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芸術って、やはり、心を豊かにします~国立能楽堂で、世阿弥自筆本による復活能『阿古屋松(あこやのまつ)』を観能しました。

 さて、今日、4月27日(金)は、東京・国立能楽堂で、世阿弥直筆本による復活能(初演)『阿古屋松(あこやのまつ)』を観能しました。一曲のみの能組で、約2時間です。席は、正面見所2列目。

 予習は、下をワンクリックしてください。
http://kandoujin.blog48.fc2.com/blog-entry-311.html

 すでに、予習は、たっぷりしてありますので、この日は、600年の時を超えた世阿弥の世界に浸りました。


 解説(30分)の、松岡心平東大教授は、二、三度、「今日は、歴史的な日です。」と言われました。

 
 この『阿古屋松』は、真の、世阿弥直筆の「能本」で、1427年に書かれてから、公式には一度も演じられたことがなく、約600年目の今日、初めて、演じられるから、というものです。


 名ノリ笛から、その気迫が満ちていた、約2時間でした。こういう一級品の能を観てしまうと、改めて、能好きになります。


 物語は、前場(まえば)、アイ、後場(のちば)、にそれぞれ、大きく3つの〈テーマ〉を「感じ」ました。


 その最初は、国司の〈心得〉のような会話が頻出します。
 樵(きこり。塩釜明神)は、阿古屋の松の在所を問われ「老人に聞いてくれ」と答えたら「お前が老人だから聞いたんだ・・」とか言われて、最初、ちょっとムッとした感情を露わにしますが、人の「器」が大きくて、国司など、ずっと手玉にとられる感じです。


 考えたのですが、こういう内容では、ちょっと、威張って、人を常識でのみ判断する、エライ〈殿様〉の前で、「砂に金、泥に蓮濁りに染めまぬも人の心による・・」とか、人間の心得を言うような曲を演じるのは、躊躇するかもしれません。だから、公式に演じられ無かった、というのは穿ちすぎでしょうか。
 ともかく、「心の奥」とか、「人の心」など頻出します。


 中入り後は、一転、アイによる阿古屋姫のロマンティックな物語が、長く語られます(山本東次郎。さすが感動させます。)。
 これだけで、ひとつ恋愛ものの舞台が出来そうな内容です。
 でも、この話が入らないと、曲が、訓話くさくなるかな。


 そして、最後。実に、じっくり進みます。
 そうそう、次第(しだい)、一声(いっせい)のシテの登場には息をのみました。
 正面見所ですが、シテの一の松での謡は、ちょっと目付柱が邪魔してくれたので、字幕の詞章を見ながら(字幕を見たのは初めてかな)かえって、この〈世界〉に入りました。字幕が、〈秋〉でも実際は違う言葉なんだ、とも気づきました。
 余談ですが、先日『櫻川』でも、目付柱が、感動の大鼓・安福建雄さんを遮ったのでした・・・。


 後場でも、〈器〉の大きな塩釜明神。

 こんどは、〈老体〉を松に例えて賛美します。
 私のような年輩は、長く生きた経験も捨てたものではないと、勝手に解釈し、元気がでます。

 「十回りをなす春秋のいく久しさの色ならん」とか、「老い木になれども年どしに また 若緑立ち枝の幾春の恵みなるべき」とか、「老竜の枝垂れて」とか、味わい深いではないですか。


 ここで、能の舞台では、老若、松、月、神、さらには実方までがラップし、まるで、命あるものを讃えるように「感じ」ました。舞がよい。


 観世清和(シテ)、森常好(ワキ)が熱演。
笛(藤田六郎兵衛)、小鼓(大蔵源次郎)、大鼓(亀井広忠)、太鼓(観世元伯)も、地謡(梅若玄祥ら)も見事に冴えます。


 後味のよい物語でした。小雨の中も、何か気持ちよく深呼吸しながら、帰宅できました。
 よい夜でした。芸術というのは、確かに、心を豊かにします。


 ところで、先ほども言いましたが、この能は、約2時間でした。
 よく、江戸期以前と比較して、現代の能の時間は、長さが倍になっていると言われますが、こういう「復活能」の場合は、やはり、長さは倍位なのでしょうか。それとも、昔どおり「復活」で、2時間なんでしょうか。つまらない疑問を又持ちました。


 さて、今回の「予習」は、岩波の全集で細かい理解をした後、あらかじめ、檜書店で買った謡本(2,000円)で、大きい文字を、繰り返し読みました。
 これが、通常の書物とは違う感覚なんですね。わからないながらも、リズムを自分なりに掴んで、能の世界に没入していくようなのです。実際の舞台で、あ、ここは、こういうリズムだったんだ、などと不思議と気付くのです。このような感覚は初めて経験しました。
 あ、これから能に入るひとには、この経験を伝えよーっと。

 これらで「予習」した後、当日は、いままでの、スイッチを切ってゼロにして、ただ、物語の世界に入って行きました。

 結果、いままでと違って、先述したように、能に、心から集中して、謡、囃子の緩急、舞を細かく気づき、かつ、連続し、「楽しめた」ように感じました。
 
 最後、繰り返しの余談です。
 前回のブログ、文楽のところでも少し述べましたが、近松門左衛門の権威、信多純一の、「近松の世界」(平凡社)の213頁に、謡曲「阿古屋松」と文楽「傾城反魂香」の構成比較が詳述されています。

 文楽・人形浄瑠璃、近松門左衛門の『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)』の冒頭(「序開き」)は、謡曲仕立てで、それが、「阿古屋松」です。
 来月の文楽『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)』の公演で、この部分を公演すればよかったのに(シツコイ)。
 そう言えば、展示室の説明を読んでいると、廃曲ですが、「反魂香」という曲もあるようですね。

 もう一つ余談。早く来られた、外国人ご夫妻。レストランで、天丼を美味しそうに箸を使って、食べておられました。ほほえましい。


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頃待ち得たる桜狩り。美しい桜の中に描かれる人生の悲哀、親の情~国立能楽堂、定例公演『櫻川』を味わいました。

 今日は、子どもに関係のある話ですので、最初に、孫(1.5歳)の写真をアップします。
 (写真を、ワン・クリックしていただければ大きくなります。)

 さて、「頃待ち得たる桜狩り、頃待ち得たる桜狩り」(~やっと、見頃の桜の時期が来ました~「櫻川」)。桜の季節です。

 でも、雨模様でやや強い南風。
 「少しなりとも休(やす)らはば、花にや疎(うと)く雪の色」(ちょっとでも休んでいると、花に無縁の花の雪景色を見ることになる~「櫻川」)

 などと、詞章を想い浮かべつつ、国立能楽堂、定例公演に向かいました(4月11日正午)。
 久しぶりの観能で、この日は、

狂言(大蔵流)『土筆(つくづくし)』
能(観世流)『桜川(さくらがわ)』

 です。(席は、正面見所〈けんじょ〉、2列目)。
 
 きょう主にお話しする、『櫻川(さくらがわ)』は、狂女物の一ジャンルです。

シテ・梅若万三郎、
ワキ・宝生閑、
ワキツレ・則久英志、など

です。

 余談ですが、昨年、夏ですが、家人が、叔母さんの葬儀に出掛ける、と言って朝早く出掛けた先が、茨城県(常陸の国)の「磯部」。下車駅は、水戸線の「岩瀬駅」です。
 この能の後場(のちば)、春爛漫の舞台です。

 春には桜が美しい土地だそうですが、バスなど無く、車で行かないと名所を巡れないようです。
 バスで、グループの、花見をかねた名所探訪などにいいかも。

 久しぶりの観能で、鑑賞能力あるいは想像力が劣化して「花に無縁の雪景色」になっていないか、また、沸点が、一層低くなっていないかが心配です。最初の狂言、「土筆(つくし)」のような誤解をしなければよいのですが。
 
 
 「櫻川」の観能は、2回目ですが、まずは、いつも通り事前に、「新潮日本古典集成(中)」を、3月中旬から何度も読みました。 お経みたいに、いや謡でした・・。
 後述する、「それ水流花落ちて春とこしなえにあり・・」以降、《クリ》《サシ》《クセ》の、シテ、地謡は、読んでいても心地よい〈リズム〉です。

 さて、また、余談ですが、ずっと前に、この「桜子」を、〈尊敬する〉渡辺保さんは、「桜子という少女・・」と書かれていたので(『能のドラマツルギー』(角川ソフィア文庫)、そのとき、ちょっと混乱したことがあります。

 能の詞章は、音と動きの観念的、〈呪術的〉世界に入るきっかけにすぎませんから、こんな細かいことは、どうでもよいのですが、調べ出すと、新潮社の「古典集成」には、男とも女とも書かれていません。
 女の子ならば、母が体を売るのを嫌悪した子が同じことをするのかなとか、さらには、どうして人買いに売られた子が寺にいるのかな、といった別の細かいことが気にかかって来ました。
 よく、だから、法律系は、理屈っぽいんだから、と言われるんですが。
 
 ま、いまさらなんですが、これは、「少年」なんです。
この日の、子方(伊藤嘉寿)のように、きっと、りりしい少年です。

 母が、貧困で、体を売って生活するのを見かねて、自らを人買い(人商人〈ヒトアキンド〉。観世流は〈ヒトアキビト〉)に売って、その金で、母に、出家を勧めたのです。簡潔で要を得た、九州日向(宮崎県)の導入部です。

 今、少年は、寺にいますが、これは、解放されているのではなく、多分、男色の対象として、僧に可愛がられているのでしょう。

 物語ですが、母が、3年間子を探して回り、狂女が、桜川に浮かぶ花びらを桜を掬っても、とても桜子ではありません。その姿を見かねた僧は、桜子と再会させるのです。 その意味では、結論だけは、ハッピーエンドですが。

 前場の寂寥感がいいですね。
この世界に入ってしまいます。

 クライマックス。
〈クリ〉「それ水流花落ちて・・・鶴帰らず」
〈サシ〉縁あって来た桜川、
そして、
〈クセ〉「げにや年を経て・・思ひ知る身もさていかに、われも夢なるを・・・あだに散りぬる花なれば、落ちても水のあはれとは・・・」
そして、〈段歌〉の「・・まことはわが尋ぬる桜子ぞ恋しき、わが桜子ぞ恋しき」
 
 という、桜子の母の人生の悔いを、約15分(クリ・サシ・クセで約11分、網之段で約4分)の感動が続きます。
 
 ああ、母こそ〈桜〉だったのか。
子が、どっち、などより、こんなことを考えねば・・。

 このところ、文楽をよく見ていますが、文楽は、人形遣いが、人形をいかに人間のように見せるかに腐心し、能は、人間を如何に彫刻人形にするかに腐心する、との話がありますが(「能楽ジャーナル」2008・9月号・16頁)、なんといっても、能は、浄瑠璃などの先行芸術です。初心に帰って楽しみました。

 なお、別室の、「観世文庫展」は、見落とせません。
また、月末のさらなる予習に「阿古屋松」の詞章冊子に、2000円奮発しました。

復活・初演能なので、予習してみます~国立能楽堂、『阿古屋松(あこやのまつ)』

 4月です。

 私は、もう、いわゆる現役の、「第一線」を退いていますので、4月になったからといって「異動」などでの新しい経験はありません。
 が、それだからこそ、惰性に流されないように、世阿弥の次の言葉をかみしめたいと思います。

 「初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず。」

 さて、4月27、29日に、東京・国立能楽堂で、復活能、『阿古屋松(あこやのまつ)』が演じられます。
 「一からの復活」、ということで、なじみがありませんので、分かる範囲で、少し、「予習」しました。至らないところ、個人的見解は、どうか、ご容赦を。

 まずは、余談ですが、岩波書店の「日本古典文学大系」の、謡曲編(上)の「月報(44)」に、観世宗家にある膨大な秘蔵文書の整理・公開のことが書かれています(小西甚一「紙魚たちの供養」)が、この『阿古屋の松』も、このような、努力の延長線上にある廃曲の復活・初演だと、襟をただしました。

 「申楽談儀」に、世阿弥の「後の世かかる能書く者やあるまじき」ということがあります。だから、書いた、ということです。

 この能『阿古屋の松(あこやのまつ)』の特徴は、

1 幽玄な老体、老舞の能であること。これは、「西行桜」とも同じです。
(「風姿花伝」、《老人》に、演じる難しさが書かれています。ここにある《樵夫(きこり)》とは、この「阿古屋松」の前シテでしょう。)
2 都人に珍しい、東北の風物を描いていること。特に、実方が、都から離れた土地の人々の「心」を理解して行く過程に感動します。
3 松のめでたきことを描いていること。

 でしょう。

 この物語は(能の筋というものは、音と動きの、ドラマを超えた観念の世界に入るきっかけ、手がかりにすぎません。詞章で、皆さん、それぞれ、解釈していただくのがよいのですが、普通の筋は・・・。)、

1 陸奥【当時の、福島、宮城、岩手、青森】に左遷(「さることありて」)された、ワキ(藤原実方。左近衛中将。998年没)が、命じられた、歌枕「阿古屋の松」を探索して、陸奥諸国を巡回の折り、紅葉狩をしています。陰暦9月のある日の午後です。

 都から離れて(「天離れて」)いるので、ここでは、今は、人の心もわからないが、住み慣れればいつかは分かるだろうと考えています。

【一声は、田楽「炭焼の能」からの引用です。】
2 木こりの前シテが道を急いでいます。
 「同じ山に入らば、同じ木を《挿頭(かざし)》に折れ」という諺もあるほどなので、秋の日暮れが早いし、同道します。
 それにつけても、ここは陸奥の深山。この山の奥の様子は分からない。人の心の様子も分からない。賤しい山人は、道しるべに桜の木を折ったりするが、春の気配や、秋のもののあわれに無頓着なのだ。

3 実方は、木こりに阿古屋の松の場所を知らないかと尋ねます〈このとき、上から目線の【阿古屋の松は、歌道にもあるが、知らないのか。】都人の態度です〉。
 木こりは、やがて、「今、思い出した・・」と話します。それに、爺むさく、頭は白く、顔は黒い、山の老人だが、人を見かけで笑わないでほしい、優秀なものは粗悪なものに混じっても優秀なのだから(「砂(いさご)に金(こがね)、泥(でい)に蓮(はす)、濁りに染(し)まぬも、人の心によるもの」と立腹の様子。

4 阿古屋の松は、陸奥の国ではなく、「当時は」(現在は)、出羽の国【山形市の千歳山の松。和銅5年に分離された。】あることが分かります。
 人の心の奥深さ、年寄りくさいからと身咎めたことを反省します。

5 阿古屋の松に案内されます。

6 シテが、塩釜明神であることを明かして去ります。

7 アイの語り。

8 実方は、松の根本でうたた寝します。

9 日が降り注ぐ中、千賀、塩釜明神が登場。明神は、自分を軽んじた都人であっても、遠来の客は珍しく、好もしく感じています。

※「日の経緯」の「経」は、東西、「緯」は、南北。併せて、縦横に降り注ぐ日のこと。

10 松の根本で、寝て夢を見たことを巡って問答します。

11 シテが松の徳、名物の松尽くしを語ります。しかし、何と言っても、この阿古屋の松の評判はこの上もない。

※「十八公」とは、「松」の字を分解したもので、松の異称です。

12 夜半。実方が昔、京の加茂の臨時祭での舞の名手であったことを、明神は思い出させるように、今日は、旅先の臨時の祭りだと言って舞います。

13 松の根を枕にした夜明けのうつつの中、明神が、木深い阿古屋の松の木陰に消えます。塩釜明神が、阿古屋の松の精のようです。
【ここのところは、塩釜明神と阿古屋の松が遠方にあり、一体と扱うのは奇異なので、作者が、両者が比較的近くの場所と誤解していたのではないか、との説もあります。(後掲書、437頁)】

参考:日本古典文学大系40「謡曲集(上)」横道萬里雄・表章:校注(岩波書店)。余談ですが、私は、1986年刊、定価3200円の同書を、古書店で(ほぼ、新品)、たった、百円で求めました。考えさせられる、何という時代!!でしょうか。どうか、皆さん、原文をお読みください。

一からの復曲・初演能、『阿古屋(あこや)の松』を学ぶ~国立能楽堂特別公開講座

  まず、最近、横道萬里雄『日本の楽劇』(岩波書店)を読み終えました。

 大家になると、本当に、平易に、まるで舞台のライブを解説しているように書けるんですね。
 歌舞伎、文楽、能、寺事を、もう一度、基礎を確認するのに格好の良書です。値段が高いし、大冊なので、構えてしまいますが、こんなに読みやすい本はありません。初心者でも大丈夫です。

 この横道さんの本に、『能にも演出がある』(檜書店)という、良書がありますが、今回、聞いた、

国立能楽堂特別公開講座『世阿弥直筆本と復曲能「阿古屋(あこや)の松」』

は、そのように、能の演出というものを十分理解することができた講座です。
 とくに、宗家の話は、古典を現在に演ずる難しさ(謡いが多くて、眠られると気になる!など。)が、率直に述べられていました。
 (写真は、ナンということないですが、開場前の、能楽堂前の行列です。ワンクリックで拡大できます。私は、20分前に並んで、30数人目でした。)

 これで、4月下旬に、

『阿古屋(あこや)の松』

を観能するのがますます楽しみになりました。

 『申楽談義』に、「西行【西行桜】、阿古屋の松、大かた似たる能也。後の世、かかる能書く者やあるまじきと覚えて、此の二番は書きおくなり」と書かれています。
 老体【姿は、老体ですが、永遠の生命】の舞能や桜の名所尽し、松の名所尽しなどの対比から、両能の近さ、が言われるところです。

 余談ですが、出演された、観世清和宗家は、その老体の問答がクドい、とおっしゃり、平泉水公宣・萬松寺住職は、それは老婆心です、とおっしゃっていましたが、この議論で、世阿弥晩年の作風がわかるというものです【この作品は、世阿弥、64、5歳の作品とか。】。
 この日は、学者陣の「建前」と、宗家の「本音」が、バランスよく語られ、聞いていて有益でした。

 講師の松岡心平教授は、この能の演出ポイントを要領よくまとめられ、もう一人の講師菊池仁教授は、説話解釈面で貴重な示唆を頂きました。
 これらの知識をほどよくブレンドして、詞章を熟読していきたいと思います。

 もうひとつ、中将と清少納言の関係などの、〈少数説〉で、さかんに話が盛り上がっていましたが、雑談を聞いた、で、終わらせず、そのあたり調べてみようかと興味を持ちました。

【蛇足ながら・・、清少納言は、一条天皇の后・定子(ていし)につとめていました。定子は、25歳でなくなります。もう一人、一条天皇には、彰子(しょうし)という后がいました。こちらには、紫式部がつかえていました。定子は、藤原道隆の子、彰子は、藤原道長の子です。】

 最後に、この能の物語は・・・、

 みちのくの、陸奥(むつ)の国に左遷されて赴任中の中将・藤原実方は、二条天皇に命じられた歌枕で名高い、阿古屋の松を探して巡業していましたが見つかりません。
 実は、その松の場所は、和銅五年に出羽の国となっていました。
 実方も、やがて、みちのくの心の奥底がわかってきます。そこに案内されて、通夜をすると、塩釜明神が現れます。
 明神は、いろいろな松の名所、めでたさを語り、やはり阿古屋の松が一番すばらしいと言い、また、実方が都にいた頃の風雅を偲んで舞を舞います。

武将・通盛の修羅と女房・小宰相の最期を美しく描く。だが・・・~能・『通盛(みちもり)』 。

 このところ、民生・児童委員として、3年に一度の、高齢者世帯調査をすることになりました。
私の担当地区では、調査対象世帯が約70世帯ほどあります。そこで、午後に、約7000歩位歩いていますので、かえって体調がよいようです。
(民生・児童委員というのは、全く無報酬のボランティアです。念のため。)

 ところで、東京二期会の11月公演、オペラ『ドンジョバンニ』の席は、最前列中央を、同月・日生劇場のオペラ『夕鶴』は、11列目中央の席をゲットできました。

 さて、今夜は、千駄ヶ谷の「国立能楽堂」で、能・定例公演、『通盛(みちもり)』(二番目物。観世流)の観能でした。

 「平家物語」巻九(小宰相の入水)を本説とする、いわゆる「複式夢幻能」です。
 「篝火」を付けた船の作り物が出ます。

 前にお話ししましたが、あらかじめ、「新潮日本古典集成」(謡曲・下)で、十度近く詞章を読んでいます。就寝前のこのところの日課でした。ですから、内容は、頭の中で、十分に咀嚼、攪拌されています(これが大切だと思います)。

 余談ですが、以前に、この能楽堂の楽屋を見学したことがあるのですが、広い畳敷きの部屋が、何部屋か、ザー!と続き、案内してくれた方は、「ここを大奥の撮影に使わせてほしい・・」というテレビ局の依頼があった、とかおっしゃていました。

 本題です。
 まずは、「あらすじ」です。

 阿波の鳴門で、4月から7月までの一夏(いちげ。旧暦)、約90日を籠居して修行する僧(ワキ)と従僧(ワキツレ)は、毎夜、静かな海の岩上に生えた松の元で(岩根の松。居る、待つ、とも掛けています。)、ここで果てた平家一門を痛わしく思い、読経して、弔っています。
 
 そこに、遠い山の寺の入相(日没の鐘)に急かされた年老いた魚師(シテ)と姥(ツレ。現代では、演出上、前ツレも若い女です。でも、中入りします。)の夜船(呼音、とも掛けています。)が、しら波(白波、知らず、ともかけています。)の中を通り、静かな中に、経を聞きます。

 年老いて、いったい、いつまでこの魚師の仕事(渡津海。わたづみ)を続けるのか、来し方、行く末を考えて、憂き(憂と浮く、を掛けています。)世を詠嘆しています。しかし、辛うじて秋の気配は心を慰めます。

 余談です。ワタは、朝鮮語で、ワタ(pata=海)から来ているようです。ですから、海を横切るのは「渡る」という動詞化されたものだとか。

 真っ暗な、月でさえ暗闇に埋もれそうな海の彼方に、読経を聞いた魚師は、岸の陰に船を寄せて、僧と平家一門の子細を問答し、読経を所望します。
 漁業は、殺生の業ですが、漁火が仏に導く善光となってくれます。その光での読経です。

 そこで、小宰相(北の方。つまり女房。禁中一の美人といわれます。)入水の様【シテ・ツレの物語】、合戦前夜の夫婦の逢瀬と別離【シテ・ツレの物語。「クセ」】、通盛の討死【シテの物語】が、アイの語りをはさんで語られます。
 
 アイ(相狂言)は、二人の出会いを語ります。
 京都東山法勝寺での花見のおりに、通盛が、小宰相に一目惚れして歌を送ったのです。
 
 余談ですが、折角、「字幕ガイド」があって、随分と、基礎的な解説を入れているのですから、二人がやり取りした恋の和歌の現代訳がほしかったですね。
 もう一つ余談ですが、「北」というのは、奈良の都以来、尊ばれています。特に、真北は、「天極」といわれます。

 僧は、衆生残らず救う、法華教の教えに基づいて、二人の成仏を「方便品」で祈ります。
 阿弥陀如来や諸菩薩が、来迎(らいこお)し、通盛夫婦を極楽に迎えに来ます(成就得脱)。「キリ」。

 ・・・という筋です。

 シテは、梅若玄祥、ツレは、梅若紀彰、
 ワキは、宝生欣哉、ワキツレは、御厨誠吾、
 アイは、高澤祐介、です。

 冒頭から、ツレ(小宰相)が、衣装も含めて、よかったですね。
今回、脇正面中央寄りの席でしたので、美しい横姿がすこぶる印象に残りました。

 クライマックス、「クセ」から「カケリ」の優雅幽玄さ、シテ(通盛)の舞は、前半からずっと待った甲斐あって、見事に、引き付けられてしまいます。

 でも・・・・、

 能は、「写実」ではない、とはいいながら、名手であっても、シテがえらく肥満気味なのが気になります。ましてや、前シテは、「幽霊」です。
それに、足元が、ちょっとよろけ気味のときがありました。
 それに、ワキツレも、なにかワキより背が高く、体格ががっちりして貫禄があります。こちらが、僧よりも、よほど武将らしい体格です。
 ・・・つまらないところ、といえばなんですが、ずっと気になりました。
 そりゃー、オペラだってお姫様を超ベテランが演じたりしますが・・・。

 なお、能の前に、狂言「音曲聟(おんぎょくむこ)」が演じられました。
面白いですね。

 ところで、一般に、狂言は、能よりもわかり易いという印象がありますが、どっこい、現代では、難解な「死語」となった言葉を知らないと、なかなか充分に理解できません。おまけに、能のように事前の予習のための素材が少ないのが現状です。
 ですから、私は、座席の「字幕ガイド」を、むしろ、狂言のときには必ず点けています。 

 狂言を、きちんと鑑賞し、真に「笑える」ための、「用語解説集」がほしいものです。
 私が、もし、言葉に詳しいなら、新書版で、「狂言演目別、よくわかる《死語・廃語》集」、を出版しますが、こんなアイデアは如何? 
 兎も角、狂言を、ともすれば、能の「付録」のように考える観客方もあり、あまり問題にされませんが、狂言の鑑賞についても、きちんと考える必要がありそうです。

 最後に、今日、私の前の、背の高い、美しい女性は、謡を勉強されているのでしょうか、開演前と20分の休憩中に、赤をびっしり入れた謡曲のノートやコピーを一心不乱に読まれていました。
 そのお隣は、演能中に、ゴソゴソかばんをいじられ、中からノートを取り出して、批評でもメモされるかと思いきや、そのノートにシテとツレのスケッチをされていました。これがすごく上手なんです。
 私と同じく、脇からの、ツレを美しく感じられたのでしょうか。

 ゴソゴソされても、怒ることを忘れてしまいました。
ま、いろいろありました。 
 雨あがりのすがすがしい中を帰りました。

 おかげ様で、「首こり」は、だいぶ良くなって来ました。ご心配おかけしました。
 そこで、また、《ポメラ》(キングジム)で、ブログの下書きをしています。これを使い出すと、便利で、やみつきになります。

東京・国立能楽堂、能・「東岸居士(とうがんこじ)」。芸尽くしの舞を楽しみました。~初心者の方への「能鑑賞お勧め」の話も兼ねます。

 汗ばむ快晴の中、東京・千駄ヶ谷にある、国立能楽堂に行きました。
時間がありましたので、一つ隣の、JR・信濃町駅で降りて緑の中を散歩して能楽堂に行きました。

 きょうの能は、普及公演・「東岸居士(とうがんこじ)」(四番目物。作者不詳)でした。観世流です。

 地味な物語の能ですが、勧進(寄付)のテーマは、大震災後にふさわしい出し物かもしれません。

 この日の、「東岸居士」は、珍しい「橋立」の小書つきです。
 つまり、特別な演出、というか、具体的には、原作に忠実な、出だしの〈サシ〉〈上歌〉があるということです。後述します。
 
 能に先だって、武蔵野大学名誉教授・増田正造さんの「能の「橋」物語」と題した講演がありました。
 
 でも、講演は、30分程度の物語の筋に触れない雑談程度のものですから、普通には、この講演があるからといって演目を選ばないようにすることも留意しておいてください。 
 
 余談になりますが、私の、能の「事前勉強」を、今回を例にご紹介しますと・・・、

 チケットを買ってから、ほぼ毎晩、他の本を読む前に、必ず少しずつ、欠かさず「新潮日本古典集成」の謡曲「東岸居士」を読みました。6ページほどです。

 まずは、脚注を読みながら、丁寧に全体を把握しましす。必要があれば、関連ある、謡曲「自然居士」もざっと読みました。

 ここでは、「喝食」や「放下」といった僧が歴史的にどのようなものか、「勧進」の意味などを知っておくところがポイントだと思います。
 でも、歴史の勉強ではありませんからホドホドで十分です。

 また、今回は特に、「一偏上人絵詞伝」の仏教的な話が難しいのですが、細かく理解する必要はありません。また、多分、理解できません。
 人々が、救いを求めていた時代であった程度で十分でしょう。

 ひととおり、理解し終えたら、最終的には、本文を、声に出して音読してみます。これが意外に有効で、「理」でなく「情」で理解できてくるところがあります。こちらが重要です。

 また、見所(けんじょ。客席)の席ですが、私は、正面席(国立能楽堂では、4800円ほど。会員は、4320円)ではなくて、脇正面(同3100円。会員2790円)や中正面(2600円。2340円)の若干安い席で、「回数」を観るようにしています。

 それに、国立能楽堂の見所(客席)は、切符を買うときに、オペラや文楽と違って、それほど神経質にならなくても、どこの席でも、極端な話し、一番後ろの席しかなくても、十分観やすく、大丈夫だと思っています。

 余談ですが、横浜能楽堂館長である山崎有一郎さんは、能は、目付け柱を意識して舞っているので、目付け柱の延長線の席がよい、と言います。
 たとい、柱が邪魔になっても、それが、「透けて見えてくる」のがホントウだそうです。(『能・狂言なんでも質問箱』(檜書店))

 今回の私の席は、たまたま正面席にしましたが、一番、「中」に近い席です。

 ちなみに、水道橋の宝生能楽堂「五雲会」で、毎月観ていたときは、中正面最前列でずっと観ていました。これは、ちょっと極端ですが・・。

 また、総じて言いますと、歳をとっての趣味としては、能は、勉強に時間が必要ですし、その勉強は日本文化全体の理解にすこぶる有用ですし、何よりも観るのも低料金ですから、絶対にお勧めです。
 「低コスト・高付加価値」の舞台鑑賞趣味となります。

 さて本論です。

 この能は、「一偏上人絵詞伝」からも多く引用のある、無情の世(「電光朝露のごとき」)に、橋修復費用の寄進を勧進する、雑芸者でもある東岸居士の物語です。

 「橋」は、仏教的には「あの世」にも通じるというものですし、勧進(寄付)は、たとい少額であっても、出来るだけたくさんの人から集めるのに意義があります。

 平たく言えば、寄付を集めるために説教や興味を引かせる舞をするわけです。

 ところで、「雑芸者でもある東岸居士」とは、放下(ほうか)の僧、つまり、僧と称しても、髪を剃らず、鳥烏帽子姿で、小歌や曲芸を演じました。
 大衆の顰蹙をかいつつも、この無情の世の中に渇望されていたので、風流の話題に取り上げられたのです。
 そして、喝食(かつじき)は、元来は、禅家で、誦経の後、食事を大声で知らせる有髪の少年僧です。

 この憂き世の毎日に、まるで小車のように定かでない中で、東岸居士は、自然居士の作った橋の修復のために、忙しく暮らしている毎日です(「たちゐ隙(ひま)なき心かな」)。【ここの部分が、「橋立」の小書つきの部分です。】 

 この東岸居士(シテ)は、説法(「聴聞」)と曲舞が評判です。

 このことを東国の男(ワキ)が清水に参ったあと、アイから聞きつけて対面し、生い立ちなど尋ねた後に舞を所望するのがこの能の物語です。
  
 そして、狂言綺語(きょうげんきご。道理に外れて、飾りたてた文学や歌舞のわざで、仏通に背く。)を転じて、仏法を賛嘆帰依する「人の心の花の曲」(人の心を楽しませる曲)が舞われます。

 さらに、実相真如、真如実相、真実の姿は一つに帰する舞が、大きく2つ、続きます。芸尽くしの舞です。

 シテは、山本順之、ワキは、飯冨雅之です。
 
 集中して、あっという間に終わった感じです。
 
 いつも思いますが、ここの観客の拍手は、最後の最後に一度だけで、すがすがしい思いです。

参考:新潮日本古典集成・謡曲(中)。
 

古典を理解するための日本仏教史概観

 前回に、能・鵜飼に関係して、仏教・法華経の話をしましたが、今日は、もう一歩広い視野で、日本の仏教を概観してみます。
 日本の歴史は、政教分離ではありませんでしたし、いろいろな文化も、たとえば「茶」なども、仏教とかかわりがありますので、一応、仏教を「押さえている」のとそうでないのとでは、芸術を理解する「深度」が異なってきます。

 飛鳥時代から明治時代まで、ざっくりと、宗教の歩みをたどってみます。

 マクロに俯瞰(ふかん)して、いくつか気づくのは、まず、人々が、「仏」に近づく方法をめぐっての哲学的対立と分化の繰り返しに気がつきます。
 例えば、それは、現世なのか、来世なのか。また、教典を徹底的に学んで近づくのか、どういう修行が必要か、苦行が必要か、あるいは、単に、「ナムアミダブツ」を唱えるだけもよいのか。
 また、当初は、女性は、救いの埒外なことにも今日の感覚では驚いてしまいます。 
 もうひとつ、「政治権力」との癒着や対立が、際立っていることです。歴史的に考えると、いかに、今日の「政教分離」が重要か改めて考えさせられます。

 ・・本論です。 

1 古代、日本では、天地・自然のあらゆる物に神霊が宿る、という「自然信仰」の風土がありました。「唯一絶対神」もありませんし、「祭政一致」が基本でした。

・・ここに、大陸から、「異教」である「仏教」が流入してきました。私的には522年頃、公的には、538年(552年説もあります)に仏教が伝来しました。

2 飛鳥・奈良時代。仏教伝来の当初、仏教を公認するか否かで、仏教支持派(崇仏派)の蘇我氏と、排仏派の物部氏が争い、587年の戦闘で、蘇我氏が勝利を得ました。これによって、仏教が「政治の基本理念」となりました。

 この頃は、釈迦の教えを中心とした、「顕教」の時代です。しかし、仏教は、まだ、漢字が理解できる一部エリート達のものでした。僧になれるのも、年間、一定の定められた人数だけで(「年分度者」)、無届けで出家する「私度僧」は、労働力の欠如する意味からも厳しく戒められました。したがって、民間への布教もできません。歴史書に、「行基」の、僧尼令違反で、民間活動を禁じられたことはよく出てきます。

 604年、摂政・聖徳太子は、17条憲法で「篤く三宝を敬え。三宝とは、仏と法と僧なり。」と唱えます。国家鎮護への仏教利用が現れています。

3 奈良仏教は、「南都六宗」の時代です。この六宗、法相(ほつそう)、三論(さんろん)、華厳(けごん)、成実(じょうじつ)、倶舎(ぐしゃ)、律(りつ)を奈良の各寺院で学びました。例えば、法隆寺(聖徳宗)では、4宗を、東大寺(華厳宗)では、6宗全部を学びました。 ここでは、派閥というよりも、寺に籠もって教典を学ぶ、今日の大学のような性格のものでした。

 「研究」ですから、今日のように、檀家もなければ、葬式も挙行しません。今日でも、法相宗(大本山は奈良・興福寺)の、京都・清水寺(北法相宗大本山)の大西良慶貫主が亡くなったときの葬儀は(1983年)、曹洞宗(禅宗)・永平寺の秦老師が行ったことはご存知でしょう。

 全国に国分寺、国分尼寺が建てられ、総国分寺としての東大寺も建てられました。

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能、文楽と仏教思想

 読者の「まさぞう」さんから、能「鵜飼」のコメントとご質問をいただきました。

 「鵜飼」に関わらず、能などには「法華経」賛美がでてきます。そこで、今日は、知っている範囲でこの時代の仏教思想などについて少し述べてみたいと思います。
 これをきっかけに、皆さんも関係文献を渉猟されることをお勧めします。

 まずは、釈尊(しゃくそん)の話からです。

 紀元前4,5世紀のインドは、バラモン教が支配していましたが、それを否定した新しい修行者(沙門)が出てきました。釈尊もその一人でした。
 釈尊は、ネパール国境近くの小国の指導者の後継者でした。釈尊という名は、釈迦族出身の尊者という意味です。釈尊は、結婚し、長男が生まれ、後継者をまかせることのできる者ができたのを機会に、29歳で出家します。

 釈尊は、ヨーガや苦行、座禅瞑想のすえに、35歳(30歳説もあります。)で悟りを開き(成仏(じょうぶつ)し)、ブッダとなりました。ブッダは、「目覚める」意味があります。また、如来(真理に達した人の意味)、とも言われます。
 
 そして、バラモン教の梵天(ぼんてん)の請いに答えて、鹿野苑(ろくやおん)の地で5人の出家者に初めての説教(初転法輪(しょてんほうりん))をします。その後、多くの指導をした後、80歳で死にます(涅槃(ねはん)に入る。)。

 釈尊の死後、口説で伝えられた教えを、500人の弟子(比丘(びく)。出家した弟子。)が経典にまとめました。

 その後、200年ほどして、宗派が、原始仏教と、新しい考えの部派仏教に分裂します。

 その新しい部派仏教も、経典の学術的研究など現実社会から遊離したアカデミックな活動のみであることを批判され、新しく大乗仏教が生まれます。
 大乗仏教(だいじょうぶっきょう。大乗とは、大きな乗り物の意味です。)は、初期の大乗派は、自らの宗教体験も加味して、釈尊の教えを再構成し、諸仏の教えを統一・統合し、新しい仏教思想を創造しました。

 この経典が、「法華経」「般若経」「阿弥陀経」などです。

 日本に仏教が正式に伝来したのは、6世紀頃ですが、鑑真(688-763)が天台宗文献を伝達し、聖徳太子(574-622)は「法華経」の講義をし、聖武天皇は、伯母の元正天皇の追善供養のために、748年に法華経1000部の書写を行わせました。日本天台宗の開祖、最澄(767-822)が「法華経」を基本としました。
 また、日蓮は、「法華経の行者」と自らを規定し、法華経の「唱題思想」などを過激に進め、追害されました。
 (下記の「続きを読む」をクリックして、引き続きお読みください。)
 

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能四番鑑賞。高い芸術性と低い観能マナー

 今月も、宝生会(「五雲会」)で、「養老」、「草紙洗」、「舟橋」、「小鍛冶」、を観能しました。(水道橋の宝生能楽堂)

 「養老」の後見は、家元の宝生和英さん、「草子洗」のシテは、今井泰行さんなど、いつもどおりの力のこもった布陣です。

 脇能の「養老」ですが、脇能らしく、「当代賛美」の能ですが、天野文雄氏の650ページの大著「世阿弥のいた場所」(ペリカン社)にも、詳細に取り上げられていますが、結論から言えば、この能の本質は、同胞衆ではない御用役者としての世阿弥が、足利将軍ではなく天皇の御代を賛美した、能と解されています。

 通説では、能は、武家、将軍家の庇護のもとに発展したことを根拠に、「将軍の世」を賛美したものである、とされているようですが、天野氏は、当時の武家社会発展のプロセスを分析され、将軍家と天皇家の二者択一の議論ではなく、「君臣一体論」から、この時代では将軍家は天皇家を立てていたので、あくまで、将軍の意向のもとに、「天皇の御代を賛美した」、という説です。
 また同書では、この「養老」の成立過程も、「養老寺縁起」などを典拠に詳細に分析されています。能の理解の参考になりますので、ご一読をお奨めします。

 とまれ、この日の能は、いかにも「四番立て」らしい、緩急のあるすばらしい組立で、正味六時間を能世界に耽溺できました。特に、「草子洗」の緊迫感や最後の「小鍛冶」の舞は、すばらしいものでした。

 さて、毎月、宝生能楽堂で、例会を観ているのですが、私の経験している範囲では、能の、特に、流派の例会的な能の観客マナーは、文楽、オペラ、雅楽・・等と比較すると、あまり良いものではありません。
 ま、自治体の「文化祭」の発表会ほどではありませんが。

 大体、いつも大同小異なのですが、例えば、この日で言いますと、私の前の席の50~60代の方は、ずっと、ガムをかみながら(けっこう、斜め前で、口が動いているのは気が散るものです。)、老眼なのか、「謡本」を顔の前の少し離れたところに持っていって、何度も、何度もちらちら持っていって見ています。もちろん、ページもバシャバシャ繰ります。合間には、ウトウト。自宅の茶の間感覚なんでしょうね。

 また、通路を隔てた、斜め前の高齢の方は、最初から、前かがみで、突然、両手をゴリラのように、広げて踊る真似をしたり、ずっと、拍子にあわせて、右の手のひらを、30センチぐらいあげて、ひざをポンポンたたいて拍子をとる。ときに、声まで入るんです。これがずっとです。お隣のご婦人、睨んでいないで注意すればいいのに。
 この方は、そうとう、お詳しいのか、ときどき、舞台の囃子に疑問があるのか、あからさまに下を向いて、首を傾げられます。

 私も、「養老」で、さすがに、気が散ったので、脇正面に移動したら、今度は、ここにも後ろに、年輩の方が、遅れて入ってきて、やはり謡本をぱらぱら、一生懸命にマーカーと万年筆で書き込みもされています。
 少したつと寒いのか、ビニールをバシャバシャさせて、セーターを着ます。
 ま、ヒトのことは言いたくないのですが、この方、前にいても、いわゆる「加齢臭」もすごいのです。(オペラでも、先日、隣のヒトが、餃子でビールを飲んできたらしく参った経験がありますが。)
 
 そんな、こんな、で今回は、ほとほと参りました。
 ま、自由席でなので、まだ、自由に移れるだけいいのです。これが、年間指定なら悲劇です。会館には、ご意見メールを入れたのですが、無しのつぶて。

 さすが、「コンサート」と性質が似ている、国立能楽堂の主催公演あたりは、そんなことは無いのでしょうが、これも、先日の「蝋燭能」では、はじめの、お調べの囃子の直前に、男性が大声で喧嘩腰に「そこ、もう黙れ、うるさくてしょうがないんだよ。」と怒鳴ったりしていました。どっちもどっちですが。

 能も足利将軍ひとりを中心に演じている頃と違って、大勢の観客を対象にしているんですからもう少し、標準的なマナーをわきまえなければ。
 それに、会館も、プロとして、こういう特殊事情を踏まえたうえでの「館内注意アナウンス」などをしなけらばいけないと思います。
 ほかと同じような、とおり一遍の注意アナウンスをしているのは、やはり、見識と実力が疑われます。
 でも、その世界にいると以外と気がつかないのですかね。仲間内だけ来て頂ければいい、というものでもないでしょうに。

 こういうことがあるので、能で高い切符を買うのは本当に用心してしまいます。こういうことが、観客動員発展の足を引っ張っているのかもしれません。

能、「小鍛冶」を知る

 今週、「おじいちゃま」(孫)、63歳と相成りました。

 今日は、例によって、NHK教育テレビ「伝統芸能」で、竹本住大夫さんの、今日からの「近松、心中天網島」を見ました。

 「近松は、脂汗が出るほど大変でっせ。」「ほかの曲のように七五調ではないし・・、美文なのでメリハリをどうつけるかいまだに悩んでいる・・」、と言った話がたくさん聞けました。
(そういえば、多分、来年1月の東京・国立劇場はコレが上演されると思いますが。)

 その後、NHK・BSで、「イージーライダー」の放映がありました。
 ちっとも古くないし、アメリカの原風景が実に美しく撮られています。相変わらず音楽に聞惚れます。
 ちょっと、今日は、テレビの観すぎ。土曜日は、宝生会館で、能4番を観る、そのあと一つ残っている「予習」をしなければ。

 ところで、毎月、第3土曜日は宝生会館での観能ですが、この後の予定では、7月は「ファウストの劫罰」、8月は能がお休みで、9月は愛知に行って粟国淳さんの「ホフマン物語」、10月は四国、やはり粟国淳さんの愛媛オペラ「ラ・ボエーム」、11月もあって、12月まで、宝生会館の定例会はしばしお休みとなります。で、今日は、力を入れますか。 

 宝生流で観能を予定している「小鍛冶」です。 

 今回も、正午から18時過ぎまで、能を観ます。もうすっかり慣れて、コックリともしません。

 さて、「小鍛冶」。作者は不詳。二場の、五番目物・切能物。(★最後の演目で、序・破・急の急にあたりますので、テンポの早い作品が多いのが特長です。また、最後ということで、祝言の内容を持つ曲などが多いのが特徴です。)。約1時間。

 はじめます。季節は、冬。場所は、京都。

1ワキツレ、一条院に仕える勅使、橘道成(たちばなのみちなり。創作名)が、「昨夜、帝が不思議な霊夢を見て、三条の小鍛冶宗近(こかじむねちか)に、剣を打たせる命が下ったので、いま伝えに行くところである。」と名乗る。

2ワキ(小鍛冶宗近)登場。問答。ワキツレが1を伝える。しかし、小鍛冶は、あいにく、今、相槌(あいずち。刀を打つときに、刀匠相手となって槌を打つ者。)がいないので、途方にくれる。まことに、赤面のいたりである、と言う。

3小鍛冶は、辞退も、返事もできず、進退窮まっている。

4もうこうなっては、氏神の稲荷神社(京都伏見)におおすがりするより仕方ない。

5前シテ(黒頭(くろがしら)の童子-化身-。流派によっては、老人のこともある(金剛流)。)登場。ワキと問答。シテは、ワキの苦悩をもう知っている、天の声の様に知れ渡っているのか。壁に耳、岩に口の世の中だ、隠しようがない。しかし、大君の恩恵があるので、必ずよい剣が出来るはずだ。

6クリ、サシ、クセで、中国や日本の剣の話をして励まし、壇を築いて我を待て、と言い姿を消す。中入り。(荘重な「来序」の囃子でシテが退場しますが、「来序」の無い流派もあります(宝生流)。

7アイの再説明。

8「作り物」(★極限までデフォルメされた舞台装置)を正先(しょうさき)に置く。=「一条台(しめ縄を張り、鉄床(かなどこ)を備え、鍛冶場を表します。高さ約20センチ、畳1畳分です。)

9後ワキ(宗近)が登場し、台上で神々に祈り「謹上再拝」と幣を振って捧げ、肩を脱ぐ。

10後シテ(稲荷明神。狐の姿で)登場。相槌となり、台上でワキと刀を打つ。
 後シテ(稲荷明神)は、台にあがると「三拝」し、主槌の宗近に敬意を示します。膝を屈し、「さあ鉄は」と言われ、恐縮し、鉄を取り出して打ちます。この槌の音は天地に響きます。   

11 出来た剣に銘を、表は「小鍛冶宗近」と、裏には稲荷明神が相槌を打った弟子だったので「小狐」と鮮やかに刻んだ。
「四海安穏(しかいあんのん)、五穀成就(ごこくじょうじゅ)」を祝福し、稲荷の峰に帰って行く。
★このとき、天下第一の・・、二つ銘の剣にて、四海安穏、五穀成就・・と「三」を隠します。

参考:「日本古典文学大系 謡曲集 下」(岩波書店)、「能楽ハンドブック」(三省堂)、「岩波講座 能・狂言Ⅵ」(岩波書店)

能、「草子洗」を知る ~和歌の知識とともに

 6月19日(土)の宝生流能を観能するための、事前研究を続けます。

 今日は、「草子洗(そうしあらい)」です。

★宝生流「草子洗」ですが、金剛流では「双紙洗」、観世・金春流では「草子洗小町」と言います。

 曲の題が面白いですが、物語を一言で言えば、改ざんされた和歌の書き物を見破る物語です。和歌賛美の物語で、演能時間も1時間30分ほどありますから、いくら場面転換が多い、作劇術にたけた能であるとはいえ、しっかり予習していかないとツライかもしれません。
 
 作者は不詳です。三番目物・鬘(かづら)物(★女性をシテ(主人公)とし、歌舞中心の優美な物語が多い。)、二場です。

 ここに出てくる歌人は、小野小町と大伴(大友)黒主(おおとものくろぬし)です。二人とも、六歌仙の歌人で、「古今和歌集」には、小町は18首、黒主は3首が載っています。

 黒主は、やはり和歌を賛歌した能・「志賀」にも出てきます。
 と、言うよりも、黒主の和歌「春雨のふるは涙か さくら花ちるをおしまぬ人しなければ」は、能・「熊野(ゆや)」(★このブログ参照)に出てきましたね。
★和歌の訳:「桜の花の散るのを見て、それを惜しみ泣かない人はいないのだから、そうすると、しとしとと降る春雨はそれを悲しむ人たちの涙が雨になったものだろうか。」 
★熊野:    http://kandoujin.blog48.fc2.com/blog-entry-26.html

 ほかにも「思ひいでてこいしき時は はつかりのなきてわたると 人しるらめや」などよい歌の作者なのですが、どうしたわけか、この能では、小町に「負ける」ことを恐れて、改ざんするような人物に描かれていてちょっと頷けないところがあります。
★和歌の訳:「あなたを思い出して恋しくてたまらないときには、泣きながらお宅の付近を歩きます。その私の思いを告げるかのように、初雁が今空を鳴きながら飛んでいきましたが、あなたがそれに気づいてくださるかな。」

 黒主は、近江の国の豪族で、地方の代表者として、古今和歌集に歌を献じています。古今和歌集の中では、素朴な作風で、古代の名残りをとどめている最後の作者です。このような、「異色さ」が、悪役にされた理由とは思えませんが。

 一方の、小町ですが、一般に「小町」物は、老後の零落ぶりなどを描いたものが多いのですが、この曲は、若く美しく、人情味豊かな小町像となっています。
 小町の和歌は、男に隷属した、当時の女の暗さがほとんど無く、男女の立場はほとんど平等で、その歌には、女性が経験するあらゆる恋愛感情がほとんど網羅されています。

さて、前置きはこれまでにして、能の内容です・・・。(例によって、★で用語解説していきます。)

時は、春。場所は京です。

1流派によって、始まりが異なります。まずは、

①=宝生、金春、金剛流では。
 最初に、シテ(小野小町)が囃子無しに登場。正中(★しょうなか。中央の位置)で、床几(しょうぎ)にかける。 ワキ(大伴黒主)が名乗り笛なしでアイ(黒主の下人)を従えて登場する。

②=観世、喜多流では。(名乗り笛で)ワキ(大伴黒主)がアイ(黒主の下人)を従えて登場する。

 ワキ(黒主)。明日、内裏で、歌合(うたあわせ。歌人を左右に分け、歌の優劣を競う。)があり、自分の相手は、小野小町と定められたが、小町は、歌上手で、とうていかなう相手ではない。小町の家に忍び入って、歌を聞きにいくことにする、と述べる。
(その後、後見座(★舞台後ろ)にクツログ(★暫時休憩))

2①宝生流など、1-①に続く。もう、シテは出ていますからね。

 ②=観世流など。アシライ出シ(★閑雅な囃子)の囃子で、シテ(小野小町)が登場し、三の松で謡う。

 明日の歌合わせにの相手は黒主となった。題には、「水辺(すいへん)の草」を賜った。いい歌が思い浮かびました。
 「蒔かなくになにを種とて浮き草の、波のうねうね生い繁るらん」(蒔いたわけでもないのに、一体何を種として、田の畔のような波のうねりの間に浮き草が生い繁っているのであろうか。)この歌を短冊に書く。
 ワキは立ち聞きしている。(シテ中入り)

3ワキは、アイに今の歌を聞いたか、問う。アイは、「瓜蔓(うりづる)」と、なんだか意味を違えて答える。
 ワキは、今の歌を、草子に入れ筆(★書き加えて、昔からあった歌のように改ざん)しよう、と言って退場する。
 アイは、黒主のたくらみや、明日の歌合わせのことを再説明して退場する。

4次第の囃子で、子方(こかた。天皇)、ツレ(紀貫之や朝臣、女官など)、シテ、ワキ登場。
 作り物=文台(ぶんだい。★竹の台に色入りの布で飾ったもの。)。

5貫之が柿本人麿呂の和歌を謡い、和歌の徳を賛美する。

★参考までに、紀貫之は、歌集編纂才能があり、また、その歌は、内容平易、表現は派手で、俗受けしました。

6子方(★子方は、たいていシテ方の家の子供がつとめます。)の命令で、貫之が文台の小町の短冊を読み上げる。子方(天皇)は誉めるが、ワキはその歌は、万葉集の古歌であると抗議する。
 シテは、それでは作者は誰かと問う。ワキは、作者は知らないという。
 シテは、万葉集はすべてそらんじているがそんな歌は無いと反論する。証拠を出せと言う。
 証拠となる歌を出せとの宣旨が下り、ワキは、懐中から草子を取り出して、さし上げ、シテの前に置く。

★余談ですが、「万葉集」は、素直な直の歌が多いのですが、その次に作られた六歌仙の活躍する「古今和歌集」は、優雅で、細やかな情の歌が多く、全く傾向を異にします。大和とから京へと環境と時代が変化したことが強く伺われます。
 ですから、作者は「万葉集」を出してきていますが、これも、ちょっと文学的には頷きがたいところがあるのでは、と思います。
 なお、「古今和歌集」は「源氏物語」に流れ、「源氏物語」から「新古今和歌集」が流れ出ました。
 さらに、余談です。このころの高貴な未婚の女性は、人に絶対顔を見せませんでした。ですから、噂を聞いて、結婚を望む男性は、その女性の近従の女性に和歌をしたためて返事を待ったのです。閑話休題。

7証拠を突きつけられて、シテは嘆き、動揺する。しかし、例の歌のところだけ、行の並びが乱雑で、墨色も変わっているように思えた。
 シテは、貫之に内裏の清水でこれを洗いたいというが、恥の上塗りになるのではないか、と言われ、泣く泣く退出しようとする。
★ここでは、シテの孤独に注視してください。。

8貫之が声をかけて止める。清水で洗うことについて、子方の許しを得たと伝える。  

9シテが草子を洗うと、思っていたとおり、入れ筆の部分が消えて、改ざんであることが判明した。
シテは、「ありがたや」と合掌し、子方の前に、草子を捧げる。

10ワキが、「自害する。」と橋掛かりに行きかけるが、シテは後を追って呼び止める。

「この席の人々は、皆歌人として名ある身なのに、私ひとりが名誉を独占してしまうようでは、和歌の友とはいえません。」
「歌道に執着するあなたの熱心さは、誰もが模範とすべきことと言えましょう。」
子方も許しの言葉をかけ、ワキは、元の座に戻る。皆は、喜び、シテに舞を勧める。

★以降舞台は、小町は、歌人としてよりも、芸能者としての様相が濃くなる。

11シテは、和やかに舞を舞う。「中の舞」。

12 シテは、君の長寿を祝い、太平の世を寿ぎ、和歌の徳をたたえつつ舞納める。

 今回は、少し、理屈っぽい、疑問点なども記述した、やや、「中級」になったでしょうか。
 
参考:「日本古典文学大系 謡曲集 下」及び「同 古今和歌集」(岩波書店)、「日本古典文学大系 古今和歌集」(小学館)、「岩波講座 能・狂言Ⅵ」(岩波書店)、新潮日本古典集成「謡曲集 下」(新潮社)。

能「船橋」、を知る。~入門者向きに解説

 今月に観能を予定している、「船橋(ふなばし)」の物語を解説してみます。

 今回は、やや細かく★解説をつけます。これまでの能解説と併せてお読みいただければ、能の基礎知識が付いて行くと思います。逆に、詳しい方は、★を飛ばしてお読みください。

★「船橋」とは、船を並べた上に板を渡して橋にしたものです。
 この物語では、昔、この橋を渡って、深夜に逢い引きしていた男女がいました。これを嫌う親が、橋の板をはずしておいたので、川に落ちて水死してしまいます。
 二人は、思いを遂げず、未だ成仏出来ないでいるのを、旅の山伏が祈祷して成仏する、物語です。

 元は「田楽」であったものを、世阿弥が作りなおした作品といわれます。夢幻能、四番目物です。

(★解説:能の伝統的な「番組」は、「五番立て」で、四番目物は、「狂」~何かを思い詰めて心乱れた主人公です。)

 話が少しそれますが、世阿弥の「夢幻能」(★「夢幻能」は、2部に分かれ、現実(前場)と夢の中の物語(後場)が語られます。したがって、主役単独主義が特長です。ワキは、話を引き出す脇役です。)は、歌舞的に完成されていながら、しかも、劇として優れており、とりわけ、「人間」をしっかりと書いているのが特長です。

例えば、源平合戦を種にした、世阿弥の「清経」と信光の「船弁慶」を比較すると、よくわかります。

 前者は、心の葛藤、心情が十分に描かれているのが特長ですが、後者は、舞や舞台転換の妙や工夫、囃子の伴奏などの、スペクタクル性が特長(「風流能」)となっています。 そこで、興行的には、「船弁慶」の上演が多いのですが、このあたりは、早めに「卒業」されるとよいと思います。
 
★この曲の中で、仲のよい、二人が引き裂かれる物語の中に、文楽「妹背山婦女庭訓」にある、妹山、背山に中川の地名が出てきます。いろいろな伝統芸能に接していると、その名がでただけで、「アア、そういうことか。」と理解が早まります。

さて、本題です。

前場(まえば。★2部の前半です。)。場面は、佐野の、元、船橋のあった川岸、夕暮れの想定です。

1 ワキ登場。次第と名ノリ。

 熊野から、松島(陸奥の枕言葉です)陸奥に向かう客僧(山伏)が、上野(こおずけ)の国、佐野(今の群馬県高崎市)に着きます。

★ここで、「徒夢(あだゆめ)」という造語が出て来ます。はかない夢。「徒人(あだびと)」、心の変わりやすい人、浮気者、からの造語のようです。すぐ後に、「徒波(あだなみ)」というのも出ます。 

★「月の霞むや、美濃尾張(みのおわり)、老いを知れとのこころかな。」の「美濃尾張」は「身の終わり」にかけています。

2 一セイ(★ややリズミカルな、登場の囃子)で、ツレ(★劇中では「女」。面は、小面です。)を仕立てて、シテ(★男。直面、つまり、面は着けていません。主役)が登場。橋の修理の寄進(寄付)を依頼します。(船橋を造り、善心をもって衆を渡すと死後、善道に生まれる。)

 前世の報いで、川波に隔てられて思いをとげられずに、現世に執心を残して、未だに成仏できない身に、生死の海を渡る船橋を作りたい。

3 シテ(★主役)・ワキ(★相手方)の問答。

 里の男が、僧(山伏)に、橋の寄進(寄付)を頼むその事情に入っていきます。

4 シテの物語。前場の頂点です。

 昔ここにすんでいた者に、忍び妻(人目を忍んで契った妻)がいた。船橋を渡って逢瀬をかさねていたが、このことを嫌った親が、船橋の板をはずしてしまった。
 そのことを知らないで、橋から川に落ち、地獄で、往生せずにいる。

 クセーそのことは、我が身の上なのだ。成仏させてほしい。
 一瞬雲がきて、雨となり、何も見えなくなってしまった。鐘だけが聞こえる。(シテ中入り)

5 アイの説明。顛末の再説明です。
 川を隔てて、2人の長者が住んでいた。夕日の長者には女子が、朝日の長者には男子がいた。
 二人は成人して逢瀬を重ねていた。これを知った二親は、橋がなければ会うことを諦めるだろうと、橋の板を外した。そこに、深夜会うはずの男が川に落ち、男がみえなくなったのでおかしいと探した女も落ちた。親たちは、二人の死骸をさがそうと、沈んだ死骸の真上では鶏が鳴く、という故事を聞いて鶏を求めたが、佐野には鶏がいなかった。

後場(のちば)。同じ日、場所の深夜です。

6 山伏(ワキ)は、橋改修の寄進協力をほのめかします。後ツレ(女の亡霊)は救済を喜びますが、後ジテ(男の亡霊★阿波男、怪士の面をつける。)はなお、死後の苦しみを語ります。(ツレ、シテの例の少ない、この書き方が、読んでいて、分かりにくい箇所ですね。)

7立ち回り。

8 後ジテの物語。後場の頂点です。死ぬ前後の様子を語ります。執心の鬼となって苦患にいる二人は、山伏のありがたい祈祷によって成仏できます。
 正面を向いて合掌(成仏したのです。)

9 参考に、万葉集から、
「上野(かみつけ)の佐野の船橋取り放(はな)し、親は離(さ)くれど我(わ)は離(さ)かるがえ」。

参考:「日本古典文学大系 謡曲集 上」(岩波書店)、新潮日本古典集成「謡曲集 下」(新潮社)

能「養老」、と能の構成について

 今月は、宝生会で、「養老」「草紙洗」「舟橋」「小鍛冶」を観能します。
 まずは、「養老」を学んでみます。

 「養老」は、「君が代」とか、「方丈記」だとかの、知っている一文がでてきます。また、古来「菊」は長寿の薬であるとか、はては、「君は船、民は水・・君の政治が正しいから、民の行いも正しい」とか、考えさせるところがあって、なかなかおもしろい曲です。

 わたしなどは、「夢に見るのは、過ぎ去った60年の昔のことばかり、その過去は、見過ぎた花の散るようにはかなくすぎてしまい・・」とか、「茅の屋根から漏れる月も愛で、心を慰めているうちに、頭には、雪のような白髪を頂くようになった・・」・・などにしんみりしてしまいます。

 ここで、ちょっと、「基礎講座」です。
 これまでした能のお話を、少し総括して、「構造」のお話を「総合まとめ」してみます。

 もう、お気づきのとおり、1曲の能は、「前場(まえば)」と「後場(のちば)」の2場に分かれているものが多いことに気づかれたと思います。
 そして、さらに、各「場」は、5つくらいの「段」に分かれているのが普通です。
 
 そして、「段」は、多少の変形はあっても、だいたい次のように進みます。

1 ワキの登場。
2 シテの登場。
3 ワキとシテの応答
4 シテの物語
5(シテ「中入り」)
6 後場になっって、ワキの待受け
7 シテの登場
8 シテとワキの応答
9 シテの物語
10 結末

 また、「段」の冒頭は、韻文で、七・五、の句を2度繰り返し、七・四、の句で終わるといったパターンが多いのです。
 「養老」もそうです。しかも、「養老」の出だしの句は、能「金札(きんさつ)」と全く同じです。

 その基本構造に、「クリ」(上音を主とした高い調子の謡い)「サシ」(メロディーラインの少ない朗読調の謡い)「クセ」(シテの語る物語を地謡が謡う)で謡う、とか、舞の種類などの知識を、次々に付加していけば格段に理解が進むのは、これも気づかれたと思います。

 逆に、こういう基本構造を頭に入れておかなければ、「謡曲」の本質的な理解にはなかなか至りません。

 よく例えば、市などで主催する薪能の前に、「市民公開講座」などがありますが、説明も、どちらかというと能理解というよりも、一夜のイベント理解向きになっていて、囃子などの説明があっても、一番大事なこのような構造などの説明はめったに無いように思います。やはり、能楽人口を増やすにはもう少し考えるところがあります。

 さて、「養老」です。割合にシンプルな筋ですので、簡単にお話します。

 次第です。「風も静かに 楢(なら)の葉の、風も静かに 楢の葉の、鳴らさぬ枝だぞ のどけき」((風が静かに吹き、木々の枝も音をたてないのどかな太平の世である。)と始まります。

 ワキが登場し、天皇の命で、美濃(岐阜県)の国に不思議な泉(不老長寿の泉)があるのを探しにきたと名ノリます。
 ここまで来るには、国も富んでいて、関所の戸も開けたままなので、このような田舎であっても一挙に来られた、と世上を称えます。

 シテが登場します。年老いたが元気を保っていることを喜びます。
 高貴なお方は長寿を望まれるが、それは自分たちとて同じである。さいわい、奥山の不思議な泉のおかげで元気である。

 ワキ・シテの問答です。泉を発見したいきさつを言い、案内します。泉が澄み切っていて底の小石まで見え、小石が巌となって、苔がはえるという千代に八千代の栄えるたとえまででます。

 シテが泉の功徳などを、故事を引いてのべます。老いを若返らせるのならば、若いひとには、もっと効果があるはず。
 中入りです。アイがもう一度説明します。

 後シテの山神(観世音菩薩のひとつ)が出て(注:神も仏も、水と波のようなもので、変わるものではない。神仏同体説)、泉をほめたたえます。

 神舞を舞います。
 臣下ともども、よく治まったみ世で、この太平は永久に続くであろう、と君が世を祝福して謡います。

 と、いつもより、少し駆け足になりましたが、まあ大体、パターンどおりですよね。これを機会に、ぜひ、能楽堂にいらしてください。 

ろうそく能の幽玄に浸る

 6時半から、東京国立能楽堂で、「ろうそく能」、「重衡」を観能しました。

 休憩時間に、会場を、写真に撮ったのですが、やはり暗くてうまくブログにアップできませんでした。
 橋掛かり、本舞台の周囲に、キザハシのところを除いて、30本位の蝋燭が立てられ、開演5分前に順次、点灯されます。おもしろいもので、蝋燭は、ちょうど30分ほどたったあたりから、芯が出てよく燃えるのか炎が明るくなります。

 「重衡」約1時間半です。
 復活能で、極めて重く、暗い物語です。すでに、4月28日のブログで予習しています(「能「重衡」を学ぶ」)ので、下のアドレスをクリックするか、左のリストか、右上のブログ内検索で、アップしてご覧ください。)が、実際、このような、筋と歴史の予習をしていないと、極めて「苦戦」する能だと思いました。近くの観客は、「ああ、つらかった。」と言っている人が結構いましたから。

アドレスは、http://kandoujin.blog48.fc2.com/blog-entry-24.html  です。

 でも、予習していると、楽しめます。
 まず、一流の演者ばかりで、「格」の違いが、「空気」で、歴然と感じられます。
 ワキ、宝生閑(かん)さんを初見したのですが、思ったよりも、艶やかな声です。観世テツノジョウ(文字が変換できません。日本の伝統物は、私の技量不足もあって、このようなことが多いのです。)さんは、クライマックスの「カケリ」(心の動きを表す、「働事」で、立ち回り、のことです。)では、ハアハア、と面の下から呼吸が聞こえ、、肩で息をされてるのがわかります(席は、「脇正面」5列目橋掛かりから3番目でした。)。野村萬斎さんも、さすが、いい声ですでね。

 囃子方の、イヤー、ハッ、の掛け声も、腹の底からの、その又底からのような、気迫がちがいます。

 面、装束で一見して雰囲気にはいれ、その謡いと舞で、細かな筋ではなくて、哲学的な世界に浸ることのできた、至福の時間でした。

 国立能楽堂の見者は、能の流派の例会などと違って、終了後、拍手はしていませんね(最後の最後、囃子方が揚幕に入ってから、低く1回だけ、拍手でした。能の流派の「例会」などでは、シテが揚幕に入るときパチパチ、ワキでパチパチ、囃子方でパチパチ。それも、囃子方あたりだと、義理でしているような。これは、お弟子さんが先生を見に来ているせいもあるんでしょうね。)。

 
 繰り返しますが、「人間国宝」にも、ふつう通り拍手しない、というのはこれは、変な感心ですが、見上げたものです。私は、こうあるべきだと思います。重い余韻に浸り、それを心に繋げて帰る。演者も、拍手には答えませんものね。
 
 それにしても、国立能楽堂のパンフレット(560円)は、やや不親切だと思います。

 熱心な方は1時間前に来て、パンフレットで「予習」されている方も多いのですが、あの内容じゃ予習できません。まして、めずらしい復活能なのですから、歴史やポイントを細かく書いてあげなければ、せっかくの意欲が「予習」になりません。

 きっと、事務方の人なんかが、ほか(他の能楽堂だけでなく、文楽やオペラ)とマメに比較していないんでしょうね。あるいは、観客への「感受性」が低いんでしょうね。あるいは、人間国宝級の方などに口出しできないのでしょうか。

 そこにいくと、「文楽」のパンフレットは、「床本」も付録でついていますし、内容も豊かで、群を抜いています。

 ついでながら、能楽堂の女性トイレの行列は驚異的で、開演前アナウンスで「開演前もご利用ください。」と、小学校みたいに、2度も言う理由がうなずけます。

 余談ですが、この日は、能楽堂に行く前に、千駄ヶ谷駅前の津田塾大学1階(半地階)にある、レストラン「ユーハイム」で、腹押さえに食べた、ミートパイがサラダも一杯でおいしかったのですよ。830円(ドリンク付き)。劇場に行くには、こういう付加楽しみ増やさなくては。

 さらに余談。行く前に、池袋西武書店の2階芸術書売場の洋書アウトレット・コーナーで、アンドリューワイエス(私の前のブログ「感動上手」に長文を書いています。苦心の文ですので、ぜひご覧ください。リンクできます。)の画集が、半値以下の3千数百円で売っていました。これは、もう、絶対にお買い得です。

下記は、「感動上手」では、Mon Jul 13 2009  の「第1回」目のブログです。2回目以降は、同ブログのカレンダーで、次の日をクリックしていってください。

http://1st.geocities.yahoo.co.jp/gl/ikki1947/view/20090713/1247444377

能、四番を楽しみました。

 宝生能楽堂に行き、正午から18時まで観能しました
 写真は、宝生能楽堂の入り口です。ビルで、上階は、「宝生ハイツ」となってます。

 この日は、すでに記述しました「芦刈」、「熊野(ゆや)」、「鵜飼」、それに「籠太鼓(ろうだいこ)」に、狂言を楽しみました。
 少し事前勉強と違ったのは、「鵜飼」です。最後が、法華教賛美というよりも、閻魔大王(後シテ)が出てきて、魚師の魂を救って、極楽に送ります。ずっとわかりやすいですね。

 また、「熊野松風米のめし」、と言って常食の米のように、飽きがこない180番中の名曲である「熊野」は、老母を心配している心がもう明確に伝わってきました。熊野が正中(しょうなか。正面)で手紙を読む「文之段」はその白眉です。でも、「道行」は、今回のように「予習」していないと、謡い中心で、動きがほとんど無いので、楽しむのに苦労したでしょう。

 能に珍しい人情物(夫婦愛)の「芦刈」の「笠の段」の舞も素敵でした。「間(アイ)」(間狂言)の若い三宅近成は、狂言「船ふな」でも、しっかりした声で、この日、印象に残りました。定期的に通うと、このような注目する方が出てくるのも特長です。
 余談ですが、「芦」を関東では「葦(よし)」といったとか。「あし(悪し)」と「よし(善し)」にひっかけたようです。

 能の例会の聴衆は、謡いを習っている方が多く、熱心に謡の本を広げたり、書き込まれている方が随分多いのですが、中には、周囲にお構いなく、謡の本を顔の高さで見たり、ページをパラパラされるのはちょっと困ります。「研修会」ではないんですから、パブリックなマナーに留意していただかないとね。ですから、能を、1年間12回、同一指定席で見られる会員、などになるのはちょっとリスクがあるように思います。幸いこの会は、「全自由席」でよいと思います。

(画像は、Wクリックで拡大できます。) 

能、「鵜飼」をじっくり予習する

 写真は、私の書棚です。(Wクリックして、大きくしてください。)
 書棚で、やってはいけないこと、「前後に本を置く。」を全棚でやってしまっています。右は、元食器棚でした。もう一度、書棚の整理をしなければ・・・と思案中です。
 
 今日は、正岡子規の話から。

正岡子規は、子供の頃、能の大鼓の音を怖がって、泣いて帰ってしまい、祖父の大原観山(松山藩随一の儒学者)が嘆いたそうです。

 この、5月9日夜11時は、正岡子規が、明治22年に、本郷「常盤荘(松山出身者の寄宿舎)」で喀血(かっけつ。肺からの血を吐く。)した日です。これまで子規は吐血(とけつ。多くは、消化器官からの血)だと思っていたのです。
 その後、2時間ほどで、子規は、4、50の句を作りました。
 すべてが「ほととぎす」に関係しています。ほととぎすは、古来、死の国と生の国を行き来する鳥と言われてきました。
 「卯(子規)の花をめがけてきたか時鳥(ほととぎす)」
 「卯の花の散るまで鳴くか子規(ほととぎす)」
それに対して、漱石は、
 「帰ろうと泣かずに笑え時鳥(ほととぎす)」
と励ましています。

 さて本題です。15日(土)宝生能楽堂で観る予定をしている、能の「予習」です。
 この能楽堂(水道橋駅)のすぐ近くが、上記の常盤会寄宿舎があったところです。15日は、11時から夜6時過ぎまで、能楽堂にいますので、残念ながら訪ねることができません。

 今日は、「鵜飼(うかい)」です。
 
 五番目物で、五番立ての能の最後に置かれるますので「切り能物」とも言われます。鬼などもでたり、太鼓もでて、ドラマティックにこの日の能が終わるわけです。

 さっそく、「分説」してみたいと思います。

1 名乗り笛でワキ(旅の僧)登場。安房(今の千葉県)清澄(日連上人が生まれた清澄寺)から、石和(いさわ。山梨県)に着く。長旅に、すっかりみすぼらしい姿になったが、世をすてた身なので恥ずかしくはない。

2 ワキとアイ(里の者。地元の住民。※相(あい)狂言のこと)問答。ワキは、泊めてくれるように頼むが、旅の者を泊めるのは地元では御法度であると断られる。しかし、見かねて、地元の自治組織で建てた共同の堂に泊めてくれるという。この堂h、川に突き出て建っており、夜になると、あやしい光を発するものをみるという。

3 「一声(いっせい ※笛、小鼓、大鼓の「次第」よりもリズミカルな登場音楽)で、シテ(鵜使いの老人)登場する。
【サシ※クリ、サシ、クセのサシメロディラインの少ない朗読調の謡いのこと。】「鵜飼いのともすかがり火も、今は周囲を照らしているが、あの世の闇までは照らすまい。」。前世の行いが悪かったのか、面白いままに殺生を続けている。古の歌では、月に祈って夫婦の星になった歌た、月無き夜を嘆く歌もあるが、鵜飼いにとっては、月は邪魔。全く、はかないものよ。死んだら地獄の闇夜が待っているのだろう。
 闇になるまで、堂で休んでいく。

4 堂で、僧は、人の気配に気づく。鵜飼いであった。シテとワキの問答。その鵜飼いは、2、3年前、この僧を手厚くもてなしたことがあった。その時、僧は、「殺生の仕事」をたしなめたが、そのことを理解したのか、一夜、家で歓待してくれたのだ。その鵜飼いではないか、との問いに、「その鵜飼いは死んだ。」と言ってことの顛末を語る。
 鵜飼いは、殺生禁制の土地での鵜飼いをして見せしめのために死罪にされたが、前世の罪のため、死後も鵜飼いをしなければならない身の上を語る。

5 懺悔と弔ってもらうため、鵜飼いを見せる。かがり火の中で面白いように魚がとれる鵜飼いを見せる。構成の頂点。

6 一転、かがり火が消え、闇の中の冥土に帰っていかなければならない。

7 アイが先ほどの密漁と捕らえられて生きながら川に沈められた様子を再説明する。

8 小石に供養の法華経を一字ずつ書いて波間に沈める。

9 後ジテが激しく登場。【サシ】「そもそも地獄といっても、遠くにあるのではない、人の心にあるのだ。」前世の悪行を書いた鉄冊(鉄の帳簿)はたくさんあるが、金冊(善行を記録している)には何も書かれていない。若年の頃から殺生を繰り返し、無間地獄(地獄のうちで最も過酷な地獄)に落とすべきところ、一夜、僧に宿を貸した善行をしたことによって、鵜飼いの船を極楽に送り届ける。

10 法華経は、奈落に落ちる人も救う、最高で、他にない教えであるとの賛美。後場の頂点

11 キリ、結語。(地謡いで)この例からもわかるように、僧を供養したり仏事を行えば、極楽にいけるのだ。だから、僧が諸国巡行することは利益がある。
(一般に、最後、「常座」で、正面向きに、合掌するときは成仏できたとき、横向きで合掌するときは、まだ成仏しないとき、といわれます。最後の最後、よおく観察を。)

参考:「日本古典文学大系 謡曲・上」(岩波書店)。「新潮日本古典集成 謡曲集・上」(新潮社)

能、「芦刈」をじっくり予習する

 前回は、「声明」についてお話しました。ここで、「法会(ほうえ)」、つまり、布教の会、について何度か話がでました。

 この頃の話を続けます。この法会を行う場所は、寺院の「講堂」でした。また、寺院で、食事をするのは、「食堂」でした。平城京では、この「食堂」前で、法会の後、猿楽(世阿弥は、「神」の「ネ」をとって「申楽」と言いましたが。)が舞われました。
 
 前にもお話しましたが、この時に舞った、「四座」のうちの一つが、今日、お話しにでてくる能を観る予定の、「宝生流」です。当時は、「外山(とび)座」といい、奈良県桜井市外山にあった座でした。
 このように、皆、繋がっている、ということを、確認したかったのです。

 繋がる、と言えば、余談ですが、「面白い」、という言葉の語源も、天照大神の話で、神が、面白い踊り(猿楽の起源)に浮かれて、岩戸から、顔を出され、「御面、白かりけり」(お顔も、白く見えた)、つまり、神々の顔が皆、明白になった、ので、「おもしろ・・」と歓喜したことからきているという話も「風姿花伝」に出ています。これも、猿楽のもともと、が絡んでいるわけです。

 さて、本題です。きょうは、能、「芦刈」の予習です。

 今年は、私自身、「能」を徹底マスターしたい、と思っていますので、どうしても「能」関係記事が多くなるのをお許しください。
 
 また、「ブログ」は、観劇に関する「事後の感想」と同じ比重で、あるいはそれ以上に、「事前の勉強」に力を入れたいと思い始めています。この1月(ひとつき)書いてみて、やっと、基本コンセプトをつかめたように思うのです。
 
 既に、ベテランの方も、「今更・・」とおっしゃらずに、どうか、おつきあいください。また、是非、お知恵をご教示ください。

 もう、皆さんも、私同様、前の記事までで、「能」を味わう勘所を得られているのではないでしょうか。始めます。

 この物語は、ひとことで言うと、お金が無くて別居した夫婦の妻が、夫を難波に探しに来て、再会する物語です。

 でも、夫は、落ちぶれて、芦刈の仕事をしていて、あわす顔がないのですが、妻が、いずれかが、何とかなったら会おうと約束したでありませんか、と説得して帰る、夫婦の情の物語です。それには、和歌が重要な仲立ちをしました。
 この物語では、仏の功徳ではなく、和歌の功徳がたたえられます。

 例によって、「構造」分析しましょう。

1 ツレ(妻。ツレは、時として、主役であるシテと同じような重要な役をします。)とワキ(妻の随行)が登場し、都から難波への道行きで、自分と、別居の理由を説明します。難波に着きます。

2 ツレ、ワキ、アイで、甚だしい貧乏になった芦刈のことを語ります。貧しくなると親しい知人も少なくなり、昔の友も去ってしまうのです。
 難波は、芦の名物で、とって売っている者の話をします。しばらく逗留して夫を探すことにします。

3 シテ登場(手には、芦を挟んだ持ち竹)。芦売りに零落した感慨を語ります。このように貧しいのは、前世の行いがよくなかったのか、ただ、景色に感じるような風雅の心根がまだあるようだ。。頂点です。

4 シテとワキで、葦(芦の別名)と芦の違い(善(よ、葦)し、悪(あ、芦))を語ります。今は、落ちぶれて枯れた芦のような自分だが、昔は、少々の身分であった、さあ、芦を買ってください。ここも頂点です。

5 シテの網引きの情景です。ここも頂点です。

6 シテ、ツレ、ワキ。芦を買うときに夫婦が顔を合わせ、驚きます。世間並みの生活ができるようになったら迎える契りがあった。

7 ツレ、シテで和歌を詠みあいます。和歌は、男女の仲立ち役とたたえられています。

「あなたがいなくなってからは、芦を刈るときも、ああ悪いことをしたなと思い知らされて、難波での生活はいっそうつらく感じた。」

「あのときは、これ以上不幸にならないように、より幸せにになろうと、一時別れただけですから、何も今の生活を恥じることはありません。」

8 アイが芦売りの人柄の良さをたたえます。

9 (クリ、サシ、クセ)シテ、和歌と夫婦の縁を語ります。この幸福も和歌の功徳ゆえ、和歌を日常でおろそかにしてはいけない。和歌で名高い難波の浦で、夫婦がこれまでのわだかまりを忘れて元の縁を結べた。頂点です。
 注)クリ:上音を主とした、高い調子の謡い。サシ:メロディラインの少ない朗読調の謡。クセ:シテの語る物語を、地謡が謡う主要部分。

10 シテが舞います。勇壮な男舞です。頂点です。

11 夫婦が連れだって帰京します。「帰ることこそうれしけれ、帰ることこそうれしけれ。」(終)

(参考:「日本古典文学大系 謡曲・上」(岩波書店)) 

能「熊野」をじっくり予習する

「重衡」に続いて、観能することを前提に、初心者の読者の方にも「分かりやすく」書いてみたいと思います。

 題材は、5月15日(土)正午から行われる、「宝生流」の水道橋能楽堂(総武線「水道橋駅」東口下車5分ほど。都営三田線A1出口1分ほど)の能番組を題材にします。当日は「芦刈」「熊野」「籠太鼓」「鵜飼」ですが、きょうは、「熊野(ゆや)」を取り上げます。
 西洋のオペラは、男女の愛に感動、共感する物語が多いのですが、日本の能、文楽、歌舞伎などは、親子の情に涙する物語を多く観ることができます。「熊野」もその一つで、感動的で、美しい物語です。人によっては、毎日観ても飽きない物語だ、という方もいます。
 
 謡曲をして、「綴錦のチャンチャンコのようなものだ。」(坪内逍遥)、とか、「部分的には美辞麗句を連ねて、華やかであっても、全体として、一貫した意味の連絡のない、まとまった内容のないものだ」、とも言われることがあり、その劇の「作意」及び「ねらい」や「主題」を読み込むのは、容易でないところがあります。書籍や劇場の番組解説も、筋や「趣向」(場面の工夫や見せ場)の説明が中心になってるのは、やや残念です。

 その作意、主題委ですが、「熊野(ゆや)」については、大きく、5つほどの「説」があります。

1 遠く離れた、病の老母を思う、平宗盛(ワキ)の愛妾・熊野(ゆや。シテ)の心情を描く。故郷に帰りたい熊野を無理に、清水寺に花見につれていった宗盛だが、熊野の和歌に感動して、帰郷を許すのは、わがままだが、風流を解する宗盛である。(通説、佐成健太郎)

2 宗盛は、「平家物語」を引きずって、ただ浅慮、浅はか、わがまま、優柔不断、あきれ果てたバカ殿に描かれている。(林望)

3 実は、熊野の宗盛への愛情が描かれている。この一点が理解の鍵である。(田代慶一郎・朝日選書)

4 3のようなラブストーリーではない、生と死のせめぎあいである。「ゆや」も「熊野」、くまの、と書く。「熊野(くまの)は、生と死の土地でもある。(伊藤俊太郎)

5 行く春を惜しむ、散る花を惜しむ、普遍的な感情をテーマとしている。母親の死と春を惜しむ気持ちの「観念の衝突」を描き(現実的には、母親のほうが当然大切だろうが、演劇という、美学的観念としてとらえる)、惜春という美的感情をとっている。(天野文雄大阪大教授、山崎正和)
 私は、5説をとりたいのですが。

 ここで、この能の進行を細かく切って、追ってみます。
構成です。今回は、代表的な能の用語も随時解説します。

1 笛(名ノリ笛。ワキの登場の時に流れる登場音楽。なお、シテの登場音楽は、小鼓、大鼓に笛をあしらう「次第」の囃子。)につれて、平宗盛(ワキ)が登場。 熊野(現在の、天竜川西の宿場町の遊女屋の主人の娘を召し上げて寵愛している。「平家物語」巻十。)の母が病で帰りたがっているが、「この春の花は、今年限りのもので、かけがいがないものなので、花見の友と思って、とどめ置いている」、と、詠います。

2 熊野の母親の使い(侍女)である朝顔(ツレ)が、近江から迎えにくる道行きとして登場。何度も、帰るように伝えたが、戻って来ないので迎えにきた。
 シテ(熊野)登場。花が、雨露によって育てられるように、親の恩はかけがえのないものである。

3 朝顔と熊野(シテ)が対面して、母親が重病であることを手紙で知る。

4 熊野が宗盛に、母の手紙を読み上げる。
 「武帝と李夫人の春の夢心地の歓楽も夫人の死によって心を痛める思いでの種となった、・・あの釈迦如来でさえ生者必滅の定めを逃れられなかった、・・すっかり老衰し、朽木桜のように花も咲かずに死ぬのではないか、老鶯のように鳴く気力もない・・命のある内に一目あいたい・・・」

5 宗盛は、その手紙をよんでも、熊野の帰郷を許さず、花見のための車を用意させる。「老母の病気はさることながら、この春ばかりの花」にこだわります。牛車を表す(デフォルメされた)「花車」の「作り物」が目付け柱近くに置かれます。
(ところで、ここで、観世流と金春流の台詞が微妙にちがい、金春は、熊野にも惜春の思いが伺われます。)

6 シテとワキの春景色美しい清水寺(せいすいじ)までの道行き。「この春ばかりの花見の友を見捨てないでおくれ。」「お言葉を返すようですが、花は今年に限りません。親とは長き別れとなるかもしれません。」「そんなこの弱いことを言わず、気分転換しよう。」

7 春は東から来ると言うが、東山はことのほかのどかだ。満開の桜と沈む熊野の気持ちの対象の表現が続く。「故郷への道も東側、たまらなく懐かしい。」行く道の通りすがりの観音様にも母の無事を祈る。

8 シテとワキが清水寺に到着。(作り物、運び去る。)シテの舞い。

9 つづいて、短い舞(「中の舞」優雅な舞。ちなみに、もっとゆっくりした舞が「序の舞。」)。クリ、サシ、クセと定型で舞う。(クリ:上音を基調とした高い調子の謡。サシ:メロディラインの少ない朗読調の謡。クセ:シテの語る物語を、地謡が謡う主要な部分。聞かせどころ。シテの体から地謡で心理が現れる。)

10 雨が降ってくる。花が散ることを惜しみ(母の命が危ないことも含む。)、熊野が歌を詠み、短冊を宗盛に渡す。

11 その歌を宗盛が読み上げ(「いかにせん 都の春も惜しけれど 馴れし東の花や散るらん」。慣れし東の花、とは母親のことです。)、感動して、帰郷を許す。「いますぐおいとまします」と、途中、関守も同情して早く戸を開いてくれる。熊野が東に帰って行く。雁も花を見捨てて、東に帰るのが見える。

 いかがでしょうか、だんだんと能を理解することができてきたのではありませんか。あとは、細部はいいですから、能をじっくり観てください。

(参考:「日本古典文学大系 41」(岩波書店)、天野文雄「現代能楽講義」(大阪大学出版会・200年版)、井上由理子「能にアクセス」(淡交社))

能、「重衡」を学ぶ

 5月に、東京国立能楽堂で、「ろうそく能」、「重衡」を観ますので、復活能ですし、少し予習してみました。

 最初から、余談ですが、近くの市立図書館の「レファレンス・コーナー」に行って、この能の謡曲の載っている書籍について、少し、丁寧に尋ねてみました。丁寧にです。紙に固有名詞は書いてまでです。ところが、担当の方は、何度話しても、能や古典の知識が見事に「皆無」の方で(でも、平家物語くらいは、普通、知っていると思うんですが。)、何度、言っても、「著者」が「重衡さん」と理解されてしまうのには、参りました。でも、仮にも、レファレンス担当なんですよね。

 閑話休題。修羅能「重衡」(「笠卒塔婆」ともいいます。かさそとば)は、かつて、東京大学の研究者である松岡心平さんんらと研究会「橋の会」のメンバーによって、復曲された能です。今回は、国立能楽堂の「ろうそく能」としての公演です。経験で、アッと言う間に切符が売り切れたように感じました。

 地獄で、獄卒に責められて、苦しい思いをしている重衡の能で、「暗い」能です。心底、暗い。
 
 まず、構成を述べてみます。

 1 ワキ、諸国一見の僧登場。のどかな春の旅をして、洛陽(京)から南都七堂(七つの寺)の参拝に向かっており(道行)、奈良坂(木津川に沿った奈良の北)に到着しました。

 2 前ジテ、里の老人が坂を登って登場。苦しい坂でも、老いの行く末と同じようにすぐ終わるだろう。花だって雨で色が失せるし、ウグイスだって春が深まると音色が衰える。人間塞翁が馬、皆に老いが訪れるだろう。花の木の元に到着した。

 3 シテとワキの問答で、前半の頂点。ワキが壮麗さに驚いて、寺の名を訪ね、ワキが名所を、大仏殿、西大寺、法華寺、興福寺・・と教える。が、実は焼き討ちした寺である。

 4 つづいて、前半の頂点。シテがワキに、墓の回向(弔い)を頼む。誰の、と聞かれて、奈良を焼き討ちし、首をはねられた、ひとときは栄華であったが、今はこのような哀れな、平重衡であという。

 5 ロンギ。訪れる人もなく、春草に隠れた傘のある卒都婆。シテが重衡の幽霊であることを告白して、幕に消える(中入り)。

 6 アイがワキと重衡のことを語る。

 7 通りすがりだが、これも縁。ワキは、春の夜もすがらこれを弔う。

 8 後ジテ登場。春が来ても、粗末な衣装で、修羅道でつらい責め苦を受けている。武士として様々に戦ってきたが、弔いの読経の有り難さに心が晴れるようだ。

 9 シテの首をきられる経緯を語る(別記歴史記述参照)。奈良を襲ったのは、清盛の命に背けなかったからである、最期にあたって、木仏を拝んだ。後半の頂点。

 10 シテの修羅堂の苦しみを語る。闘争する修羅の心をどうか仏法で救ってください。後半の頂点。

 復曲については、人間国宝の大鼓方、亀井忠雄さんも、伝統曲ではなく、「演出家」が背景などを説明して演じていく能への「演劇的」感激を「ああよかったと思った。これでもしかしたら違う能も作れるかなと思った。」と述べられています(「能楽囃子方五十年」(岩波書店)、71頁)。

 参考までに、この能の背景である、平重衡の奈良焼き討ち、について、少し「平家物語」から引いてみましょう。。

 清盛の晩年、以仁王(もちひとおう)が源頼政にそそのかされて、謀反を起こします。このとき、奈良の興福寺に援軍をたのみました。このとき、結局は、援軍到着前に以仁王が滅ぼされてしまいました。

 その後、東国では、源頼朝が決起します。平家は、周囲が寺院に囲まれており、また、反平家の攻撃から防御がしやすい、福原(いまの神戸市)に遷都をこころみますが、すぐに京にまた戻ってきます。

 相変わらず、興福寺は反抗しています。そこで、この際、押さえておくべきであるということで、調停者をたのむ一方、武装していない、兵500騎を送ります。がその兵の60人が、僧兵によって捕らえられて、首をはねられ、猿沢の池に並べられてしまいます。
 そこで、清盛は、重衡を大将としてた4万の兵を進軍させます。この時、夜、暗くなったので民家火をつけると、風が強く、火が、一気に奈良の街に広がり、大仏殿、興福寺・・などが焼けおち、かつ、4000人以上の死者がでました。

 これに対して、清盛は鬱憤が晴れたふうでしたが、他の人々は、「悪僧を滅ぼすのはよいとして、寺院まで滅ぼすことがあろうか。」「寺が衰微し、天下も衰微するのではないか・・」と嘆き、不吉な予感にとらわれました。

 源平の合戦が本格化し、一の谷の合戦で、重衡は生け捕りにされ、東国、鎌倉に送られます。尋問されたとき、重衡の態度は、毅然とした態度で、周囲の感動すらよびました。
 重衡は、高僧法然(ほうねん)に受戒を頼み、法然は、泣きながら戒を説きました。その後、首をはねられますが、それまで身辺の世話をし、時には和歌などをたしなんだ、美しい、二十歳位の千手(せんじゅ)の前は、出家し、信濃・善光寺で、重衡の菩提を生涯弔いました。

 ちなみに、以仁王に謀反をせまった頼政は、近衛天皇飲「ぬえ」退治や歌人として有名です。

 参考:日本古典文学大系「謡曲集 下」(岩波書店)など。

きょうは、「雨読」です。

 きょうは、風雨が激しいので、いわゆる「雨読」です。

 昨日、市の図書館で、能の本を、2冊借りて来ました。後者は、ずっと探していた本です。

 

1 土屋恵一郎「幻視の座 能楽師・宝生閑、聞き書き」(岩波書店)

2 安田登「ワキから見る能世界」(NHK出版・生活新書)

 

 いずれも、上掛宝生流(かみがかりほうしょうりゅう)に係るワキの方のお話です。1では、閑さんの祖父の宝生新の正岡子規や漱石との関係が語られます(漱石は、高浜虚子に奨められて謡を習ったそうで、その話が詳しく面白く語られます。)。2では、ワキは、ワキの下というように横、と言う意味もあるとか、ワキはシテのトラウマを語らせる役、といった比喩が面白いです。ワキについての思いは両者共通のものが伺われます。

 次に、紀伊国屋書店で、よい本を買いました。

 

3 篠田正浩「河原者ノススメ」(幻戯書房)

4 田中健次「図解 日本音楽史」(東京堂出版)

5 朝日新聞出版「週刊 司馬遼太郎 6 坂の上の雲」(朝日新聞出版)

 

 3は、日本の芸能史を渡辺保さんなどとは違う視点で書かれているようで、読むのがワクワクします。4は、全編丁寧な図解で、このような類書はあまり見かけませんでした。実践的座右参考書となりそうです。5は、秋にオペラ鑑賞もかねて松山に行く予定ですので、その下調べの一環です。

(このブログでは、読んだ書籍は、記録と引用の便のため、通し番号をつけます。) 

 

 

能楽入門1 「藤戸」などを味わう

 どのような芸術もそうですが、能の場合も、あまりなじみが無いので、「試みに」ホールなどで、一曲集中して観る、というのもよいのですが、思いきって、専門の「能楽堂」に行って、正式な「五番立て」、つまり、能五つに、狂言四つに挑戦してみるのがいいと思います。

 そうは言っても、近頃では、「五番立て」は、あまり行われていません。

 そこで今日は、水道橋の「宝生(ほうしょう)能楽堂」で、「四番」、能4つに狂言2つの「五雲会」(毎月第三土曜日にあります)の公演を観ることにしました。時間は、半日、12時から18時20分までです。友人に、宝生流の謡いをならい始めた人がいるので、頼んで、通常、5000円の券を、「学生券」2500円で手に入れることができました(何回も観ますので許してください)。

 観客の「入り」は、約50パーセント、といったところでしょうか。最初の「お調べ」が奏でられるは、まだ、脇正面などほとんど空席です。

 「番組」の「番」とは、「つがい」のことで、能と狂言がつがいで組まれているのですが、さすが、長いので、2つの狂言(延べ30分ほど)は、残念ですが、体力が無いのでパスし、能だけに専念しました。ところで、この、能楽堂は、飲み物の自販機がありませんので、お茶を用意しておきます。また、「喫茶」で、サンドウィッチとコーヒーを頼むと1400円ほどかかりますが、すいていますので、狂言の前後にある休憩時間とまとめて、息抜きするのもよいものです。

 席は、自由席ですが、ほぼ埋まっている正面席を避け、「中正面」の舞台に向かって右端の、前にイスのない席に座りました。一番前の2人席でもいいです。ここですと、たまに「目付け柱」がじゃまになりますが、シテやワキが一旦止まって「名のり」や「次第」を謡う、「常座(じょうざ)」の位置は、しっかりみえますし、ちょっとウトウトしてしまっても笛方と目が合うこともありません。面をつけた能楽師は、「目付柱」をたよりに舞いますので、この選択はあなが的外れとも言えません。能が判ってくると、「柱がすけて見える」と、象徴的に述べる方もいます。 

 さて、出し物は、「右近(うこん)」、「忠度(ただのり)」、「籐栄(とうえい)」、「藤戸(ふじと)」の4曲でそれぞれ、1時間半程度です。 観ていると、能の決められたパターンがわかって来ます。

 能面や衣装の異同にも気がつきます。 能全般については、井上由理子「能にアクセス」(淡交社)、筋はネットなどでざっと、見ておきます。当日、入り口でくれるパンフレットには、簡単な筋と見所が書いてありますので、開演前に読むようにします。

 「藤戸」を別にして、それぞれ、後場(のちば)に性格の違う、舞が入っていて初めてでも楽しめます。

 「右近」は、春らしい、北野天満宮(ここは「かぶきおどり」発祥の地です。)の馬場を舞台とした舞の美しい物語です。シンプルな「作りもの」もでます。特に、後半、「桜葉の神の舞」(王城鎮守のめでたい舞)は素晴らしいものです。

 世阿弥の平家物語、7、9巻に題をとった「忠度」は、藤原俊成るに仕えていた旅の僧に「千載和歌集」で「読み人知らず」とされた歌にこだわる物語で、最後の舞も「右近」と違った魅力があります。

 「籐栄」は、「子方(こかた)」、子供が出てきます。先ほどの、「能にアクセス」には、「子方」のこともきちんと書いてありますが、実際に観ないと、恐らく、「子方」という言葉を覚えていないでしょう。で、この日、能をみた後、是非この本をサッと再読してみることをお勧めします。 で、「籐栄」は、シテ(籐栄)の芸能披露が見物です。この能では、芸能披露の能力が必要なことが、上演頻度の少ない理由の一つと言われています。

 最後、「藤戸」の前は休憩しておきましょう。元雅作とも言われる重厚な曲は、「戦さでの犯罪告発」の能などと言われますが、劇的な成仏、弱者の勝利の物語と言えるでしょう。いままでの能とうって変わった、はでな舞もなく、長い黒頭(くろかしら)の亡霊面による、心の深層が語られる、この日のクライマックスと言えます。

 半日、ウトウトもせずに、実に充実した一日でした。

 (本日は、キングジムの「ポメラ」での入力テストを兼ねています。)

プロフィール

感動人

Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

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