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夏季セミナー。モーツァルト「魔笛」を楽しむ ①/2(序曲、1幕)

 東京、上野にある、東京藝術大学大学美術館で、7月3日から10月11日まで、「シャガール展」が開催されています。
 ここで、今回、シャガールが、77歳のときに、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の「魔笛」公演のために描いた舞台美術が公開されています。
 また、9月上旬に、新国立劇場で「魔笛」(実相寺昭雄演出、飯塚励生・補演出。テオドール・グシュルバウアー指揮)を観劇予定ですので、改めて、「魔笛」についてまとめてみたいと思います。

 能では、「名ノリ笛」で、ワキ、「諸国一見の僧」が登場するところですが、「魔笛」の笛は、いかに・・・。
 改めて、オペラでも有名なモーツァルトのオペラ「魔笛」を、じっくりと語りたいと思います。
 
 1789年、フランス革命が起こり、その前には、すでに、産業革命も起こっていました。人々の意識や神に対する認識、人間に対する意識も変化し始めていました。
 ちょうど、その時代に、モーツアルトは生き、1791年の11月20日に病床に付き、12月6日、35歳で亡くなりました。

 モーツァルト最後のオペラ、「魔笛」は、その、1791年9月30日、ヴィーンで初演されました。ちなみに、先に書いた、文楽「新版歌祭文」の初演は、1780年でしたね。

 初演された劇場の支配人が、台本作者のエマヌエル・シカネーダー(1751年9月うまれの40歳)です。
 やり手の劇場経営者で、お客を楽しませるために、舞台に、大きな仕掛けしたり、動物を出したり、工夫をこらしました。また、 「魔笛」では、パパゲーノ役で出演もして、パミーナ役の美少女アンナと「共演」しています。
 ちなみに、台本や劇場パンフレットの印刷は、フリーメーソン系の出版社(イグナーツ・アルベルティが経営)です。

 「魔笛」は、きわめて演出の多様性があるオペラです。 このところ、「新演出」も多く見受けられます。
 大きく分けると、1つは、シカネーダ風の観客受けする、しかけを凝らしたファンタジー風演出。
もう1つは、フリーメーソンや啓蒙主義の「自己の向上」などを基礎とした、真面目な演出です。
 その中間に、若い主人公の成長物語、善と悪の二律対立図式の演出でしょうか。
 やはり、観る前には、「能」でもそうでしたが、「作意」、原典の解釈をきちんとして、舞台の演出がどの範疇のものかを明確にしておきたいものです。

 そこで、もう一度、省略のない対訳をじっくり読み、フリーメイソンなどの知識を学び、幾人かの「解釈」を読んで、「能」での解説のように、細かく分説して、まとめてみました。★は、理解のポイントです。2回連続になります。なお、私のスタンスは、フリーメーソン的、真面目派解釈です。

 では、さっそく、序曲から・・・、 

Ⅰ 序曲

 アダージョ(ゆるやか)な導入部で、強い和音が3回、同じリズムで奏されます。初演当時のオーケストラは、全35名(第一ヴァイオリン5、第二ヴァイオリン4)でした。)

★ この3回の和音も、当時のうるさい観客に、「さあ、はじまるぞ」という合図だ、という人もいますが、やはり、フリーメーソンがらみ、と解すべきでしょう。

 そこで、冒頭ですから、まとめて、重要なポイントをいくつか説明しておきます。

★ 「3」は、フリーメーソン(後で、少し詳述します。)という団体への参入儀礼(フリーメーソンへの「入会儀式」や、その中において、修行のレベルを上げていく儀式こと。)で重要な意味を持ちます。
 また、この和音の演奏で、1回目にはフルートが入っていません。タミーノとパニーノは、まだ、参入の「候補」にすぎない段階だからでしょうか。
 魔笛の象徴的な楽器であるフルートの演奏も、3度づつ上昇します。

★ フルートの使い方に十分注意を払って鑑賞する必要があります。モーツアルト自身は、フルートを好きではなかったようです(当時、木製のフルートは、音程が不安定で、感覚的なものが過剰で、全体のバランスを壊す、というものでした。)が、いろいろな「象徴」として使っています。
 なお、フルートは、当時、「木製」です。その木は森にあり、森はゲルマン民族では、大宇宙(人間が制御できない)にある魔的なもので、キリスト教では異端で嫌悪していました。

 さらに、その音を出すには、人間という小宇宙が息を吹きこみます。それは、キリスト教においては神しかできない、大宇宙を小宇宙、人間がが制御する事で、そのことから、ゲルマン的な「魔的」なもの、つまりは、「魔笛」です。

 しかし、この物語では、笛は、おとぎ話のように、外に対して「自分を守る(相手を破る)ための魔法の笛」ではなくて、内なる「自分を鼓舞する」(あるいは、「人間的完成」を目指す)ための笛なのです。ここで、もう、この時代の、人間を高めるのは神ではなく、人間自身である、といった理念の萌芽が伺われます

★ キリスト教の伝統的価値観は、それまでのゲルマン的価値観を徐々に否定していきましたが、フリーメーソンは、産業革命やそのバックボーンである科学を背景にした、新しい啓蒙主義的な「人間の解放」や「理性主義」を基本とした価値観が中心となっています。
 モーツアルトもシカネーダもフリーメーソンのメンバーでした。もっとも、シカネーダは、その後、退会させられていますが。
(ちなみに、その次には、人間の想像力(創造力)こそが人間の神的能力である、という「ロマン主義」が席巻します。)

Ⅱ 1幕です。
★下の、「続きを読む」をクリックして、引き続きお読みください。

Ⅱ 1幕

(岩山。そばに円形の屋根の宮殿があります)
1 狩衣を着た王子タミーノが蛇に追いかけられ、「助けてくれ」と言って気絶します。
 3人の侍女が銀の投槍で蛇を殺し、助けます。3人は、気絶している、王子タミーナの美しさにみとれます。
(3人の侍女のブッファ的なやりとりです。)

2 3人の侍女は、美少年(王子)のことも含めて、このことを宮廷に報告しに去ります。鳥刺し(鳥を捕らえて売る人。江戸時代の鷹匠の配下のような者。)のパパゲーノが登場します。採った鳥を売って食べ物などを得て生活しています。

3 タミーノが目をさまします。パパゲーノは、自分が助けたと嘘をつきますが、3人の侍女が戻ってきて嘘がばれ責められます。
★ 最初の、王子との会話に注意します。
タミーノ「・・ねえ、君は誰」
パパゲーノ「へんな質問。君と同じ人間さ。」
タミーノ「・・王侯の貴族の血筋の者だ」
パパゲーノ「どうもよくわからないね」・・・・。

4 3人は、「夜の女王」の娘、パミーナの肖像画をタミーノに渡します。タミーノは、恋の炎を燃やします。

★ ただし、まだ、タミーノはパニーナに会ったことはなく、今一つ情に欠けるところがあるのは否めません。ここでは、フルートの、情熱を表す演奏は無く、クラリネットとファゴットの演奏です。

5 3人は、夜の女王の娘パミーナが邪悪な暴君(悪魔)に奪い去られたことを伝えます。王子タミーノは、暴君の所在を聞き、助け出すことを誓います。
 
(豪華な部屋)
6 夜の女王は、王子タミーノに、娘パミーナの救出を命じ、救出のあかつきにはパミーナをタミーノ授けることを約束します。
★ 夜の女王の素晴らしい、コロラトーラのアリアがあります。

7 侍女がタミーノに、夜の女王の魔笛を与え、この笛は、タミーノを助けてくれると説明します。パパゲーノには鈴(グロッケンシュピール。たいてい、楽器ではチェレスタを使います。)を与えます。3人の賢い童子(少年)が、見え隠れしての道案内役です。

 (エジプト風の豪華な部屋)
8 暴君(と、今のところ言われている)ザラストロの奴隷が、捕らえているパミーナが逃げたことを話しています。
 が、やがて、パミーナはザラストロの使用人モノスタート(モール人。黒人)に捕まり、鎖に繋がれて戻され来ます。モノスタートは、パミーナに、さかんに言い寄っています。手込めにしようともします。
 助けに、探しにきたパパゲーノは、モノスタートと鉢合わせし、驚いて双方逃げます。

 パパゲーノが、パミーナにタミーノが救出に来ることを伝えます。パニーナは、タミーノに思いを寄せるようになります。パパゲーノはモノスタートの仲間かと疑っていたパミーナもパパゲーノを信じるたのです。
 タミーノが現れる前の、この時点では、パミーナとパパゲーノは、恋人のようです。
【ここで、珠玉の二重唱があります】

★ パミーナとパパゲーノの二重唱は、「崇高な神へ(似た)の世界へ」行く、と歌われます。
 神では無い人間が「神にまで至る(まるで神に似たようになる)」ということは、フリーメーソン的、あるいは啓蒙主義に入った時代では、神や人間のとらえ方が古典的なものとは異なっています。
 その意味で、このオペラが書かれた時代、フランス革命やアメリカ独立の頃であることを注意する必要があります。

★ また、この部分の「二重唱」に入る前に、音楽が突然休止し、沈黙するところがあります。
 今の演奏は、アーノンクール以外はほとんど「補充」された版をつかっていますが、モーツアルトが、あえて、休止させ、沈黙の一呼吸おいてまで強調したかった意図を理解することが重要です。
 余談です。義太夫などでは、芸術上、「間(ま)」が大事ですが、六代目菊五郎は、「間」のことを「魔」と書きました。

(神秘の森。美しい「叡知の神殿」があります。それは、円柱の並ぶ回廊で、右にある「理性の神殿」と左にある「自然の神殿」と繋がっています。)

9 3人の童子に案内されて、タミーノがやってきます。 神殿に入ろうとすると、老僧が現れ、阻止されます。
 娘を助ける、と言っても、愛と貞潔ではなく、死と復習の観念にとらわれている者は入れるわけにいかないのです。
 この神殿はザラストロの物で、ザラストロは夜の女王が言うような悪人ではないこと、パミーナが生きていることなどを伝えます。
★ ここで、女性を、「女は仕事はちょっぴり、おしゃべりはたっぷりする」とか、あとで、「(女は)男が導かねば」「男なしでは、女というものは」とかの台詞があります。フェミニズム論が出てくる所以ですが、当時のオペラにはめずらしいものではありません。

10 タミーノが神に敬意を表しつつ魔笛を吹くと、森の動物たちが集まって聞き入る。パミーナが来ないので、パミーナよ聞いておくれ、と笛を吹くと、パパゲーノの笛が答え、パミーナを連れてきます。鎖ははずされている。

11 モノスタートスが追って来るが、パパゲーノが鈴の音を響かすと、追っ手は「ラララー」と楽しそうに帰って行きます。

★ 「鈴」は、笛と違って、自分を守る「魔法の鈴」としての機能があります。

12 6頭の獅子(ライオン)に牽かれた凱旋車に乗って、ザラストロスが登場します。(万人が身を捧げる、我らが賢者、と合唱があります。)

 パニーナは、ザラストロスに、逃げたのは、モノスタトスに手込めにされそうになったからだ、と許しを請います。ザラストロスは、モノスタトスに罰を与えます。

 ザラストロスは、パニーナを、母親、夜の女王にゆだねておいては、幸せになれないので、自分のもとにおいていると言います。
 また、タミーノは、パニーナに恋心を抱いているが、ザラストロスは、ここで愛を成就させず、2人に試練を課します。

★ その試練は、フリーメーソンの参入儀式を彷彿とするものばかりです。

★ 1部と2部で、夜の女王とザラストロの立場が、善と悪に逆転(あるいは、矛盾)しています。
 これは、台本作者シカネーダが先行して上演されているオペラ(レオポルトシュタット劇場のペネリ「魔法の竪琴、あるいはファゴット吹きカスパール」)との競合を避けて書き換えたとか、この台本には原作があって十分精査せずに転用したので矛盾が生じたとか、そもそも、筋立てから、そのような発言があるだけで矛盾はしていない、といった、いくつかの説があります。

★ 一様に注意を払う必要があるのは、「弁者」や、舞台には出てはこないですが、後に述べますが、「夜の女王の夫(パミーナの父)」の存在です。これらを、しっかりと捕らえておく必要があります。

(②に続きます。)

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Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

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