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伊東眞夏 『深読み百人一首』 ~面白い ! 日本中世の政争史や世界との係わりを総復習できます。ついには、天武天皇、百済の余豊璋王子説まで開帳されます。

 まずは、余談。世上、マスクが不足していると、妻も焦っていました。2,000何年だったか、同じことがあって、当時、私が、定年後、芸術財団の事務局長と文学館長の代理を勤めていたおり、昼休み、街中でマスクを見かけた折々に買ってあったものがたくさん残してあり、約1か月分もあったのを出したら随分喜ばれました。
 あっ、もう一つ。前回、「運動嫌い」、とは言いましたが、美術館の年間会員になっていて、行き帰りも8千歩ほど、足繁く歩いていることを言い忘れました。

 さて、本題です。実に、面白く、有益です。きょうの本は、

伊東眞夏 『深読み百人一首』(栄光出版社)

です(2019年12月第1刷刊行)。

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 一昨年夏だったか、私は、突然、「百人一首」に興味をもって、集中して本を読み、和歌を暗記しようとしたことがあります。
 暗記は、歳のせいにして、ついに適いませんでしたが、それでも、だいたい頭に入っていますから、この本を読んでいても、和歌の「裏」解釈を面白く読んでいけました。
 それに、思ったのですが、ここにある和歌も、声に出して読むと、さらに意味が分かってきます。

 まずは、著者が、異色の経歴。昔、日活ロマンポルノの脚本(「妹相姦」、「発情妻の肉宴」!・・)を書いておられたとか。
 しかし、さすが、「百人一首」と歴史、歴史雑学の蘊蓄は、大したものです。しかも、文章にリズムがあって読みやすい。

 和歌の、「普通の」解釈だけでは無くて、当時の歴史背景や詠み人の立場から、歌の裏に隠されているであろう解釈(暗号めいている句の「本来の解釈」)を推理していきます。
 同時に、ある和歌が、なぜ「百人一首」に、そして、その位置に、入れられたかも解いていきます。
 また、当時の「歌合わせ」についても、《州浜(すはま)》や《方人(かたうど)》の動きの描写まであって興味が尽きません。

 特に、和歌に係わる時代背景の説明が、こちらが、政変史が本論か、と思うほど要領よくまとめられていて、中世史の主要な出来事の再確認、復習になり、兎も角面白いのです。

 歴史記述は、例えば・・、

(以下、下記の「続きを読む」をワン・クリックしてお読みください。)


 巻頭は、讃岐に流された崇徳上皇(派に、源為義・為朝の父子、氏の長者・頼長)と後白河天皇(派に、平清盛・源義朝【前記為義の子】、関白・忠通)との「保元の乱」(1156年)が述べられ、ここでは、醍醐天皇と菅原道真が登場します。

 続いて、「承久の変」。定家(為家ー為相(すけ)と代が続きます)の主筋で隠岐に流された後鳥羽上皇と佐渡に流された息子・順徳院と源頼朝筋の3代目実朝、管領北条氏、頼朝の妻・政子との政争です。
 源氏は、身内の仲違い激しく、やがて滅します。平氏は、少なくともこのようなことはありません。

 次は、俊成と美福門院伯耆(ほうき。加賀とも。)との子・定家の物語。父・俊成は、子が出来ないと思って、弟・俊海の子・定長を養子にしましたが、その後、定家が生まれました。人生の落とし穴でした。
(例えば、ここで語られるのが、「芦たず」(=鶴)の話です。)

 次に、嵯峨天皇の12番目の子・源融(とおる)の《河原の院》の話。誰も行きたがらない僻地である陸奥出羽按察使(あぜち)の国司になって、図らずも財を築きました。後、恵慶と名乗りました。
(例えば、ここで語られるのが、「しのぶもじずり」の話です。)

 次は、昔は「大化の改新」と言った「乙巳(いっし)の変」の中大兄皇子・天智天皇の生き様の物語。百済救済は頓挫して、そして休戦。
 続いて、大海人皇子のちの天武天皇と大友皇子の「壬申の乱」。
 持統天皇(野讃良皇女【ののさらのひめみこ】。本書で、サラちゃんと表記されます。)と天武の姉の子・大津皇子抹殺の「壬申の乱」の話。さらに、皇極天皇の軽王子(孝徳天皇)、古人王子【中大兄の兄】抹殺、重祚して斉明天皇の話。女官は、額田王。

 ここでは、「天武天皇は、百済の余豊璋王子である」、という著者独自説も披露されたりします。

 なお、ここで語られる百人一首は、例えば、「契りおきし」(基俊)や「かりほの庵」【稲田の監視所】の話です。

 次は、たっぷりと在原業平の時代と歌人の話が語られます。本の最終章で、業平の驚く話が出てきます(後述します)。
 それにしても、「臣籍降下」の話が再三でますが、けっこう容易だったのですねえ。
 業平の歌に因んだ、尾形光琳の「燕子花(かきつばた)図屏風」の話で視野が広がり、水中の「燕子花」、陸の「あやめ」、水際の「花菖蒲」の違いにも及び、さらに、「業平橋駅」が「東京スカイツリー駅」になった嘆きは同感です。
 辞世、「ついにゆく道とはかねてききしかと きのふけふとは思はざりけり」。

 次に、平清盛の同僚で、北面の武士(防備の〈壁〉)であった、西行(佐藤義清)の話。
北条家(時政と伊東入道の娘との子・北条政子と頼朝。頼家、実朝。や潰された比企家の話や元寇についてじっくり語られます。

 最後は、伊勢神宮の〈はばかりのある家〉の話。
 兄弟が皆病死して、図らずも権力を握った藤原道長が、兄・道隆の娘で中宮の定子(ていし)が産んだ子・敦康(あつやす)親王を追い落とし、道長の娘でやはり中宮(中宮が二人!!)の彰子(しょうし)が産んだ子・敦成(あつひさ)親王を天皇にするために、道長が、大昔にあった、伊勢神宮の斎の宮であった、道隆の娘が子をもうけ〈はばかりのある家〉となっている話を持ち出して脅しました。

 なお、別章にありますが、道隆が引き取った、道ならぬ恋で生まれた子・高梨貴子の父は、在原業平です。

・・あまり硬い正史には触れられない微妙な話も満載です。

 ついでに言えば、その〈はばかりのある家〉の章の、定子と清少納言、彰子と紫式部、そこに道長推挙で女官になった和泉式部が割り込んだ、3人の位置づけの話も、なかなか白眉です。
 大江雅致(まさむね)の娘・和泉式部は、最初の夫・橘道貞が、陸奥守になって離婚し(出来た子は、小式部内侍)、冷泉家天皇皇子の兄、為尊親王、弟、敦道親王と恋し、二人とも若くして死にましたが、可成りの〈発展家〉で、最後は、道長の呼びかけで、定子、彰子には臆せず女官となりました。
 その後、道長の家司【私設秘書】・藤原保昌と結婚し、丹後の国司になった夫に、今度は離婚せず、ついて行ったようですが。

・・と言った具合にすこぶる面白い。

 日本史の記述ばかりではなく、余談、例えば、〈けんちん汁〉は鎌倉〈建長寺汁〉から来たとか、宋の歴史、その宋の芸術作品(曜変天目茶碗汝窯青磁)の話も、面白い話ばかりです。
 ただ、百人一首以外の、全ての和歌に簡単な注釈があればなお可、というところはありますが、ま、分かればそれにこしたことはありませんが、大した問題でもありません。
 本書は、是非とも、ご一読をお薦めします。★
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Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

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