会を与えられた訳です。

 なお、本書には、このほかに、盆栽(「五葉松《三代将軍》」・「真柏《北斎》」や、〈江戸のデザイン〉・・《葵紋散牡丹唐草蒔絵乗物》など・・や、
〈遊びのデザイン〉・・印籠根付け、刀の下緒(さげお)、に付いても述べれます。
 因みに、印籠は、重箱形式ですが、印や薬(薬を入れるなら〈薬籠(やくろう)〉というべき)を入れるものでは無くて、飾り、だそう。根付けも、携帯ストラップと同じ機能だとか。

 順次、全巻を読もうと思っていますが、さて、まずは、本巻の線上にある、第4巻と第6巻、それに第7巻としますか。最初に触れた様に、実は、もう、既に読み始めているんですが・・・。
 それに、やはり、この際、「芸術新潮」は、定期購読したほうが良さそうですね。

 橋本治。本当に、惜しい人を亡くしたものです。★
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Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

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