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全段詳説。文楽『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽがつじ)』を「予習」します。~特に、玉手御前の人物像を深ってみます。

先ほど、ちょうど、ネットでチケットを無事購入しました。 上手寄り9列目の良い席でした。
 
 2月国立劇場第一部、

『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽがつじ)』


 今回の公演は、「下巻」部分です。

 時代物、二段で、菅専助らの作です。
 安永2年、つまり、聖徳太子誕生1200年に当たり、2月、つまり、聖徳太子誕生と言われる2月22日にも当てたのでしょうか。北堀江座初演です。

 識者、に言わせると、菅専助の玉手御前の人物像は、凡庸なこの作者には出来すぎ、だそうです(間民夫「摂州合邦辻の由来」)。

 紀海音、並木宗輔の豊竹座系の出し物を、今様に新しく、しかも、いかにも芝居様に作り上げる菅専助は、そんなに想像力がない、と見られているからでしょう。

 しかし、まあ、この頃の浄瑠璃作者の戯曲作法は、近松を除いて、「類型の型の上に類型を重ねていく」のが通例であったそうですから(折口信夫「玉手御前の恋」)、一概に責められません。

 さて、ここからは、この物語初見の方は、まず、ずっと後の、「★物語です。」から読んでいただくと理解が容易かと思います。

 この戯曲は・・、

謡曲、能『弱法師 (よろぼうし、能役者は、「よろぼし」と言います。) 』の、荘厳な物語を、俗化した作り替え作品で、
また、説経節『しんとく丸』、『小栗判官』(正保5年)や、謡曲『富士太鼓』をも合わせた、
並木宗輔『吾妻雛形』、の延長にあります。

【なお、「よろぼうし」とは、よろよろした僧侶、または、よろよろした乞食僧】


 ただし・・、

これらは、継母の悪計がもとになっていますが、
(もっとも、「しんとく丸」は、亡き母に対する追慕の激しさから、父の再婚を嫌い、継母に冷淡な態度をとることが、継母の讒言の発端ですが)


 本作は、
継母(玉手御前・お辻)が、先妻の子、俊徳丸を恋する(この親子の恋にいやな気持ちを持つ観客もあります。)、

 あるいは、
俊徳丸と妾腹の次郎丸の息子たち両方を生かそうと策を巡らせるようになっています
(さっき、いやな気持ちになった観客が、モドリで、救われた気持ちになりますが。)。

【モドリ、とは、隠していた腹を見せることです。もとは、本心、善心に立ち返ることを言いました。】

 継母が、俊徳丸に恋する筋は前段で、
その理由が実は、
後段モドリで、俊徳丸と妾腹 (しょうふく。外威腹、げしゃくばら、下借腹とも。) の次郎丸の息子たち両方を生かそうと策を巡らせたようになっています。
 しかし、本当の玉手御前の心は如何にあるのか、人形で、その性根を読みとる重要なところでしょう。
 例えば、上を向いている時の笑顔と色気、少し下を向いた時の口外出来ない内面の苦悩と父母の慈悲心への感謝、芯の強さ、・・などから。

 ちなみに、説経話「しんとく丸」の、「しんとく」ですが、天竺を意味する「身毒」という語があります。
 
 
 少しクドくなりますが、説経話について述べます・・、

 見落とせないのは、説経話「しんとく丸」は、この時代の民衆意識の鉱脈があることです。
 それは、業病=遺棄される者、「母神」を離れた幼神の孤独と枯死、女の漂流する巫女の心身浄化と蘇生などです。

(この命脈は、近松作品において、遊女=観音、として、お初の天満屋の縁の下(これは、まさに天王寺の縁の下!)、三十三観音巡りに伝承されています。(後掲・岩崎武雄書に詳しい))
 

 もう一つ。玉手御前は、天王寺の西門(この西門は、極楽の東門に接すると言われました。)脇に庵をあんでいる合邦(がっぽう)、の娘(もとの名、お辻)ですが、寛政元年の古地図では、天王寺の西、一心寺の前の今の新世界あたりに「合邦の辻」さらには「学校の辻」とも言われた古跡があったことから、外題に付けたのではないかとの説があります。 


 ★物語です


 「住吉社参の段」。河内国の高安左衛門(通俊)の病気平癒の祈願に、
奥方・玉手御前、嫡子・俊徳丸が、住吉神社に参拝します。

【玉手御前は、合邦の娘(おつじ)で、高安左衛門高安家に腰元奉公にあがり、正妻亡き後、後妻になりました。】

 妾腹・次郎丸は、妾腹ゆえ家督を相続できないことから、悪仲間と俊徳丸を殺す相談をします。

 社殿から、少し酔った風の俊徳丸が出てきます。
 入平とお楽夫婦 【高安家の忠臣】 の手引きで、相愛の、浅香姫 【和泉の蔭山長者の娘】 に会おうとします。
しかし、奥方・玉手御前お出ましの声に、浅香姫はそこを去ります。

 奥方・玉手御前は、人払いし、俊徳丸に、アワビの貝に酒 【神酒と偽った毒酒です】 を盛って勧め、恋を打ち明けます。
 驚いた、俊徳丸は、奥方・玉手御前を突き離して逃げ、帰館します。

 奥方・玉手御前も仕方なく帰館。
 戻った、浅香姫が、次郎丸らに襲われますが、入平とお楽夫婦が守って和泉の館に戻ります。


「高安館の段」。
 俊徳丸は、病 【ライ病】 となっています。
 
 家老、執権・誉田主税之助の女房・羽曳野が見舞いに来ます。
 勅使・高宮中将 【次郎丸とグルの偽物です】 が来て、俊徳丸に家督お許しの綸旨 【綸言の旨。君主が下に言う言葉。詔勅。】 が下りた旨伝えます。
 
 業病と継母・玉手御前の恋慕から、書き置きを残して出奔しようとした俊徳丸を玉手御前が見つけ争いますが、俊徳丸は玉手御前を鈴の綱で縛って逃げます。
 羽曳野が、玉手御前を見つけて縄を解きますが、玉手御前はなおも俊徳の後を追おうとします。羽曳野は、止め、屋敷は大騒ぎになります。 
 勅使・高宮中将は、次郎丸を跡取りにしては、と言いますが、それを止めた羽曳野と争いになります。
 
 玉手御前は、羽曳野を振り切って館を走り出て行きます。
 
「綸旨奪返しの段」。
 家老、執権・誉田主税之助は、勅使・高宮中将 【次郎丸とグルの偽物です】 から、綸旨を取り戻します。


 ここから、今回の、上演部分、下巻です


「天王寺万代池の段」。
 俊徳丸を追って、出奔した浅香姫とやはり俊徳丸を尋ねる入平夫婦は、弱法師がいると聞いて行きます。

 俊徳は、杖にすがって小屋にたどり着きます。
 そこに、閻魔様勧進道心の合邦が疲れ来て、車の上で、寝入ってしまいます。
 
 浅香姫は、俊徳と知らず、俊徳丸の行方を尋ねますが、俊徳丸は名乗らず、涙ながらに、俊徳丸は死んだと言って帰します。
 そこに、入平夫婦が来て、沈む浅香姫を見付けて、おかしいと思い、物陰に隠れて様子をうかがっていると、俊徳丸は、我が身の上を嘆いて泣きます。
 隠れて見ていた浅香姫らは、耐えかねて声を上げますが、それを聞いて俊徳丸は、逃げ出します。浅香姫が後を追い、捕まえた姫は俊徳丸に恨み言を言います。

 姫は、次郎丸らに襲われますが、合邦は、俊徳を地車 【じぐるま。重いものを乗せる四輪の低い車体の車】 に乗せて姫にひかせて逃げさせ、次郎丸を万代が池に投げ込んで、振り返りもせず、帰ります。


合邦内の段」。
 閻魔堂守である合邦道心(がっぽうどうしん)の庵(仮の住居)では、娘が死んだものとして、近所の念仏講の仲間が集まって供養しています。

【合邦は、鎌倉の青砥左衛門藤綱(あおとさえもんふじつな)が親で、親の功もあって活躍していましたが、執権・北条高時の時代になって、讒言(ざんげん)で失脚し、浪人して20余年。ついには、世を見限って(見切りを付けて)捨て坊主になりました。】

 講仲間が帰った夜、玉手御前 【玉は美称。玉のように美しい手の意味】 が帰って戸を叩きます。
合邦は、高安家への義理から、家に入れようとしませんが、娘可愛さの女房【おとく】の頼みにまけて、内に入れます。

【玉手御前は、頬かむりをしていますが、余談ながら、この頃、頬かむりをしていたのは、乞食に多く、また、道心も乞食、非人一歩手前の僧、となります。写実的にすればこうなります。】
 
 まだ、俊徳をあきらめない玉手御前を、合邦は切ろうとしますが、女房が止めて、尼になれと説得しつつ、夫に、1、2時間くれと、玉手御前を納戸に連れてゆきます。

 この家に匿われていた俊徳丸と浅香姫は、入平が来たら逃げようと相談していましたが、玉手御前が見つけて、またも、俊徳にすがります。

 俊徳を口説く玉手御前を、俊徳丸と浅香姫が、「同姓不婚」など、道を説いて諫めますが、玉手御前は、嫉妬から、浅香姫に打ちかかる始末。

 たまりかねた合邦は、玉手御前に太刀を突込み(乳下を刺し、深手となるように、えぐります。)ます。

 玉手御前は、刀を抜こうとするのを止めて、苦しいなか、本心を打ちあけます。

 ・・それは、

1、兄でありながら妾腹である為に家督を継げない次郎丸の企みを知って、俊徳が家督をついで殺されないように、わざと不義をしかけ、また、神酒(みき)と偽ってライ病を発する毒酒を飲ませたこと、

2、また、その毒は、飲んでも、「寅の年、月、日(午前4、5時)刻、に生まれた女の肝臓の生血を飲ませれば癒える」、ことを典薬法眼(てんやくほうげん。「典薬」は、朝廷や幕府で、医薬を掌った者。)から聞いて知っていて、その生まれが、ちょうど自分であることを知ったこと、
 したがって、一端、業病にしても、自らの命を捨てて、即座に治癒できること、

3、また、次郎丸の企みを父が知って、怒って殺されたり、切腹にでもなれば、先だった母御前が草場の蔭でなげくだろう、自分にとっては、同じ継子(ままこ)、そのようなことのないように父には告げなかったこと、

4、そのように、双方が死なぬように(継子二人の命を我が身一つに引き受けた)こと、
・・・を伝えたうえで、

 寅の年月日刻に生まれた自分の血を飲ませれば俊徳丸の病は癒えると、ひるむ合邦に自らの鳩尾(みぞおち)を切り裂き、自らの肝臓の血を、鮑(あわび)に入れて、俊徳丸に飲ませます。

 不思議や病は癒え、一同が数珠をくって念仏を唱えるなか、玉手御前は死んでゆきます。
「心ゆるめばがっくりと玉手の水や合邦が辻と、古跡を。」

~幕
 
参考:国立劇場上演資料集・1968年6月版。国立文楽劇場上演資料集・1986年1月版。『歌舞伎オンステージ 15』(白水社)。金沢康隆『歌舞伎名作事典』(青蛙紡房)。岩崎武雄『さんせう太夫考ー中世説経語りー』(平凡社)

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Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

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