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平岩弓枝 『私家本 椿説弓張月』 ~ 海洋を挟んで、史実の裏で展開する、壮大な貴種流離譚。政争と戦い、夫婦・親子・家族、一族の情と犠牲、怪異ファンタジー的な要素もあり、危機と安堵が繰り返される物語。曲亭馬琴はやはりすごい。

 一度、きちんと物語を知りたかったのです。
 辻悦雄「奇想の系譜」で、江戸のアヴァンギャルドと言われた、一勇斎国芳歌川国芳・1798-1861)の大判3枚続きの錦絵、
讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」(1852)

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を見てから、曲亭馬琴(1767-1848)の読本(史伝物)「椿説弓張月」(1807-1811)を、です。
 正式名は、「鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月(ちんせつゆみはりずき)」。

 しかし、古典文学全集は入手出来ず、入手できたにしても、長大な物語・・前編・後編・続編各6巻、捨遺5巻、残編5巻・・を読み切る自信がありません。
 と言うことで、今回、

平岩弓枝 『私家本 椿説弓張月』(新潮社)

を読みました。

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 〈椿説〉とは、虚構のような、いわば珍説で、史実とフィクションがないまぜの物語ですが、歌舞伎流に、鎮西八郎・六条判官源為朝の〈鎮西〉がかけられているとも言われます。
 本書は、膨大な物語を、序・破・急・転・結の巻5章にまとめています。

 急の巻以降は、琉球王国での物語になっています(これも、〈琉球〉の名の由来とか、実に、有益で面白い。)。
 なお、女性作家(この言い方は褒められませんが)のせいか、白縫による武藤太の処刑場面、懐剣で指を一本ずつ切り落とし・・といったところは、切った首が転げるだけで、さらりと過ぎます。三島由紀夫作・演出の歌舞伎台本では、好んだ場面のようですが(1969年11月・国立劇場)。
 当然、「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」の場面も、しかっり出て来ました。
 少し、ここの部分の物語を、先に、書いてみますと・・、

(以下、下記の「続きを読む」をワン・クリックしてお読みください。)

 平治の乱(1159)以降、勢威を欲しいままにする平清盛の動静を探り、場合によっては討つため、為朝は、肥後、水俣から2隻の船で40人を連れて京に向かいます。
 途中で、猛烈な暴風に遇います。
(因みに、新村出博士によると、〈颱風〉の文字を使用した古い例とか。)

 妻・白縫(しらぬい)は、海を鎮めるため、昔、日本武尊が暴風に遭った時に、妃弟橘姫命が入水して風雨が収まった例に倣って、皆を振り切って身を投じます(絵の右)。
 それを悲観して20人余の郎党も後を追い、為朝も切腹しようとした時、保元の乱(1156)で讃岐に流された、讃岐院(崇徳上皇)の眷属(けんぞく:一族、従者)である、異形の烏天狗が来て、水をかい出し、為朝を救います(絵の左)。

 為朝の嫡子を抱いて海中を漂う忠臣紀平治(八丁礫(つぶて)紀平治。樵(きこり))は、為朝の為に忠死した家臣・高間太郎原鑑とその妻磯萩(いそはぎ)の魂が乗り移った大鰐鮫に担ぎ上げられ、琉球に逃れます。(中央上)。

・・となります。

 この絵は、読本の挿絵(葛飾北斎)から題材をとったものですが、その〈異時同図〉(右から左へと、異なる時間を一つの画面に配して描く~「図説 日本の古典 19」鈴木重三説)技量は、驚嘆すべきものがあります。

 また、読本にある北斎の挿絵では、例えば、北斎画の「前編巻之一口絵図」(為朝が、島民に剛弓の弦を引かせる図)など、従来の半丁(半頁)では無くて見開き図にしているこれも、新しい技量です(前掲鈴木説)。

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 ここで、理解を深めるために、全体の物語に触れておきます。

 六条判官源為義の八男、為朝・・弓の名人・・が、前記の肥後、水俣にいたのは、長くなりますが・・、
 鳥羽上皇(「一院」と言います。この時、上皇が二人いて、もう一人の崇徳(すとく)上皇は、不本意ながら「新院」と言われました。)の取り巻き、少納言藤原信西(信西入道)に嫌われ(前半の敵役です・・)、とりわけ、為朝を矢面(射られた矢を受け止める)にした〈矢だめし〉で4本の矢を受け止めて以来憎まれたので、家を慮った父の計らいで豊後に身を隠したのです。

 安芸、瀬戸内海を経て豊後への途次、礫(つぶて)の名人、樵(きこり)の紀平治や、2匹の狼(山雄ーやまおーと野風)に邂逅します。楠木の上から襲ってきた大蛇を殺し、その口から珠を取り出したり、91年前に曾祖父源義家が放った鶴を救ったりしました。

 鶴の化身から「我を肥後の阿蘇の宮で放せば、美しき賢妻を得られる」との言葉で、肥後国に行き、そこで阿曽三郎平忠国の一人娘、16歳の、武勇を好む絶世の美人白縫の愛玩する猿が悪さをしたのを、為朝が、鶴の助けを借りて解決し、娘を娶ります。鶴は、南に去って行きます(後半の伏線です。)。

 肥後の忠国の家を拠り所に、為朝は9か国を平定し、安定をもたらし、総追捕使(そうついぶし)、〈鎮西八郎〉と呼称されました。
 さて、信西らは、さらに悪計を謀り、為朝に、鳥羽上皇の新設なった庭の池に放すために、噂に聞いた鶴を捕らえ献上せよ、さもなくば父為義の官を解くと無体を言います。為朝は、卜筮師の「琉球に行けば百日以内に鶴を捕らえられる」という言で、祖父が琉球人である紀平治の案内で琉球に向かいます。

 琉球に着くと、荷物が幻術で盗まれ、為朝は、盗んだ曚雲ーもううんー国師(後半の最大の敵役です。)を探している中、追害されて山に隠れている、この国の王女・寧王女(ねいわんにょ)とその母である廉夫人と遇い、珠と交換に鶴を手に入れます。
(王女は、天孫子25世・尚寧王ーしょうねいおうーの王妃・中婦君ーちゅうふきみーと側近利勇、さらには、仲間の幻術遣い曚雲国師、阿公ーくまぎみーに追害されているのです。廉夫人は、尚寧王の並妃・・第二夫人のようなもの・・、王女は、14世世継ぎではあるのです。)

 5年ぶりに上京して、鶴を進呈に都に向かいますが、もはや、近衛天皇(鳥羽上皇の子)死去の政争でそれどころでは無く相手にされません。
 翌年には、鳥羽上皇も崩御します。

 1155年。都では、17歳の近衛天皇が崩御し、崇徳上皇の弟・雅仁親王が後白河天皇となり、翌年、鳥羽上皇も崩御し、この期に謀反を起こした崇徳上皇も、急襲をためらって、負けます【保元の乱】。
 為朝の父為義の兄弟のうち6人は崇徳上皇側に付き、唯一、後白河天皇側には源義朝のみが付きました。
 崇徳上皇側についた、為朝は、父の計らいで後の御家再興のために逃れますが、石山の湯で傷を癒やしているところを、武藤太の密告で捉えられ、藤原通憲の計らいで死罪は免れますが、信西の命令で、一生弓を引かれぬように、左肘の筋を抜かれたうえ、伊豆の大島に流されます。

 同じ頃、都の情勢に併せて、筑紫太宰府では、忠国の館が菊池・原田一統に急襲され、忠国は自死し、白縫は、紀平治の妻八代と脱出しますが、途中、八代は討ち死にします。白縫は、遅れてやって来た紀平治の礫に助けられ、讃岐に逃れます。
 そこに、密告したため、村人らに疎外されて、行く当てなく逃げてきた武藤太と遇い、白縫は、復讐して首を討ちます。

 大島では、為朝は、悪代官三郎太夫忠重に虐められますが、暴れた牛の群れを押さえて以来、村民に慕われ、島の英主と仰がれ徳化を伊豆諸島にあまねく及ぼします。
 また、17歳の、忠重の一人娘・簓江ーささらえーと結ばれ、3年間に、二男一女をなします。
 そのおり、大島の先、三宅島のさらに100里先の女護島の女に〈よこと〉と知り合い、双子の男の子をなし、また、年一度の交流であった、女護島と男島の常時交流に努めました。

 やがて、島民に敬愛される為朝を、謀反人とした、忠重ら官軍が為朝を討ちに大島に押し寄せ、為朝は死を偽装して脱出し、讃岐の崇徳上皇の御陵に向かった後、肥後に向かい、そこで、かつて忠国の忠臣であった高間太郎原鑑の家で白縫、紀平治と再会しました。白縫は、為朝の子・舜天丸ーすてまるーをもうけます。子の誕生の折、丹頂鶴が三度鳴いて、南に飛んで行きました。

 1159年12月。都では、後白河天皇に仕える源義朝と藤原信頼、加勢した藤原通憲(信西入道)が争いましたが、何れも、六波羅の平清盛・重盛に滅ぼされ【平治の乱】、二条天皇のもと、事実上、平氏の天下となりました。

・・長らく書きましたが、先ほどの大鰐鮫の絵は、このような平氏を討つ目的で、つまり、平治の乱(1159)以降、勢威を欲しいままにする平清盛の動静を探り、場合によっては討つたに、為朝が、肥後、水俣から2隻の船で40人を連れて京に向かった時の出来事となります。
 因みに、平家は、肥前で宋との交易で冨を築いていました。

 後半は、琉球王国の、まるで京のような政争が描かれるわけです。
 特に、琉球の王女・寧王女(ねいわんにょ)に白縫が乗り移って活躍するところが、読み所となります。
 終末、クライマックスは、舜天丸ーすてまるーが琉球の王位につき死した為朝が、崇徳上皇、白縫と共に仙界に上っていきますが、同じ頃、讃岐の白峰の崇徳上皇の御陵前で、為朝の自死死体があった、という設定で、美しい最後です。

 最後に、曲亭馬琴のもう一つの大作「南総里見八犬伝」(1814-1842)は、既にこのブログ2014年11月28日付けで、1万3千字でお伝えしています。
 同物語の歌舞伎鑑賞記(2015年1月5日付け)とともに、是非ご参照ください。

 さて、本書をきっかけに、もう少し、日本中世史を知りたくなり、散歩のついでに、書店で、

 五味文彦 『中世社会のはじまりーシリーズ日本中世史 1ー』(岩波新書)

を求めました。ついで、と言ってはナンですが、「2020年新書大賞」を受賞した、
大木毅 『独ソ戦 ー絶滅戦争の惨禍ー』(岩波新書)
も求め、こちらの感想が先にアップすることになりました。★
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Re: これからも期待しています。

 藤白怜様ありがとうございます。
いつも楽しみに拝見しています。特に、幼少年代は、神戸、河内、堺などで暮らしたので、周囲も含めて懐かしいことが多くあります。
 あれだけの記事は大変と存じますが、これからも期待しています。頑張ってください。

感動人様
藤白怜です。
いつも拙作をお読みいただき有難うございます。
それに今回はコメントも賜り、ありがとうございます。

今は、京阪神+奈の八幡神社をそれぞれ訪ねて、ブログに書いています。
神戸市東灘区では、合計7社訪問し、順次アップすることにしています。
岡本八幡宮、鷺宮八幡宮、小路八幡宮、中野八幡宮、魚崎八幡宮、
横屋八幡宮、そして白鶴美術館の傍の若宮八幡宮です。

引き続きよろしくお願いします。
プロフィール

感動人

Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

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