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藤木久志 『新版 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り』 ~ これを知って唖然 ! 日本の中世戦場では、農村の端境期の生活のため、掠奪、奴隷狩りが主だった、など知って驚きました。NHK「麒麟がくる」は、この学説を弁えた演出があります。

 本日、73歳に相成りました。
「しぼめる花の色無くても、にほい残れるが如し」、を心して、がんばろうと思います。
   
 さて、今までの中世史の読書で、触れられていなかったことを知ることが出来た読書でした、

藤木久志 『新版 雑兵たちの戦場 中世の傭兵と奴隷狩り』(朝日新聞社)

です。
 著者は、2019年9月に、85歳で、亡くなっています。

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 11回前の当ブログでアップした「中世民衆の世界」(岩波文庫)は、2010年の刊行でした。本書は、それより前の2007年(第2版)刊行です。
 本書の片鱗だけでも2010年の書物に織り込まれていれば、さらに良かったのですが。
 2010年の書だけ読むと、随分と「村社会」の安定・堅固さが、牧歌的に伺われるのですが、実は、戦国の村社会は、悲惨だったことが本書で分かります。端的に言うと、本作を読まないと、中世を誤解したままでいるところでした。

 本書では、16世紀、戦国期中世の村と民衆の実像、その悲惨さが、リアルに提示されています。
 余談ですが、NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」で、縄で数珠つなぎに囚われた人々が、チラリと画面に出て来たことが2回ほどありました。
 チラリ・・、ですが、本当は、これが戦場の実体のようで、ドラマの作者は、このあたりをよく知っているので、入れたかったのではないか、と思いました。

 同じ6月7日放送には、後述する「乱取り」という言葉も出て来ました。
 さらに、もう一つ、「ヤシ」、つまり医師、薬師には、当時、スパイ、ひと殺しのプロが多かったというのも(211頁)、ドラマの登場人物を底流で遣っている感じがあります。
 で、「麒麟がくる」は、新しい中世史の視点を、随分、念頭に置いているのに気付きます。

 数珠つなぎの囚われ人、奴隷化される人々については、大阪夏の陣に破れた大阪方町民等が多く奴隷にされたことは、昔、克明に描かれた「大阪夏の陣屏風」で知って、驚いたことがありましたが、実は、この時代は、それが一般的なことだった、と本書で知って、驚愕しました。
 なぜ、歴史書は、このような実情(暗部)にほとんど触れないのでしょうか。

 前置きが長くなりました・・。

 まずは、前提として、中世は、「兵農未分離」の時代で、戦場は、「領土拡張」目的よりも、冬から春の端境期・農閑期の農民にとって絶好の稼ぎ場所であり、「食うための戦場」であったこと、が本書で述べる全てです。

(以下、下記の「続きを読む」をワン・クリックしてお読みください。)

 そこでは、掠奪(人を含む)が主です。
 一例をあげれば、上杉謙信の「関東出兵」26回のうち、ほぼ全部が晩秋に出かけていて(97頁)、それは作荒しか収穫狙いでした。その際、勝った城下では人の売り買いをしています。

 また、例えば、天正3(1575)年、信長が越前一向一揆を制圧したときに、徹底的な山狩りで男女1万2千余人を切り捨てましたが、その際、生け捕っても信長に報告せずに諸大名が密かに国元に連れ去った男女は2、3万人とも言われます。

 北信濃に進出した武田軍は、信越国境関山を越え、春日山城(上越市)に侵入し、村々に火を放ち、女性や児童を《乱取り》し、生け捕った越後の人々を甲斐に連れ帰って奴隷にしました。
 ・・このようなことは、枚挙に暇がありません。

 それら、農民の兵、傭兵、雑兵にとって、《乱法(濫妨)》つまり、放火、苅田(田畑を荒らす)、人を捕らえるなどの《乱取り》が大きな目的であったこと、

 人を捕らえる《乱取り》のためには、命令無しの、掠奪目的の夜討(夜陰に紛れたゲリラ戦)も平気で行われ「女、童部ども取りて陣衆帰る」ことが行われたこと、

 囚われた人々の金銭での買い戻し、商人が入った人身売買がざらに行われていたこと、 長崎・平戸は、大奴隷市場、傭兵積み出し港でもあり、多くが、ポルトガル船で東南アジアに売られた、奴隷同様に積み出されたことに驚かされます。
 なお、東南アジア各国では、日本人傭兵が戦争、暴動鎮圧に動員されていますが、実は、その質の悪さに困惑されてもいます。

 掠奪は、戦時だけでは無くて、大名の国替えの時も、群衆による太掠奪が頻発します。

 元を辿ると、そもそも、中世は、重罪人(放火・殺人・盗み)の処罰(検罪)を行う検罪人と執達吏が、眷属(けんぞく。家族・下人)、財産・牛馬などを検罪物(けんざいぶつ)として、まるごと没収して、山分けする慣行もあり、これが下地となっていたようです。

 これらは、既に、10世紀平将門の乱の頃には行われていて、鎌倉武士の時代は当然だったことや、《倭寇》が朝鮮・中国一帯の海岸の村を襲い、穀物、人民を掠奪しています。

 一方、戦に行かない村人は、襲撃を避けるため、戦になると、城に入るか、山林の「小屋入り」し、隠れました。勿論、戦で自分の領主が負けると、死か奴隷の運命となります。
 なお、本書には、傭兵集めの苦労(いかに強い兵を集めるか、褒賞をどうしたか)や、傭兵の売り込み(いかに自分を高く売り込むか)や、結構、普通にあった、敵味方両方に付く、傭兵の二股かけの話もあります。

 さらにその先です・・、

 秀吉の「天下統一」で、戦場という稼ぎ場所の無くなった雑兵、農民らによる社会不安を無くす為に、秀吉の苦肉の策として考え出されたのが、朝鮮出兵だったと論じます。

 ただし、海外出兵は、農民の不在の長期化・村の過疎化の弊害をもたらします。
 なお、朝鮮出兵後、東南アジア各国は、朝鮮の後は、自分の国ではないかと緊張が走っているのが伺われます。

 さらにその先・・、

 江戸時代には、失業した牢人、農閑期の農民らの働き場所が、築城(1601~1623年で、大規模な城で約50箇所)、街の普請などの〈公共事業〉や佐渡の金山など鉱山開発治水干拓海浜の巨大開発などが、戦争に変わって働き場所になっていきます。
 ここでも問題になって来たのが、農民の耕作放棄と過疎化と都市の治安悪化で、その阻止に苦労します。

 戦争が、下民レベルでは、掠奪が目的であった、それが、天下の経済を下支えしていた、戦後は、戦が無くなって〈失業〉した者に手を焼いた、などをきちんと知って、今までの、多少、牧歌的で、英雄賛歌の、中世の見方が変わりました。★
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Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

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