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全段詳説。『苅萱桑門筑紫いえづと (かるかやどうしんつくしのいえづと)』~12月国立劇場・文楽公演を「予習」します。

 このブログのアクセスが、4万になりました。ありがとうございます。
今日は、チケットの発売は先になりますが、12月文楽公演の「予習」です。

 この曲は、若い世代が伝承すべき曲とされ、これを若手が活躍できる12月公演に持ってきたのは、すこぶる良心的です。
 政略と男女の葛藤の明確なテーマを持ち、主人公の生き方の根底が問われる、いわば、内容で聞かせる(見せる)並木宗輔初期の、豊竹座(東風)の異色作(しかも名作)です。

 1735年豊竹座初演、『苅萱桑門筑紫いえづと (かるかやどうしんつくしのいえづと) 』(全5段)、
 
 今回の公演では、

三段目切、「守宮酒 (いもりざけ)【玉取り】の段」、
五段目、「高野山 (こうやさん)の段」、

ですが、ここでは、全段を「予習」してみます。

 作は、並木宗輔(1695ー1751)、並木丈助です。
 なお、宗輔は、狂言作者になる前は、備後国の臨済宗僧侶でした。

 まずは、ざっとポイントを俯瞰しますと、

 「苅萱」は、主人公、筑紫の領主、加藤左衛門尉繁氏 (かとうさえもんのじょうしげうじ) の出家してからの呼称、苅萱道心(かるかやどうしん)です。萱(かや)の庵で修行していました。

 「桑門」は、仏僧、出家のこと「そうもん」ですが、「どうしん」つまり、苅萱道心(かるかやどうしん)の「どうしん」をこの字に当てています。

 「筑紫」は、九州。
 「いえずと」は、車ヘンに榮と書きますがパソコン変換不能文字で、皆さん苦労されているようです。私は、ひらかなで書きます。
 この言葉の意味は、自分の家への土産、の意味です。

 
 では、全段のあらすじです。


初段

(口)春・・。大道廃(すた)れて仁義起こり、国家乱れて忠臣顕(あらわ)す。
 
 筑前の領主・加藤左衛門尉繁氏 (かとうさえもんのじょうしげうじ)は、国元に妻子を残して、勤勉に京の禁廷守護を勤めて、もう7年になります。
 幼い後小松院【1377ー1433】の母・通陽門院【1351ー1406】に仕える千鳥は、かねて繁氏に心をよせていて、通陽門院の計らいで、繁氏の側室となります。「懈怠なく勤勉の、褒美に千鳥を取らすべし。寂しき閨(ねや)の友とせよ。」。

(切)10日ばかり前から、山城国・高雄山に出没して往来の人を悩ます、香染の袈裟で、おどろの髪を振り乱した、高足下駄の異形(いぎょう)の行者を捕らえよとの勅命が下ります。

【実は、その行者は、禁廷守護の役を仮病で逃れて、謀反を企む豊前国領主・大内之助義弘です。なお、実際の大内義弘は、1358ー1399。応永の乱(1399)で敗死。】
 
 繁氏の家臣・堅物(けんもつ)太郎信俊と豊前国領主・大内之助義弘の家臣・多々羅新洞左衛門 (たたらしんとうさえもん)とが、、勤番の受け持ちの時間や場所などから、何れの主君が捕らえるかで争います。

 一方、繁氏への嫁入りの観音参りをする千鳥が、道中、新洞左衛門に捕らえられます。
 堅物太郎信俊は、義弘を捕らえますが、新洞左衛門との交渉の末、互いの人質を交換し、千鳥は、繁氏のもとに向かいます。


二段

(口)春・・。繁氏は、山城国・八幡と山崎の間を流れる狐川の渡し場で、互いの刀が竹刀であることを発端に、メンツから争いとなって切り合う寸前の、二人の貧救の浪人を、互いのメンツをたて、助けます。

【二人の浪人は、四段で与次駒形一学春秀 として登場します。】

(切)春、花見の頃・・、繁氏の帰国が決まって、桜狩の準備にあわただしい山城国・姉小路の繁氏邸。

 繁氏暗殺の命を、義弘から受けて屋敷に潜んでいた、千鳥の兄・黒塚蔵人が、堅物太郎信俊に捕らえられ、社(やしろ)に閉じこめられます。

 義弘は、桜の宴で、盃に落ちた桜花の一片から、散りゆく桜の無情を感じます。
 折から、騒がしい障子の中を覗くと、日頃、仲が良く見えた正妻・牧の方【説話では、桂子(かつらこ)】と、側室・千鳥の髪が蛇になって、嫉妬で争ってます。
 これを見た繁氏は、出家を決意し、遺書を残して、裏門から去ります。

 主君遁世を隠すため、堅物太郎信俊は、牧の方に夫の烏帽子、狩衣を着せて主君の帰国に見せかけ、また、9歳の石童丸【石動丸、石堂丸】に跡目を相続させようとします。

 また、千鳥には、主君の形見として社の鍵を渡します。事情を察した千鳥は、兄と相打ちして果てます。

 
【物語の途中ですが、「説経話(「かるかや」、「かるかや道心」)」 や 「謡曲」などの、源拠となっている、元のお話はどうなっているか、少し、長く、また、先走りますがここで触れてみます・・・、お急ぎの方は、後ほどご覧ください。

 義弘は、桜の宴で、盃に落ちた桜花の一片から、散りゆく桜の無情を感じ、花見からそそくさと帰宅します。
 帰宅後、妻と側室に慰みの琴の演奏を所望します。二人は、仲良さそうに合奏しますが、部屋を出た繁氏が障子に見た影は、蛇になって噛み合う二人【「一偏上人絵詞伝」の伝説を参考】。

 罪作りな自分を悟り、21歳のときに円空と名を改めて出家、高野山・蓮華谷の質素な萱の庵で修行に励み、苅萱道心 (かるかやどうしん)と言われました。

(細かくは、比叡山で剃髪して等阿と名乗り、その後、法然上人〈源空〉の弟子として京都・黒谷で修行していましたが、妻子の訪問を避けるため女人禁制の高野山に入りました。)

 繁氏には、正妻・桂子(かつらこ)と側室・千里(ちさと)がいて、千里が繁氏出家後に、播磨の国大山寺で生んだ子どもが石童丸(石動丸、石堂丸)です。

 繁氏は、石童丸と親子の名乗りをせずに弟子にして、道念と名乗づけ、共に修行しました。
 その後、繁氏は、石童丸の成人を契機に信州・善光寺に移り修行します(円空は、83歳(1214年)で没します。)。
 やげて、道念も、信州に追い往生寺に地蔵尊を安置します。)

・・という源拠をもとに、この物語は書かれています。
なお、歌舞伎になったのは、1736年の大阪で、その後、1830年に「添削筑紫いえずと」では、五世沢村宗五郎が、繁氏、与次、新洞を演じて、53日間の大入りとなりました。】


三段

(口~大内館)秋・・。
 「富んで奢(おご)らず、貧しうして貪(むさぼ)らぬは未可なり。富貴にして礼を知り、貧しうして楽しめ」とは、弟子に示した孔子の詞。

 横雲将軍と言われて、九州に権勢を広げた大内之助義弘は、勅命と偽って、諸侯から宝物を献上させています。

 繁氏の家臣・堅物太郎信俊は、加藤家の家宝は、仁義礼智であると言いますが、大内之助義弘の家臣・新洞左衛門から、「夜明珠 (やめいしゅ) 」という名玉があるのを指摘され、献上を強要されます。

 この名玉に触れられるのは、20歳の処女だけで、それ以外のの者が触れると、たちまち光を失って黒くなるというものです。そこで、新洞左衛門の娘・ゆうしで(夕しで)が受け取りの役となりました。


(切~守宮酒(いもりざけ))秋の最中、祭日、筑前国・繁氏館広書院・・。


【この3段目切り「守宮酒 (いもりざけ) 」では、ゆうしで、新洞左衛門、女之助の人物造形と、太夫が語る人間の暗い面と愛欲、国家の理不尽な仕組みの語りが聞きものです。
 悲痛な「かく成行は神の罰、神明怒りのかぶら矢に。射殺さるる覚悟して」のくどきに注目。】


 秋の最中、祭日に、繁氏の館に、「夜明珠」の使者、新洞左衛門とゆうしでが来訪します。

 たまたまこの日、繁氏の家臣・堅物太郎信俊の弟・女之助が来ていました。女之助は、女色の故、勘当されていたのですが、詫びに来ていたのです。

 そこで、堅物太郎信俊の妻・橋立の案で、女之助を、ゆうしで【夕しで。歌舞伎の女形では至難の役です。】の接待役とすることになりました。

 ゆうしでは、女之助のもてなし酒で女之助に恋情を抱き、肌を許します。

 ゆうしでが受け取った「夜明珠」は、黒く、ゆうしでは、申し訳に髪にさしていた鏑矢で喉を突いて自死します。

 新洞左衛門は、ゆうしでの言葉から、酒の徳利を割ると中から、つがいのいもり が出てきて、欲情を起こさせる酒を飲まされたことに気づきます。

 珠の黒くなったことを娘のせいにされた新洞左衛門は怒り、女之助を切ろうとしますが、娘が言った「仮の契り(一度肌を許したこと)でも夫、・・私が死んでも形見と思って、いとおしんでください。」という言葉から思い止まって、珠を2つに割って持ち帰ります。

 繁氏が、高野山にいるという噂をたよりに、牧の方と石童丸は、秦の故事にならって、不義の者からはすぐに落ちて消えてしまうという、いもりの血を肘に塗って忠義を誓った女之助を伴って、館をたちます。

【秦の始皇帝は、3千人の宮女の忠義を疑い、不義の者は、すぐに落ちて跡形も無くなる、いもりの血を肘に塗りました。このようなことから、守宮(いもり)という字を、宮女(きゅうじょ)を守るという心で、「宮守り (いもり)」と書き伝えました。】


四段
 
(道行き)筑前から高野山まで、秋から冬。
 牧の方と石童丸それに女之助の旅。


(口~高野山の麓の学文路(かぶろ)宿、三の切りの20日後)
 女之助は、忠義を誓ったものの、牧の方に邪心を抱き、学文路(かぶろ)の慈尊院に泊まった夜には、牧の方に迫る夢を見を見ました。
  
 大内之助義弘の命を受けた追っ手に取り囲まれますが、一行は、何とか逃れ、一軒の宿にたどり着きました。


(切)たどり着いたその家の主人は、先の追っ手の頭・玉屋与次で、女房は、女之助の先妻・おらち(お埒)と自分の子・かどた、でした。

 実は、与次は、狐川【二段(口)】で繁氏に助けられた浪人の一人で、おらちの話を聞いた与次は、三人を助けることを誓います。

 そのような話を聞いた女之助は、夢とは言え牧の方への邪心を悔い、後事を頼み、切腹します。

 追っ手の代官・駒形一学春秀は、おらち、かどた母子を、牧の方と石童丸の身代わりと知って捕らえます。実は、駒形一学春秀も、狐川で助けられた浪人でした。


五段

(高野山女人堂)冬・・。
 陰徳あれば陽報あり、賢き教えまのあたり。
 与次の助けで、女人堂まで来ましたが、牧の方は、病で重篤になります。
 しかも、ここから先は女人禁制。
 石童丸は、一人父を訪ねて山に入ります。

 与次と牧の方のところに、おらち、かどた親子が逃げて来て、新洞左衛門におらちらが牧の方の身代わりであることが露見したこと、駒形一学春秀が切腹したこと、さらに追っ手が迫っていることを伝えます。


(高野山無明橋)
 高野山中で、石童丸は、通りかかった修行中の僧に、
「もうし、御出家様、この山に、道心(父・繁氏)様がいらっしゃれば、教えてください。」、
と尋ねますが、山には、990の寺があって、僧の出入りも頻繁で、顔も知らずに、ただ道心と言って探すのは難しい、せめて俗名で尋ねられよと言われます。

 されば、と、石童丸が、「元は、筑紫の領主、加藤左衛門尉繁氏」の名を出すと、その僧の動揺が見て取れます。
 僧は、「年端もいかずに遙々尋ね来たのは、さぞ、父が喜ぶだろうが、ここの掟では、名乗れない。早々に、国に帰り、母を大切にするのがまた、孝行である。」と諭します。

 石童丸は、「今、国では大内という者攻め悩まされ、母と共に山の麓まで来たが、その母も旅の疲れで危篤、せめて父に会いたい」と嘆いていることなどを伝え、「情けと思って、居所を御存知ならば教えてください。」と涙ながらに懇願します。

 僧も貰い泣き。目賢い石童丸は、この方は父ではないかと思い、「そのように嘆かれるのは、もしや父上ではありませんか。早く、名乗ってください。」と縋り嘆きます。

 しかし、繁氏は、苅萱と名を変えて出家し父と名乗ることができません。その動揺は、明らかです。でも、名乗ろうとして恩ある師の声で躊躇し、ついに名乗りません。

 繁氏は、石童丸に牧の方への護摩を焚いて調合した妙薬を渡して、なだらかな下山道を教えて、涙で、別れます。
 しかし、苅萱は、縁の友綱に引かれたように、見えつ隠れつ石童丸の後をつけます。

 女人堂で危篤の牧の方は、「まだ、向こうの道から石童が帰ってくる姿は見えないか。恋しの我が子や、懐かしの我が夫(つま)や・・」、「せめて最期に夫や子の・・声なりと聞いて死にたい・・」と言いながら虫の息です。

 うろたえる看病しているかどた。やがて息絶え、かどたは大声で「御台様が死なしゃった・・」と父母を必死で呼びます。

 山から走って戻ってきた石童丸は、死骸を揺り起こし、持って帰った薬を噛み、母の口に吹き込もうとして前後不覚に泣きます。

 このような哀れを遠目に見ていた苅萱は、そっと念仏を唱え、「・・赦してくれよ我が妻よ・・・」と、菩提をともらいます。

 与次と駆け戻ったおらちが、苅萱に「お久しい繁氏様」と言いました。
 石童丸は、「なに、このお方が父様か。懐かしや、恋しや」と縋りつきますが、苅萱は、衣の袖で打ち払います。

 その時、堅物太郎信俊が、勅命を受けた戦に勝って、大内之助義弘を捕らえて現れ、その処置を苅萱に問います。
 与次は、急いでの打ち首を進言し、新洞左衛門は、謀反人とは言いながら、まだ旗を揚げていないことから助命を嘆願します。

 苅萱は、大内之助義弘を助けるとも殺すとも、自分が決めることではなく、石童丸が都に参上して問い、命乞いをするよう、それが、我が子石童丸が筑紫に送る「いえずと」【みやげ】である、と告げるのでした。

 悪人滅び国安全、民も豊かに萬萬歳、千代を祝いし筆の跡、長くも語り伝えたり。 

~幕。

参考:『浄瑠璃名作集 上』(有朋堂)、内山美樹子『文楽二十世紀後期の輝き』(早稲田大学出版部)、国立劇場上演資料集〈340〉【1993年9月】、国立文楽劇場上演資料集〈18〉【昭和63年4月】
 
11月の『仮名手本忠臣蔵』の予習は、以下のワンクリックでアップします。
http://kandoujin.blog48.fc2.com/blog-entry-366.html

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Re: ありがとうございます。

 はじめまして。ありがとうございます。
これからも、ご活用いただければ幸いです。

とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
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感動人

Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

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