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5月文楽公演・第2部、「女殺油地獄」、「鳴響安宅新関」を予習します。

 前回に続いて、第二部(夜の部)です。
「女殺油地獄」と「鳴響安宅新関」。

まずは、

女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)~徳庵堤の段、河内屋内の段、豊島屋油店の段)

 作者の氏神と言われた、近松門左衛門(1653ー1724)の「処罰物」で、1721年(享保6年)7月に初演されました。5月4日に起こった事件がモデルだと言われます。
 ちなみに、前年11月には、「心中天の網島」を上演しています。また、「処罰物」は、他に、「冥土の飛脚」(1711)、「五十年忌歌念仏」(1707)、「淀鯉出世滝徳(たきのぼり)」(1708)、「博多小女郎波枕」(1718)があります。
(参考までに、「処罰物」の他に、「心中物」、「姦通物」、「仮構物」があります。)

 この「女殺油地獄」は、江戸時代には、話が暗い、見せ場が少ない、なによりも、内容が今だから理解されるような〈近代性〉があるせいか、当時、ほとんど再演されていませんが、明治時代以降は、人気狂言となっていて、まさに、「近松世話浄瑠璃の最終的到達点をなす傑作」(藤野・後掲書)といえます。
 ただし、文楽では、上・中巻部分が、昭和37年の復活上演以来、詞章が改作されているので、必ずしも原文どおり味わえるものではありません。

 この「女殺油地獄」の内容は、もし、そういうのがあれば、裁判員のゼミ教材によいのでは、と思ってしまいますが、その理由は後述します。

 もう有名な出し物ですので、ポイントをお話しします。

 それにしても、原文における、近松の詞章は、おもしろく、心地よく、また、タメになります。たとえば、こんな文章がたくさん出てきます・・・・

「問うには落ちず語るに落ちる」(聞かれると本心を出さないが、自分のほからは、ついうっかりと話してしまう。)

「奥を聞くより口を聞け」(心底を問いただすまでもなく、ふとした弾みにもらした言葉で、その人の本心がわかる。)・・・、

 なにか、どこかの交響曲で、ゴーストライターを遣った人のインタビューを思い浮かべますが・・・。

 また、櫛の歯が折れたら子別れとか、櫛を投げると親別れとか、立って酒を飲むと縁起が悪いとか、もう、いろいろ江戸の文化が分かっておもしろいの、なんのって・・。


上の巻、徳庵堤の段では、大阪・本天満町の油屋・豊島屋(てしまや)七左衛門の女房・お吉(おきち。吉野、の字をとった名で、9歳を頭に3人の娘持ちだが、とてもそうは見えない美人。27歳。)と、
 筋向かいの油屋、河内屋・徳兵衛の次男・与兵衛(23歳の親掛かりの道楽者、放蕩者、ぐうたら者)の性格と、与兵衛のお吉への甘えを、野崎参りの騒動の中に描き、後段に導きます。
 徳兵衛は、河内屋の主人が亡くなった後に、その主人の妻と結婚した継父なので、何かと遠慮があります。母も、何かと甘やかしました。母の実家は、武家です。


中の巻、河内屋内の段では、「ぎゃていぎゃていぎゃてい はらぎゃてい・・」(往き往きて 彼岸に到達するさとりよ・・」)と、般若心経に出てくる呪文から始まります。与兵衛は、この当時の若者の慣例であった大峰山参詣もしません。
 徳兵衛や与兵衛より3歳上の兄で、順慶町で独立して店を持っている太兵衛から十貫近い金をせびって迷惑をかけています。叔父も職を失いました。
 太兵衛は、徳兵衛に与兵衛の勘当を強く勧めます。
 
 与兵衛は、病の妹に狂言を言わせて家を乗っ取ろうとしたり、金の要求がかなわないと親に乱暴狼藉を始める始末。たまりかねた母親が遂に勘当を言い渡し、家を追い出します。しかし、追い出した後ろ姿を見て、まだ、昔の主人の後ろ姿を思い浮かべる親たちでした。


下の巻、豊島屋。5月の節句、4日の夜は、節句前の掛取り日で、男たちは忙しく家を空け、「女の家」となります。
 お吉の家では、商いの合間に、お吉が娘たちの髪をすいたり、なごやかな日ですが、櫛が折れたり不吉なことが起こります。
 一方、徳兵衛と母は、まだ、与兵衛のことを案じ、先ほどには、隣家のお吉に与兵衛を見かけたら詫びを入れて家に戻るよう伝えてほしいなどと依頼していました。与兵衛に与える金、二人あわせて銭800まで用意して。
 
 与兵衛が訪ねてきます。懐には脇差しを隠し持っています。与兵衛は、お吉・父母のやりとりを外で聞いていました。お吉に金を無心。父の印を無断で使って綿屋小兵衛から借りた200匁を今日返さなければ明日は銀1貫になります。

 断り、親の慈悲と厚意を説くお吉に、それでは油を売ってほしいといって、お吉が用意する後ろから、いきなり喉を斬り裂いて殺します。子どもを思い断末魔のお吉。床は、一面、油と血まみれです。与兵衛は、さらに腹を刺します。(「鮮血の美学」の歌舞伎での描写方法は、下記のとおり、上方、東京では役者によって異なります。)
 戸棚から銀580匁を持ち去る与兵衛。

 ところで、与兵衛が、なぜ、殺人に至ったかは、諸説解釈が分かれるところで、歌舞伎などでは、それを元に、上方系と東京系と演じ方が違ってきます。

A説、既に後悔しているが、世間体や社会的制裁を恐れるあまり追いつめられた。B説、根っからの遊蕩児、非行青年説、C説、刹那的、衝動的な流れ説、などです。
 なお、「200匁ばかり・・」とある殺人を犯すに至った金額は、今に換算しても、30万円ほどで、そんな大金ではありません。
 
 6月の大祓(おおはらえ【罪・汚れを払うため、毎年6月のみそか、晦(つごもり)に行われる神事。6月には、夏越しの神楽という神楽も行われる。】)。
 高槻の伯父・山本森右衛門が、遊郭を、・・・新町【高級な遊里】の局女郎【格の低い女郎】・備前屋松風、それに、曾根崎新地【新地、とは、新しい遊里】の天王寺屋小菊のところと・・・、与兵衛を探していました。結局すれ違いでしたが、金遣いなどから、与兵衛への嫌疑を深めます。


 お吉(戒名・釈妙意)の、豊島屋での、35日のお逮夜【35日の喪明けの法要の前日に親戚などが集まってする、追善供養】です。天井のネズミが引いて行った、血の付いた野崎参りの際の入費の割当(与兵衛から、同行の仲間2人、善兵衛と弥五郎に当てたもの)の紙片を落ちて来ます。供養の御恩でしょうか。これで与兵衛が犯人とわかります。
 そこに平然と様子をさぐるために現れた与兵衛ですが、犯行時に着物についた血などが証拠となって、大乱闘の末捕らえられ、自白します。

 なお、その自白と言い訳の内容をどのように解するか、についても諸説あります。
 ちなみに、同情説は、
坪内逍遥(明治24年「近松の研究」(春陽堂))、
河竹繁俊(昭和26年「愛と死の芸術」(日本教文社))、
重友毅(昭和47年「近松の研究」(文理書院))、
横山正(昭和51年「語文研究」(九大文学部)、昭和60年「上演資料集」)。

 批判的な説は、
藤村作(対象11年「女殺油地獄の研究」(至文堂))
栗山理一(昭和29年「悲劇の季節」(成城大文学部))、
前島泰三(昭和3年「近代国文学の研究」(武蔵野書院))、
それに、橋本忍の昭和32年の東宝映画(与兵衛は、中村扇雀)。
 ただし、小説と舞台芸術としての人形浄瑠璃や歌舞伎とは、物差し、が異なることを留意する必要があるでしょう。

 
・・・次です。
 

鳴響安宅新関(なりひびくあたかのしんせき)~勧進帳の段」

 1895年(明治28)2月、博労町いなり北門・稲荷座初演で、二世豊澤団平作曲です。
 能「安宅(あたか)」を元にした、歌舞伎十八番「勧進帳」を、文楽にしたものです。内容は、言うまでもありません。

 源義経(判官)は、兄・源頼朝と確執を生じて、京から、北陸路を、奥州平泉・藤原秀衡(ひでひら)を訪ねる旅です。山伏姿の12人です。
 義経一行に対する追討の院宣が出て、新関が設けられています。

 加賀・安宅関【石川県小松市】で、関守・富樫左衛門(とがしのさえもん)の尋問を受け、勧進帳(東大寺大仏殿建立のために、諸国で寄付を募る)の聴聞を望みます。
 武蔵坊弁慶の機転で、懐から巻物を取り出して、〈勧進帳〉【治承4年、平重衡が、東大寺、興福寺を焼いて、翌年、俊乗坊重源は、宣旨を賜って、勧進帳を作って再建に着手した。】を読み上げます。のぞきこみ、目が合う富樫と弁慶。
 質問、
「山伏達の異形の姿は」、
「袈裟を身にまといながら頭の兜巾(ときん)は」、
「篠懸(すずかけ)の因縁は」、
「黒き脚絆は」・・・、
などにも淀みなく、真正な山伏であることを答えて疑いは晴れます。

 しかし、いざ通ろうとしたときに、義経が疑われて、呼び止められます。
「強力【ごおりき。山伏の荷を持つ従僕】待て。イサヤ新客待て。」
「義経殿に似たゆえ止め申す。」

 弁慶は、疑われたのはお前のせい、と、義経を金剛杖で続けさまに、打ちすえます。
「賤しき強力が成敗に、御身達の太刀刀を借らんより、この杖にて」、「打ち殺さば彼も成仏いたすべし。」。
 富樫は、それを止めて改めて通行を許します。
「ヤレ暫く。それにて心中の疑い晴れ申したり。」

 関所を離れ、弁慶は、策とはいえ主君を打ったことを詫びるところに、富樫がやって来て無礼を詫び(富樫の心底は、再吟味か、謝罪なのか、緊張が走りますが)、酒を勧めます。
 弁慶は、延年【齢いを延ばす、法会の後に演じられた寺院芸能が原義】の舞を舞い、やがて皆は出立します。


 近年は、人形は全て出遣いで、特に、弁慶(かしらは、昭和5年(四ツ橋文楽座)の吉田栄三以来「文七」。それまでは、「団七」。)は、3人とも黒衣を脱いでいます。

 注目は、栄三考案による、弁慶の、文楽の人形での「飛六方」による段切りの引っ込みです。
・・「虎の尾を踏み【危機を冒すたとえ】、毒蛇の口を、今ここに、遁(のが)れ出でたる心地して【危機を脱したたとえ】、陸奥の国、下りける」・・

 
参考:「上演資料集(235)」(国立劇場芸能調査室)、「上演資料集(241)」(国立劇場芸能調査室)
「近松門左衛門集 1」(小学館・新編日本文学全集)、
藤野義雄「殺しの美学」(向陽書房)、「新潮日本古典集成 謡曲集・上」(新潮社)、「図説 日本の古典 16近松門左衛門」(集英社)、内山美樹子「文楽二十世紀後期の輝き」(早稲田大学出版部)

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Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

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