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アーシュラ・K・ル=グウィン 『暇なんかないわ 大切なことを 考えるのに忙しくて』 ~ 「若い者には年寄りが務まらない」と持論を語り、自らの生涯の一冊や、愛猫を語り、文学論から半熟卵の茹で方・食べ方の話まで、ブログで語った話をまとめた一冊です。

 今日の本は、本年1月に出版された、

アーシュラ・K・ル=グウィン 『暇なんかないわ 大切なことを 考えるのに忙しくて』(河出書房新社)

です。

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 あと10年で作者と同年齢ですが、「絶対にやらなくてはならないこと以外のことをする時間が、以前に比べて一層少なくなる」こと、「医者に行かなくてはならない頻度が増すにつれて、そこにたどり着くことの難度がます」なんて、理解できますねえ。

 アーシュラ・K・ル=グウィン (1929-2018)は、米国の作家で、本書は、ジョゼ・サラマーゴが、85,86歳にポルトガル語で書いたブログ、「ノート」に触発されて、2010年から始めたブログの記事から41編が、死の前年、2017年に出版されたものです。
 85歳近くになったので、人目にたつような活動をしていないと死んだとみなされるおそれがあるので、生存している印を残した、墓場から手を出して挨拶するようなものだとも述べています。

 夫との日々の生活の苦労も、例えば、車を持たない老いての買い物や、老いて必要が増えていくのに、行くことの苦労が多い通院なども触れられています。
 夫に付けている渾名(あだな)は、「アッティクス」。政争に巻き込まれるのを嫌って、ギリシアのアテナイに移住した、古代ローマの実業家で、キケロの親友ですが、そのような名を付けたのは、さすが文学者です。

 第一部「80歳を過ぎること」から、第二「文学の問題」、第三部「世の中を理解しよとすること」、第四部「報酬」とあり、その間に愛猫に関するエッセイ「パード日記」があります。
 特に、第一部は、こんなブログが毎日読めたら、本当に楽しいだろうな、と思うほど引き込まれます。

 表題の「暇なんかないわ 大切なことを 考えるのに忙しくて」の由来は、第一部冒頭にありますが、81歳の時に、母校ハーバード大学から、1951年卒業生の60年目の同窓会前に来たアンケートに、「余暇には何をしますか」の問いがあったことからです。
 しかも、その選択項目には、「ゴルフ」などと共に「創造的活動」とあります。作家の自分がしている創造的活動は、余暇なのか。
 一方、そもそも、1951年卒業生は全員80歳以上で、大半が引退しているなずです。
引退した人にとって、余暇以外の時間があるだろうか、と問いを発します。
 そこから出た回答が、
「暇なんかないわ 大切なことを 考えるのに忙しくて」と言うわけです。

 そこから、寧ろ、現代の子ども達が、余暇無く、予定というベルトコンベアーに乗っているように次々と間を置かずに活動している様子に、「ぶらぶら歩きながら、なかなか深く、考えたり、感じたり」する「隙間にうまく滑り込む」こと、を願います。
 
 例えば、
 「年齢は気持ちが決める」などというポジティブシンキング(この言葉は、1952年にノーマン・ヴィンセント・ピールが提唱したものとか)を信用せず、むしろ、明晰な人は、自分が若いなどと思わず、自分がどんなに年を取っているか理解している
 だから、「若い者には、年寄りは務まらない」、こんなスローガンがあったら良いなと言います。
「83年生きてきたことが、気の持ちようの問題だと、まさか本気で思っているんじゃないでしょうね」、「私の老齢が存在しないと告げることは、私が存在しないと言うのと同じだ。私の老齢を消すことは、私の人生を消すこと、私を消すことだ」とも。

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島田雅彦 『スノードロップ』 ~着想がすこぶる斬新な《皇室小説》ですが、ドラマが足りない。もっとも、あまりドラマが精密すぎると、《問題化》するのかもしれませんが。 

 前回で、英語の慣用句で言う、「奥のコンロに置いた」、つまり後回しにした、本の読書を一応終え、今日は、新刊です。

 新潮社の月刊PR誌「波」5月号で、「皇后陛下が立ち上がる日」という表題で、著者・島田雅彦(1961-)と官邸ジャーナリスト(1975-。中日新聞。)望月衣塑子氏の対談が載っていて、この本を知りました。
 凄い本が出た、と飛びつきました。装幀も凝っています。
 それは、

島田雅彦 『スノードロップ』(新潮社)

です。

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 令和になって、ほぼ10年後と思しき頃の皇室が舞台の物語です。

 雅子皇后を彷彿させる、プリンセス・レイジーなど誹謗中傷され、〈お世継ぎセクハラ〉などで神経が参って精神科医の治療を受けている、不二子皇后が主人公。
 皇后は、ITに詳しい侍女・岡野ジャスミンを雇用し、クローゼットに造った〈秘密情報センター〉と暗号通信を遣って、ハンドルネーム《スノードロップ》(花言葉は、希望、慰め)で、ダークネットに、現首相批判など様々な記事をアップしていきます。

 そのジャスミンを推薦したのは、日本の「#ME Too」を主導した加藤沙織准教授。侍女は、皇室費雇用で、政府の関与無しに選べるのです。

 一方、女官・三浦理香子(渾名は、ミセス・ネバー)は、皇室内に盗聴器を仕掛けてまで、皇室内情報を蒐集して、政府側に伝えています。内閣情報調査室の黒瀬は、ダークネットを察知し、発信元を突き止めようと、ジャスミンを疑います。

 最後は、天皇と公然とダークネットを遣って現政権批判を行い、「令和の改新」を狙い、さらに、舞子内親王の女性天皇の可能性も模索しようとします。政府側は、外遊に出た舞子内親王をCIAを遣ってアメリカに拉致して、取引をちらつかせます。
 因みに、舞子内親王のハンドルネームは、ブルー・ローズです。

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古川のり子 『昔ばなしの謎 あの世とこの世の神話学』 ~ お伽噺の原話は、残酷で気味悪い話でした。きょうは、近況の雑談もたっぷりとお話しします。

 気のゆるみは全くありませんが、ほぼ2か月ぶりに、家居の日常からやや遠出をして、東京駅前・大手町まで外出。30年以上行きつけの散髪屋で7か月ぶりに散髪してきました。
 もともと超短髪で、風邪をひいたらイヤなので、いつも冬場は3、4か月は散髪しないのですが、今年は、春になってもコロナ禍で家居することになって、ついに7か月になってしまった訳です。
 さすが、ざっくりと刈って貰って気持ち良い気分です。悪いので、チップをはずみました。

 終わってランチの後、隣の丸善(「丸の内オアゾ」)で買い物。
 このところ、読書時のメモで沢山遣ったシステム手帳(A5)用リフィルと、保存用バイインダーを買い、新刊を4冊求めました。
 買った本の中には、読みたい、「スノードロップ」と前回お話した「暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて」もあります。
 因みに《スノードロップ》とは、自由を求め、右派首相に対決する、皇后の秘密ハンドルネームです。これは、問題作となる皇室小説かもしれません。

 書店員さんは、マスクは勿論、ゴーグルもしていました。やや気になったのは、買いたい本の場所を尋ねると、えらく迷惑そうだっこと。コロナ禍は、結構、人の行動も変えていくのでは。

 さて、この日は、真夏日の気候だったので、マスクも、昔買ってあった、飛行機内での乾燥防止用マスクをして行きました。このマスクは、ウイルス防止効果は多少落ちますが、素材が和紙なので、蒸れなくて快適なんです。
 この日、コロナ感染が心配なので、買い物の品以外は、ある医師が言っていたように、「外では、身の回りは全て《ペンキ塗りたて》だと思って行動する」ことをすすめていたのを実践しました。
 電車もがら空きですし、レストランも、6人のボックス席に1人で座れ、安心できました。

 家に帰ると、役所から、マイナンバーカードの電子証明部分の5年目更新期間の手続き案内が来ていました。
 年初に、今年の誕生日に更新期限が来るので、どうするのか、出張所に聞きに行ったときには、要領得ない答えだったのに、直前に、しかも、聞くところでは、定額給付金絡みのナンバーカード申請などで窓口が大混雑しているような時に通知を寄こしたのに立腹し、混雑が収まったころにゆっくり行くことにしました。

 雑談が長くなりました。

 不要不急ということで、溜めていた書物の読書も、一応、今回で最後となります(実は、もう少しあるんですが、新刊が読みたくなりました)。
 今回の本は、

古川のり子 『昔ばなしの謎 あの世とこの世の神話学』(角川ソフィア文庫)

です。

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 一番面白かったのは、《箒(ほうき)》の話。

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朝日ジャーナル編 『大江戸曼荼羅』 ~ 始まりと終わりが明白な、江戸260年間の《尾頭(おかしら)つき》、江戸時代の「天下」を、多様な視点から楽しめた、有益な大著です。

 このところ、「日本の庭」以来、書架に積んであった未読の書籍を片っ端から読んでいて、そろそろ終わりに近づいています。あと1回ぐらいお付き合いください。
 前回述べたように、時々の興味に優先されて、「不要不急」になり、他の本に追い越されて、残ってしまった本たちです。

 余談ですが、5月12日「朝日新聞」朝刊に載った、養老孟司さんの「人生は不要不急・・」、と言った趣旨のエッセイは面白かったですねえ。
 私も齢72、間もなく73歳。人から見ると不要不急の人間ですが。
 そう言えば、ル=グウィンのエッセイ集に、亡くなる1年前(87歳)に書かれた「暇なんかないわ大切なことを考えるのに忙しくて」(河出書房新社・2017年)がありましたっけ。読んでみなくては。

 閑話休題。しかし、こうして読んでみると、「不要不急」と言っても、良い本ばかりでした。どうして、読んでいなかったのか不思議です。不要不急の言い訳の中に価値が埋もれてしまいました。
 思えば、生き方、にもこのようなことがあったかもしれない、と想っています。

 年寄りの戯言が続きました。
 今回の本は、

『大江戸曼荼羅』(朝日新聞社)

 これも、数年前に古書店で買ったまま積んであった、1996年刊行(定価3,600円)の書物です。買値は、2,000円。
 前回の本と同じく、やはり425頁、おまけに上下2段組の大冊です。
 しかし、図版が満載なので、読んでいて楽しいし、理解し易い。著者約50人が、それぞれ8頁ずつ、49章書いています。

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 1987年1月から1年間、「朝日ジャーナル」(1959~1992年発行の週刊誌。1987年は、筑紫哲也編集長が3月で辞めた年です。)に連載されたものです。
 したがって、中には「朝日ジャーナル」読者知識人を意識して、いやに力んでわかりにくい文章の著者も無いではありませんが、予想に反して、大方は分かりやすく書かれています。

 まずは、刮目すべき2論が印象に残ります。

 芳賀徹「序、世界史の中の徳川日本」では、世上の《徳川暗黒史観》、《夜明け前史観》を否定し、

 中沢新一「江戸の王権」(6,7章)では、
 「織田がこね、羽柴がつきし天下餅、座りてひとり食うは家康」で、
 織田信長が天下統一の事業を進めるについて、最大の障害・敵だったのは、戦国大名たちでは無く、日本人口の過半数を占めた一向宗門徒による「一向一揆」だったことから論じ、江戸幕府の「天下」に至ります。

 本書は、江戸の街の、まさに「裏」百科のような面白さ。
 山本昌代「浮世床芝居噂」(24章)など、落語のようで面白い。
 芝居見物など「小屋に入って弁当を食って、何やら知らぬが面白いところだけ観ておけばよい」、「筋が見たくて小屋に入る馬鹿はいねえ」とか、「泰平に倦んでくれば、人の目は肥えて舌になる・・目が二つとも舌になったら都合三枚舌」とか、エスプリが効いています。
 もっとも、前者は、当時人気の鶴屋南北の〈綯交ぜ(ないまぜ)〉著しい(ここでは「度が過ぎる」と言っていますが)、曼荼羅のような芝居を指しています。
 さて、本書の特長も、ここで言う曼荼羅のような章編成の記述でしょうか。

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『講座日本風俗史 旅風俗(宿場編)』 ~詳細な《飯盛旅篭》の話、近世の辛い、憂い旅の話に引き込まれてしまいました。

 引き続き、家居をしています。
 不要不急、と言われますが、これも不要不急で、読んでいなかった本が、結構、沢山あるんです。
 一番多いのが、古書店で目について面白そうだと思って買った本ですが、読むのが、ずっと後回しになって、いまだに読んでいない本。
 これからご紹介する、

『講座日本風俗史 旅風俗(宿場編)』(雄山閣)

も、そのような本で、2,3年書架に置いたままになっていました。

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 家居が長くなり、書店の人混みも嫌なので、不要不急だった本を読むことになりました。
 余談ながら、いよいよ、アマゾン《Kindle Oasis》を注文しました。品切れ中、とかで待っています。同じ考えの人が多いのでしょうか。
 買うことにしたのは、思ったよりも、読みたい本が電子書籍化されているのに気付いたのと、目が悪くなって来たし、ま、万一コロナでホテルに幽閉されてもこれがあればいいか(冗談)と思ったのです。
 これを境に、アマゾンプライム会員になって、紙の書籍の注文も、アマゾンですることにしました。コロナをきっかけに、生活が、大きく転換したのがこのことでしょうか。

 でも、まずは、折角なので、たまっている書物を読み尽くそうと思っています。

 本書は、サブタイトルに、《旅の宿浮世のサービス物語》とあり、元値は4,200円・・1989年刊行当時は、高価だったと思います・・、大部な書籍で、写真、図版も豊富です。 因みに、買値は、1,500円。

 これを買った時は、多分、歌舞伎を観る知識の補強にと買った本だと思いますが、読み始めるとすこぶる面白い。

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辻邦生 『西行花伝』 ~ 再読し、陶酔しました。丁寧に中世史を辿りながら、西行の心の懊悩に触れた、静かな語りかけの感動に浸ることができました。

 このところ中世史や定家に関する書籍を読んでいて、書斎の棚にでんと鎮座している、多分、20年近く前に読んだ、

辻邦生 『西行花伝』(新潮社)

を再読しました。
 間もなく73歳の齢、この書に陶酔(ふかよい)してしまいました。

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 また、思えば、西行終焉の地「弘川寺」最寄りの、南河内の寺内町(戦国の世には、アジュール(治外法権)であった)、富田林(とんだばやし)は、歌人・石上露子(いそのかみ つゆこ。1882-1959)に興味を持って行って、馴染みがあるんですが、弘川寺まで足をのばさなかったのに後悔しています。
 余算山の端近くなって、これから行けるかどうか。

 辻邦生(つじ くにお。1925-1999)、1995年刊行の、箱入り上製・細かい活字の525頁で、ずしりと重く、読んでいて、手と目が疲れました。
 このブログも、4,800字となります。ゆっくりとお読みください。

 書中に、昔の十数枚の付箋が付いています。今回は、マーカーを引きながら読みましたが、その箇所は、付箋と同じ箇所でした。これは、喜んでいいのやら、頭脳進歩に不安やら、やや複雑です。
 今回は、「歴史年表」(三省堂)、「山家集」(宇津木言行=校訂)を丁寧に参照しつつ、さらには、スマホで、一つ一つ歌を検索しながら、メモもとりながら、すこぶる丁寧に読了しました。前回の読書には無かったことです。
 この先は、なお、「山家集」を座右に置いて、日々、拾い読むつもりです。

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 本書の構成は、西行の弟子、式部少輔・藤原秋実が、師・西行の実像、師の生きた姿を立ち返らせ、文にまとめるため、鎌倉二郎季正(西住)はじめとして様々な人を訪ねて、話を聞く設定となっています。
 余談ですが、朝井まかての新刊「輪舞曲(ロンド)」も、大正期の女優・伊澤蘭奢をこのような形で描いているようです(読まなければ)。
 話から、莞爾(かんじ)として平らかに保っておかねば生きていけないほどの心の懊悩が見えてきます。
 様々な人々の話を再現する一方で、克明に歴史の中の西行を追っています。それは、歴史書には無いミクロな風景を描いて、まるで、歴史の街中に佇んでいるようです。

 西行(1118-1190。もと、俗名・佐藤義清ーのりきよー、法名・円位)の精神史についても、巻末の参考文献を見ると、目崎徳衛「西行の思想史的研究」などが読み込まれており、西行の思想史的変遷(数奇より仏道へ)が、学問的にも信頼感があります。

 また、崇徳天皇・新院が、侍賢門院璋子と(鳥羽院では無く)男女関係のある白河院の子という設定は、刑部卿・源顕兼の「古事談」(1212-1215頃)を元に書かれています。これについては、太上天皇の内裏立入禁止の不文律から、後見役の白河院と鳥羽天皇のパイプ役を璋子が勤めていて、男女関係では無いとする説(樋口健太郎)があります。
 余談ですが、面白そうなので、「古事談」を読んでみたいと思っています。

 その意味では、小説的クライマックスがありませんが、それはそれで静かに語りかけてくる感動があります。
 
 西行の生涯は・・、

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五味文彦 『中世社会のはじまり (シリーズ日本中世史 1 )』 ~ 《家》文化から《身体》、《型》の文化形成へ。源氏・平家、奥州藤原氏など集合体の発展と天皇家との関係で見る中世史。戦から文化まで、すべて盛り込まれた、すこぶる濃い内容の一冊です。

 外は、青嵐、と言うか、このところ結構、風が強い日が続きました。それを理由に、庭の雑草取りを先送りしています。

 まずは、余談。
 もう、10月は何とか大丈夫だろう・・と、神奈川県民ホールのオペラ「トゥーランドット」のチケットを買いました。何度も観た、大好きな出し物です。
 例年、このホールのオペラは、本公演前日に、ゲネプロ(仕上げの総練習)が公開されるのも楽しみで、いつも1泊して本公演と連続して観ています。

 家居する・・ステイ・ホームとは言わずに・・毎日ですが、「西行花伝」を読んでいて、必要なので、西行の「山歌集」(宇津木言行校注)を買いました。
 この歳になって、始めて、「アマゾン」で買い物をしました。「年たけて また越ゆべしと 思いきや」・・。

 雑談は置いて、本論です。

 また、「日本中世史」の読書ですが、これも、やはり、時宜、というものがあります。今、この本を読むのは、私にとって、時宜を得ています。
 それに、今回ご紹介する書物は、「日本中世史」が、ぎゅっと圧縮されていて、歴史を俯瞰・一覧でき、しかも、政治史から文化史まで、視点が多面的で、実に有益です。
 余談ですが、やはり今、読んでいる「西行花伝」は、きょうの本と反対に、街角をじっくり見て歩く感覚です。
 その本は、

五味文彦 『中世社会のはじまり (シリーズ日本中性史 1)』(岩波新書)

です。

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 改めて、感じるのは、まことに、中世は、豊饒な日本文化の原点とも言えることです。
 相変わらず、血なまぐさい政争に終始する世の中ですが、「言葉」を中心に、精神文化が熟成してきました。
 本書は、まるで、新幹線から過ぎる景色を見ているように歴史を叙述しています。
したがって、通り過ぎる細かいとところは、とても、記憶しきれませんが、全体の「風景」で、時代に浸かることが出来ます。

 そう言うことで、新書ながら、実に内容が濃くて、読むのに根気が必要です。
 各編を、さっと通読し、再び天皇や藤原家などの系図を見ながら、赤鉛筆・青鉛筆を持って精読していきました。
 ところで、昭和39年頃に買って遣っている・・したがって、学生時代のものです・・、「日本史年表」(三省堂)の巻末系図を見ていたら、源為義の子が、4人しか載っていませんでした。本書には10人、先日読んだ「椿説弓張月」には、たしか7人いましたが。
 ま、細かいことはさておき、本書です。

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井上ひさし『十二人の手紙』 ~ 様々な形式で描かれる、様々な、重い、人生の物語。

 コロナ危機で、いざとなっても検査もなかなかしてくれない、万一、陽性でもアビガンは使ってもらえず、自宅待機などということがあり、兎も角、自己防衛で外出しないで、うつらないことを第一にしていますから、今年は、桜の咲いたのも、散るのも見ませんでした。

 そこで、この際、書斎の未読の本を読み尽くそうと、いわば、《読書の終活》をしようと思い立ちました。
 先日アップした、二冊組みの、堀田善衛 『定家明月記私抄』が、その最初の本でした。
 ところが、棚の目立つところにあった、十数年前に読んだ、辻邦生「西行花伝」が、どうも、気にかかって仕方ありません。このところ日本中世の本を読んでいるせいもあります。そこで、細かい活字で、500頁を超える同書ですが、今、読んでいます。

 途中、気分転換に、先日、朝日新聞読書欄で紹介されていた、1980年の本の改訂7刷、

井上ひさし『十二人の手紙』(中公文庫)

を、2週間前に買ってきて、床に入って、寝る前に読みました。

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 帯に「読んでいないなんてもったいない」、「隠れたミステリー」、「どんでん返しの見本市」、「井上ひさしの底力に打ちのめされる1冊」、「濃密な人間ドラマ×超絶技巧」とPR表記されています。
 そのとおり。まさに、その帯で言い尽くされています。
 私は、特に、聾唖者の文章理解を扱った著者の知識や、1980年出版なのに、すでに、核廃棄物廃棄場探しの問題、などに触れられているのに驚かされました。

 しかし、しかしです。物語がみな重いんです。不幸な少女の登場が多くて、読んでいて、暗澹となって、特に、夜寝る前は愉快で無くなるから、読むのを止めようかと思ったほどです。
 でも、面白いので、本当に面白いので、全部読んでしまいました。
よかった、全部読んで。最後の「エピローグ」で、12の物語の登場人物が、揃って、もう一度出てくるとは思いませんでした。

 重い、暗い、その例は・・、

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藤木久志 『中世民衆の世界 ー村の生活と掟 』 ~逃散(ちょうさん)の自由や、自由に泊まれる惣堂の話、領主から村民への過大な饗応の例、戦の手当額など、あらためて、中世の村の暮らしと掟を知ることが出来ました。

 ウィルス喧噪の世上、気取って言えば、歌人西行の思う「浮島」を包む花ならぬ、書物の香りに囲まれての毎日の遁世です。
 なお、西行につては、近くお話しします。
 毎日、機器を使った有酸素運動と筋トレ(二日毎、スクワット60回)をしつつ、もう2週間は家で自粛・・私は、自己防衛と言っていますが・・しています。
 そのせいもあってか、今年は、花粉症が少しも出ませんでした。

 年相応に、軽い持病があって、2か月ごとに通院して薬を貰っています。
 先日は、薬剤師さんに〈入れ知恵〉してもらって、医者に行かず、電話で、全て薬局払いで薬を頂きました。
 はっきりと、「今、医者に行きたくないんです。」と言ったら、医院の看護婦さんは、ややムッと、反対に、薬剤師さんは、「家まで届けますよ」と親切でした。

 さて、本論です。

 このところ、日本の中世に関する読書が続いていますが、今日は、その時代、庶民はどうなっていたかを知りたくなりました。
 そこで、読んだのは、

藤木久志 『中世民衆の世界 ー村の生活と掟 』(岩波新書)

です。

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 当時の引用文書が、平易な現代文に訳して書かれているので、極めて読みやすい書物です。

 話が前後しますが、はじめに、能「鵜飼(うかい)」の話です。
 安房から石和に着いた旅僧(ワキ)が、里の男(アイ)と問答します。
 その問答は、「鵺(ぬえ)」のワキとアイの問答と同じですが、要するに、「往来の人に、宿を貸すことは禁制」だが、「川崎(川に突き出たところ)のみ堂」、「惣堂(そうどう)に」お泊まりなさい、という会話です(「日本古典文学大系」(岩波書店。174頁、304頁)。

 ここで「み堂」「惣堂」について、同書の頭注では「協同で建てた堂。惣は、中世の村落の自治組織の名」とあります。

 ここからが本題です。
 よく時代劇で、旅人が、小さなお堂に入って一泊したり、そこに子連れの女がいたりしますが、素朴な疑問は、勝手に入って泊まっていいの ?
 いいんです。よそ者を厳に警戒する村でも、村(ざいしょ)の共有する「惣堂」(草堂)は、自由に泊まれました。
 しかも、旅人たちは、かなり自由に「落書」を沢山残しました。落書きと言えない長文もあります。
 その落書きを見ると、旅人・・それも全国にわったっています・・ばかりでは無く、戦国のあるいは主家を追われた牢人の長期滞在もあります。

 勿論、惣堂は、旅人たちだけの用途では無く、重要な仏事の場であり、村の寄り合い、夜なべの藁仕事を持ち寄ってしたり(夜鷹坊)、あるいは、一揆の拠点ともなりました。したがって、村の咎を追求され、惣堂が焼かれることもありました。
・・ということが第2章に書いてあり、改めて刮目します。
 たまたま第2章から始めたのですが、著者も、本書で、この惣堂について、重要な位置づけをしていると解して良いでしょう。

 話が第2章から入ってしまいましたが、第1章からは・・、

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堀田善衛 『定家明月記私抄 続編』 ~ 言葉と〈景気〉についての定家と後鳥羽上皇の考え、対立を通して和歌の本質が見えてきました。新古今集を読む意欲の一歩が進みました。

 先日に引き続いて、続編、

堀田善衛 『定家明月記私抄 続編』(新潮社)

を読みました。

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 本書で、最も感銘を受けたのは2つ。
 1つは、定家の何気ない単純な一句を、後鳥羽院が、多分、7年前の出来事を批難されたと誤読して、立腹し、定家を閉門したおりに展開した、院の歌論『後鳥羽院御口伝』を通した、和歌の重要なあり方です。(なお、その歌の内容などは、7年前の出来事のところで、記述します。)

 和歌が、孤独な(自由な)個人の歌では無くて、人が和する歌として可能になるためには、〈言葉〉を補う、人々が和することの出来る〈景気〉(一定の景色、気配、詩的雰囲気、活気、活況)が必要で、また、そこに最小限〈ことわり〉(筋道、道理、詩的論理)が無くては、他人が和して別の歌を詠めない、ということです(111~130頁)。
 例えば、〈あわれ〉という〈叙心〉の表現を拡大するには、〈叙景〉での暗号化が必要です。暗号化ですから、誤読の可能性も生じます。
 これらのことを知ると、なおさら、「新古今和歌集」を読んで行く意欲が湧いてきました。

 もう1つは、和歌、また、それ以外の日本文化は、庶民から上がって来て、貴族などで清廉され、「家」の文化となり、しかし、それゆえ、後代、枠のなかで固まって行ったことと、さらに、後述する室町の騒乱で、それが、また、庶民に戻って新たな発展形態となって行った、巨視的な流れに気付きました。

 さて、本論に入ります。

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本郷恵子 『将軍権力の発見』 ~もし、公家政権が滅びていたら、という問題意識を底流に、鎌倉・室町時代の政権構造と、その中の公文書、宗教の係わり、さらには当時の「改名」の実情まで詳しく語られた有益な書でした。

 さて、老愁の残涯、頑張って行きたいと思います。

 今日の書物、

本郷恵子 『将軍権力の発見』(講談社選書メチエ)

は、鎌倉武士政権から室町時代にわたる、公武の権力のありかたや、その中で律宗、禅宗などが果たした大きな役割が理解できます。

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 公武の組織と対立、それぞれの「文書」の作製と流れ、「有職故実」についての詳細な説明がすこぶる有益です。
 天皇を中心とした公家と武家政権のあり方については、「もし、公家政権がなかったら」、という問いかけが、斬新で意義が深いところです。

 本書の第三章は、著者専門の、当時の公文書形式について熱のこもった説明が延々と(?)あり、著者の専門分野への洞察と問題意識に圧倒されて、しばし、読むのが足踏みしてしまいました。
 しかし、これも、やはり、きちんと読んで頭に入れておけば、歴史書・歴史小説を読んでいて、判然と理解が進みます。我慢して、通読すべきところです。私は、この部分は再読しました。
 「選書」とは言え、本書の学問的水準は、相当なものだと思います。

 それに例えば、当時の、「」(いみな)の変更について書かれているが面白い。
 例えば、先日、私は、定家の「明月記」を読んでいて、右大臣九条兼実の息子で「良経」がいましたが、「よしつね」とは、「義経」と同じ読み方だなあ・・と思ったのですが、本書に書かれているように、やはり、ご当人も気になったらしく、改名を考えたようです。
 しかし、結局、自分は改名せずに、義経のほうを「義行」「義顕」として追討宣旨を出した(198頁)とか。
 さらには、豊臣秀吉の5回の改名経過まで、詳しく書かれています。

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アクセス数が200,000を超えました。いつもアクセスしていただいて心から感謝します。

 つい先ほど、アクセス数が200,000を超えました

 「日々に点を打ちながら歩いてきたような気がする。打ってきた点が生きるよすがになることもある。」(立原正秋「日本の庭」)の様な心持ちです。
 さて、この後、30万は、老秋の中でいつまで歩けるか、でしょうか。

 ところで、時節柄、当然の成り行きでしょうが、今月、25日予定の、二期会のオペラ「サムソンとデリラ」が中止、正確には、1月5日に延期となりました。
 5月国立劇場文楽のチケット(「義経千本桜」通し ! )が発売されましたが、貴重な公演ながら、用心して、買うのは止めておきました。「通し」、もう観られないかな。

 寒い間、数か月、我慢していた散髪ですが、さあ、行くかな、と思ったら、ここに来て、あまり行かない方がよい雰囲気。こうなったら、私、完全白髪なんで、一度、司馬遼太郎みたいにのばしてみようかな、と・・。

 あまり使わないのですが、資料のコピーに役立つので、プリンターを買い換えました。
 昨今の製品は、wifiで繋ぐので、ケーブルが同梱されていないんですんねえ。セットアップに、えらく苦労しました。もう、歳だし、機械物は、そろそろ、最後かな、と実感。

堀田善衛 『定家明月記私抄』(新潮社)を読み終え、

 順次、感想をアップしていきますが、
その「続編」と、
五味文彦 『中世社会のはじまり』(岩波新書・シリーズ日本中世史 1 )
本郷恵子 『将軍権力の発見』(講談社選書メチエ)
を、平行して読んだのですが、これが有益でした。
 関連した話が、あちこちに載っていて、まさに、熱中してしまいました。

 最後に、その定家から・・、
 
 「年をへて御幸になれし花の陰ふり行身をもあわれとや思う 定家」
「御幸」は、「深雪(みゆき)」、「ふり」は、「古りゆく」(老い果ててゆく」あるいは「降り」と解します。定家、42歳、建仁3年の花見での歌です。
 新古今は、人間、歳をとっていくことを、「春をへて」と表現しているのは、良いですねえ。

 きょうは、取り急ぎお礼まで。★

堀田善衛 『定家明月記私抄』(新潮社) ~まるで、週刊誌を読むよう。60年間の、鬱屈に満ちた魂が、時代の詳細な記録と共に描かれていて、その〈人間味〉にひかれてしまいます。

 余談から。「外出自粛」で思い出しましたが、50年ほど前、大学紛争で、大学が封鎖されたとき、たしか、1年以上家にいた記憶があります。あの時、新潮文庫の日本純文学、カミユ、カフカ、ヘミングウエイ等々を片っ端から、随分読んだ覚えがあります。その頃から、家にいるのが平気だったのです。

 中世史の本を何冊も読むよりもこの時代がよく分かる、と思ったのが、今日の本を読んでの一番の印象です。
 かなり前に古書店で買い(500円)求め、積んであった、

堀田善衛 『定家明月記私抄』(新潮社)

を読みました。続編も買ってあります。

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 例によって、座右に「日本史年表」、年表とその中の皇室、藤原氏、さらには、北条氏、清和源氏の系図を置いて、参照しつつ読み進めました。
「新古今和歌集 上下」(新潮日本古典文学集成)も引っ張り出して来ました。

 本書は、箱入りの、布張り上製本で、1988年7月10日刊行・第15刷(1986年2月20日初版刊行)1500円とあります。作者・堀田善衛は、1918(大正)年 - 1998(平成10)年、の作家です。

 藤原定家は、1162(応保2)年ー1241(仁治2)年の歌人。
 当時、和歌の原意は、和する歌、答える歌で、常に、応答、交換を期した会話、対話、また、この世に対する挨拶で、時には政治的応用が入りました。

 本書は、語りかけるように、人間味豊かな定家像と生きた暗黒時代を詳述し、今まで読んだ、どんな中世史よりも、この時代が良く理解できました。

 余談ですが、今、別途、本郷恵子著の『将軍権力の発見』(以下「前掲書」と略します。)という書物を平行して読んでいます。
 そこに、定家の時代、いかに「有職故実」を記録して蓄えることが大切か、が出て来ます。「有職故実」とは、儀礼の場での作法や立ち居振る舞い、文書をやり取りする場合の書式や語法(書札礼)です。
(なお、その公家の有職故実は、武家故実になり、やがて、民間習俗の形成に影響していますから疎かにできません。)

 「明月記」原文は、この有職故実の記録に満ちていて、我々が今書く「日記」とは性質が違います。
 しかし、本書は、その有職故実の部分よりも、定家の日常生活を取捨して書かれているので、取っ付きやすく、面白いくなっているのが最大の特長です。

 定家の生涯は・・、主家の九条家・・この名も、前掲書に説明されていますが、「藤原」家では、あまりに多いので、住所を通称にしたものです・・の運命に翻弄されつつ、
気位い高く、宴会嫌いで、
職業歌人〉(あるいは、宮廷芸人)として、
今日の勤め人の様に、遊び人の上司(上皇)に気を遣い、ご機嫌をとり、
官職での出世願望(40歳になっても、自分の子ども達のような同僚ばかりの少将・・定家が、この少将になったのは、28歳の時でした)から、中将以上を望みます。

 左近衛権中将になったのは、47歳、1202年10月24日でした。その中将も、政策を論じる役職の参議中納言を目指している若者ばかりでした。
 定家は、天皇の秘書役とも言える蔵人頭を狙いましたが適いませんでした。
昇進運動をし、姉も側面支援しますが、同僚には足を引っ張られ、
一方、生活苦や27人の子どもの面倒をみての貧窮、
治安最悪の世の中に、喘息や腰痛、腎臓結石、神経痛に悩まされまがら歌の家業に専念した、
・・一生でした。
 それらが見事な筆力で書かれています。本書を買ってから、和歌に不調法なので手を出さずに積読であったのを反省しています。

 素晴らしい本です。
 本書続編も読むのが楽しみですし、さらには、古典文学全集で新古今和歌集をもっと読みたいし、同時代の、慈円(「愚管抄」)、西行、鴨長明(「方丈記」)についても、きちんと、精読したくなりました。

 本書は・・、

 まずは、定家19歳の時、源氏追討の軍事行動のある、社会不安溢れた(群盗の群れがはびこり、流行歌に、「尼も長刀(なぎなた)をもつ」ほどの乱れた)世上に・・

「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖(イエド)モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎(コウキセイジュウ)吾ガ事ニ非ラズ

・・との達観、

「雲さえて峯の初雪ふりぬれば有明のほかに月ぞ残れる」
という驚嘆感動から始まります。

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恩田陸の新連載小説『SPRING』が始まったのを発見しました。『戦争は女の顔をしていない 』を、コミカライズで読みました。

 余談から。中世、鎌倉時代、世が乱れ、疫病に悩まされた人々は、「管貫(すがかん)」、茅で造った輪を門柱にかけたり、大きな輪に造って、くぐったりして祓えをしました。
 さらに、〈病気〉という言葉を忌んで、〈歓楽〉という言葉を用いたりしました。

 定家の「明月記」、建久9年(1198年)1月2日(37歳)には、
「心身甚ダ歓楽。家門入ルノ後、身体歓楽・・、終夜甚ダ歓楽」というようにあり、これは、乱痴気騒ぎでは無く、病気に苦しんでいる記述です。
 しかし、そもそも、この頃、主家九条家が失脚して、建久8年などは、定家は、2首しか歌を作っていないときです・・・と、まあ、定家の「明月記」については、後日書きます。

 まずは、
小梅けいと『戦争は女の顔をしていない 1』
を、朝日新聞読書欄で推薦していた、コミカライズ、漫画版(KADOKAWA)で読んでみました。小梅けいとは、京大工学部中退の漫画家で、男性です。
 1では、7話が載っています。先日、ご紹介した「独ソ戦」(岩波新書)に触れた《あとがき》があるので、この戦争の認識には違和感がありません。

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 翻訳版と違ってコミカライズだと、当然ながら、当時の社会風景など絵が正確ではなくてはならず、ある種《考証》も必要でしょう。本書は、戦争中にソ連の階級章に変更があったことも前提に、正確に、襟の階級章が描き分けられているのに感心します。

 登場する女性兵士たちは、従軍洗濯部隊、狙撃兵、衛生兵、高射砲兵、飛行士、輸送機関士などです。
生理や下着が男性もの、小用の苦労などから、子育てで、日中、家に粥と幼児をおいて隊に行っていた話など、男性中心の戦記ものでは知り得ない話が満載です。
 少しばかり乙女チックな印象なのは、どうしてもコミックでは、こうなってしまうのでしょうか。

 さて、このところ、読書にばかり集中していて、定期購読で取っている出版社の小雑誌に目を通すのが、散漫になっていました。
出版社の小雑誌というと、いかにもPR誌的ですが、内容は頗る濃い。
 久しぶりに、きちんと目を通すと、各誌3、4月号では、引きつけられる記事が沢山あります。
 例えば・・、
 筑摩書房の「ちくま」(年間1,000円)。

 「蜜蜂と遠雷」で感動した・・、
恩田陸の新連載小説、『SPRING』が、3月号から始まっています。
今度の作品は、ダンサーの世界のようです。
 主人公の回想で始まります。2回までに登場するのは、回想するジュン、その友人・萬春(よろずはる)、他に、棚田誠、まつなが高志。二人は、エリックの主宰する名門ダンス・スクールのプレ・オーディションで遇いました。エリックと正反対の教師リシャールも登場します。
 
冒頭は・・、

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立原正秋 『日本の庭』 ~ 晩年の思索に満ちた庭の再訪。遠慮無い評価と、博学な古典の知識が光る、まさに名著です。

 先日、パソコンの更新ファイル・アップ・デートが、随分長くて35分とかかっていた時、暇で、ふと、本棚にあった、約30年前に買ったまま(奥付けの発行日は、昭和54年(1979)5月)読んでいない本、

立原正秋(1926-1980) 『日本の庭』(新潮社)

が目に入りました。
 まさに、終活も、ほどほどに、です。捨てなくて良かった。

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 昭和49年(1974)12月に「序」部分が、昭和51年1~10月に1~10章が、「藝術新潮」に連載されたものです。78枚(12枚はカラー)の写真や石敷のデッサンも載っていて、完璧です。

 箱入り、布張り上製本です。1頁目を繰ると、京都北山の正伝寺や大徳寺での思索から始まっています。ちょうど、日本中世史の新書を読み終えたところで、足利義満や禅宗の話が頭にあったので、俄然興味が沸きました。
 でも、本書を読むと、既存の旅行案内書や観光案内僧侶の「禅と庭」に関する話は、ちょっと、眉に唾をつけて聞かなくてはと思うようになりました。
 賛否、好悪は別にして、本書は、京の旅には必読と思います。しかし、残念なことに、単行本は、絶版になっています。

 本書の文章・・、「正伝寺の山門を出たら、風が死んでいたことがあった。」など、まさに名文や、著者の、若い頃の悩みながらの彷徨が率直に書かれています。その悩みとは、きっと、作品がなかなか世に出なかった苦悩や、国籍のことかもしれません。

 氏は、再訪した庭であっても、「文章は、すぐ書けない。2か月ほど発酵させ、その中かから、必要な事象のみを掬いとるが、これがなかなか容易でない」、と書いていますが、本書は、単なる庭の案内記で無いことが、ここからも伺えます(85頁)。

 早速、寝る前の読書本となり、それは、至極のひと時となりました。
 私も、間もなく73歳。歳をとって、それなりの、少しばかりの知識を積んで、やっとこの本に、真の意味で邂逅出来たのでしょう。

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平岩弓枝 『私家本 椿説弓張月』 ~ 海洋を挟んで、史実の裏で展開する、壮大な貴種流離譚。政争と戦い、夫婦・親子・家族、一族の情と犠牲、怪異ファンタジー的な要素もあり、危機と安堵が繰り返される物語。曲亭馬琴はやはりすごい。

 一度、きちんと物語を知りたかったのです。
 辻悦雄「奇想の系譜」で、江戸のアヴァンギャルドと言われた、一勇斎国芳歌川国芳・1798-1861)の大判3枚続きの錦絵、
讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」(1852)

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を見てから、曲亭馬琴(1767-1848)の読本(史伝物)「椿説弓張月」(1807-1811)を、です。
 正式名は、「鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月(ちんせつゆみはりずき)」。

 しかし、古典文学全集は入手出来ず、入手できたにしても、長大な物語・・前編・後編・続編各6巻、捨遺5巻、残編5巻・・を読み切る自信がありません。
 と言うことで、今回、

平岩弓枝 『私家本 椿説弓張月』(新潮社)

を読みました。

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 〈椿説〉とは、虚構のような、いわば珍説で、史実とフィクションがないまぜの物語ですが、歌舞伎流に、鎮西八郎・六条判官源為朝の〈鎮西〉がかけられているとも言われます。
 本書は、膨大な物語を、序・破・急・転・結の巻5章にまとめています。

 急の巻以降は、琉球王国での物語になっています(これも、〈琉球〉の名の由来とか、実に、有益で面白い。)。
 なお、女性作家(この言い方は褒められませんが)のせいか、白縫による武藤太の処刑場面、懐剣で指を一本ずつ切り落とし・・といったところは、切った首が転げるだけで、さらりと過ぎます。三島由紀夫作・演出の歌舞伎台本では、好んだ場面のようですが(1969年11月・国立劇場)。
 当然、「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」の場面も、しかっり出て来ました。
 少し、ここの部分の物語を、先に、書いてみますと・・、

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大木毅 『独ソ戦 ー絶滅戦争の惨禍ー』 ~一読暗澹。空前絶後の《皆殺し》戦争、その理性無き絶滅戦争と報復戦争の実体を新資料で説いた、《2020年新書大賞》受賞作です。

 昨年7月に出版されて以来、興味を持っていましたが、《2020年新書大賞》を受賞したというので、早速、買いました。2月5日出版で、もう、10刷になっていました。

大木毅 『独ソ戦 ー絶滅戦争の惨禍ー』(岩波新書)

です。

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 独ソ戦(西欧では。「東部戦線」とも言います。)については、ベルリン陥落時のソ連兵の掠奪・暴行・殺戮、1,000名近い独市民自殺などは、知っていましたが、本書で戦の全貌を始めて知りました。図も理解しやすい。
 双方、国際法など、全く無視した殺し合いの酷さ、惨憺さに、ただただ唖然としました。

 それは、例えば、日本の人口が、1939年に7,138万人で、戦闘員・非戦闘員あわせて、260万人~310万人が死んだ悲惨さと比較すると、独ソ戦では、ソ連側で2,700万人、独側で600万人~830万人、という桁違いの悲惨さです。

 戦闘エリアの広大さも、例えば、スターリングラード戦役だけで言っても、円を描くと、東京ー横浜ー奈良ー長野ー金沢、位の広大さがあります。

 特に、本書で強調されているのは、ヒトラーだけ悪人では無いと言うこと。
 ヒトラーは国民に負担・犠牲を強いることの無いように、独国民に対してはその優越性を前面に出し、高い生活水準を保たせ、完全雇用を実現し、公共事業を拡大しつつも国民に負担が行かないように占領地住民・敵性住民・ユダヤ人を強制労働力にして、巧みに政策し、貴重な外貨を使って嗜好品・衣料・煙草・コーヒーなどを輸入し、国民は、それに同調し、他方、国軍も、積極的に作戦を練りました。ドイツ国民の《共同責任》を強調します。

 さらに、冷戦が終わる1970年代、さらにソ連邦崩壊で資料が公になるまで、東側も西側も都合の良い独ソ戦解釈を公にしてきました。巷で、刊行されている大半の書物は、それに乗っかった間違った歴史解釈をしていて、それを、きちんと正し、実証研究した第一歩の書が本書、という訳です。

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『西洋美術の歴史 7』 ~ 美の永久革命が始まった19世紀。伝統的・古典的な美術と近代的・革新的な美術との葛藤、相剋を中心に、各国の個性的な美術がマクロに描かれます。

 すでに、第8巻を読了しているのですが、今回は、その前の第7巻、

『西洋美術の歴史 7』(中央公論社)

を読みました。
 19世紀美術を扱っています。

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 冒頭に、過去の美術史では、19世紀美術がどのように扱われているか、特に、執筆年代が新しくなるに従って印象派偏重になっていることなどが述べられ、本書の叙述方針の総論(「序章・19世紀美術とは何か」)を経て、各論に入る記述は、非常に分かりやすい。

 それでも、私は、第4章19世紀後半から読み始め、第3章19世紀前半を読み、それから、第1、2章を読みました。
 いつも、他の本を読みつつ、この本を併読して、ゆっくり読むのは、至福の時、でした。
 ミステリーでは、結論から読むのは邪道ですが、このような美術史は、結構、着地点から読むのも理解が深まるものです。

 まずは、先立つ、18世紀、市民革命が起こり、特に、古代ギリシャ・ローマ共和制時代に範をとり、また、デッサンよりも色彩表現を重視した「新古典主義」や、産業革命による科学技術の進歩の一方、自然への畏怖や不安、文学からの夢幻性を感ずる「ロマン主義」の萌芽から本書は、始まりました。

 そして、本論、19世紀。この時代は・・、

 新古典主義の歴史画(入念な画面構成・悲劇性・理想美・典型的な人物像・男性裸体・芝居のようなポーズ)からの、
 ギュスターブ・クールベらの現代風俗画(現実性・日常性・単調な構図・動きに変化の無い身振り・平凡な人物表現)、ジャン・フランソワ・ミレー、オノレ・ドーミエらの農民画への変化、アンチテーゼとしてのロマン主義の異国や中世趣味、文学、国民史、同時代事件の作品。
 一方、身近な現実を描くレアリズム(写実主義)絵画と、ポスト・レアリズム絵画、さらには自然主義への発展は、印象派との折衷を求めます。

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大本泉 『作家のまんぷく帳』 ~ 22人の小説家の食のこだわりに注目しました。むしろ、作家小辞典の趣の、簡明な作家身辺雑記が役にたちます。

 梅花は、霜雪に耐えて春、百花に長ずる、と言いますが、今年は霜雪では無く新型ウイルス。
 私は、もともと、家好きですので、出歩かなくても一向平気(だから、マスクは、10年前の騒動の時の備蓄が30日以上あるのを、全部、妻にあげて喜ばれました。)。
 陽の当たる書斎で、日光浴しながら本を読み、時々、フィットネス・バイクをこぎ、スクワットを50回ほどしての読書三昧。今は、「椿説弓張月」を読んでいます。この本は、後程じっくりと・・。

 今日は、朝日新聞の「天声人語」で、本書の、泉鏡花(1873-1939)の〈神経症的〉な食生活が紹介されていて面白そうだったので、早速読みました。

大本泉 『作家のまんぷく帳』(平凡社新書)

です。

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 その「泉鏡花ー食べるのがこわい」(23-32)ですが、酒は、ぐらぐらに煮燗(消毒)し、あんパンの指でつまんだところは捨て、リンゴも同じように頭と尻の部分を持ってコマを回すように横囓りして指の触れたところは捨て(リンゴをむく奥さんも大変です。)、上物でも刺身などは見るのもイヤ、安心できない家を訪問するときは、家で満腹にしてから出かける、という具合。

 食べ物ばかりか、郵便を送るときも、ポストの投入口の奥深くまで手を入れて、しばらくそのままで郵便物を離さない。ようやく投入しても、ポストの周囲に落ちていないか、3回は、ポストの周囲を回る。済んで、帰るときに、もう一度振り返る、と言う具合。
 家の中の鉄瓶の口や煙管の口にもサックをかぶせ、天井の木の隙間には半紙を細長く切って挟む、という生活です。

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山本浩貴 『現代美術史』 ~ 多様な思想を、多様なメディウムで表現した〈何でもあり〉の現代美術。そのごく直近の現在までを、丁寧に俯瞰した好著です。

 近時は、読書、オペラと現代美術が「趣味」になっています。
 今日の本は、この半年で数冊目になる〈現代美術〉の本で、

山本浩貴 『現代美術史』(中公新書)

です。

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 新書とはいえ、内容は、重厚です。読み終えるのに、結構、時間を要しました。
しかし、決して難解と言うのではありません。
 本書は、著者のロンドン芸術大学の博士論文審査後に1年間で執筆したとあって、心なしか余熱のようなものを感じます。
 余談ながら、著者の指導教官の一人が、黒人女性作家(第3世界フェミニズム)のソニア・ボイス(1962-)です。

 本書中には、マルセル・ヂュシャンの『泉』の作者は、エルザ・フォン・フライターク=ロリングホーフェン(1874-1927)ではないか、という類書に無い記述があったりして興味をひきます。

 ところで、私が、表題で遣った〈メディウム〉というのは、狭義では、絵具を溶かす触媒ですが、広義には、画家が、自己の思考を目に見える形で表現するのに遣う素材などを意味します(因みに、複数形は、メディア)。かつての絵画の絵具や彫刻の大理石だけでなく、現在は、あらゆるものを遣います。ほんとうに、あらゆるもの、です。
 ここで、一つの《何でもあり》があるわけです。
 余談ですが、『西洋美術の歴史 8(20世紀)』(中央公論新社)で読んだ、体を傷つけたり、尿や糞の〈作品〉表現などは、〈何でもあり〉と言っても、さすがについて行けない感じがしました。

 そして、当然ながら、印象派以降、作品は、対象を正確に表現するのでは無くて、感じた心、頭の中にあるものを表現します。それは、場所によっても変化します。つまり、鑑賞者の積極的な関与なくしては成立しません。当初は、そんなのは、未完成品だなどと言われました。
 なお、さらに、作品物体そのものでは無くて、展示室の空間そのものを作品とするものが多くなりました(インスタレーション)
 そして、その心の物差しも、シュールレアリズムなど様々な思想・哲学があります。

 さらに、感じた心、も、1990年代以降は、社会との係わりで多様性、多文化主義(マルチカルチュラリズム)があります。2000年以降は、ジェンダー、エスニシティ(民族性)など社会と係わる芸術(ソーシャリー・エンゲージド・アート。《エンゲージ》とは、関与。)が中心となって来ました。

 あらゆる言説の正当性を担保する理念や全人類に妥当する価値観、いわゆる《表象》も揺らぎました。(ジャン=フランソワ・リオタール『ポスト・モダンの条件」(1979)』)

 このような状況を丁寧に踏まえて本書は記述されています。

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プロフィール

感動人

Author:感動人
 芸術全般を愛する団塊世代です。
 「引退後」、たっぷり時間をかけて、いろいろな芸術を初心にかえって学び、横断的に、楽しんでいきたいと思います。もうひとつ、心身共に健康に「年をとっていく」ための、生活のマネジメントも「同時進行」でお伝えします。
 のんびりと過ごしたいと考えています。お寄せいただくコメントなども、論争などは避けて、ゆったりしたお話をお寄せください。

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