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五味文彦 『中世社会のはじまり (シリーズ日本中世史 1 )』 ~ 《家》文化から《身体》、《型》の文化形成へ。源氏・平家、奥州藤原氏など集合体の発展と天皇家との関係で見る中世史。戦から文化まで、すべて盛り込まれた、すこぶる濃い内容の一冊です。

 外は、青嵐、と言うか、このところ結構、風が強い日が続きました。それを理由に、庭の雑草取りを先送りしています。

 まずは、余談。
 もう、10月は何とか大丈夫だろう・・と、神奈川県民ホールのオペラ「トゥーランドット」のチケットを買いました。何度も観た、大好きな出し物です。
 例年、このホールのオペラは、本公演前日に、ゲネプロ(仕上げの総練習)が公開されるのも楽しみで、いつも1泊して本公演と連続して観ています。

 家居する・・ステイ・ホームとは言わずに・・毎日ですが、「西行花伝」を読んでいて、必要なので、西行の「山歌集」(宇津木言行校注)を買いました。
 この歳になって、始めて、「アマゾン」で買い物をしました。「年たけて また越ゆべしと 思いきや」・・。

 雑談は置いて、本論です。

 また、「日本中世史」の読書ですが、これも、やはり、時宜、というものがあります。今、この本を読むのは、私にとって、時宜を得ています。
 それに、今回ご紹介する書物は、「日本中世史」が、ぎゅっと圧縮されていて、歴史を俯瞰・一覧でき、しかも、政治史から文化史まで、視点が多面的で、実に有益です。
 余談ですが、やはり今、読んでいる「西行花伝」は、きょうの本と反対に、街角をじっくり見て歩く感覚です。
 その本は、

五味文彦 『中世社会のはじまり (シリーズ日本中性史 1)』(岩波新書)

です。

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 改めて、感じるのは、まことに、中世は、豊饒な日本文化の原点とも言えることです。
 相変わらず、血なまぐさい政争に終始する世の中ですが、「言葉」を中心に、精神文化が熟成してきました。
 本書は、まるで、新幹線から過ぎる景色を見ているように歴史を叙述しています。
したがって、通り過ぎる細かいとところは、とても、記憶しきれませんが、全体の「風景」で、時代に浸かることが出来ます。

 そう言うことで、新書ながら、実に内容が濃くて、読むのに根気が必要です。
 各編を、さっと通読し、再び天皇や藤原家などの系図を見ながら、赤鉛筆・青鉛筆を持って精読していきました。
 ところで、昭和39年頃に買って遣っている・・したがって、学生時代のものです・・、「日本史年表」(三省堂)の巻末系図を見ていたら、源為義の子が、4人しか載っていませんでした。本書には10人、先日読んだ「椿説弓張月」には、たしか7人いましたが。
 ま、細かいことはさておき、本書です。

(以下、下記の「続きを読む」をワン・クリックしてお読みください。)


 冒頭出だしは、中世の大震災と、その時代に始まった摂関政治、その宮廷政治による「古今和歌集」などの成立でスタートします。
 物情騒然とした時代に、文化も育まれたのですね。
 また、余談ですが、今読んでいる「西行」も、さかんに、和歌という、精神に働きかける力(権能)、その効能(ちから)と、「歌による政治(まつりごと)」ということがさかんに出て来ます。
 このあたりで、私が、このところ続けている・・よって、時宜を得る・・、中世の読書が総括された気持ちです。

 本書に戻って、詳しく言いますと・・、

貞観(じょうがん)11年(869)5月の陸奥国(東北地方)の大地震・大津波、
貞観13年(871)東北の鳥海山の噴火、
貞観16年(874)九州薩摩の開聞岳の噴火、
 これに先立つ、
貞観4年(862)の飢饉、大疫病の流行、
貞観6年(864)5月の富士山大噴火、
という自然災害の時代

 この時代に、政治の実質的な舵取りをするために、9歳の清和天皇を補佐する太政大臣・藤原良房が摂政関白になり、引き継いだ基経も摂政関白となり、「摂関政治」が始まりました。
 ここで、しばらく皇位を巡る争いは影を潜めたわけです。

 その後、宇多天皇(菅原道真を登用)や醍醐天皇(基経の子・時平を重用)は、天皇親政を行い、荘園改革を行い、そこで、地方に派遣された国司に租税徴収・軍事を委任してその権力が大きくなって来ます。
 同じ頃、醍醐天皇の命により、「古今和歌集」が、紀貫之、紀友則らによって編纂されて、災害に襲われた時代の文化的対応に力を尽くしました。

 やがて、時代は、「」の樹立に入って行きます・・、

 白河天皇(上皇)・鳥羽天皇(上皇)・崇徳天皇(上皇)・近衛天皇・後白河天皇(上皇・法皇)・二条天皇にわたる、だいたい1073年から1167年くらいの間に、兵が武士へと展開し、よって、「家」を形成して、名乗りの地を苗字としていったことが分かります。
 そして、「家」は、血族によって代々、承継していきます。

 さらに、安徳天皇、後鳥羽天皇(上皇)【藤原良経が補佐。藤原定家なども加わり、「新古今和歌集」が編まれました。】になり、
 貴族の「家」の間の対立に、武士の「家」の武力が求められ、主導権争いが起きました。
 ところで、「家」を形成していったのが、武士ばかりでは無くて、和歌、書、楽人など多くの分野で「家」を形成していき、まさに、日本文化の根底がここに出来た、と解釈することが出来ます。

 これら・・、
 1025~1170年の動きは、為経の『今鏡』の中で、
《すべらぎ》【後一条からの天皇の流れを書いている】、
《藤波》【藤原氏の流れ】、
《村上の源氏》【村上源氏の流れ】、
《御子たち》【村上源氏以外の源氏】、そして、
《昔話》・《打聞(うちぎき)》【撰集の意味もあります。】に書かれています。

 為経の父・為忠も、『大鏡』を書き、
息子・隆信は、やはり歴史書『弥世継(いやよつぎ)』を書きました。

 この時代は、東北の清原氏の家争いの「後3年の合戦」後、藤原氏が復権し、東北に巨大で、荘厳な支配地が生まれ、そこでの金が九州で、平氏の宋貿易に遣われました。
 都では、「保元の乱」「平治の乱」で、最終的に平家の世となって行きます。
 次に、源氏が関東に勢力を広げて行きました。

 やがて、「家」の文化は、対立も呼び、天皇家も、
大覚寺統(亀山院・後宇田・後二条・後醍醐)と、
持明院統(後深草・伏見・花園・後伏見・光厳)に別れ、
両統迭立(りょうとうていりつ)となります。

 摂関家も、近衛・鷹司・九条・二条・一条に分かれ、
和歌の御子左家でさえ、定家の孫の代に、二条・京極・冷泉に分立しました。

 これらは、次第に、身体・職能の文化へ発展し、
さらには、型の文化へと発展していきました。
それは、まさに、日本文化の元を形成しています。

 つまり、南北朝対立の講和が成立し、3代足利義満の代に、花の御所、その隣に相国寺(しょうこくじ。相国=太政大臣)、北山殿が造営され、また、五山文学、北山文化(北山殿に、金閣寺、つまり三層の舎利殿もこの時代に造られました。)、六角堂の池坊専慶の花、観阿弥・世阿弥親子の能などが発展します。

 世阿弥の「風姿花伝」(1400)に在るが如く、「形木(かたぎ)こと型の重要性」のように、日本の古典芸能の型の追求が始まったのです。

 これら、貴族家、武家の家の戦い、その中での文化の発展・推移を、繰り返しになりますが、本書は、まるで、時代を鳥瞰するように書かれた本書です。
 ところで、中の逸話には・・、
 「清水の舞台から飛び降りた」話など、巧く混ざっていて興味が尽きさせずに先に進み、
尊仁(たかひと)親王(後三条天皇)は、当時、卑しいと考えられていた鯖(さば)の頭に胡椒を塗ってあぶり食べたとか、
 面白い話もちりばめられて興味が尽きません。まさに、これ一冊で中世史の大枠がしっかり理解できる好著です。

 このところ読んでいる中世史、文学が、相乗効果して、読書も一層楽しいものとなっているところです。★
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Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

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