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朝日ジャーナル編 『大江戸曼荼羅』 ~ 始まりと終わりが明白な、江戸260年間の《尾頭(おかしら)つき》、江戸時代の「天下」を、多様な視点から楽しめた、有益な大著です。

 このところ、「日本の庭」以来、書架に積んであった未読の書籍を片っ端から読んでいて、そろそろ終わりに近づいています。あと1回ぐらいお付き合いください。
 前回述べたように、時々の興味に優先されて、「不要不急」になり、他の本に追い越されて、残ってしまった本たちです。

 余談ですが、5月12日「朝日新聞」朝刊に載った、養老孟司さんの「人生は不要不急・・」、と言った趣旨のエッセイは面白かったですねえ。
 私も齢72、間もなく73歳。人から見ると不要不急の人間ですが。
 そう言えば、ル=グウィンのエッセイ集に、亡くなる1年前(87歳)に書かれた「暇なんかないわ大切なことを考えるのに忙しくて」(河出書房新社・2017年)がありましたっけ。読んでみなくては。

 閑話休題。しかし、こうして読んでみると、「不要不急」と言っても、良い本ばかりでした。どうして、読んでいなかったのか不思議です。不要不急の言い訳の中に価値が埋もれてしまいました。
 思えば、生き方、にもこのようなことがあったかもしれない、と想っています。

 年寄りの戯言が続きました。
 今回の本は、

『大江戸曼荼羅』(朝日新聞社)

 これも、数年前に古書店で買ったまま積んであった、1996年刊行(定価3,600円)の書物です。買値は、2,000円。
 前回の本と同じく、やはり425頁、おまけに上下2段組の大冊です。
 しかし、図版が満載なので、読んでいて楽しいし、理解し易い。著者約50人が、それぞれ8頁ずつ、49章書いています。

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 1987年1月から1年間、「朝日ジャーナル」(1959~1992年発行の週刊誌。1987年は、筑紫哲也編集長が3月で辞めた年です。)に連載されたものです。
 したがって、中には「朝日ジャーナル」読者知識人を意識して、いやに力んでわかりにくい文章の著者も無いではありませんが、予想に反して、大方は分かりやすく書かれています。

 まずは、刮目すべき2論が印象に残ります。

 芳賀徹「序、世界史の中の徳川日本」では、世上の《徳川暗黒史観》、《夜明け前史観》を否定し、

 中沢新一「江戸の王権」(6,7章)では、
 「織田がこね、羽柴がつきし天下餅、座りてひとり食うは家康」で、
 織田信長が天下統一の事業を進めるについて、最大の障害・敵だったのは、戦国大名たちでは無く、日本人口の過半数を占めた一向宗門徒による「一向一揆」だったことから論じ、江戸幕府の「天下」に至ります。

 本書は、江戸の街の、まさに「裏」百科のような面白さ。
 山本昌代「浮世床芝居噂」(24章)など、落語のようで面白い。
 芝居見物など「小屋に入って弁当を食って、何やら知らぬが面白いところだけ観ておけばよい」、「筋が見たくて小屋に入る馬鹿はいねえ」とか、「泰平に倦んでくれば、人の目は肥えて舌になる・・目が二つとも舌になったら都合三枚舌」とか、エスプリが効いています。
 もっとも、前者は、当時人気の鶴屋南北の〈綯交ぜ(ないまぜ)〉著しい(ここでは「度が過ぎる」と言っていますが)、曼荼羅のような芝居を指しています。
 さて、本書の特長も、ここで言う曼荼羅のような章編成の記述でしょうか。

(以下、下記の「続きを読む」をワン・クリックしてお読みください。)


「人足と泥棒の町」~腕一本で身軽に生きてゆく流民、根無し草人種の町、
「たび重なる大火の町~中村座・市村座でも各33回燃えました。江戸時代の内需拡大は、火災にあった(26章「遊女・浪人・欠落人」)と言われます。

「江戸っ子の生まれぞこない銭を貯め」、「江戸っ子は宵越しの銭を持たない」の町、
「(京の着だおれ、大坂の食いだおれ、)江戸の呑みだおれ」の町、

「水の都」でもあった江戸は、川で、幼児の水死と水葬が頻繁にあり、水辺に浮上する河童の話に通じる・・
など、驚くほどの多方面から描写していき、

 それだけではない、
 上野千鶴子「江戸の母子姦図」(32章)と言ったものもあります。
まさに、〈曼荼羅〉たる由縁です。

 私は、特に、橋本治「江戸の様式」(8,9章)や、
前回、少し引用した、
波多野純「千住宿の昼と夜」(40章)、玉井哲雄「写された藩邸」(5章)、
で、江戸の外周を歩み、
最後に、長文の、私的な愚痴のような、荒俣宏「跋にかえて、生きのびる江戸の根っこ」、で、今に至る江戸を考えました。

 途中、それ以外にも、面白い章ばかりですが、例えば・・、

 塚田孝「非人と町方」(28章)ですが・・、
 浮世絵師、歌川豊国(1769-1825)「卯の花月」の棟割長屋の隅の柱の下に、「仕切札」(しきりふだ)と書かれた紙片が貼ってあります(234頁)。赤の ← 部分です。

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 これは、地域の非人頭が発行したもので、月きめで非人に渡す金の支払済みを示すもので、これを貼っておくと、みだりに非人が〈悪ねだり〉しに来ません。
 絵には、この他、「成田山講中」の札や虫除けの札が貼ってあるのが分かります。

 因みに、江戸には、4人の非人頭がいて、車善七(浅草)、松右衛門(品川)、善三郎(深川)、久兵衛(代々木)です。
 非人は、吉凶の際の勧進を求めたり、紙屑拾い、古木拾い、雪駄直し、鳥追い、幕府の役務として、川の不浄物片付け、仮牢からの囚人護送、御仕置御用、溜(病気や子どもの囚人収容施設)の管理などをして、最大勢力の車繕七の下には、380人の手下(小屋頭)がいました。
 余談ですが、、という名は、映画で遣われたような・・。

 立川昭二「病を笑う」(30章)では・・、
 江戸の街は、安政コレラ(1858)年で死者20万人を出すなどしましたが、医療水準も低い中で生き延びるために庶民が身につけた心構えは「病を笑う」でした。
 病を笑いながら視覚化した、「新撰病乃双子(しんせんやまいのそうし)」、「掃寄草紙(はきよせそうし)」など多くの絵があります。
 後者にある「ないない尽くし」の戯歌(ざれうた)には・・、

 病の流行とめどがない
 一時(いっとき)ころりであっけがない
 医者のかけつけ間に合わない
 焼場の付込みらちあかない
 和尚も納所も寝る間がない
 戒名つけるに文字がない
 葬ひ昼夜とぎれがない
 亡者を葬る地所がない
 よその地所でもかまはない
 米の相場はさがらない

・・というところ。

 養老孟司×布施英利「江戸の解剖図」(16章)では、我が国初の、宝暦4(1754)年の、山脇東洋らによる官許解剖からの話ですが、これは、京都六角獄舎。
 許可したのは、京都所司代、小浜藩主酒井讃岐守忠用。因みに、「解体新書」の杉田玄白は、小浜藩医でした。

 現代に通じる多くの貴重な知識を得られました。この後も、折に触れて、任意の頁を開いて再読していくつもりです。

 さあて、久しぶりに新刊を3冊買いました。大切に読んでいきます。あと数冊、買いたい本があるんですが、一度に買うのは止め。
 なんだか、電子書籍より、やはり、綺麗な表紙の紙の本は良いし、それに、本の匂い・・、好きなんです、犬みたいに匂いを嗅ぎます。やはり良いですねえ。★
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Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

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