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再録・文楽、『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』を「予習」します。

 私が初めて「文楽」を鑑賞したのは、2009年9月の新作文楽・『天変斯止嵐后後』(テンペスト)、と『艶容女舞衣』、『伊賀越道中双六』でした。
 シェクスピアを基にした新作文楽が、さかんに新聞等で報道されていたことや、もう一つちょうど、「伊賀越」をこの年の7月に歌舞伎で鑑賞したことから、「比較」してみたくなったこともあります。

 その後、2009年11月、2010年2月と、2回文楽に行きました。そのうちの一回は、大阪でした。
もう、大分熱を上げだしていたわけです。
 そして、4回目が、2010年4月。また、大阪での「妹背山婦女庭訓」、通し、10時間近い公演を2日で鑑賞したわけです。

 このころから、入念に「予習」するようになり、それを、ブログにもアップしだしました。一つ前のブログです。
それがこの文章です。まだ、初期の拙さもありますが、ちょっとした熱気もあります。この際、2月文楽公演が、この演目ですので、「思い出」もかねて、再録してみます。

 繰り返しますが、2010年4月の大阪・国立文楽劇場の公演に際して「予習」した、

妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』

の予習です。では・・・・、

 4月【注:2010年です。】の国立文楽劇場(大阪)公演は、「「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」で、初段から4段までの、ほぼ9時間にわたる「通し狂言」です。
 
 謀反人、蘇我入鹿を倒すために、大切な息子や娘、恋人を失う犠牲の大きさ、悲しさがいくつものエピソードが挟まって、壮大に、美しく描かれます。

 三段目、四段目の「山の段」(吉野川)、「道行」「杉酒屋の段」などの有名なところだけでなく、全てが観られる貴重な機会です。
 しかし、何しろ各段が長いので、「チラシ」のあらすじだけではなく、台本が書かれた時代背景やあらすじの「行間」を知っておけばもっと面白くなります。そこで、例によって、少し事前勉強を始めたいと思います。

 ところで、「妹山(いもやま)」と「背山(せやま)」の仲は、妹と背、夫婦の間柄を示します。

 「古今和歌集」に「流れては妹背の山に落つちる吉野の川のよしや世の中に」(読み人知らず)とあります。後ほど、出てきますので、記憶しておいてください。
 
 また、さて、題名にある「女庭訓(おんなていきん)」とは、江戸時代の女性の生き方やふるまい方、躾などについて書かれた教訓本、道徳本です。

 二つの山の間を流れる吉野川の両岸に住む親子の悲劇が前者に関係し、後者は、その親子の一方の未亡人の母親定高(さだか)や町娘のお三輪、定高の娘・雛鳥(ひなどり)、入鹿の奥方・めど、などの生き方、が「女庭訓」らしい生き方となって物語に出ます。

 始めに、この台本が書かれた時代背景からお話します。ある意味では、人形浄瑠璃、最後の花火が、近松半二だったからです。
 
 まず、作者、近松半二(1725-1783。本名は穂積成章(なりあき))です。

 三島由紀夫は、近松半二について、「近松半二戯曲集をみつけ 親の仇のようにむしゃぶり読んでいます・・」(昭和18年3月17日書簡)とか、「(山の段は)文学的香気の高さ、文辞の秀麗、昔の日本人の持っていた威厳・・最高の文学的傑作の一つ・・」(昭和45年9月3日書簡)と激賞していました。 


  近松半二は、大阪で学塾を開いていた儒学者、穂積以貫(1692-1769)の次男として生まれました。
  父、以貫は、近松門左衛門の「虚実皮膜論」を「難波土産」で紹介したことでも知られ、自身も、近松に傾注し、「近松半二」と名乗りました。

  半二は、生涯に57の作品を書いていますが、最初は、1751年(27歳)の「役行者大峰桜(えんのぎょうじゃおおみねざくら)・序段」。最後は、1783年(59歳)の「伊賀越道中双六」でした。

  この「妹背山婦女庭訓」は、1771年1月28日に、大坂竹本座(竹田新松座)で初演されています。

  ちなみに、6か月後の8月1日には、歌舞伎(大坂道頓堀・小川吉太郎座)で演ぜられ、これによって「山の段」が大流行しました。江戸では、1778年1月15日に森田座で初演されました。

  1765年には豊竹座が閉座し、1768年には竹本座も竹本一族から権利が離れる、人形浄瑠璃にとっては激動の時期でしたが、さらに、近松半二の死後は、有為な浄瑠璃作家も出ず、1811年に二代目文楽軒が大阪に人形浄瑠璃を再び起こすまでは人気がなくなって衰退してしまいました。

  話がその1811年に飛びますが、1811年から32年間ほどは文楽軒一派の活躍で人形浄瑠璃は隆盛となりましたが、1842年の天保の改革(天保改革の禁令)で、劇場が閉鎖された後、1871年(明治4年)に文楽座が出来るまでは、またしても、人気が無くなります。

  歌舞伎が、舞踏やスペクタクル性など様々な工夫をして、まがりなりにも人気を得ていった間、人形浄瑠璃は、新しいものを生み出すのではなく、ひたすら芸術的な洗練、古典的な様式美を深化させていくことに務められた、といえます。 
  

 ここで、話を元に戻します。人形浄瑠璃、「最後の」ともいえる有名作家、近松半二は、この「芸術洗練、深化」の原点にもありました。

 つまり、はなやかさや色気、対照的な人物像・舞台装置(例えば、二本の花道や舞台真ん中を貫く吉野川など)、どんでん返しや謎解き、美しい場面、実話からのリアリティ、そして、古典的様式美の完成、などです。

 これは、「妹背山婦女庭訓」の各段でも、すべてあてはまります。

 余談になりますが、この近松半二、死の直前を書いた小説を、岡本綺堂(きどう。1872-1939)が、1928年(昭和3年)文藝春秋に書いています(「近松半二の死」)。

 この小説の中で、岡本綺堂は、山科の、死の床にあって「伊賀越道中双六」を執筆している半二に、「歌舞伎は一年ましに繁盛して、操りは有れども無きが如く」、「先生(近松門左衛門)が操り芝居を興して、その弟子の私が操り芝居を滅亡させては、先生に申しわけない」「操りの作者は近松半二が最後の一人で、その亡き後が思いやられる。・・船頭のない後は・・櫂(かい)がおれるか、船が沈むか、その行く末が見えそうで」。見舞い客の竹本染太夫には「太夫や人形遣いばかりがいくらいても、好い作者がいなくては。いつも、いつも旧い浄瑠璃の蒸し返しばかりでは、いよいよ見物にあきられるばかり・・」と、言わせて、時代を的確に表現しています。

 さて、題名にある「女庭訓(おんなていきん)」とは、先ほども述べましたが、江戸時代の女性の生き方やふるまい方、育て方について書かれた教訓本、道徳本です。
 
 後述しますが、お三輪と橘姫(たちばなひめ)が恋の争いを展開するところで、次のような言葉が出てきます。

「主(ぬし)ある人をば大胆な、断りなしにほれるとは、どんな本にもありゃせまい、女庭訓しつけかた、ようにやしゃんせ、エエたしなみなされ女中様・・」
(恋人のいる男に横恋慕するとは、女庭訓のどこにも書いていない。しつけのところをよく見て、勉強しなさい・・) 


 少し、前置きが長くなりました。ここで、物語の梗概をご紹介しましょう。

 繰り返しますが、極悪な蘇我入鹿(そがのいるか。母が鹿の血を飲んで生まれました。これは、記憶しておいてください。)を倒すために、多くの犠牲が必要だった物語です。親子、男女の深い情が描かれます。
 
 天智天皇に対して、蘇我蝦夷(そがのえみし)が帝位を狙います。 
 天智天皇の忠臣、藤原鎌足は謀反の疑いをかけられて姿を隠します。天智天皇が寵愛する采女(うねめ)の局が鎌足の娘であることをいいことに取りっていると讒言されたのです。

 久我之助(こがのすけ)と雛鳥(ひなどり)は、雨宿りが縁で恋仲になります。
 ところで、妹山(いもやま)と背山(せやま)の仲は、夫婦の間柄を示しますが、妹山には定高(さだか。太宰府三等官の未亡人)と雛鳥が住んでおり、背山には久我之助が父の大判事清澄(きよずみ)と住んでいます。
 両山の間には吉野川が滔々と流れています。

 蝦夷は、謀反の連判状を帝に渡した蘇我入鹿の内通で切腹して果てます。器が小さくて大望をはたすのには頼りにならないと見切った入鹿が蝦夷を見切って、滅ぼしたのです。

 そして、入鹿自身が、内裏に攻め込み、天下をとります。仏法帰依と偽って、攻撃の地下道を掘っていました。戦闘で矢に当たった行主は、大判事に「爪黒の鹿は入鹿の命にて、・・疑着の女の生血そそぐ・・」といって死にます。
 
 入鹿は、皇位継承の象徴である三種の神器の一つである叢雲(むらくも)の剣(つるぎ)を奪います。
 藤原鎌足の娘で、帝が寵愛する采女(うねめ)の局は、傅き役(かしずきやく。付け人)の久我之助の手引きで姿を隠します。入鹿が后妃にしたがっているのです。

 帝が、父の失脚などを悲しんで采女が入水したと言われている猿沢の池に来ているときに、入鹿が宮中を攻めたという情報が入ります。 藤原鎌足の子、淡海(たんかい)は、帝を逃し、鎌足に勘当された旧臣芝六(しばろく)の住処に案内します。芝六は、館で、帝を退屈させないよういろいろ試みます。

 さて、芝六は、爪黒の牝鹿の血が、入鹿の力を弱めるのに必要であると知って、鹿の血をとるのも禁じられているのにかかわらず、禁をやぶって鹿を殺します(鹿は、神仏の使いです。開幕冒頭に「鹿は春日様の使わしめ。こればっかりはどうにもならぬ。」との台詞がでます。)。このことで、芝六には義理の息子・三作がいますがこれに巻き込まれます。  

 また、鎌足の勘当を受けている芝六は、息子・杉松を殺してまで忠義を示します。 

 藤原鎌足は、興福寺の裏の山に隠れていました。采女も無事でした。芝六と義理の息子三作は助命され、許されます。天智天皇の目もよくなって、見えるようになります。

 久我之助の父、大判事清澄と雛鳥の母(未亡人)定高(さだたか)は、領地争いから長年の間不和(「互いに折れぬ老い木の柳」)です。しかし、それぞれの親は、入鹿に、久我之助出勤、雛鳥入内の無理難題を迫られ、それぞれ子を殺すに至りますが、それぞれは和解し、共同の敵、入鹿に対します。

 入鹿には、それぞれの親が、相手の親のことを思って、了承したように思わせるため、入鹿に言われたとおり、了承したという合図の桜の木の枝を川に流します。それぞれの親は、死んだ息子と娘を慟哭のうちに「結ばせ」ます。
(なお、「吉野川の場」の舞台は、「ろくろまわし」の大道具など、どのような舞台か、期待します。また、雛鳥の首を落としたり、切腹した久我之助の首を落としたり、といった場面とは裏腹に、美しい台詞が続く第一部白眉の名場面です。三島由紀夫は、この「首」の場面に感動して、切腹に抵抗が無くなっていたのではないかなどと勘ぐってしまいます。)

 さて、藤原鎌足の子、淡海(たんかい)は、烏帽子折(えぼしおり。烏帽子を作る職人)、求女(もとめ)となって三輪(みわ)の里に隠れ住んでいます。

 杉酒屋(すぎざかや)の一人娘、17歳くらいのお三輪は、隣に住む烏帽子折、求女と恋仲になり、お互いに心変わりしないことを誓っています。

 そこに橘姫が横恋慕します。横恋慕する橘姫は、実は、反天皇・蘇我入鹿(いるか)の妹です。

 お三輪は、嫉妬に狂います。(日暮れの大鳥居の前で、求女と姫の逢引を見た、お三輪の嫉妬に怒った、「所作事」「振り」の舞踏が歌舞伎にあります。)

 先ほど触れましたが、ここで、このような言葉が出てきます。
お三輪、「主(ぬし)ある人をば大胆な、断りなしにほれるとは、どんな本にもありゃせまい、女庭訓しつけかた、ようにやしゃんせ、エエたしなみなされ女中様・・」

 これに対して、姫は、「たらちねの許せし仲でもないからは、恋は仕勝ちよ・・」(親の許した恋でないもない、恋は勝ったほうのものよ・・) 


 ところで、嫉妬は、仏教で「疑着(ぎちゃく)」。成仏の妨げとなる執着心です。
 歌舞伎のほうでは、お三輪の、徐々に「疑着」になる姿が見所です。

 姫は、三笠山にある入鹿の金殿に戻ります。入鹿は、阿修羅の如き形相で酒宴の最中。
 姫につけた赤い苧環(おだまき)の糸をたどって求女も来ます。求女につけた苧環の白い糸をたどってお三輪も迷い込んで来ます。三輪は、宮廷の女官から執拗なイジメ受けます。

 入鹿の力を弱めるには、「疑着」した娘の血と爪黒の鹿の血を混ぜた笛を吹くとよいと知った鎌足の家来、金輪五郎(鱶七(ふかしち))は、お三輪を殺します。
 お三輪は、死に際「・・今一度お顔が拝みたい。この世の縁は薄くとも、未来は添うて下さりませ。」、といいつつ、自分の死が恋人の役に立つなら、と死んでいきます。

 求女は、姫に入鹿の持っている十握(とつか。刀身が十握りほどある剣。)の剣を手奪い返したら夫婦になるといいます。姫は、一旦は剣を手に入れますがそれは偽物で、逆に、入鹿に肩を切られてしまいます。
 混ぜた血を塗った笛の音によって、入鹿の力は衰え、鎌足は焼鎌(やきがま)によって首をはねます。「首は、そのまま虚空に上がり、火焔をくわっと吐きかけ、飛鳥の如く駆け廻る、一念の程おそろしき。」。(舞台での仕掛けが見ものです。)
 
采女「鎌足が徳、剣の徳」、淡海「橘姫とお三輪が貞心」・・
大判事「げに治まれる九重(ここのえ)の」、
鎌足「年つき新たに春の空」、
采女「主上(しゅじょう)の叡慮(えいりょ)」、
皆々「やすらかに」。「忽ち治まる朝敵の、末に伝えし物語。」
 
 剣が鎌足に戻り、天下は元に復し、都が江州の志賀に移され、帝のお声かかりで淡海と橘姫はむすばれ、三作は大判事の養子になります。   (幕)

参考図書:

景山正隆「歌舞伎オン・ステージ② 妹背山婦女庭訓」(白水社)=一番お勧め。芸談も参考になります。定価が4000円以上しますが、たいていの図書館にはあるはずです。

渡辺保「江戸演劇史 上下」(講談社)=歴史が詳しく書かれています。
沼野正子「今宵も歌舞伎へまいります」(昌文社)=感想を読めます。
小笠原恭子「現代語訳 歌舞伎名作集」(角川文庫)









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Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

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